#95 壱は、この村で生きていく

 今日も良い天気である。壱は伸びをしながらキッチンに入る。


「さて、と」


 鍋に湯を張り、昆布を放り込んでおく。


 そうして厨房へ。冷蔵庫から卵、昨夜仕込んでおいたもの、棚からきゃべつと玉ねぎを出し、裏庭から玉ねぎの苗を刈り取る。


 2階に戻り、まずは米を炊く。始めは強火に掛けて。


 きゃべつと玉ねぎはざく切りに、玉ねぎの苗は小口切りにしておく。


 米の鍋が沸いて来たので、弱火に落として。


 昆布の鍋を火に掛ける。


 沸くまでの間に鰹節かつおぶしを引き削りして。


 沸く直前に昆布を取り出し、鰹節を入れて火を止める。


 出汁殼の昆布は千切りに、鰹節は包丁で叩く様にして細かくしておく。


 ざく切りきゃべつをボウルに入れ、少ししっかりめに塩を振り、み込む。


 きゃべつがしんなりして来たら、砂糖と千切りにした昆布を混ぜ込んで、更に揉み込んで行く。


 そうしていたらきゃべつから水分が出て来るが、それに漬ける様に、しばらく置いておく。


 鰹節が沈んだら、出来た出汁を別の鍋に移し、それを火に掛け、玉ねぎを入れる。


 次にボウルに卵を割り、良く解きほぐす。そこに出汁殼の鰹節、水、塩、小口切りのネギを入れ、混ぜる。


 フライパンを用意して、火に掛けてオリーブオイルを引く。そこに卵液らんえきを薄く伸ばす様に入れる。


 半熟状に固まったら奥から手前に巻いて行く。巻き終わったら奥に移し、空いたところにまた卵液。また奥から巻いて、と繰り返す。


 全ての卵液が無くなり、焼きあがったら俎板まないたに上げて、少し寝かせておく。


 米が炊き上がったので火を消して、解してふたをして蒸らしておく。


 さて、メインである。昨夜から仕込んでおいたものだ。


 味噌、砂糖、白ワインを混ぜ合わせたものをたいの切り身に満遍まんべんなく塗り、布で包んでバットに入れて、冷蔵庫で漬けておいたものである。


 フライパンを弱火に掛け、オリーブオイルを薄く引いておいて。


 鯛から布を外し、塗られている味噌どこを指で丁寧ていねいぬぐって行く。そうすると味噌に浸かって淡い茶色に染まった鯛の身が出て来た。


 味噌を拭い終えたら、フライパンでじっくり両面を焼いて行く。焦がしてしまわない様に注意して。


 その間に卵を切って皿に盛り、洗い物を片付けておく。


 そのタイミングでサユリと茂造が起きて来た。


「おはようのう。今朝もありがとうの」


「おはようカピ」


「おはよう。もう出来るからね」


「ほいほい」


 そうして茂造は洗面所に。サユリはテーブルの上へ。


 さて、鯛はそろそろ焼き上がるだろうか。


 様子を見ながら、玉ねぎの鍋に味噌を溶かし入れる。


 きゃべつは両手でしぼって適度に水分を切り、小振りの器に盛る。


 汁物もスープボウルとサラダボウルに注いで、玉ねぎの苗をぱらり。


 焼き上がった鯛も皿に乗せ。


 米もスープボウルとサラダボウルに盛って。


 鯛の味噌漬け焼き、玉ねぎの苗入りだし巻き卵、きゃべつの浅漬け、玉ねぎのお味噌汁、の朝ご飯、完成である。


 茂造は既にテーブルに着いていた。


「ほう、今朝は魚かの? これは何の魚かの?」


「鯛。味噌漬けにしてあるから、色変わってるけど。ほら、西京焼きってあるじゃん。たらとか食べた事あると思うんだけどね。あれは西京味噌とか白味噌とか使うんだけど、無いから普通の味噌でやってみた」


