#81 玉ねぎの苗を植え替えて、豚丼の朝ご飯

 健康診断の時間割りを無事埋め終わり、壱とサユリは食堂に戻る。


 その道すがら、袋に入れた玉ねぎの苗を抱える壱に、サユリが口を開いた。


「壱、その玉ねぎの苗、どうするカピか。裏庭ででも育てるカピか?」


「そうなるかな。でも欲しいのは玉ねぎじゃ無いんだよ。それは農家さんに任せた方が美味しくて立派なの出来るからね。欲しいのは、上の葉の部分なんだ」


 するとサユリは首を捻る。


「確かに食べられる部分カピが……」


「ネギって野菜、知ってる? 味噌汁とかに入れたりするんだよ。これがさ、見た目が似てて。多分代わりになると思うんだよね。同じネギの仲間だし」


「ふぅむ? で、壱はまた我に何をさそうとしているカピか」


 サユリのその台詞に、壱の心臓は跳ね上がる。確かにそうして貰えたら大変助かる訳だが。


 しかし壱はそれを懸命けんめいに飲み込む。


「いや、これは裏庭に植えて、使う時に刈り取るよ。そのまま植えてたら、根と栄養がある限りまた伸びて来ると思うし。ずっとサユリに頼りっぱなしだからね。これぐらいは自分で。幸い苗も沢山貰えたし」


 壱が苦笑しながら言うと、サユリは鼻を鳴らした。


殊勝しゅしょうな事だカピな。だが今更カピ。足りなくなったり回転が追い付かなくなったりしたら、言うと良いカピ」


「ありがとう。その時にはそうさせて貰うよ。本当に助かるよ」


 壱は笑みを浮かべ、サユリに礼を言った。




 食堂に戻ると、丁度ちょうど夜営業の仕込みが始まるところだった。


 昼は抜けていたが、夜は参加出来そうだ。遊んでいた訳では無いのだが、やはり申し訳無いと思っていた。


 茂造たちは既に割烹着かっぽうぎ三角巾さんかくきんを着けていた。壱も後に続く。


「壱、お帰りのう。健康診断は無事決まったかの?」


「うん、全員決まったよ。ノルドさん、明日から早速始めるって。カルさんとミルさんが念の為、揃って結婚式前に健康だって安心したいから、明日に予定入れてた。じいちゃんも明日だろ?」


