#91 壱とサユリの小さな宴

 サユリがいないラスト1日を恙無つつがなく終え、寝支度を整えて部屋に戻ると、サユリは壱のベッドの上で健やかな寝息を立てていた。


 その穏やかな表情に壱は癒される。ベッドに掛けてその背中をそっと撫でてやると、サユリは微かに身動みじろぎをする。おっと、起こしてしまってはいけない。壱は慌てて手を離した。


 しかしそれも虚しく、サユリの眼はゆっくりと開かれた。


「ふぁあ、良く寝たカピ」


 のんびりと言いながら、大きな欠伸あくびをひとつ。


「サユリご免、起こしちゃった」


 壱が申し訳無さげに言うと、サユリはそこで壱の存在を認識した様子で、首をふるふると振って微睡まどろみから醒める。


「壱カピか。む、もしかしてもう今日は終わりカピか?」


 壱がパジャマを着ていたからだろう。サユリは首を動かして、カーテンが引かれていない窓の外に視線を移す。


「む……夜の営業から出ようと思っていたカピが、すっかりと寝入ってしまったのだカピな」


「それだけ疲れていたって事だよ。俺が起こさなかったら朝まで寝れてたかも。ご免」


「いや、壱が起きている時間に眼が覚めて良かったカピ。中途半端に誰も起きていない時間に起きても仕方が無いカピ。さて、すっかりと眼も冴えてしまったカピ……」


 サユリは考え込む様に眼を閉じ天をあおぐ。そして口を開いた。


「壱、我は白ワインが飲みたいカピ」


「お酒?」


「飲んだらまた眠れると思うのだカピ。やる事も無いのに1晩起きているのも苦痛だカピ」


「そりゃあそうか。じゃあ白ワインと、チーズでも用意しようか」


「腹も空いているカピな」


「じゃあ味噌ディップとか作って、チーズと野菜に付けて食べられる様にしようか」


「それは良いカピな。直ぐに用意するカピよ」


 この尊大な態度が何ともサユリらしい。壱は小さく笑みを浮かべると立ち上がった。


「じゃあ用意して来るから待っててね」


 そうしてキッチンに向かう。


 まずは食材を用意しなくてはと、厨房に降りる。


 冷蔵庫と棚を見て、下処理がしやすく味噌に合うきゅうり、人参、きゃべつを取り出す。そして卵とレモンも。


 チーズは、この村では数種作られていて、サラダ用に何種類かを冷蔵庫にストックしてある。


 それらの中からクリームチーズとモッツァレラチーズ、カマンベールと、癖の少ないものをセレクトした。


 2階のキッチンに戻り、準備開始。


 まずはマヨネーズ作り。卵をボウルに割り、泡立て器で良く解したところに、オリーブオイルを少量ずつ垂らし、しっかりと撹拌かくはんして行く。


 クリーム色に乳化にゅうかしたところにレモン汁を絞り、またしっかりと混ぜて行く。そうしてマヨネーズが出来上がる。


 そのマヨネーズと同量の味噌を混ぜて、味噌ディップの出来上がりである。


 アクセントににんにくの擦り下ろしなども入れたいところだが、今は少しでも早く支度を終えたいし、明日の事もあるので控えておこう。


 次に野菜の準備。きゃべつは一口大に千切り、きゅうりと人参も食べやすい様に一口大に。


 チーズもそれぞれ一口大にした。


 素材を皿に盛り、味噌ディップを小鉢に入れてスプーンを添える。余ったマヨネーズにはたっぷりの黒胡椒こしょうを引いて混ぜ、こちらも小鉢に。スプーンも添えて。これでつまみの出来上がりである。