「うんうん、良い香りじゃのう」


 茂造が嬉しそうに鼻をひくつかせると、サユリもくんくんと鼻を寄せた。


「また新たな味噌の可能性カピな……」


「口に合うと嬉しいな。どうぞ」


「ほっほっほ、ではいただくかの」


「いただくカピ」


「はい、いただきます」


 はしを取り、まずはお味噌汁から。しっかりと出汁が効いた味噌汁に玉ねぎの甘みが良く合っている。いやされる味である。


 さて、では早速メインである鯛の味噌漬け焼きを頂くとしよう。箸を入れるとほろりと崩れる。


 口に運ぶ。味噌の柔らかな風味がしっかりとしていて、だが濃くは無く、鯛の甘みが活かされて良い塩梅。そしてふっくらと焼き上がっていた。


 これは良い出来である。味醂みりんや日本酒が無いので白ワインを使ってみたが、何ら問題は無かった。


 甘口のワインを使えばくせが残ったかも知れないが、すっきりとした辛口を使ったので、それが良かったのだろう。


 ここで白米を挟んで。うん、やはり味噌漬け焼きは米にとても合う。


 次にきゃべつの浅漬け。昆布の千切りが入っているので、少しとろみがある。しかし旨味を出しているのも、この昆布なのだ。


 しんなりと、しかししゃきしゃきと小気味良い音を立てるきゃべつ。米に合うのは勿論、箸休めに丁度ちょうど良い味付けだ。旨い。


 また米を挟んで。


 だし巻き卵に箸を伸ばす。卵液が柔らかいので難しかったが、どうにか綺麗きれいに焼き上がってくれた。


 ……優しい味だ。鰹節がふんわりと良い味を出してくれている。そんな中に玉ねぎの苗の少しぴりりとした淡い辛味がアクセントになっている。


 これも我ながら巧く出来た。旨い。


「ほほう、普通の味噌でもこうして魚が焼けるんじゃな。巧く出来ておる。旨いのう」


「ふむ、魚に合う事は判っていたカピが、こうした使い方は思いも寄らなかったカピ」


 茂造とサユリも満足そうに口を動かしている。


「昨日の晩から漬けておいたからね。気に入ってくれたら嬉しいな。これ、今日は鯛を使ったけど、鮭でも美味しいよ」


 すると茂造もサユリも軽く眼を見開いた。


「ほほう、それも旨そうじゃの。手間じゃろうが、楽しみにしておるぞい」


「うむ、また作ると良いカピ」


「うん。気に入ってくれたみたいで良かった」


 こんなに喜んでくれるのなら、少し手間が増えるぐらい何て事無い。壱は嬉しくなって笑みを浮かべた。




 今日も食堂の夜営業が終わり、従業員みんなで銭湯からの帰り道。


 壱は茂造にこそっと耳打ちする。


「じいちゃん、家に帰ったら少しだけ飲まない? 実はつまみ用意してあってさ」


 すると茂造は嬉しそうにほほを緩めた。


「それは嬉しいのう。では少しいただこうかの」


 そうして家に帰り着き、壱は2階のキッチンで用意しておいた鍋をコンロに掛けた。


 昼営業の仕込み時間や営業時間、夜の時間も使って、すきを見て用意しておいたものだ。


 牛のレバーにミノや腸等、これまで捨てられていたものの中で壱がさばける部位を、塩を入れた湯で下茹でし、ブイヨンと赤ワインと味噌で作った煮汁に生姜の千切りと一緒に入れて、弱火でコトコトと煮たものだ。


 牛もつの赤ワイン味噌煮込みである。


 それを温めている間にもう一品。


 鮭を生のまま細かく切り、包丁で叩いてもっと細かく。粘りが出て来たら、味噌と生姜しょうが微塵みじん切り、玉ねぎの苗の小口切りを加えて、包丁を器用に使って混ぜながら更に叩いて行く。


