#19 美味しいお味噌を作りましょう

 さて、ようやく味噌作りに掛かる。でた大豆をザルですくって水気を切りながら、大豆を水にけている時に使った大きなボウルに移す。


 大豆を潰して行く。実家の蔵では機械でやるが、ここでは無いので手作業だ。


 潰すのは手でも出来るが、今回はレードルを使う。腹を大豆に押し付けて行く。時折ときおり返しながら繰り返す。


「なるほどのう、味噌は大豆を潰して発酵はっこうさせたものなのじゃな。まだまだ知らない事があるのう」


「じいちゃんてさ、こっちに来るまで本当に何もして来なかったのか? 家の事とか子育てとか」


「うむ……全てを家内に任せて来たのう。ろくに話も聞かんかったのう。儂の時代はそれが当たり前じゃったんじゃが……」


 それが昨今の熟年離婚の原因になっている事は言うまいが。


「今の時代は、それじゃあしんどいかなぁ。じいちゃんの世代はそれで良かったんだろうけど、今は共働き夫婦も多いから。旦那さんと奥さん、同じぐらいの時間働いていて、家事も育児も奥さんに丸投げ。奥さんの負担は大きいだろ?」


「そうじゃな。それはそうじゃ」


 茂造は眼を見開いてうんうんと頷く。


「前に母さんが言ってたんだけど、ほら、うち味噌蔵だろ? 母さんも店舗てんぽに出たり事務したり。でも共働きなのに家事やら押し付けられて、ぶち切れて父さんにビンタ張ったってさ。強いよなぁ母さん」


