#92 すき焼き丼の朝ご飯と、スマートフォンの解決

 朝になり、いつもの時間に起きる。昨夜のプチうたげの洗い物は昨日のうちに済ませておいた。


 サユリは眠る為に飲んでいたので、やや杯を重ねてふんわりとほろ酔い状態になったが、壱はそう量を飲んでいないので、ほぼ素面しらふだったのだ。


 さて、今朝は何を作ろうか。壱は朝の支度をして、キッチンに向かう。


 味噌を使うというこだわりは譲らない。うん、では。


 まずは鍋に水を張り、昆布を入れておく。


 次に厨房に降り、冷蔵庫から牛肉と卵、棚から玉ねぎときゃべつを取り出す。そして裏庭から玉ねぎの苗を。


 さて、上に戻って調理開始だ。まずは米を炊こう。強火に掛けて。


 次に鍋に湯を沸かす。


 その間に玉ねぎの苗を小口切りにしておく。続けて玉ねぎを厚めのくし切りに。きゃべつは太めの千切りにし、牛肉は薄切りに。


 湯が沸いたので火を止め、卵を殻ごと入れて、ふたをして置いておく。


 米の鍋も沸いて来たので、弱火に落として。


 昆布を入れた鍋を火に掛ける。沸騰するまでの間に鰹節かつおぶしを削る。


 沸騰したら火を消して昆布を取り出し、鰹節を入れる。沈むまでの間に昆布を千切りにしておく。


 鰹節が沈んだら出来た出汁を別の鍋に移す。それを火に掛け、沸騰したらきゃべつを入れる。


 出汁殻の鰹節は包丁で叩いて細かくしておく。


 フライパンを出し、火に掛けてオリーブオイルを敷く。そこに牛肉を入れて炒め、玉ねぎを加える。


 玉ねぎがしんなりして来たら、ひたひたに水を入れる。沸いて来たら灰汁あくが出て来るので丁寧ていねいに取り、出汁殼だしがらを入れて赤味噌を溶かし、砂糖も加え、煮詰めて行く。


 米が炊き上がったので火を止め、解して蓋をして蒸らす。


 さて、後は仕上げである。そろそろ茂造たちも起きて来る頃だろうか。


 その間にもう使わない器具などを手早く洗う。そうしていると茂造たちがキッチンに顔を覗かせた。


「おはようの。今朝も良い匂いじゃ。ありがとうのう」


「おはようカピ」


「おはよう。もう直ぐに出来るよ」


 そうして茂造が支度に向かうと、壱は仕上げに入る。


 きゃべつの鍋を塩と砂糖で味を整え、スープボウルとサラダボウルに注ぎ、玉ねぎの苗の小口切りを浮かして、きゃべつのお吸い物の出来上がり。


 ボウル状の器とやや深みのある皿に白米を平らに盛り、牛肉と玉ねぎを煮込んだものを乗せる。そして中心に放置で仕上がった温泉卵を割り、彩りに玉ねぎの苗の小口切りをぱらり。