 鮭のなめろうの出来上がりである。


 アルコールは茂造が用意してくれていた。壱と茂造はエール、サユリは甘口の白ワインだ。


「はい、つまみお待たせ」


 2品にそれぞれスプーンを添えてテーブルに置き、取り皿とはしをを用意する。


「おや、また旨そうじゃの。なめろうとは懐かしいのう。鮭かの? これは何の煮込みじゃ?」


「牛のもつ。赤ワインと味噌で煮込んでみた。ここってどの肉でももつって捨てちゃうでしょう。前生レバ食べたけど、今回は煮込んでみた」


「ほうほう、それは楽しみじゃ」


 茂造が嬉しそうに微笑む。


「では乾杯カピ」


「乾杯じゃ」


「かんぱーい」


 サユリの音頭で、壱と茂造はエールのグラスをサユリの白ワインのサラダボウルに軽く当てた。


 ぐいっとグラスを傾けると、良く冷えたエールはするすると喉を通って行く。


「あー! 風呂上がりのエールはやっぱり旨い!」


 壱が満足げに息を吐くと、茂造も「うんうん」と頷いた。


「そうじゃのう。儂は向こうの世界でもエールと言うかビールを好んで飲んでおったのう。での、ひと心地付いたら日本酒かの」


「俺もビール良く飲んでたかも。あとはハイボールとか」


「ハイボールとは何じゃ?」


「ウイスキーを炭酸水で割ったやつ。凄く喉越しも良くて旨いよ」


「おお、そう言えば会社の若いもんが飲んでおったの。その時はそんな名前じゃ無かったとは思うがの」


「サユリは白ワインが好きみたいだね?」


「そうカピな。甘口か辛口かはその時の気分で決めるカピが、我の好みなのだカピ。それより」


 サユリの視線がつまみに注がれる。


「早くつまみを寄越すカピ」


「あ、待ってね」


 壱は小皿を2枚取ると、片方にもつ煮、片方になめろうを盛り、サユリの前に置いてやった。


「はい、どうぞ」


「ふむカピ」


 サユリはふんふんと鼻を鳴らすと早速、まずはなめろうを口にする。じっくりと味わって満足そうに眼を細めると、次にもつ煮。こちらにもサユリは頷いた。


「ふむカピ。良いカピな。酒に合うカピ」


「そうじゃの。これはエールにもワインにも合うのう」


 サユリが堪能たんのうしている間に、茂造も自分で取り分けて食べ始めていた。


 壱も小皿に取り分けて、サユリにならう訳では無いが、なめろうから食べてみる。


 元々臭みの少ない、新鮮な鮭。それが生姜と味噌によって旨味がしっかりと引き出されている。


 鮭と味噌、それぞれの甘みの相乗効果なのだろうか。そして生姜と玉ねぎの苗のアクセントでさっぱりとさせてくれる。


 次はもつ煮。うん、もつがとても柔らかく煮えている。赤ワインの効果だろう。


 そしてコクの元も赤ワイン。味噌も勿論良い仕事をしている。赤ワインの持つ酸味を和らげ、ふくよかな味にしてくれているのだ。


 どちらもとても良く出来ている。サユリと茂造の言う通り、アルコールが進む味である。


 壱はすっかりと満足して、エールを傾けながら眼を細めた。ああ、旨い!


