#55 頼もしき職人たち

 壱は机の引き出しからスマートフォンを取り出すと電源を入れ、Wi-Fiが接続されている事を確認すると、ブラウザを立ち上げる。


 まず調べるのは、はしのサイズ。男性用、女性用、子供用でまず違うし、男性用でもいろいろあるらしい。


 それらの中で、平均的なものを拾い上げて行く。


 紙に秘蔵のボールペンで、箸を横から見た図と、持ち手側から見た図、先端から見た図を書く。


「あ、サユリ、このペン、インク切れとか故障の心配無い様にならないかな」


 いつも壱と行動を共にしているサユリも、当然のごとく部屋にいて、ベッドでくついでいる。


「出来るカピよ。しかし壱は本当にカピバラ使いが荒いカピな」


「便利なものだからつい。本当に助かってるよ」


 壱は拝む様に手を合わせる。サユリはふうと息を吐くと、右前足を上げて動かした。


「これで良いカピよ」


「ありがとう。付けペン使いづらくてさ。俺らの世界では滅多に使わないものだから」


「そうカピか。確かに茂造もこの世界に来たすぐは四苦八苦していたカピ」


「だろうなぁ」


 壱は小さく笑いながら、箸の図に数字を書き入れて行く。長さは20センチ、持ち手は直径7ミリ、先端は2ミリ。


 先端は1.8ミリが最適らしいのだが、あまり細かくしてしまうと、加工も大変だろうから、ここは小数点以下は切り上げる事にしよう。


 この世界の文字は相変わらず読めないし書けないが、数字が共通なのは助かった。


 次にり鉢の底の溝である。調べてみると、あの溝は櫛目くしめと言うものなのだそう。


 擂り鉢を上から写した画像が幾つか出て来た。櫛目にもいろいろな形状がある様だ。


 その中から壱は掘るのが比較的難しく無さそうな、直線の物を選び、紙にスケッチして行く。


 絵心……絵心……余りある方では無い。だが画像をそのまま見せる訳には行かない。スマートフォンの存在を知られてはならないのだ。


 壱はフリーハンドでややいびつな2重円を書き、内円の中に線を引いて行く。どう書くのが効率が良いか、巧く書けるか、脳内でシミュレーションをしながら。


 しかしやはり何枚か失敗してしまう。


 それでもどうにか仕上げる事が出来た。


 壱にしては良い出来なのでは無いか。完成品を見て、大きな息を吐いた。


「出来たー」


 つい声を上げる。これで陶製工房の職人に伝わると良いのだが。


 後は長い串だが。


 バーベキューとは違い、直接火に掲げるのだから、持ち手が熱くならない様に、そしてある程度の長さも必要かと思われる。


 材質は何になるだろう。これは木製工房のロビンに任せるのが良いだろう。鉄が有力だろうか。


 長さは40センチか50センチあれば良いだろうか。直径は2、3ミリ程で、先端を細くして貰う形だろう。


 これも図を書く事にする。


 他に調べ物はあっただろうか。壱は考えてみるが、今は思い浮かばない。


 とりあえずは箸、擂り鉢、串の3種を作ってもらう事にしよう。


「サユリ、俺、木製工房と陶製工房行くけど、一緒に行く?」


 訊くと、サユリはのっそりと立ち上がり、ひらりと下に降りた。


「行くカピ」


 ドアを開けて、下に降りる為にまずはダイニングへ。テーブルでは茂造が紅茶をたしなんでいた。


「じいちゃんって、そんな紅茶好きだっけ? 昨日も飲んでたよね」


「緑茶の代わりじゃの。コーヒーも飲むぞい。紅茶もコーヒーも村では育てておらんからの、残りの量を見ながら飲んでいる感じじゃの」


「街で買ってるの?」


「そうじゃの。そう言やあれじゃの、またそろそろ買い出しに行かんとの。今度は壱に行って貰うかの」


「それはちょっと楽しみ。あ、俺ちょっと出かけて来るよ。木製工房で箸と串、陶製工房で擂り鉢作って貰おうと思って」


「ほうほう。ではの、時間が余ったら、製糸工房に行ってみたらどうかの? 壱も大分給料がまって来たんじゃ無いかの?」


「ああ、うん、確かに、……多分」


 この食堂は日給制なので、壱も毎日給金を貰っている。しかし今の所使い所が余り無く、机の引き出しに貯まってしまっているのだ。


 しかしこの村と言うか世界の貨幣価値が余り判らないので、現状何とも言えなかった。


「洋服はこの村でも買えるんじゃよ。この前村を案内した時に会うたシャノの、メリアンのお姉さんのデザインの服が売られておるんじゃよ。ほとんどが一品物じゃからの、覗いて見ると良いぞい」