 すき焼き丼の完成である。


 テーブルにそれらが揃う頃には、茂造も既に戻って来ていた。サユリもとうにスタンバイ完了。


「今朝はすき焼き丼とお吸い物だよ。どうぞ」


「美味そうじゃのう。この甘辛い匂いが何とも良いのう。いただきます」


「いただくカピ」


「はい。いただきます」


 まずはお吸い物をひとすすり。優しい味が染み渡る。そして甘いきゃべつでほっこりと。


 さて、すき焼き丼だが。すき焼きの割り下、その作り方は地域によって違う。


 今回は牛肉の香ばしさが欲しかったので、先に焼いてから、そのまま割り下を作る形にしてみた。醤油の代わりに赤味噌だ。


 さて、仕上がりはどうか。


 温泉卵を割り、具と絡め、米と合わせてすくう。卵の黄色い輝きと具の照りが、何とも食欲を唆る。


 ではいただきます。


 ……甘辛い具に卵が合い、良い旨味を生み出している。ちゃんとすき焼きっぽく出来上がっていた。


 壱は嬉しくなって、もぐもぐと口を動かしながらまなじりを下げた。


「うむうむ、久々のすき焼きじゃ。嬉しいのう。旨いのう」


「ふむ、これがすき焼きと言うやつカピか。なかなか良いカピな。卵が良い仕事をしているカピ。生に近い味なのだカピが、生では無いのだカピな。面白いカピ」


 茂造とサユリも満足そうに口に運んでいる。なかなかの高評価である。


「しかし壱よ、味噌は本当にいろいろな物が作れるのじゃなぁ。凄いのう」


「スマホでレシピ調べたり出来るしね。赤味噌を醤油に例えたら、結構出来るもんだよ」


 ここで壱は、あ、と気付く。スマートフォンを使う度に気になっていた事だ。


「ねぇ、じいちゃん、サユリ、お昼の休憩の時に相談があるんだけど」


 あまり重要な事だと思わせない為に、はしを止めずに何気無さを装う。


「ん、何じゃ? 込み入った事かのう?」


「んー、どうだろう」


 壱は首をひねる。ん、わざとらしかっただろうか。


「……今言えないのだカピか?」


「時間掛かっちゃうかも知れないから」


「儂は構わんぞい」


「我も構わないカピ」


「ありがとう。助かるよ」


 壱は笑みを浮かべて礼を言うと、残りのすき焼き丼を掻っ込んだ。




 昼営業が終わり、休憩時間に入る。


 サユリにはミルク、茂造には紅茶、壱は珈琲コーヒーを準備し、テーブルを囲う。


 そのテーブルの中心には、壱のスマートフォンが鎮座ちんざしていた。


 サユリのお陰で電池の消耗は無く、電源はいつでも入れられていて、ディスプレイにはアプリのアイコンが整然と並べられている。


 それらの中で目立つのは幾つかのSNSのアイコン。右上に赤い丸が付き、それぞれに3桁にも近い数字が表示されていた。


 壱がこの世界に転移してすぐの頃は、かなりの勢いで数字は増えて行っていたが、数日も過ぎる頃にはゆるやかになっていた。


 あれからもう1ヶ月程度も経つのだ。友人はともかく家族が壱を諦めたとは思いたく無いが、既読も付かないメッセージを送り続けても仕方が無いと言う事は思い知らされているだろう。


 それでもぽつりぽつりと増える数字は賭けの様な、願掛けの様なものなのかも知れない。


 壱はこの世界で、平和で楽しい生活を送って来た。だが元の世界では行方不明扱いになっていて、生死すら不明だ。


 家族がどんな思いでいるのか、想像すると身がえぐられる思いがする。


 スマートフォンのディスプレイを見る度に、心が痛んだ。


 アイコンをタップして、メッセージを読みたくなる。そして家族に送りたい。俺は無事だと。茂造と再開出来て、一緒に平和に暮らしていると。


 壱はそれを茂造とサユリに正直に打ち明けた。


「既読が付けられるんだったら家に帰らないはおかしい。だから既読もそうだけど、返信も出来ない。異世界がどうのこうのなんて言えないでしょ。だから」


「いや、別に構わんのじゃ無いかの?」


 壱の言葉尻に被せる様に、茂造の呑気のんきな声が乗る。


「どうかの? サユリさん」


「異世界云々を壱の家族が信じるかどうかはともかく、手段があるなら連絡を取っても全然構わないカピ。どちらにしても現状行き来は出来ないカピがな」


「そ、そうなの?」


 壱は呆然と間抜けな声を上げる。


「ついでに三枝子(茂造の娘、壱の母)に儂の無事も知らせてくれると嬉しいのう。儂は携帯電話など持っておらんかったからのう」


 にこにこしながら言う茂造。壱はすっかりと力が抜けてしまった。


 こんな簡単に解決してしまうとは思わなかった。


 拍子抜けした壱は椅子の背凭せもたれにだらりと身体を預け、溜め息とともに「はぁ〜」と声を上げた。


「なぁんだ〜悩んだのに〜」


「もっと早くに言ってくれれば良かったカピ」


 サユリが呆れた様に言う。


「ま、あまり口外はしない方が良いとは思うカピが、我も茂造と壱の家族には申し訳無い事をしたとは思っているカピよ」


「ほっほっほ、まぁ何せの、異世界がどうだのと言われたらの、判らん事も多いじゃろう」


 茂造が壱を慰める様に言ってくれる。


「……よしっ!」


 壱は気分を切り替える為に声を上げ、上半身を起こす。


「まずはメッセージ見てみよう!」


 壱はスマートフォンを取ると、自らを落ち着かせる為に深呼吸をし、SNSのアイコンをタップした。


 それは他者とのコミニュケーションツールとして主に使用されているインスタントメッセンジャーで、スマートフォンのキャリアに依存するメールとは別に、母親や妹、友人らとの通信手段として使用していた。


 父親は「良く判らん!」と言って未登録である。ちなみにフィーチャーフォンを使用し続けている。


 届けられたメッセージを見てみたら、やはり「どこにいるの?」「返事ください」と言う様なものばかりだった。


 スクロールしながら眼を通す。ヤバい、目頭が熱くなる。最後のメッセージは「どうか無事でありますように」だった。


「やっぱり母さんにも妹にも心配掛けてたなぁ。早速家族グループにメッセージ入れてみよう。えーっと」



  父さん、母さん、柚絵、心配掛けてごめん。

  俺は無事です。

  信じられないかも知れないけど、異世界の村で元気で暮らしてます。

  当分帰れないけど、心配しなくても大丈夫だから。


  母さん、その異世界で茂造じいちゃんと再会したよ。

  じいちゃんも無事です。元気です。一緒に暮らしてます。


  だから安心してください。

  またメッセ送ります。


  あ、異世界の事は一応口外しないでね。

  誰も信じないと思うけど。



 送信マークをタップした。


「よしっと」


 母親も妹も仕事中だろうから、気付くのは後になるだろう。


 異世界云々はやはり信じて貰えない可能性が高いが、まずは壱と茂造が無事だと言う事が伝われば良い。


「おや、そろそろ夜の仕込みの時間かの?」


「あ、じゃあ俺スマホ部屋に仕舞しまって来る」


「では儂は洗い物を済ませてしまおうかの」


 壱と茂造はそれぞれ腰を上げ、サユリも伸びをしながら立ち上がった。

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