「ところで壱よ、わざわざこんな場を設けるとは、何かあったのかの?」


 茂造が追加のなめろうを小皿に取りながら訊いて来る。


「特に何って訳じゃないけど、俺、この世界に来て、今日で30日目なんだよ」


「おお! もうそんなにもなるのかのう!」


 茂造が驚いて眼を見開く。サユリも少しは吃驚びっくりしたのか、眼をしばたかせた。


「長かった様なあっと言う間だった様な、さ。毎日結構楽しかった。母さんたちとも連絡取れる様になったから心配も無いし」


「そうじゃのう。この村ではサユリさんのお陰で大きなトラブルも特に起きんからのう。そういう意味では退屈じゃったんじゃ無いかのう?」


「いや〜全然。とりあえず来たぱっかりだからか、飽きない毎日だったよ。これからも平坦へいたんだったらどうなるか判らないけどね!」


 壱はそう言って、悪戯いたずらっ子の様な笑みを浮かべた。


「おやおや、それは怖いのう」


 茂造はそう言って、楽しそうに笑った。


「でも、まだまだやりたい事沢は山あるから。バジルソース改良するのに胡桃欲しいし、胡桃買うのに街にも行きたいし、出来たら村で栽培出来たら良いなって思うし。米を育てるのもこれからだしね。そしたら食堂で出せるから、カレーソースを掛けたら合うと思うから、定番メニューになるかも知れないよ」


「ほうほう」


「味噌も食堂用に作りたいなって思うし。そしたらほら、今昼の汁物メニューがクラムチャウダーとミネストローネだけど、豚汁とか作れると思うんだよね。牛蒡ごぼうがと蒟蒻こんにゃくが無いのが残念だけど、この村である材料でも充分美味しいでしょ。あ、そうしたら昆布と鰹節もいる? あ、いや、ブイヨンで作った方が村の人たちの口に合うかも」


「そうじゃのう」


「他にもやりたい事あったと思うんだけどなぁ。ええと、部屋にメモしてあるからまた見るよ」


「うんうん。壱は村の事を、食堂の事をいろいろと考えてくれておるんじゃのう」


 茂造は嬉しそうだ。壱も笑みを浮かべた。


「そりゃあそうだよ。だって、これから何年も暮らす村だよ。俺が出来る範囲だけど、出来る事はしたいじゃん」


 壱がそう言うと、サユリが静かに口を開いた。


「……壱は、我を恨んでいないのだカピ? 突然異世界に連れて来られて、いつ帰れるか判らないのだカピ。元の世界に沢山のものを残してきたのだカピ。我も判ってはいるカピが、それでもしなければならなかったのだカピ。とは言え……」


 サユリはそこまで言うと、辛そうに眼を伏せて口を閉じてしまう。壱はサユリを安心させる為に微笑ほほえんだ。


「俺、恨んでなんか無いよ。だってじいちゃんに会えたしさ」


「だがカピ、茂造も我が連れて来たのだカピ」


「でもじいちゃん元気だし。ばあちゃん死んですぐだったからさ、あのまま元の世界にいたら、今頃じいちゃんこんなに元気じゃ無かったかも知れないよ。ほら、良く聞くじゃん。女性は旦那さんに先立たれてもむしろ元気になる事も多いけど、男性は逆だって」


「ほっほっほ、それは確かにそうじゃのう。あの時の儂は細君さいくんに先立たれて絶望しておったからのう。この村での生活は刺激と癒しになったのう。サユリさんは可愛いしのう。おすじゃが」


「確かにサユリは可愛い。雄だけど」


 するとサユリは、照れた様にふいとそっぽを向いてしまった。


 壱と茂造はそんなサユリが微笑ほほえましく、また小さく笑ってしまう。


「それに、この村でも味噌が食べられてるんだから、それがまずは全てって言うか」


「壱は本当に味噌が好きじゃのう」


「それは譲れないからね」


 壱が堂々と胸を張ると、サユリが呆れた様に口を開いた。


「壱は相変わらずカピな」


「まぁね」


 ああ、サユリの調子も戻った様だ。


 壱はこの村で生きて行く。数年間かも何十年間かも、もしかしたら一生かも知れない。


 暖かで愉快な村人たち、そしてサユリと茂造に囲まれて。


 どうか、楽しい毎日であります様に。


 壱は願いをささげる様な気持ちで、残りわずかとなっていたエールを飲み干した。

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異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜 山いい奈 @e---na

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