#90 味噌雑炊、佃煮、和風カルパッチョの朝ご飯と、事の顛末

 壱はサユリの元に駆け寄ると、両手でサユリを抱え上げて頬擦りをした。


 サユリの毛はあまり柔らかいものでは無く、顔に細かく刺さったりして小さな痛みを感じたが気にしない。


「サユリ良かった〜! 終わったんだね〜!」


 嬉しそうに満面の笑みで。


「終わったカピよ。もう安心カピ。それより眠いカピ。それ以上にお腹が空いたカピ」


 壱とは正反対に、冷静に返すサユリ。壱はひとしきりサユリをで、それでも名残惜しそうにそっと下に降ろしてキッチンに戻った。


 完成を待つ米の鍋を見て、このメニューにして良かった、良いタイミングだったと息を吐く。


 数日振りの空きっ腹に、濃いものや刺激の強いものは禁物だ。サユリなのだから大丈夫だとは思うが。


「もうちょっと待ってね。ひとり増えたから何か作り足さなきゃな。ええと、すぐに出来るもの、出来るもの……」


 厨房の冷蔵庫や棚にあるものを思い出しながら、何がぐに作れるかを考える。確か冷蔵庫に魚のさくがあった筈だ。


「サユリ、普通のご飯って食べられる? 消化の良いものが良いとかある?」


「無いカピ。むしろがっつりと食べたいと思う程度には空腹カピよ」


「そっか。じゃあすぐに追加作るから。じいちゃんは顔洗っておいでよ」


「ではそうさせて貰うかの」


 茂造が洗面所に向かうと、壱は厨房へと降りる。冷蔵庫を開けて魚の柵を取り出す。たいだった。うん、それなら。


 裏庭に出て、玉ねぎの苗を少し刈り取る。


 壱は上のキッチンに戻ると、まずは米の仕上げである。解いた卵を全体に回し入れ、ふたをして、火を止めておく。


 次に赤味噌を取り出す。ボウルに適量を入れて、砂糖を加え、オリーブオイルと少量の水でクリーム状に伸ばす。


 先ほど使って半分残っている玉ねぎをスライスして水にさらし、布で水気を拭き切って皿に並べる。玉ねぎの苗は小口切りに。


 鯛を切り付け、玉ねぎの上に盛る。そこに先ほど作った赤味噌だれを掛け、いろどりに玉ねぎの苗を散らした。


 米もそろそろ良いだろうか。蓋を開けると卵がふんわりと半熟に。そこにも玉ねぎの苗をぱらりと。


「じいちゃん、サユリ、お待たせ。出来たよ!」


 壱が言ってテーブルに並べたものは、味噌雑炊、鰹節と昆布の佃煮、鯛の和風カルパッチョだった。


 気力を失いつつ作ったものと、慌てて作った時短もの。


「そんな訳でこのメニューになっちゃった。ご免」


 壱は申し訳無さげに正直に言うと、茂造はほっほっほっと笑い、サユリは鼻を鳴らした。


「何を言っておるんじゃ。今朝も美味しそうじゃぞい」


「我は味噌が美味しく食べられるのなら問題無いカピ」


 ふたりの台詞に壱は安堵し、サユリの言葉に突っ込んだ。


「え、サユリ味噌そんなに気に入ってくれてたの?」


「味噌を作ってから毎朝の習慣になっているカピからな。勿論旨いとも思っているカピが」


「嬉しいなぁ。お腹いっぱい食べてね。じいちゃんもね」


 壱は嬉しさについ頬を綻ばせてしまう。


「ありがとうの。ではいただきます」


「いただくカピ」


「はい、いただきます」


 まずは味噌雑炊。玉ねぎと米の甘みの相性がとても良い。人参の食感と玉ねぎの苗の仄かな辛味は良いアクセントに。


 それらを味噌と卵がまろやかにまとめている。


 そこに佃煮を乗せ、少し味を変えてみる。やや濃い味が食欲を刺激する。


 ああ、良かった、ちゃんと美味しく出来ている。壱は安心した。


 次に和風カルパッチョ。赤味噌だれは咄嗟とっさの思い付きで作った様なものだから、正直味に不安があった。


 味醂や日本酒があれば煮切って使いたかったところだが、両方無いので砂糖とオリーブオイルと水で伸ばしたのだが。さて、どうか。


 組み合わせ的に問題は無いと思うのだが、何せ初めて作ったのだから。


 スライス玉ねぎと鯛を重ね、赤味噌だれを付けて、いざ口に。