 手早く器具類の洗い物をして。


 白ワインはボトルごと持って行こう。壱にはワイングラス、サユリにはサラダボウルを。大きめの取り皿を2枚と、壱が使うフォーク。


 それらを全てトレイの乗せると、部屋に戻る。


「サユリ、お待たせ」


 トレイをとりあえず机に置き、椅子をベッド脇に引き寄せる。テーブル代わりにするのだ。椅子に敷いてある座布団を外し、トレイを移した。


「大丈夫だと思うけど、零さない様に気を付けて飲んでね」


「大丈夫だカピ。我を誰だと思っているカピか」


「そうだね」


 壱は小さく笑うと、ベッドに伏せるサユリの前にサラダボウルを置き、白ワインを注ぐ。壱のワイングラスにも。


「じゃ、乾杯」


「乾杯カピ」


 壱はワイングラスの足を軽くサラダボウルに当て、ゆったりと口に含む。サユリもそっと口を近付け、ぺろりと舐めた。


 この村で作られる白ワインは2種類。さっぱりとした甘みの少ない透明のものと、甘みが強めでフルーティな、やや黄色味掛かったもの。


 壱とサユリの好みは甘みの強いものだった。なので今用意したのもそちらである。


 壱はワインをじっくりと味わいながら、口角を上げた。


「やっぱりこの村のワインは美味しいな」


「それよりも食べるものカピ。チーズが良いカピ」


「はいはい」


 余程腹が空いていたのか、催促さいそくするサユリ。壱は取り皿に3種のチーズを乗せ、脇に味噌ディップを盛った。


「好みでディップを付けてね。チーズとも合うと思うよ」


「ふむ」


 サユリは早速器用にチーズを咥え、味噌ディップに付けて口に入れる。眼を細めて咀嚼そしゃく。ごくりと喉を鳴らして飲み込んで、満足そうに頷いた。


「成る程カピ。これは良いカピ。味噌ディップカピか。これは野菜にも合うのだカピな?」


「勿論。味噌を作った時にきゅうりに付けて食べたでしょ。ディップはそれよりまろやかだけどね。野菜用には胡椒マヨネーズも用意してあるよ」


「それも早く皿に乗せるカピよ」


「はいはい」


 チーズはとうに無くなっていた。相当腹が空いていたのだろうか。壱は皿に野菜と胡椒マヨネーズを盛ってやった。サユリはそれにも早速口を付ける。


「……ふむ、甘いめのマヨネーズに、胡椒が良いアクセントなのだカピな。これは確かに野菜に合うカピ」


「気に入ってくれて良かったよ。足りなかったらチーズも野菜もまた切って来るからさ」


「ふむ」


 サユリの口は黙々とワインのサラダボウル、野菜の皿を往復する。壱はその様子を、ワイングラスを傾けながら眺めていた。


 時折チーズと野菜を摘む。勿論味噌ディップと胡椒マヨネーズを付けながら。


 我ながら両方とも素材に合い、良い出来栄えだ。両方ともたっぷりと付けてしまえばしつこくもなるが、少量でも充分に役割を果たしてくれる。


 壱は夕飯も食べているから腹は空いていない。サユリが満足してくれる様にと様子を見ながらちびちび摘んでいた。


「ふぅ」


 サユリが満足げに息を吐く。どうやら落ち着いた様だ。そして旨そうにワインを飲むと、また息を吐いた。


「満足カピ。さて壱、我がいない間、何も無かったカピか?」


 サユリはそう言いながら、またワインを舐める。飲み態勢に入ったか。壱のワイングラスも空になったので、お代わりを注いだ。


 サユリのサラダボウルを見ると、そちらも無くなり掛けていたので、追加を注いでやった。


「うん。相談事とかも無かったしね。これはサユリがいなかったからみんな待ってたのかも知れないけど。あ、でもみんなサユリがいなくて寂しがってたよ。やっぱり人気者なんだねサユリは」


 壱が素直に言うと、サユリはまた鼻を鳴らした。


「当然カピ。我はこの通りキュートなのだカピ」


 おや、これはサユリ流のジョークなのだろうか。サユリが可愛いのは勿論だし、普段から態度は尊大だが、外見に関しての自慢は初めて聞いた。


「確かにサユリは可愛いからね」


 壱が笑みを浮かべながら言うと、サユリは珍しく照れ臭そうに視線を逸らした。ああしかしそんな仕草も可愛いのだった。仔カピバラ恐るべし。


「でも俺も、サユリが戻って来てくれると嬉しいし安心だよ。俺が言うのもおかしいかも知れないけど、村をまもってくれて本当にありがとう。俺、この村の暮らし結構好きなんだ。たまに不便な事もあるけど、あんまり気にならないと言うかさ。うん、この村、良い村だよね」


 壱が言うと、サユリはまた鼻を鳴らす。


「ふむ。また明日から日常が戻るカピよ。壱も精々励むと良いカピ」


 済ました顔で言うサユリに壱は笑みを浮かべ、幾度と頷いた。


「うん。これからもよろしくね」


 サユリはまた鼻を鳴らし、壱の台詞に応えた。

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