#60 耐火煉瓦の算段と、おめでたいご報告

 木製工房から食堂に戻る途中、陶製工房に寄ってみる。り鉢は明日だと言われていたが、耐火煉瓦れんがについて聞きたかった。


 ドアをノックすると中から返事があったので、ドアを開く。


「こんにちは」


「邪魔をするカピよ」


「あらサユリさんイチくん、こんにちは!」


 棚の整理をしていたシルルが振り返って返事をしてくれた。中断し、寄って来てくれる。


「擂り鉢は明日まで掛かるよ?」


「あ、今日は別件なんです。こちらに耐火煉瓦があるかもって聞いたんですけど」


「ああ、うん、あるよ。煉瓦は普通のも耐火のもストックしてるからね。幾つ欲しい?」


「まだ個数判らないんです。設計図作らなきゃ。サイズは普通のと同じですか?」


「うん、一緒。210、100、60ミリ。個数判ったらいつでもおいで。と言うかさ、前にイチくん、自分たちでレンガ作って持ち込んだじゃ無い。あう言う時はうちを頼ってよ!」


 シルルはそう言い、口角を上げた。相変わらず気持ちの良い女性だ。


「ありがとうございます。明日また来ますね」


「待ってるよー」


 手を振るシルルに見送られ、壱とサユリは陶製工房を辞した。


「耐火煉瓦あって助かった。前畑用の煉瓦作った時、結構大変だったから。あの時は人数もいたのにさ」


「個数が多かったカピからな。耐火煉瓦はそこまでは要らないのでは無いカピか」


「組むのもひとりで大丈夫だと思う。そんな大きいの作る訳じゃないから。30センチ四方もあれば充分なんじゃ無いかな。いや、外径50センチは要るかな?」


かつおのたたきグレードアップ……楽しみだカピ」


 サユリがうっとりと眼を細めた。


「楽しみにしてて。あーでも、わら焼きは確かに日本人の口には合うんだけど、この村の人たちにはどうだろう。少し癖があると言うか……それこそ炭焼きの方が良いのかも知れない」


「まぁ、作ってみるカピよ。まずは我が味見してやるカピ」


「お手柔らかに頼むよ」


 そう言って笑う頃には、壱とサユリは食堂に着いていた。




 すぐに夜営業の仕込みが始まり、雪崩れ込む様に夜営業に入り、客足がゆるやかになる20時ごろ。


 茂造とサユリ、そして壱に客が訪れた。


 マーガレットに呼ばれフロアに行くと、壁際のテーブルに着いていたカルとミルが立ち上がる。


「こんばんは」


「こんばんは」


 ふたりは揃って頭を下げる。その表情はとてもにこやかだ。


「ほいほい、こんばんは。決めたのかの?」


 前回まで専業主婦になれない事をなげいていたミル。その時とは打って変わって明るい笑顔。


 ああ、もしかしたら結婚式の日取りを決めたのだろうか。


 壱たちがカルとミルの正面に掛け、サユリがテーブルに上がると、ふたりも座った。


「俺たちの結婚式の日の希望なんですが、10日後ってどうでしょうか」


 10日後!? カルが口にしたあまりの期間の短さに、壱は声を出しそうになったが、咄嗟に口を抑えて堪える。


「む、壱、どうしたカピか」


「な、何でも無い」


 もごもごしながら応え、手を離す。


「うんうん、大丈夫じゃと思うぞい。明日一応村人に聞いてみるからの」


「よろしくお願いします」


 ふたりはまた深く頭を下げる。そして帰って行った。


 ふたりがドアの向こうに消えると、壱は先程飲み込んだ言葉を吐き出す様に、大きく溜め息を吐いた。


「じいちゃん、この世界って結婚決めてから式挙げるまで、こんなに短いもんなの?」


「そうじゃの。他の街や村なんかは良く分からんが、この村ではこんなもんじゃ」


「準備は要らないの? 女性のドレスとか、披露宴がどうとか」


 壱には勿論結婚経験は無いが、学生の頃の同級生や親戚やらの結婚式などに参列した時は、数ヶ月前から招待状が届いていた。と言う事は準備そのものはそれ以前から開始されていると言う事だ。


 壱はこれまでに結婚を意識した女性はいなかったので、そういった事を調べた事も無い。なので知識はほぼ無いのだが。


「ドレスは製糸工房が作るぞい。何、女性のドレスと言ってもの、向こうの世界の文金高島田やウエディングドレス? だったかの? みたいな、豪華と言うかの、贅沢なものでは無いからの。ワンピースと言うやつのが近いかも知れんの」