 この食堂の従業員には、昼営業と夜営業の間の休憩時間に、各人の家を訪ねていた。


「そうじゃの。ノルドものう、サユリさんがいるから大丈夫じゃと解ってはおってもの、やはり歳の事もあってのう、早いめに見ておきたいそうじゃ」


「あ、だからか。そりゃあそうだよね。ノルドさん、年配の人を優先してたなと思って」


「うんうん」


 茂造も納得した様に頷く。


「俺とサントは結構最後の方だぜ。若いし、如何いかにも健康そうだしな!」


 カリルが言いワハハと笑うと、サントも頷く。


「俺も明日になったよ。何でだろ、俺も若いし健康なのに」


 壱が首を傾げると、カリルがまた笑う。


「そりゃあさ、イチは次期村長っていう大事な身体なんだぜ。自覚してくれよな!」


「あ、そっか、成る程」


 まだそうと確定している訳では無いのだが、表向きはそういう事なのである。壱も良く忘れてしまう設定である。


「さて、では仕込みを始めるかのう。カリル、サント、壱、今夜もよろしくのう」


「よろしく!」


「うん。よろしく!」


 カリルと壱が言い、サントが頷くと、早速仕込みが始まった。




 夜営業が終わり、壱は裏庭に出る。貰った玉ねぎの苗を植える為だ。


 営業が終わるまで、サユリに時間魔法を使って貰い、しおれてしまうのを止めて貰っていた。


 根の部分を水に浸しておけば大丈夫だっただろうが、既に夜営業の仕込みが始まろうとしており、その時間も惜しかったのだ。


 早速サユリの魔法に頼ってしまった訳だ。


「ごめん、サユリ」


 壱が項垂れて言うと、サユリは首を振った。


「これくらいは何とも無いカピ。頼れるところは頼ると良いカピ。我の魔法はそれくらい朝飯前あさめしまえなのだカピ」


 そう言って鼻を鳴らす。その何時いつもの得意げな様子に、壱はほっとする。


「ありがとう」


 そう笑顔で言うと、サユリはまた鼻を鳴らした。




 さて、一夜明けて朝である。


 今朝のメニューは決めてある。壱はまず鍋に水を張り、昆布を入れる。


 次に厨房へと降りる。


 冷蔵庫から豚肉、棚から玉ねぎとじゃがいもを出す。


 そしてはさみを片手に裏庭に出ると、昨夜植えた玉ねぎの苗を何本か切る。


 長めに残した根の部分はそのまま置いておく。そうしたらまたネギの様に伸びてくれるだろう。


 他の苗も植木鉢の中で、元気に青々と伸びている。


 後で水をらなければ。


 厨房に戻った壱は、材料を抱えて2階へ。まずは米を炊く為に、給水させた米の鍋を火に掛ける。まずは強火に。


 次にじゃがいもの皮を剥き、太めの短冊に切り、水に晒しておく。


 続けて玉ねぎを薄切りに。


 そうしている内に米の鍋が沸いたので、弱火に落とす。


 昆布の鍋を火に掛け、鰹節かつおぶしを削る。削り終える頃には沸いて来るので、昆布を取り出し、鰹節を入れる。


 沈むまでの間に、昆布を千切りにして。


 鰹節が沈んだので、出来た出汁を別の鍋に移し、火に掛けてじゃがいもを入れる。


 味噌だれを作っておく。ボウルに赤味噌、砂糖、水。とろりと柔らかめのクリーム状にさせて。


 玉ねぎの苗を小口切りに。小さなボウルに入れておく。


 さて、お次は豚肉だ。やや厚めの一口大にスライスして行く。


 時計を見ると、サユリたちが起きて来るまでまだ少し時間があった。先に玉ねぎを炒めてしまおう。


 おっとその前に、米が炊き上がったので、解してふたをしておく。


 洗えるものは洗ってしまって。


 フライパンにオリーブオイルを引き、玉ねぎを入れる。塩を少々して、飴色あめいろになるまで強火で手早く炒めて行く。


 出来たらトレイに移し、フライパンの表面の汚れをさっと水だけで洗って取っておく。


 さて、そろそろ起きて来る頃だろうか。壱は時計を見る。


 じゃがいもの鍋に味噌を溶いておこう。


 すると、サユリたちが起きて来た。


「おはようのう」


「おはようカピ」


「おはよう」


「今朝もありがとうのう。では儂は支度をしてくるでの」


 茂造は洗面所へ。サユリはテーブルの上に。


 壱は仕上げに入る。玉ねぎを炒めたフライパンにあらためてオリーブオイルを引き、温まったら塩胡椒で下味を付けた豚肉を入れる。


 表裏と返しがならしっかりと焼いたら、飴色の玉ねぎを戻し、ざっと混ぜて味噌だれを入れる。


 やや炒め煮にする様に。出汁殻だしがらの鰹節も入れる。


 適度に水分が残る程度に煮詰めて、火を止める。


 じゃがいもの鍋に千切り昆布を放り込んで。


 ボウル状の器に米を盛り、そこに豚肉と玉ねぎの炒め煮を乗せ、玉ねぎの苗の小口切りで彩りを添える。


 じゃがいもの汁物はスープボウルとサラダボウルに注ぎ、こちらにも玉ねぎの苗の小口切りを散らす。


 豚丼とじゃがいもの味噌汁の出来上がりである。


 既に茂造はテーブルに着いていた。その前に朝食をサーブする。


「今朝は豚丼だよ。豚はロースを使ってるから、そんなにしつこく無いと思う」


「それは美味しそうじゃのう。楽しみじゃのう」


 茂造は上がる湯気に鼻をひくつかせ、嬉しそうに言った。


「では、早速いただくとしようかの。いただきます」


「いただくカピ」


「はい、いただきます」


 まずは汁物を。さて、吸い口すいくち入りの味噌汁はどうだろうか。ネギでは無く、玉ねぎの苗なのだが。


 「……あーこれこれ! これが飲みたかった!」


 つい声に出てしまう。


 ネギと玉ねぎの苗は別物である。だが同じネギ属の食物だ。これが加わるだけで、風味が格段に上がる。


 吸い口は三ッ葉や茗荷みょうが貝割かいわれなどでもいける。だがやはり鉄板はネギなのだ。これはネギでは無いが。


 ネギ属独特の爽やかな風味が鼻を抜ける。口に含むと、ほのかな甘みとかすかな辛味。充分に目当ての役割を果たしてくれていた。


「成る程のう、これは儂も気付かんかったのう。10年もこの村にいたのにのう。玉ねぎの苗が、ネギ代わりになったんじゃのう」


 茂造が感心した様に息を吐く。


「俺もうっかりしてた。もっと早くに気付けたら良かったんだけど。でも見付けられて良かったよ。やっぱりあった方が良いよね。美味しいよね」


「うんうん、旨いのう」


 茂造は嬉しそうに頬を緩め、眼を細めた。


 出汁と具材を兼ね備えた昆布も良い塩梅あんばいである。佃煮つくだににする事が多いが、こういう使い方も良い。歯応えの良いそれを、しっかりとみ締めた。


 さて、次は豚丼である。しっとりとたれの染みた米に豚と飴色玉ねぎ、玉ねぎの苗を乗せ、口に運ぶ。


 うん、これは良い。鰹節の風味が出た甘辛いたれに、飴色玉ねぎと豚肉が持つ香ばしさと甘みがとても合っている。


 そして玉ねぎの苗が良いアクセントになっている。


 白米にとても合う。壱はついがっついてしまった。


 米が半分ほど減ったところで我に帰り、サユリと茂造を見ると、ふたりとも夢中で豚丼に向かっていた。


 その様子を見る限り、気に入ってくれた様である。


「豚丼と言うのかの? 旨いのう。これは米が進むのう」


「うむ。良いカピな」


 ふたりともそう言い、口を離さない。


 壱たちの世界での、ぼう北の大地で食べられる豚丼とは違う。あれは豚を醤油ベースの甘辛いたれで焼いてご飯に乗せたもので、玉ねぎは入っていない筈だ。


 しかし調味料が限られているこの場所で、少しでも美味しくしたいと思って飴色玉ねぎを加えてみた。それは成功した様だ。


 壱は安堵あんどして息を吐き、また丼に箸を入れた。

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