#08 ユミヤ食堂もうひとつの顔

 それはもう、なかなかに忙しかった。


 このコンシャリド村は、大人は全員が仕事をし、子どもたちも学校や宿題の時間以外ではその手伝いをする。なので各家庭で調理をする習慣が無いのである。


 昼食と夕食を、この村唯一の食堂であるユミヤ食堂で摂り、翌朝の食事を買って行く。


 朝っぱらから重たいものはのどが通りにくいので、ほとんどの村人がパンやマッシュポテト、ポトフなどを買って行く。ポトフが1番人気なのはこれが理由だ。夕食にも朝食にもなるからである。


 なので村人全員が、入れ替わり立ち替わりこの食堂に来るのだ。


 幸いだったのが、メニューがシンプルだと言う事だった。


 パスタは常に沸かされている大鍋で、で時間の短い生パスタを茹でて、トマトミートソースかカレーソースと合わせるだけだし、ポトフは常にとろ火に掛けられているので器によそうだけ。


 肉類は漬け込んだ以外のものは塩胡椒こしょうをして焼き、そのかたわらで付け合わせのじゃがいもや人参の火を通すので、手間はそう掛からない。


 カルパッチョの魚をさばくのにカリルが奮闘ふんとうしているが、注文が続く事は無いので、時折ときおり塩むすびをつまんでいる。


 肉類を焼くのは主に茂造である。手際良く鉄製のフライパンを動かす。こちらの世界に来る前にはろくにキッチンに立った事も無かったはずなのに、大したものだ。


 壱の主な仕事はパスタ作りとなった。普段は手が空いている料理人の仕事だ。今日は壱がいるので、それぞれがそれぞれの専門に専念出来ている。それだけで随分ずいぶん助かるのだと言う。


 客足のピークは18時から21時ごろまで。その間に村人が入れ替わり立ち替わり訪れ、各々に注文し、エールなどを傾ける。


 村人の多くは力仕事なために食欲も旺盛おうせいで、ひとり一品では済まない。バスタとポトフ、肉類とポトフ、カルパッチョとパスタ、等々の組み合わせでの注文が多く、洗い物も多く出るのだ。


 それぞれの生活リズムもあるのか、不思議と満席を理由で客を待たせてしまう事は無かったが、代わりに途切とぎれないので、壱も茂造もあとのふたりも、そしてホール係もほとんど休む間も無く動いた。


