#82 健康診断スタート

 朝食を終え、裏庭に出ると、ガイたちは既に揃っていた。


「おはようございます」


「おはようっす!」


「おはようございますー」


「……おはようございます」


「おはようございます。今朝もよろしくお願いします」


 壱が言うと、「はい」「おー」とそれぞれから元気の良い声が上がった。


「ところでイチくん、これ、玉ねぎの苗っすよね? 何でこんなとこに?」


 ジェンが玉ねぎの苗の植木鉢を指しながら聞いて来る。


「あ、これ、俺が元の世界で食べてたネギって野菜の代わりになるんですよ。なので昨日譲って貰いました」


「へぇー? 食べられるのは聞いてましたけどー、食べる事は無かったですからねー。どうやって食べるんですかー?」


 食いしん坊のナイルが食い付いた。興味深げにひとみを輝かせている。


「細かく切って、生のまま、料理のアクセントとかにするんですけども、ざく切りにして豚肉とかと炒めても美味しいですよ。味は当たり前ですけど玉ねぎに似てます」


「そうなんですねー。食べる機会ありますかねー?」


「その内に。新しいメニューも考えてますので、待っててください」


 昼メニューに加えたいと思っている豚汁の事である。ネギ代わりの玉ねぎの苗が加われば、益々美味しいものが出来る筈だ。


「それは楽しみですねー。待ってますねー」


 ナイルは嬉しそうに眼を細めた。


「では、水りをしましょう。俺はついでに玉ねぎの苗にも遣りたくて」


「成る程。それも夕方の時にも遣った方が良いですか?」


 ガイが聞いてくれたが、壱は首を振った。


「いいえ。夕方は米の苗だけで大丈夫です。ありがとうございます」


 米の苗に土の乾燥は禁物だが、ネギは多少なら大丈夫だろう。ガイたちにそこまで手間を掛けさせる訳にはいかない。


 さて、水遣り開始だ。壱たちは如雨露じょうろを用意した。




 昼営業が終わり、休憩時間に入る。壱と茂造は健康診断の為に、ノルドの診療所に向かう。勿論サユリも一緒だ。


 健康診断と言っても、採血などがある訳では無い。聴診器での診察と、気になる部分があれば触診などと、話を聞くだけ。


 ノルドによると、1人につき10分ほどを想定しているそうだ。


 診察室に到着し、壱は声を掛ける。


「こんにちはー!」


 すると待合室奥の真ん中のドアが開き、ノルドが顔を覗かせた。


「店長さん、壱くん、サユリさん、こんにちは。もう少しお待ちくださいね」


「ゆっくりで良いからの」


「はい、ありがとうございます」


 茂造の台詞に、ノルドは会釈をして、ドアの向こうに消えた。前の人の検診の途中なのだろう。


 壱たちはベンチに掛け、待つことにする。


 あらためて待合室を見渡すと、そう言えば受付の様なものが無い事に気付く。


 この村ではほとんど患者は出ないだろうから、事務を含めてもノルドひとりで事足りるとも思うが、受付は必要では無いのだろうか。


 後でノルド本人に聞いてみるとしよう。


 少し時間が経つと、先程ノルドが顔を出したドアから、猫背気味の老婆が出て来た。続いてノルドも。


「先生、ありがとうございました」


 老婆は穏やかに言い、ノルドに頭を下げる。


「いえいえ。お元気で、お話も出来て良かったです。少しでも何かありましたら、ご遠慮無くお越しくださいね、スミナさん。勿論お話だけでも」


「はい。ありがとうございます」


 スミナは上品な女性だ。毎日麦畑で精を出している。猫背気味なのも、長年の畑仕事の為だろう。


 サユリの加護のお陰で、大きな怪我や病気は無いのかも知れない。だが経年に寄るこうした変化は、ある程度自然に任せているのだろう。


 この村にはトラクターなどの農業機械が無いので、特に農業従事者じゅうじしゃにこうした変化が多いのでは無いかと思う。


 しかしこの村には、所謂いわゆる定年などは無いのだろうか。スミノはもうかなりの高齢に見える。茂造よりも年上だ。


 年齢を聞いた事は無いが、茂造が丁寧語で話していたので、そう思っている。