「へぇ、じゃあ行ってみる。サユリ、お金取って来るから待ってて」


 壱は部屋に戻るととりあえず今あるお金を数え、金額を把握してから全て財布に入れた。財布は元の世界で使っていたものである。


 元々入っていた中身は、この世界では役に立たないので、封筒にまとめて入れて、引き出しに入れてある。


 確かに今の服もそうだが、他の服も全て可も無く不可も無く、無難なものばかりである。


 壱はそもそも洋服で挑戦するだの攻めるだのする方では無いが、やはり好みの格好をしたいとは思う。良いのがあれば検討してみようか。


 さてダイニングに戻り、待っていたサユリと連なって食堂を出た。




 まず、陶製工房に向かう。


 ドアをノックすると、中から「はーい」と聞き慣れた女性の声。開けると、声の主が棚の整理をしていた。


「あらイチくん。こんにちは」


「こんにちは。あの、作って貰いたいものがあるんですが」


「はいはい、どんなの?」


「ボウル状なんですけども、内側にこんな溝を。櫛目って言うんですけど」


 壱は先程頑張って書いた図面を見せた。


「あー成る程ねー。面白いね。これ何に使うの?」


 女性が興味深げに図面を凝視する。


「食材を擂り潰したりするんですよ。うちの食堂の場合、バジルソースを作るのに使えると思って」


「あー成る程ね! え、今までどうやって作ってたの?」


「包丁で叩いてました」


「そりゃ大変だー!」


 女性が驚いてる。なかなか大袈裟おおげさな表現をする人だ。


「これ、俺たちの世界の調理器具なんです」


「じゃあやってみるよ。器そのものはいつもの作り方で良いとして、この溝、ええと、櫛目って言うんだっけ? これの掘り方ねー。これは木製工房で、それこそ櫛みたいなのを作ってもらうのが良いかも。そしたら等間隔に綺麗に掘れるよ」


「あ、俺、これから木製工房に行く用事があるんで、一緒に行きますか? 説明もし易いかも」


「そうしようそうしよう! 新しい物を作るのはワクワクするなー」


 女性は快活に言うと、壱の背中を叩き、奥に「出掛けて来るー」と声を掛けるとドアを開けた。


 しかしその時、何かを思い出した様に振り返った。


「ところで私、多分イチくんに自己紹介出来て無かった。ごめんねー。シルルと言います。よろしくね!」


 そう言えばそうだった。幾度と顔を合わせているのに、名前を聞いていなかった。


「俺もうっかりしてました。改めてよろしくお願いします、シルルさん」


「うん、よろしく!」


 シルルは満面の笑みを浮かべた。


「シルルは相変わらず大雑把おおざっぱカピな」


 サユリが呆れた様に言うと、シルルはあははと笑う。


「ごめんごめん」


 あまり反省の感じられない軽い調子で言うと、ドアを抜けて行く。壱とサユリもそれに続いた。




 さて、木製工房に到着。シルルは先頭に立ち、ノックもせずドアを開け放った。


「こんにちはー!」


 すると中で作業していたロビンが呆れた様に立ち上がった。


「相変わらずだなぁシルルよ。今日は何だってんだ。お、坊主とサユリさんも一緒か」


「ロビンさんこんにちは」


「今日も頼むカピ」


「あいよ! で、今日は揃って何だってんだ?」


 ロビンが尋くと、シルルは壱が書いた図面を出した。


「陶製のボウルの底に、こんな溝を掘りたいんだよね。これ、櫛みたいなのがあったら確実に綺麗に掘れると思ってさ。ロビンなら出来るよね?」


 畳み掛ける様に言い寄るシルルに、ロビンは苦笑い。しかし図面を見たロビンは、やや考え、大きく頷く。


「成る程な。おう、出来るぜ。これ間隔は何ミリだ?」


 あ。と、壱が声を上げる。


「ごめんなさい、間隔考えて無かった。多分そうだな、えーと、1.5か2ミリ単位とかでして貰えたら丁度良いと思うんですけど」


 壱が見た事のある擂り鉢を思い出しながら言う。


「よっしゃ、判った。直ぐに作ってやるよ」


 ロビンが材料を取りに行こうとするが、壱は呼び止める。


「実はロビンさん、もうひとつ相談したい事が」


 壱は箸と串の図面を見せ、説明する。


「あー成る程。おう、これらも出来るぜ。そうだな、確かに串は鉄だな」


 ロビンは考えながら頷く。


「おう、櫛もだが、箸ってやつも串も任せとけ。きっちり作ってやるからよ。明日にでも取りに来い」


 ロビンは言うと、口角を上げた。シルルも頼もしい笑顔を浮かべる。


「擂り鉢?もきっちり作るから! 任せといて! 明後日には出来てると思うよ」


 ふたりに言われ、壱は頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 ここでこれ以上壱に出来る事は無い。ふたりに見送られながら、サユリとともに工房を辞した。


 さて、少し時間が余った。茂造がすすめてくれた製糸工房に行ってみようか。


 着いてみると、販売もしているからか、観音開きのドアは大きく開かれていた。


 覗くと、近くにいた女性が気付いてくれた。


「あ、いらっしゃいま、せ、あ……」


 狼狽ろうばいした様に両手で口を押さえる。だが次には深く頭を下げていた。


「い、イチさんですよね? 私、マリルと言います。あの、米農家でお世話になっている、リオンの妹です」


「ああ」


 壱は昨日のリオンの話を思い出し、小さく頷いた。

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