 壱はその時の様子を想像し、小さく笑う。


「おお、それは凄い事をしたのう、三枝子よ」


 娘の思ってもいなかったであろう一面に、茂造は驚いた表情を浮かべる。


「母さんがそう出来るんだから、あの夫婦は安泰だよ」


「今あっちでは、それが当たり前なのかの?」


「いや、専業主婦で、毎日家事に子育てにって頑張ってる女性もたくさんいるよ。夫婦ふたりが納得してたら良いんだと思う。俺は結婚した事無いから、良くは判らないけど」


 彼女がいた事はあるが、それは今は余計な情報である。


 さて、大豆が良い感じに潰れた。壱はレードルを木べらに持ち替えて、更に返して混ぜて行く。粒が残っていればまた潰す。


 大分なめらかになって来た。そろそろ次の段階に移る。


「ここに塩とこうじを入れるんだ」


 分量の塩と麹を入れ、今度は満遍まんべん無く混ぜる為に、良く洗った手を使う。


 やはり実家では機械を使う工程だが、ここでは手でやるしか無い。壱は全体に塩と麹が行き渡る様に、これでもかこれでもかと混ぜて行く。


「じいちゃん、木製の桶みたいなのあるかな。出来たら釘とか接着剤とか使わずに組んだ木桶きおけがあれば理想なんだけど」


「あるぞい。この村の木桶は全部そういう造りなんじゃ。ええと」


 茂造は立ち上がり、棚に手を伸ばと幾つかの木桶を出して来た。


「どれが良いかの」


 様々なサイズの木桶がテーブルに並べられる。


「これが全部入れば良いんだ。出来上がりで量が変わる訳じゃ無いから。ん、その右からふたつめで行こうか」


「よしよし」


 茂造は選ばれなかった桶を棚に戻す。


「最近使ってなかったから、洗うかのう。サユリさんよ、乾かすのを手伝ってくれるかの?」


「良いカピよ」


 茂造が木桶を洗い、サユリが時間魔法で乾かす速度を速める。


 さぁ、大豆も混ぜ終わった。壱はそれを小分けにして、団子を作って行く。


「さーて、桶に入れるよ!」


 壱は団子を持った右手を軽く振りかぶると、乾かしてもらったばかりの木桶に投げ付けた。


「おお! 大胆じゃのう」


「空気を抜く為にな。空気が入ったり触れたりしたら、かびの元になるから」


「なるほどのう」


 ふたつ、3つと大豆団子を投げ付けて行く。全てが入った後は、上から押し込んで更に空気を抜く。


 表面を平らにし、落とし布をする。大豆の表面に隙間すきま無く貼り付け、空気の入るすきなど無い様に。


「さて、問題は中蓋なかぶたなんだけど」


 壱は手を洗い、水分を拭きながら言う。


「この木桶にちょうど入る位の中蓋が欲しいんだ。あるかな」


「中蓋のう。中蓋はともかくそのサイズは無いかのう」


「なら、材料を用意すれば我が作るカピ」


「え? サユリそんな事も出来るのか?」


「当たり前カピ。我は初代ユミヤの住んだ小屋も作ったカピよ。中蓋を作る事くらい朝飯前あさめしまえカピ」


 サユリが得意げに鼻を鳴らす。


「じゃあ俺材料もらって来る。何か木材とか、そういうの貰って来たら良いんだよな? えーと、あれ、どこ行ったら良いんかな」


 この村に来て今日で3日目。しかし銭湯せんとう以外にまともに外に出ていない事に気付いた。


「そう言えば、村の案内もまともに出来ていなかったのう。今は時間があまり無いからのう、また後にしてもらうとして、うむ、儂が行って来るかの」


 茂造はそう言い立ち上がった。


「いやじいちゃん、さっき大豆ももらって来てもらったのに」


 老体であろう茂造にあまり動いて貰うのは申し訳無い。五体満足に見える茂造だが、不調があってもおかしく無い年齢の筈だ。


「構わんよ。儂も健康の為に足腰動かさんとのう。長時間の立ち仕事は辛いが、歩く事はさほど苦では無いんじゃよ」


 茂造は言うと、颯爽さっそうと階段を降りて行った。


「じいちゃん、ありがとーう!」


 その背中を追い掛ける様に壱は声を上げる。


 では、茂造が戻って来るまでに使った器具の洗い物を済ませておこう。それが終わると重石おもいしの選別だ。確か裏庭にいくつか良さそうな石があった。壱はスケールと紙を持つ。


「サユリ、ちょっと裏庭に降りて来る」


「我も行った方が良いカピか?」


「ううん、大丈夫。待ってて」


 壱は下に降りると、厨房のドアから裏庭に出る。スケールを置く為の椅子も持ち出す。


 重石は味噌の出来上がりの重量の2、3割の重さがいる。スケールの上に紙を置いて、石の重さを測って行く。


 手頃な石を見付け、それに付いている砂を出来る限り払って紙に包み、また椅子の足を拭いて元の位置に戻すと2階に戻り、洗って綺麗にする。


 そのタイミングで茂造が戻って来た。


「ただいまじゃ。壱よ、これで大丈夫かの?」


 茂造が手にしていたのは、厚さ1センチ程の木の板。


「うん、バッチリ。じいちゃんありがとう。じゃあサユリ、木桶の内径ないけいに合わせて、よろしく頼むよ」


「うむカピ」


 サユリの右前足が上がる。すると四角い板があっと言う間に丸く切り取られた。


「これでどうカピ?」


 壱は出来上がった内蓋を取り上げて、見る。見事だ。サイズは入れてみないと判らないが、やすりを掛けた様ななめらかな断面は、さすがとしか言い様が無い。


「うん、これで行けると思う。じゃ、乗せてみよう」


 大豆にかぶせられた落とし布の上に乗せる。するとぴったりだった。


「凄いなサユリ!」


「当然カピ。きちんとサイズも見て作ったカピよ」


 その上に重石を乗せる。壱はやりきったと言う様に大きな息を吐いた。


「これで、1年くらい熟成じゅくせいさせるんだ」


「では、また我の出番カピかな」


 サユリが右前足を振るう。今までよりやや時間を掛けて。


「終わったカピ」


「本当に便利だな! さて、ちゃんと出来てるかな」


 重石と内蓋を上げ、落とし布を外す。そこにあったのは、黴も生えておらず、艶々つやつやと色濃く光る、しっかりとした味噌だった。


「うわぁ……!」


 壱は木桶に鼻を近付け、まず香りを確認する。しっかりと発酵が進み、どことなく甘い、だがぎ慣れたもの。しかし実家の蔵で使う大豆とこうじの違いがはっきりとしていて、それとはまた違う美味しそうな味噌の風味がする。


 ほんの少量をスプーンで掬い、舐める様に口に含む。しっかり味わって、壱はこぶしを握って声を上げた。


「味噌だー! やったー! 出来たー!」


 この村に来て、正確にはこの世界に来て、壱のボルテージが1番上がった瞬間だった。

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