「あ、シンプルなものなんだ。男性は?」


「男性は何でも良いんじゃよ。結婚式の主役は女性と言うのは、どこの世界でも共通しておるのかも知れんのう」


 壱たちの世界でも、外国では判らないが、確かに日本では「結婚式は女性のもの」と言う言葉を聞いた事がある。


 今の時代の価値観がどうなっているのかは判らないが。


「式も村人の前で誓い合うだけじゃし、そのまま披露宴みたいな宴会に雪崩れ込むからの。当日1番忙しいのは儂ら食堂の厨房じゃ。いつもは来客の度に作っておる料理を、全員分1度に作るんじゃからの」


「成る程ね。覚悟しとく。ん? 料理の内容、いつもと同じなの?」


「そうじゃのう。全種類では無いがの。何せ作れる物が多くなくてのう。儂がもっと作れたら良いのじゃろうが、壱も知っての通り、この世界に来るまではろくに台所にも立った事が無かったからのう」


 茂造はそう言うと苦笑した。


 成る程。それなら。


「何か考えてみようか。あまり面倒無く作れて、パーティっぽいやつ」


「おお、それは助かるが、食堂のメニューが増える事になっても大変じゃのう」


「そういう行事限定って事にすれば良いんじゃない?」


「そうじゃの。成る程の」


 茂造は頷く。


「じゃ、ちょっと調べて段取り考えてみる。何が良いかなぁ」


「ほう、また新メニューが食べられるのだカピな。楽しみだカピ」


 サユリが眼を細めると、茂造も嬉しそうに笑う。


「そうじゃの。じゃあ厨房に戻って、そろそろ片付けに入って大丈夫かの?」


「はーい」


 壱が返事をして立ち上がり、茂造と厨房に戻った。




 寝支度をして、机の前の椅子に掛ける。今日はエールを持ち込んだ。


 たまに少しだけ飲みたくなる事があるのだ。嫌な事があったからとかでは無い。


 壱は結構アルコールが好きである。毎日飲みたい訳では無いが、時折こうして楽しみたいと思う。


 壱は机の引き出しからスマートフォン、そして紙とペンを出すと、早速検索を始める。


 この村にある材料で作れるパーティ料理で、先程パッと思い付いたものが2品ある。


 1品目は、ローストポークである。


 村人は生肉を苦手としているので、少し長い目に火を入れて作ってみようと思う。食堂の面々がミディアムレアのステーキを美味しいと食べてくれたので、大丈夫だと思うのだが。あれは牛肉ではあるが。


 難しそうなら茹で豚にして、その後フライパンで表面に焦げ目を付けたら良い。


 それにバジルで作ったソースを掛けたらどうだろうか。擂り鉢は明日に出来上がるのだから、これまでより手軽に作れる筈だ。


 ローストビーフの方が贅沢感は出る気はするが、牛肉は他の料理で使いたい。


 赤ワイン煮込みである。


 この村で作れるかどうかレシピを見てみると、問題無さそうだ。


 鶏肉は茹で鶏にして、ブロッコリーや玉ねぎなどと和えてサラダにしよう。ドレッシングはシンプルにオリーブオイルとレモン汁、塩と胡椒で。


 魚類は、まずはさけをバターでムニエルにしよう。


 まぐろたいはどうしようか。


 鯛はトマトで煮込もうか。アクアパッツァだ。海老えびか貝類を入れたいが、これは漁師にお願いしてみようか。


 鮪は今回は無しで。


 パスタはどうしようか。あ、鮪をオイル煮にして解して、パスタと和えようか。鮪のペペロンチーノだ。きゃべつと合わせるのはどうだろうか。


 よしよし、大分固まって来た。それらを紙に書き出して行き、壱は満足げに頷く。


 あ、お試しで鰹のたたきも少し出してみようか。フライパンで作るレシピで。これは村人の感想を聞くチャンスである。


「壱、さっきから何をしているカピか?」


「カルとミルの結婚式の時の宴会メニュー。結構良い感じだと思うんだけどな」


「どれ、見せてみるカピ」


「え、サユリ俺の国の字読めるの?」


「我はどんな文字でも読めるカピよ」


「凄いなぁ。はい」


 壱は素直に感心すると立ち上がると、ベッドで寛ぐサユリの元に紙を持って行く。サユリはそれをじっくり眺めると、ふんと鼻を鳴らした。


「我の知らない料理もあるが、壱がセレクトしたのなら、問題無いのだろうカピな」


「うん。俺の世界で美味しいやつばっかり。こっちで賄いとかいろいろ食べててさ、多分味覚殆ど変わらないと思うんだよね。だから大丈夫だと思う。今回魚介類は全部火を通すけど、煮たりしている間にサーモン焼いたりパスタ作ったり出来るから、効率良く行けるんじゃ無いかって」


「ふむ、段取りは大事だカピ。茂造とも相談すると良いカピ。1度テストで作ってみても良いかも知れないカピね」


「そうだね。材料の調達もあるしね。さてと、後は耐火煉瓦の個数出さなきゃ」


 壱は紙をもう1枚出し、スマートフォンの電卓機能を立ち上げた。

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