#89 サユリがいない事の影響

 サユリを見送った壱は、どうしたら良いのか判らなくなり、しばしその場に呆然と立ち尽くす。


 サユリの様子は明らかにおかしかった。何があったと言うのだ。


 しかしひとりで考えていても、何の答えも出ない事にはすぐに思い至る。壱は早足で食堂の表、結婚パーティの会場に戻り、茂造の元に急いだ。


「じいちゃん!」


 呼んで、小さく手招き。食堂のメンバーを含め、他の村人には聞かれない方が良いのではと思った壱の判断だ。


 壱は茂造の耳元に口を寄せた。


「サユリがさ……」


 そうしてサユリの行動と台詞をそのまま伝える。すると茂造はやや考え込む様に眼を閉じた後、うむ、と大きく頷いた。


「成る程のう。解ったぞい。大丈夫じゃ。サユリさんに任せておけば良いからの」


「それは良いとして、何があったのか」


 壱が不安げな表情を浮かべると、茂造はそんな壱を安心させるためか、大らかにほっほっほっと笑った。


「多分じゃがのう、ほれ、ノルドが言っておったじゃろ。この村の存在がうわさになっておると。それと関連しておると思うのう。要はの、この村に危険が迫っておると言う事じゃの」


「なっ!」


 あまりの事につい声が大きくなってしまい、壱は慌てて口を押さえた。


 周りを見ると、みんな会話に夢中で壱の声は聞こえていなかったらしい。安心して胸をで下ろした。しかし。


「そんな、そんなのサユリひとりに任せておいて」


「大丈夫なんじゃよ」


 壱の台詞に被せる様に茂造は言う。


「壱もサユリさんの魔法の凄さは知っておるじゃろ?」


「知ってるよ、知ってるつもりだけど、でも」


 壱が慌てる様に言うと、茂造は落ち着かせる様に、ゆっくりと穏やかに口を開いた。


「うんうん、サユリさんはの、壱が知っている以上にもの凄い魔法使いなんじゃよ。サユリさんに任せておけば、本当に大丈夫なんじゃ。この小さな村を守る事くらい、なんて事無いからの、安心すると良いぞい。ああそれより壱よ、サユリさんが近くにおらずとも大丈夫かの? 体調とかのう」


 何故サユリが常に壱の傍にいてくれていたのかを思い出す。壱はここでようやく少し落ち着いて体調を見てみるが、熱が出る気配がある訳でも無し、腹痛が起こる訳でも無し。問題無い様だ。


