#94 日常朝の風景と、カルとミルの予想していた……

 裏庭に出て、身体をほぐす様に大きく伸びをしていると、ガイ、ジェン、ナイル、リオンの米農家勢がやって来た。


「おはようございます」


「おはようっす!」


「おはようございますー」


「……おはようございます」


「おはようございます。今日もよろしくお願いします」


「おはようカピ」


 それぞれの挨拶に壱とサユリが応えると、各々「よろしく」と笑みを寄越よこしてくれる。


「では早速始めましょう」


 ガイは言うと如雨露じょうろを出し、みんなに渡してくれる。サユリは少し離れたところで腰を落とし、のんびりと。


 米の苗に水をり始めると、ジェンが嬉しそうに口を開いた。


「大分伸びて来たっすね! イチくん、田んぼに植えるのそろそろっすかね?」


「そうですね。もう少しでしょうか。でもそろそろ田んぼの準備はした方が良いかも知れません。明日どうでしょうか」


 ガイたちは米農家としての仕事以外の時間は、今でも以前の職場に通っている。何せまだ苗を育てる以外の事は出来ないからだ。


「俺は大丈夫ですよ」


「オレもっす!」


「僕も大丈夫ですよー」


 リオンは返事代わりに1度頷く。


「じゃあ明日、苗の水遣りしたら早速始めましょう。よろしくお願いします」


 壱が言うと、みんな嬉しそうな笑みを浮かべた。


「苗作りも大事な仕事ですが、ようやく本格的に始められる様な気がします」


「よっしゃー! 楽しみっす!」


「そうですねー。美味しいものを作るのは楽しいですよねー」


「ナイルはブレないっすね!」


 リオンも口角を上げたまま幾度か頷いた。


 壱もとても楽しみだ。


 米が育つまで約6ヶ月。村のみんなが気に入ってくれると嬉しいのだが。




 昼の仕込みをしている最中、ホール係の女性?3人が出勤して来た。


「おはようございまーす!」


「おはようございまぁす」


「お、おはよう、ございます」


「ほいほい、おはようの。今日もよろしく頼むぞい」


「はーい!」


 メリアンが元気に腕を上げた。


「じゃあそうねぇ、今日は時間もあるしぃ、軽くお掃除しておきましょ〜」


「は、はい!」


「ええ〜? 面倒くさーい」


 マーガレットの提案に、マユリとメリアンそれぞれの反応は性格が良く表れている。


「メリアン、さぼるんじゃ無ぇぞ!」


 カリルからげきが飛ぶと、メリアンは「ええ〜?」とふくれる。


「ほらほらぁ、お客さまをお迎えするんだから〜、ちゃんとするのよぉ」


「わ、私、頑張ります!」


 マーガレットの促しに、やはりメリアンは唇をとがらせ、マユリは小さくガッツポーズを作る。


「本当にマユリは良い子ねぇ〜。ほらほらぁ、メリアンもたまにで良いから見習いなさぁい。はいほうきねぇ〜」


 マーガレットは厨房の入り口付近の木製ロッカーから箒を出すと、マユリには普通に渡し、メリアンには押し付けた。


「む〜」


 メリアンは渋々と言った様子で、それでも受け取ると箒を手にホールへ行く。マーガレットとマユリもそれに続いた。


「本当にメリアンはしょうが無ぇなぁ」


 カリルがクラムチャウダーを混ぜながら呆れた様に言う。サントは黙々とパスタを伸ばしている。


 壱はミートソースの仕上げをしながら苦笑する。茂造は愉快そうにほっほっほっと笑った。




 昼営業が始まり、慌ただしい時間帯が過ぎた頃。


 ふっと手が空いた壱は、ホールに出てみた。


 ピークでは無いとは言え、席は粗方あらかた埋まっている。


 牧場勤務のシェムスとカッツェが何やら話し込みながら口を動かしていて、他の席は大半が学校に通う子どもである。


 校長のツムラと教師を囲んで、美味しそうに食事を摂っている。微笑ましい光景である。


 昼の客はこれで最後の筈だ。さて、そろそろ片付けを始めようか。壱は厨房へと戻った。




 夜営業がひと段落着いた頃。カルとミルが揃って食堂を訪れた。


 マーガレットが空いた皿を手に、壱と茂造を呼びに厨房へ顔を出す。


「突然で申し訳無いけどぉ〜、お話大丈夫かって〜」


 茂造と壱は顔を見合わせる。ああ、予想していた事が現実となったか?


