#07 ヒロイン候補、あとのふたり

 6台並ぶコンロの奥3口には、明日の分のコンソメが仕込まれた大鍋、昨日仕込んだコンソメで作ったポトフの大鍋、パスタをでる為に湯が沸かされた大鍋が並び、なかなか壮観そうかんだ。


 トマトミートソースとカレーソースは、注文が来てから火を通し直すので、調理台に置いた鍋敷きの上へ。どちらもパスタに合わせる。


 冷蔵庫には下拵したごしらえ済みのチキンソテーやビーフステーキ、ポークステーキなどがスタンバイ。これらも注文があってから焼き始める。


 クリームソースも冷蔵庫へ。ベーコンとマッシュルームと合わせてパスタに使う。


 生きたままの魚もすでに届けられ、奥の生け簀いけすで元気に泳いでいる。サーモンやまぐろ、ぶり、かつおなど。壱たちの世界ではそこそこな大型魚だが、こちらの世界では大きくても30センチぐらいらしい。


 お陰でさばきやすく、切り身が中途半端に残る事が無くて、助かるのだと言う。ちなみに肉も魚も捌くのはカリルの仕事である。


 調理台の上に置かれた木製の平たいケースの中には、こんがりと焼き上がったパンと、練り上げたバスタがそれぞれ並べられている。


 ボウルにはチキンソテーなどの付け合わせの人参とじゃがいもが。メインと同じフライパンで火を通す。


 それらの横には壱がにぎった塩むすび。従業員が仕事中に好きにつまむとの事だったので、食べやすい様にと小さめに数多く握った。


 メニューはどれも茂造が先代から継いだレシピで、1番人気はポトフなのだと言う。じゃがいもや人参、豆などがたっぷり入っている。


「さて、そろそろ開店かの」


 仕込みがあらかた終わったところで、茂造がカウンタチェアから降りる。壱が壁際に置かれた背の高い振り子時計を見ると、午後6時少し前だった。


「開店時間て、6時なのか?」


「まぁ目安じゃがの。村人が仕事を切り上げるのが早くて大体5時ごろでの、それから風呂に入ったりしてから食べに来るんじゃ」


「そういや、村人の仕事って?」


「まずは農業じゃな。麦とか野菜とか果物、ハーブ、スパイス。そして漁師がおるの。一本釣りじゃぞ。貝類やえびは海にもぐらにゃならんから、週に1日と決めておる。じゃから贅沢ぜいたく品じゃ。酪農らくのうは牛と豚と馬と羊と鶏を育てとる。乳をしぼったりチーズを作ったり、卵を収穫したりの。馬は馬車引き用じゃの。羊は毛を刈って毛糸にする。その職人もおるの。綿の木も育てておる。家畜かちくは歳を取ったら潰すんじゃ。後は木製の家具やらを作る職人、陶器を作る職人。小さいが学校があるから教師もおる。酒も作っておるぞ。種類は限られておるがの。養蜂ようほうもやっとる。おおまかにはこんな感じかの。金属は今のところ村ではどうにも出来ん。街に買いに行くんじゃ」


 茂造が指を1本1本折りながら、様々な仕事を上げてくれた。


「いろいろあるんだなぁ」


「他にもあるかの? 今ぱっと出て来るのはそれぐらいじゃ」


 いや充分だろう。村の中だけでほとんどがまかなえる様になっている訳だ。サユリがこのコンシャリド村を作ってから、今まで何年かは判らないが、コツコツと積み上げて来たのだろう。


「さて、そろそろ給仕きゅうじ係も来るからの。さっき来たメリアンとあとふたり。ちゃんとした女の子と、またちゃんとしていない女の子の様な子じゃ」


「ちゃんとしてないって」


「要は女の子の格好をしている男じゃな。儂はそういう子にはこっちに来て初めて会うたからの、最初は驚いたものじゃ」


「こっちの、つか現実世界じゃ、最近多いよ。よくテレビに出てるし、女装させてくれる店があったり」


「凄いのう。時の流れを感じるのう」


 茂造がしみじみと眼を細めた。そうだ。10年も経ったのだ。


 現在24歳の壱も、当時は14歳だった。多感なお年頃だ。茂造の細君さいくん──祖母の圭子けいこが亡くなり、茂造が行方不明になり、母が取り乱して。そう思うとなかなかハードは中学2年だったのかも知れない。2歳下の柚絵ゆえはまだ小学生だった。