「うん、大丈夫みたい」


「なら良かったぞい。サユリさんが迂闊うかつな事をするとは思えんが、万が一何かあったらすぐに儂に言うんじゃよ。ノルドもおるからの」


「わ、解った」


 壱が小さく頷くと、茂造はうんうんと首を縦に振って壱の肩を優しく叩く。


「さて、パーティの続きじゃぞい。村人にはサユリさんがいない事は適当に言っておくからの。安心して楽しむと良いぞい」


「う、うん」


 茂造は言うが、壱は不安を拭えない。この村云々では無く、サユリの事だ。サユリ自身は大丈夫なのだろうか。


 サユリ本人も「自分は偉大な魔法使いだ」と言っていたし、先程の茂造の言葉もある。サユリは迷い無さそうに食堂に入って行ったし、茂造から不安の種は感じない。


 それでも心配になってしまう。


 しかし今は、特に目出度めでたい場なのだ。壱が狼狽うろたえていては、周りにも申し訳無い。壱は切り替える様に両の頬を軽く叩き、顔を上げた。


「良しっ!」


 なかば気合を入れる様に言うと、茂造に続く様に食堂メンバーの輪に戻って行った。




 村人のみんなには、サユリは急用で村の外に出たと茂造は伝えた。


 村人は「毎日の癒しが〜」と項垂うなだれたが、2〜3日の事だろうと言うと、みんな「それぐらいなら」と納得した。


 実際はいつまでかは判らないが、そう言わなければ村人は静まらなかっただろう。


 如何いかにサユリがこの村で愛されているか、そして食堂営業中にサユリがきっちりと仕事をしていた事が判るエピソードとなった。


 そうして、表向きはサユリがいない日々が始まった。


 朝には米の苗に水をって昼の仕込みに昼営業。夕方に差し掛かる頃になれば夜の仕込みに夜営業。


 忙しい中でも、サユリのいない寂しさを時折感じる。何せ寝る時までそばにいたのだから。


 早く問題が解決してくれれば良い。そしてサユリよ無事であってくれ。壱はそう願うしか無かった。




 サユリが部屋にこもってしまっても、日常は続く。


 食堂は昼の営業を終え、そして夜の営業に突入。


 サユリが傍にいない事以外は、これまでと何も変わらない。


 壱は体調を崩す事も無く、表向きは平穏に日々が淡々と過ぎて行く。




 それも3日も立つ頃には、ほんのわずかではあるが、村人から不満が上がる様になる。


「もう3日になるのに、まだサユリさんは帰って来ないの?」


「やっぱりサユリさんがいないと寂しいわねぇ」


「俺ぁ酒飲みながらサユリさん撫でんのが毎日の楽しみなんだよなー」


 クレームと言う程では無い。多少の差異はあれど村のみんなは善人なので、世間話程度にそんな台詞が零れるだけだ。


 そして壱もみんなの意見には同意なので、「そうですね」と、しかし理由を知っているので苦笑するしか無い。


 今サユリは食事も摂らずひとりで、いや、1匹で頑張っているのだ。


 茂造にサユリの食事の事を聞いたら、必要無い、寧ろ邪魔になると言われたのだ。


 やはり壱に出来る事は、この村とサユリの無事を願うしか無いのだった。




 5日目の朝、壱はすっかりとサユリロスにおちいっていた。そう長くは無いとは言え、常に一緒にいた弊害へいがいだろうか。


 それでも朝食は食べなくてはならない。


 壱は水を張った鍋に昆布を入れ、材料を取りに厨房へ。


 お腹は空いているし味噌は食べたいのに、いまいち作る気が起こらない。だが茂造に作ってもらうのも申し訳無い。


 と言う訳で、今日は手抜きをさせて貰おう。じいちゃんごめん。


 冷蔵庫から豚肉と卵、棚から玉ねぎと人参を出し、裏庭から玉ねぎの苗を刈り取って、上に戻る。


 まずは米を炊く。強火に掛けて。


 玉ねぎは薄切り、人参は銀杏いちょう切りに。玉ねぎの苗は小口切りにし、豚肉はスライスしてから一口大に。


 米の鍋が沸いたので、弱火に落としておく。


 次に鰹節かつおぶしを削る。引き削りももうすっかりと慣れたものだ。


 昆布を入れた鍋を火に掛け、沸く寸前に昆布を引き上げる。そこに削った鰹節を入れ、火を止める。


 取り出した昆布は適当に角切りにしておく。鰹節も沈んだので、出来上がった出汁だしを別の鍋に移し、鰹節が残された鍋に昆布を戻す。


 出汁の鍋を火に掛け、沸いたら豚肉を入れる。灰汁が出たら丁寧に取って。そこに玉ねぎと人参を追加して、煮ていく。


 さて、米の鍋からチリチリとした音がしてきた。炊き上がった様だ。火を止めて解し、蓋をして蒸らす。


 その間に洗い物をしてしまおう。少し気持ちが沈んでいても、手際は変わらない壱である。料理をする事が癒しになっているのかも知れない。そう思えば少し楽しくなって来た気がする。


 蒸らした米を出汁の鍋に入れ、コトコトと煮込んで行く。


 お次は昆布と鰹節。水少量と砂糖と赤味噌を加えて煮詰めて行く。


 さて、そろそろ茂造が起きて来る頃だろうか。壱はボウルに卵を割り入れ、解す。仕上げは茂造が朝の支度をしている時にしよう。


 するとそのタイミングで茂造がキッチンに顔を覗かせた。


「おはようの。今朝もありがとうの」


「おはようじいちゃん。もうすぐ出来るからね」


 壱は仕上げの為に卵のボウルを手にしようとして振り返ると、それを取り損ねてしまう。中身が零れなかったのは幸いだった。


「おはようカピ」


 茂造の足元にはサユリの姿が。眠そうに欠伸をひとつ。


「サユリー!」


 壱は嬉しくなって破顔し、サユリの元へと駆け寄った。

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