 サユリも忙しなく客席を飛び回り、話し相手をしたり、でられたりと、献身的けんしんてきに働いていた。


「まずはエールだエール。エール4つな!」


「ポトフ2皿とトマトのバスタ、ビーフステーキね!」


「チキンのハーブソテーとカルパッチョお願い。サーモン多くしてね!」


「はーい、ちょっと待ってねー」


「はぁい、お待たせぇ」


「あ、ありがとう、ございま、した」


 食堂内はホール係と客の声が混じり合って大層賑たいそうにぎやかで、それは厨房にも届いていた。


 22時になる頃には、客足もぐんと減る。程よくアルコールをかっくらって上機嫌な客がちらほらといる程度。


 そんな客らもそう遅くまでは居座らない。明日にはまた早くから仕事がひかえているのだから。


 そうして客足がおだやかになり、空席が目立つ様になった22時過ぎ。従業員たちは客の邪魔にならない程度の片付けを始める。


 この食堂の閉店時間は、厳密には決められていない。客が来なくなれば、正確には村人全員が来れば閉める、そういうルールが村そのものに出来ていた。


 そのチェックはホール係が行う。カウンタに茂造が書いたリストが置かれていて、ホール係がチェックするのだ。


 手の空いた茂造が、フロアに顔を覗かす。


「どうじゃ、全員来たかの?」


「うん。今日もみんな元気だね! あ、ボニーさんが後でもいっかい来るって」


 茂造の問いに、メリアンが応える。


「うむ?」


 今、テーブルはひとつだけまっていて、その中にボニーの夫であるシェムスが混じっていた。ワインを傾け、楽しそうに笑っている。


「……ふむ」


「じいちゃん、どうした?」


 壱も手が空いたので、フロアに来てみた。


「うむ、ボニーがまた来ると。なる程の。しかしほら、旦那のシェムスがそこでんだくれておる」


 茂造が指差す方を見ると、壱がこの村に来た時に初めて会った男が、機嫌良さそうに横に座る男性と談笑していた。


「壱よ、この食堂はの、食堂ではあるんじゃが、また別の顔を持っておるんじゃよ。とは言え、そんな構える必要は無いがの」


「ふぅん?」


 壱は訳が分からず、そう応えるしか無い。


 しかし答えはすぐに転がり込んで来た。


「店長さん聞いて! あ! シェムス何でまだここにいるの!? 帰って来ないとお思ったら!」


「ああ!?」


 新客の声に反応して、シェムスが立ち上がる。適度に酔っ払っているのか、ふらりと上半身が揺れた。


「お前、また何ひとりでここに来てるんだよ!」


 シェムスが言うが、あまり呂律ろれつが回っていない。


「そんな呑んだくれのあんたの相談に来たのよ! 決まってるじゃ無い!」


 ボニーが強く言うと、シェムスは気まずそうに黙った。周りの客も空気を読んでおとなしい。


「店長、サユリさん、聞いてよーう!」


 ボニーは叫ぶ様に言うと、手近な椅子に掛けて、両のこぶしでテーブルを叩く。


「まぁまぁ、落ち着いて話すが良い」


 茂造が落ち着かせる様にボニーの背中を軽く叩くと、ボニーは眼を伏せて、落ち着きを取り戻す。


「うん……」


 ボニーはそう言うが、握られている拳は開かれない。修羅場しゅらばを予感して、壱は唾を飲んだ。


「ボニー、どうしたカピ? 心ゆくまで話すと良いカピ。聞くカピよ」


 サユリが姿を表すと、ボニーは顔をゆがませた。


「サユリさぁぁぁん……」


 ボニーはサユリの背中を気持ち良さそうにでながら、ポツリポツリと話し始めた。


「判ってたんだけどね、判ってたんだけど、やっぱり女癖おんなぐせ悪くて、浮気されると腹も立つ訳よ。昨日もマゼラと仲良さげに話して、手を肩とか腰とかにやったりしてニヤニヤして。いっくらお酒飲んでもそれは許すよ。でも浮気は絶対駄目! 結婚してるんだから浮気は駄目だよね? でも離婚はしたく無いの。どうしたらいいかなぁ。股間のアレとか切ったりしたら良い?」


 過激だな! 壱は引くが、茂造とサユリはボニーの背を撫でながら諭す様に言う。


「落ち着くカピ。そんな事したところで逆戻りカピよ。少なくとも我はそれを望まないカピ。お前は良い女カピ」


「そうじゃぞボニー。あんなろくでなしの為に、お前さんが手を汚す必要は無いんじゃ。そうじゃな、とりあえずはシェムスを殴ってひとまずは納めてくれんかの? 儂らが立ち会うからの」


 物騒ぶっそうな事言ってる! なぐるとか! 他にも引っ掛かるワードはあったが、後で茂造かサユリに聞いてみる事にして。


「おい、ちょっと待てボニー。お前、また俺が浮気してると思ってんのか?」


 ここで疑惑の本人登場である。他の客が見守る中、赤い顔をしたシェムスがおどり出る。ボニーは鼻を鳴らす。


「してるじゃ無い。私にばれてないとでも思ってる? 見てたら判るんだよ! マゼラでしょ、そしてテナムとも!」


「し、してねぇよ! 俺は浮気なんてしてねぇよ! な! 俺何もしてねぇよな!」


 シェムスは必死で弁解べんかいする。しかしこれまで仲良く一緒に飲んでいた村人たちもシェムスをかばおうとしない。眼を合わそうともしなかった。


「裏切り者ぉ!」


 シェムスの涙の叫びが店内に響き渡る。


「あ、でもよ、ボニー」


 今までシェムスと飲んでいた男のうちひとりが立ち上がる。


「それでマゼラとテナムを責めるのは無しな。あいつら嫌がってたから。お前に相談するかどうか悩んでた。下手にお前を傷付けたく無いからって」


「あああ、マゼラもテナムもいい子! そんな子たちにあんたはちょっかい掛けてたの!? 馬鹿! この大馬鹿ー!! 男前でも無いくせして!! あんたの取り柄は働き者って事だけだよ!!」


 ボニーが怒号どごうを上げ、シェムスを殴り始める。飲んでいたからか腹は避けているが、腕をひねられ、足をられる。壱は止めた方が良いのかと手を出し掛けるが、茂造が抑える。


「良いんじゃ。いつもの事じゃからの。シェムスは気が悪い奴じゃ無いんじゃが、如何いかんせん女好きでの。しょっちゅうトラブルを起こしとる。ボニーも普段は我慢しとるんじゃが、限界を超えるとここに駆け込んで来るんじゃ。で、シェムスを殴って気を済ませるんじゃ。今日はここにいたが、いつもはサントが力尽ちからづくで連れて来てのう。で、儂らが立ち会うんじゃ。この村の決まりじゃ」


 確かにサントの体格なら可能なのだろうが……また変な決まりを作ったものである。みんながみんな暴力にうったえたりはしないだろうが、ともあれ壱は誰かの恨みを買わない様、大人しくしておこうと心に決めた。


「ふぅん、ここって相談所みたいな、駆け込み寺みたいな? そんな役割も担ってんだ」


「そうじゃの。先代の時は既にそうじゃった。営業時間内で客が少ない時間を見計らって、こうして来るんじゃ」


「痛てっ痛てっ」


 シェムスが殴られながら声を上げるが、見ているとそんなに強い力では無い様である。女性の細腕と言う事もあるのだろうが、やはりボニーが手加減をしている様にも見える。


 やはり惚れて一緒になったのだろうから、本気で怪我をさせたいとか思っている訳では無いのだろう。


「なぁじいちゃん、あのボニーさんて、甘いもの好きかな」


「うむ。確かそうじゃったと思うぞ。昼のメニューのホットケーキを何度も頼んでおるからの」


「そっか、じゃあ……」


 壱は夫婦喧嘩げんかを尻目に厨房に行くと、冷蔵庫を開けた。

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