 とは言え、スミノはまだまだ元気な様子。これからも健在でいて欲しいものだ。


「あらまぁ、店長さん、イチくん、サユリさん。こんにちは」


 振り返ったスミノが、ここで壱たちに気付く。壱と茂造は「こんにちは」と言いながら立ち上がった。サユリのベンチの上で立つ。


「どうでしたかの? 健康診断は。初めてでしたじゃろう」


 スミノはこの村で生まれ育っているのである。


「ええ、ええ。お医者さまに掛かる事しら初めてでしたからねぇ。でも痛い事もありませんし、心臓の音を聞かれて、血圧? を測られて、お話をさせていただくだけでしたよ。怖くも何ともありませんでしたよ」


 スミノは安心しきった様な穏やかな笑顔で、幾度と小さく頷きながら言う。しかし。


「でもねぇ、もう高齢ですから、そろそろお仕事を引退して、ゆっくりしても良いのでは無いかと言われましてねぇ。私はまだまだ元気ですのに」


 そうも言いながら、困った様に小さく息を吐いた。するとノルドが遠慮がちに口を開く。


「はい……確かにスミノさんはとてもお元気です。ですが、少しはごゆっくりされても良いのではと思ったんです。この村の定年は自己申告制だと店長さんにお伺いしました。でしたらせめて、例えば毎日では無く、2日に1日ですとか。1日の就業時間は然程さほど長くは無く、休憩も充分に取られていると言う事で、お休みそのものを取られる方が少ないともお聞きしているものですから」


 確かに壱も、この村に来て食堂で働き出してから、1日も休んだ事は無い。


 仕込みに営業にと、恐らくこの村の仕事の中では、拘束時間は長い方だと思う。それでも不思議と不満を感じなかった。


 それは仕事内容が好きである事と、人間関係の良さから来ているのだと思う。壱は毎日充実を感じていた。


 茂造は他の街から来た人間の価値観に、「ふむ」と考え込む様にするが、そんな時間は無い事に気付いたのか、小さく首を振る。


「それはまた考えねばならんのう。儂がこの村に来た時には、既にみんな休み無く働いとったからのう。それは確かに良くは無いかものう。とは言えの、わしひとりで決められる事では無いからの、少し待って欲しいのう。ああスミノさん、働き方については、ひとまずお任せしますからの。体調はともかく、疲れですとかの、そういうのの調子を見て、決めてくださいのう」


「はい。私も少し考えてみますね。ご心配をお掛けします」


「いやいや、スミノさんにはまだまだお元気でいていただきませんとのう。何せこの村の最高齢者ですからのう」


「そうだったの!?」


 茂造の台詞に壱は驚く。初耳だった。本当に人の年齢は見た目だけでは判断出来ないものだ。


 壱は他の男性の老人が最高齢かと思っていた。つるりと禿げ上がった頭に、たっぷりとたくわえられた白いひげ。よく陽に焼けた顔にはしわも深く、ふくよかな頬が重力に従ってゆったりと下がっていて、背中もスミノより曲がっていたものだから、その人が最高齢だと勝手に思っていたのだ。


「そうカピよ。スミノも高齢ではあるが、まだまだ上がいるカピ。年齢も追々おいおい把握して行けば良いカピよ」


「うん、そうする」


 サユリの台詞に、壱は大きく頷く。少しはこの村に馴染んだつもりだったが、まだまだ不慣れな部分も多い。


 後何年この村にいる事になるのか、それとも骨を埋めるのか、それは判らないが、いる限りは出来る事をしたいと思う。


「では店長さんの健康診断を始めましょう。お待たせいたしました。イチくん、申し訳ありませんが、もう少々お待ちください。スミノさん、お気を付けてお帰りくださいね」


「はい、ありがとうございました」


 スミノは会釈すると病院を辞して行った。働き者のスミノは、また職場である麦畑に戻るのだろう。壱も少しはゆっくりして貰いたいと思うが。


「では、お願いするとしようかと」


 茂造がノルドとともに診察室に入り、壱はまたベンチに、サユリの横に腰掛けた。

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