 うん、全然大丈夫。美味しく出来ている。赤味噌だれの風味、鯛の甘み、玉ねぎの辛みが良く合っている。上出来では無いだろうか。


 茂造とサユリを見ると、ふたりも満足そうに口を動かしていた。


「雑炊の優しい味が嬉しいのう。勿論いつもの朝ご飯も旨いがのう」


「確かに朝に食べるには重いものも多かったかも。食べたくなってつい。これからは雑炊も挟むね」


 壱は苦笑する。茂造は元気に見えても年寄りだった。こういったものの方が嬉しいのだと思う。


 だが毎日だと飽きも来るだろうし、壱は他の味噌料理だって食べたい。交互か、3〜4回に1食のペースで織り交ぜてみようか。


「味噌は鯛とも合うのだカピな。うむ、悪く無いカピ」


 サユリもそう言いながら、和風カルパッチョに舌鼓したづつみを打っている。


「気に入ってくれて良かったよ」


 壱は笑みを浮かべる。しかし実は事の顛末てんまつを聞きたくてうずうずしていた。壱ははしを動かしながら、何気無い風を装って言った。


「ねぇサユリ、お腹が落ち着いたら話聞かせてよ。何があって、どうやったの?」


「ふむ……」


 サユリは和風カルパッチョを口に入れ、ゆっくりと咀嚼そしゃくして飲み込むと、ふんと鼻を鳴らす。


「別に面白い話では無いカピよ。カルとミルの結婚パーティの時に、この村を探す集団の気配を感じたから、部屋にこもって回避する為の魔法を掛けていたのだカピよ」


「それはやっぱりこの村を潰そうとして?」


「遠隔で見てみたら、血気盛んに「犯罪者は根絶やしだ」などと言っていたカピからな。あれには流石にゾッとしたカピよ。思い込みの激しい人間は怖いカピ」


「そうじゃのう、怖いのう」


 茂造もそう言って顔をしかめる。


「で、回避の魔法って?」


 壱が聞くと、サユリはふーっと小さく息を吐いた。


「魔力をそこそこ使う羽目になったカピ、なので壱を元の世界に戻してやるのが、また少し遅くなってしまったカピ。それは申し訳無いと思っているカピ。勿論異世界転移程では無いカピが」


「構わないよそんなの。何年も先の事より、まずはこの村を守らなきゃ」


 本心だった。


「そう言って貰えると助かるカピ。奴らが諦めて引き返すまで、この村とその周辺の姿を隠して、並行世界のコンシャリド村の上空に飛ばしていたのだカピ。漁場や養蜂所も纏めてカピ」


 何て事無いと言う風にさらりと言うサユリ。待て、今かなり凄い事を口にしていなかったか?


「並行世界!?」


 驚いて壱の声が大きくなる。食事はまだ完食していないが、口の中に何も入れていなくて良かった。


「そうカピ。ただ見えなくするだけなら、辿り着かれてしまえば触る事などは出来てしまうカピ。それに向こうも魔法使い同伴だったカピから、かなり近くに来られてしまえば感知されてしまう可能性があったカピ。なら存在そのものをこの場から、この世界線そのものから消してしまった方が早いカピ。残滓ざんし一欠片ひとかけら残さずにカピ」


「それはそうかも知れないけど、へ、並行世界って」


 壱が呆然とすると、茂造が愉快そうにほっほっほっと笑った。


「じゃから言ったじゃろう。サユリさんは壱が想像しているより、ずっと凄い魔法使いなんじゃと」


 異世界転移が出来る時点で、とんでもなく力を持った魔法使いだと言う事は壱でも理解していたつもりだった。


 それが例え多くの魔力を使うものであっても、出来る事自体が凄いのだと思っている。しかし並行世界に自在に行けるとは。


「異世界転移よりは簡単な魔法なのだカピが、流石に4日5日も不眠不休だと疲れたカピ。食事したら我は寝るカピよ」


 サユリは言いながら、また大きな欠伸をした。


「壱、あと1日我が傍にいなくても大丈夫だカピな?」


「うん。ちょっと寂しいけど大丈夫」


「そう言う意味では無いカピ。体調は大丈夫だったカピか?」


「うん。ピンピンしてた」


「なら良いカピ」


 サユリは満足げに頷くと、味噌雑炊のサラダボウルに顔を埋めた。

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