「ふたりはどんな様子だったかの?」


 茂造がくと、マーガレットは肩をすくめる。


「カルは固い表情だったわぁ〜、ミルはしくしく泣いていたわねぇ〜。どうしたかは大体想像付いちゃうけどぉ〜」


 ミルの性質は村中が知っているだろうから、マーガレットも含め大半の人たちは予想出来ていたかも知れない。


「ふたりはもう食事は終わったのかの?」


「終わってるわよぉ〜。このお皿、ふたりの分だったの〜。サントぉ、洗い物よろしくね〜」


 マーガレットは言うと、サントの立つシンクに皿を入れた。


「やれやれ、また何とかミルを説得せんとのう。壱、行けるかの?」


「うん、大丈夫」


「ではカリル、サント、後はよろしくの」


 壱と茂造はそうしてホールへ。


 カルとミルが並んで掛ける席に近付くと、カルが立ち上がって深く頭を下げる。ミルは白いハンカチを手に静かに泣き続けていた。


 壱と茂造がふたりの正面に座ると、カルも腰を落とす。あれ、サユリは、と見渡すと、酒盛りが始まっている席に捕まっていた。


「サユリさんはひと段落したら来るじゃろ。ええとのう、大体の予想は付いておるんじゃが」


「はい……」


 カルが辛そうに項垂うなだれる。


「ともに仕事をしているんですから、家の事も分担だと、自分の事は当然自分でと、他のご家庭もそうである様に……俺はそのつもりでした。結婚前に店長さんたちに説得されて、納得したんだと思ってました。ですが、家事は勿論俺の身の周りの事までされてしまうんです。文字通り上げぜんえ膳状態ですよ。それが心地良い人も村の外にはいるんだと思います。でもこの村は違います。俺は居心地が悪くて仕方が無いんです」


 カルはそこまで一気に言うと小さく息を吐き、また口を開く。


「店長さんたちに頼らず、自分で何とかしようと思いました。だから出来るだけ傷付けない様に、俺なりに伝えたつもりです。そしたら泣かれてしまって」


「だ、だって!」


 ここで漸くミルが声を上げた。


「仕事も続けています。誰にも迷惑を掛けてません。私は、私はただカルに尽くしたいだけなんです!」


 大声では無いものの、まるで悲鳴の様だ。


「じゃが、それでカルに辛い思いをさせてる事は解っとるかの?」


 茂造の声は静かで諭す様ではあったが、何時もの様な暖かみは込められていなかった。壱は胃に重いものを感じる。


「尽くされて心地良い人だっているじゃないですか。私はカルにもそうして欲しいんです」


「それは無理だよ、ミル」


 訴えるミルを、カルはばっさりと拒む。


「結婚前にミルが専業主婦になりたいって言った時、確かにミルがしたい様にさせてあげたいって思った。でも駄目だったよ。考えてみたらそうだよな。だって俺、こん村で生まれてこの村で育ってるんだから。この村のシステムに馴染なじみきってて、それが当たり前だと思ってるんだから。結婚前に店長さんに言われたよな、専業主婦になりたいなら、この村を出るしか無いって。でも俺は思うよ。この村を出たら、多分俺たちは離婚する事になるって」


「離婚なんて嫌っ!」


 ミルは叫ぶ。その声はホール内に響き渡って、それまで騒がしかった酒盛り組も一瞬静かになる。が、何事も無かった様にまたアルコールにきょうじる。


 そしてそのタイミングでサユリがその場から離れ、壱たちのテーブルに上がって来た。


「やれやれ、やっと解放されたカピ」


「お疲れさま、サユリ」


 壱がその背中をでてやると、サユリは心地良さそうに眼を細めた。そうして右前足を軽く上げると、空中でくるりと回す。そうしてまた眼を閉じる。


 するとそれまで泣いていたミルが、鼻をすすりながらも漸く泣き止んだ。


「……そうですよね。私、この村でしか多分生きて行けない。この村で無いと、愛する人とも暮らせない。他の人だってやっているんだもの、私だって……! 私、頑張ります。尽くしたいって思うけど、その前にカルに嫌な思いをして欲しく無いから。店長さん、イチくん、サユリさん、ごめんなさい、ご迷惑をお掛けしました」


 ミルは殊勝しゅしょうに言うと、壱たちに深く頭を下げた。その変わり身に隣のカルは半ば呆然とする。


「ミル、大丈夫なのか?」


 カルがそう恐る恐る問うと、ミルは弱々しいながらも笑みを浮かべた。


「うん、大丈夫。カルもごめんね。これからはお仕事もだけど家事も一緒にやって、ふたりで支え合って行こうね。あ、でも少しだけ、お世話させてくれると嬉しいな」


「う、うん」


 カルはその台詞に驚いたか、まばたきを繰り返した。


「うんうん、そうじゃのう。そうやって支え合って行くのがやはり良いと、儂も思うぞい。そうしたらきっと良い家庭が築けるからの」


「はい」


 茂造の、先ほどとは違う暖かみのある台詞と声色に、ミルははにかんだ。




 カルは驚いていたが、サユリがミルに対して魔法を使った事は、壱にも茂造にも解っていた。


「心理操作なんてしていないカピ。単にミルに対して加護を強めただけカピよ」


 サユリはしれっとそう言った。真偽しんぎは判らないが、そう信じておくのが平和だろう。


 ともあれこれで、カルとミル夫妻は安泰あんたいだろう。頼むから続いて欲しい。


「さての、厨房に戻ろうかの、壱よ」


 茂造がそう言って立ち上がると、サユリも溜め息を吐きながら身体を起こした。


「ふぅ、またあの酒の席に戻る事になるのかカピか。酔っ払いの相手は面倒カピ」


「サユリも厨房に来る?」


「そうしたいのは山々カピが、これも我の仕事なのだカピよ。ま、適当にあしらって来るカピ」


「頑張って」


 そうしてサユリは酒盛りの席に、壱と茂造は厨房に戻って行った。

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