 ついそんな事を思い出してしんみりしてしまう。しかしそんな気持ちを打ち消す様に、フロアから元気な声が届いた。


「メリアンちゃん再び参上ー! 今夜もよろしくお願いしまーす!」


「ちょっとメリアン、うるさいわよぉ。もう少しおしとやかにしなさいな〜」


「あ、あの、元気で良いと、思います」


 メリアンの後に続く声は、壱が現実世界のテレビで聞き慣れたオネエの様なものと、高くややか細いもの。


「ほっほ、ウエイトレス3人勢揃せいぞろいじゃ。紹介するから来るが良い」


 フロアに向かう茂造に付いて行く。そこに立っていたのはメリアンと、赤い髪の派手な女性、そして黒髪の大人しそうな女の子だった。


「ほいほい、今夜もよろしく頼むぞい」


「よろしくー!」


「よろしくねぇ」


「よ、よろしくお願い、します」


 三者三様の返事である。メリアンはもうすでに男性だと判っているから、もうひとり、どちらかが男性だと言う事だ。壱は赤髪の方がそうだと目星を付けた。背が高く、声も聞き慣れた雰囲気のものだったからだ。


「メリアンから聞いとるかの? こいつが儂の孫の壱じゃ。今日から早速厨房に入るでの。よろしく頼むぞい」


「よろしくお願いします」


 壱は言い、軽く頭をさげる。


「あらためてよろしくね! イチ!」


「あらぁ、可愛い男の子ねぇ。ワタシはマーガレット。身体は男だけど、心は女なの。だから女としてあつかってくれたら嬉しいわぁ。よろしくねぇ」


 やはり赤髪の方が男性だったか。しかし美人だと思う。


 メリアンの事もあるが、壱は現実世界のテレビでオネエな方々を見慣れているせいか、見目が悪くなければどちらでも良いという気になっていた。


「よ、よろしく、お願いします。マユリ、です」


 もうひとりは小柄で、大人しそうな女の子だ。少し吃りながら喋る。吃音癖きつおんぐぜなどがあるのだろうか。だとしたらホール係は難しいのでは無かろうか。いや、余計なお世話か。


「さ、そろそろ営業時間じゃぞ。お前さんら、エプロンを着けてな」


「はーい!」


「はぁい」


「は、はい」


 それぞれ返事をし、3人はカウンタに移動する。エプロンは内側の棚に置いてある様だ。


 3人が着けたものは、ネイビーに白の水玉という、可愛らしいエプロンドレスだった。


 続けてマーガレットは、ふんわりと波打つ赤髪を左横で緩い三つ編みにまとめる。マユリはもともと後ろでひとつに纏めていたのでそのままだ。メリアンは纏められる長さが無いからか、エプロンと同じネイビーのカチューシャを付けた。


「あれ、エプロンあるんだ。割烹着かっぽうぎじゃ無いんだ」


「前は割烹着じゃったんじゃが、マーガレットが街に行った時にエプロンを見付けて来ての。こっちが良いと言われたんで、変えたんじゃ」


「何で厨房は割烹着のままなんだ」


「誰からも文句が出なかったからのう」


 調理をする者が着るものだと言われ、それを受け入れてしまうと、そういうものなのかも知れない。しかしカリルなどはコックコートなどを見ると「こっちが良い」などと言いそうな気がする。街にはあるのだろうか。


 メリアンあたりは、現実世界のメイド服などを見たら狂喜乱舞きょうきらんぶしそうだ。


「さて、そろそろ開て……」


「店長そろそろいいかー!? 腹減ったー!」


 茂造が言い終える前に、ひとりの若い男性客が飛び込む様にドアを開けた。


「ほっほっほ、開店じゃな。いらっしゃい」


「いらっしゃーい!」


「いらっしゃいませぇ」


「い、いらっしゃい、ませ」


 客1号を迎え、さぁ、ユミヤ食堂本日夜の部、開店である。

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