#56 マリルの幸せと、リオンの想い

 マリルは壱を前にしきりに恐縮している。こうなると壱の方こそ慌ててしまう。


「あ、あの、私の話、お聞きになったかと思うんですが、あの、ご迷惑を掛けてしまって、本当にすいません。治したいと思っているんです。でもなかなか巧く行かなくて、あの」


 そう言いながら何度も頭を下げる。


「あ、いや、迷惑だなんて思って無いから、そんな頭下げないで」


「で、でも」


「マリル、とりあえず少し外に出るカピか」


「は、はい」


 サユリの台詞に、マリルは戸惑いながらも頷く。


「な、中に言って来ます」


 マリルは一旦奥に行き、すぐに戻って来た。


「お、お待たせしました」


 壱とマリル、サユリは製糸工房の外に出る。


「ここでなら、幾らでも謝って良いカピ。心置き無く謝れば良いカピ」


「は、はい! では!」


「では、じゃ無い! 本当に大丈夫だから」


 また頭を下げようとしていたマリルを何とか押しとどめる。


「で、でも」


「本当にね、誰も気にして無いよ」


「あ、あの、ありがとうございます。そう言っていただけると救われます」


 マリルはそう言い、小さく笑顔を浮かべた。


 リオンから聞いたマリルの過去の所業を思い出すと、身がすくむ思いがする。だが今、こうして対面しているマリルはどうか。


 ただただこちらに恐縮し、身を縮こませ、頭を下げる。あんな暴挙を犯した人間だとはとても思えない。


 今は猛省もうせいし、大人しく、そして真面目に働いているのだ。


 サユリも言っていた。警戒する必要は無い。他の村人同様、普通に接すれば良いだけだ。


 改めてマリルを見る。緩やかにウエーブが掛かった黒の髪が肩の辺りまで伸びて、ややつぶらな眼が兄のリオンを思い起こさせる。


 服装は上から下まで地味な色で揃えている。洋服を作って販売している工房に勤めているとは思えない様な。


 まるで目立つ事を拒んでいるみたいだ。


 ああしかし、こうしてサユリに連れ出されはしたものの、何を言ったら良いのやら。


 とは言えこのままふたりと1匹で黙りこくっていても気不味きまずいだけなので、壱は頭を巡らせる。


「あのさ」


 壱が口を開くと、俯いていたマリルが素早く顔を上げる。


「は、はい」


「えーと、あの、失礼な事聞くんだけど、発作と言うか、そういうのって、いつから出る様になったの?」


 壱の問いにマリルは気分を害した様子も無く、応えた。


「この村に来てからなんです。この村の人たちはみんな良い人で、こんな私にも普通に、いいえ、優しく接してくださいます。だから理由が判らなくて」


 その話を聞いて、壱はふと思い当たる。


「間違っているかも知れないから、話半分に聞いて欲しいんだけど、もしかしたら、この村の人が優しいからなのかも知れない」


「どういう事ですか?」


 マリルの眸が不安げに揺れる。


「マリルさんは真面目なんだね。多分、罪の意識が深すぎるんだ。前の街では周りの眼があって居辛くなって、って聞いたんだけど」


「はい……でも私がしてしまった事を考えたら、それは当然なんです。怖がられたり、奇異きいの眼で見られたり。私は罪人です。幾ら償っても償い切れないんです。だって私は、実の両親を……」


 マリルは苦しそうにそう言うと、両手で顔を覆ってしまった。しまった、泣かせてしまったか? そう焦ったが、マリルは静かなまま。壱はほっと息を漏らす。


「でもそれが、この村に来てから一切無くなったんだよね?」


「ええ……そうです。だから私、心苦しくて」


「だからじゃ無いかなぁ、その発作が出だしたの」


「え……?」


 マリルが顔から手を離し、壱を見上げた。


「この村には誰もマリルさんを責める人はいない。だから余計に罪の意識が酷くなって、発作みたいなのが起こる様になったんじゃ無いのかな」


「そ、そんな事があるんですか?」


「こういうのは精神的な問題で、俺は専門家じゃ無いから、断言出来る事じゃ無いけど、もしかしたらって。で、それを和らげる方法はもっと判らない。それはマリルさん次第だからね」


「そうですよね……。これ以上兄さんにも迷惑掛けたく無いです。私はどうしたら良いんでしょうか……」


 マリルは眼を伏せる。こればっかりは壱に言える事は何も無いが。


「無責任を承知で言うね。気にしなきゃ良いよ」


 壱が努めてあっけらかんと言うと、マリルは驚いた様に粒らな眼を見開いた。


「え、でもそれは」


「今のマリルさんには難しいかも知れない。もっと時間が要るのかも知れないね。でも今のままじゃ、多分誰も救われないよ。マリルさんも、リオンも」


「兄さんに辛い思いをさせるのは嫌です。もう私は兄さんから両親を奪うと言う大罪を犯しています。これ以上は駄目です」


「じゃあ、まずはリオンを幸せに、安心させる事を最優先に、気持ちを切り替えてみたらどうかな。その感じだと、家でも外でも大人しくしてるでしょ」


「はい。笑ったりはしゃいだり、それは私がしてはいけない事です」


「すれば良いんだよ。そうしたら気持ちも上向きになると思う」


「でも私が笑ったりしたら、兄さんは嫌がると思います。両親を殺めておいて、何笑ってんだって」


「うん、リオンも気持ちの整理が大変だったと思うよ。でもリオンはマリルさんを迎え入れて、家から追い出したりもしなかったし、こうしてこの村にも一緒に来てくれた。だったら大丈夫だと思うよ」


「でも……」


 マリルは口籠くちごもる。気持ちは解る、とは言えない。マリルの罪はマリルだけのもので、共感しようとは出来るだろうが、重く、し切れるものでは無い。


 どう言えば伝わるのだろうか。壱は腕を組んで考えてみる。このままだと堂々巡りだ。


「……ねぇ、マリルさんが発作みたいなの起こした時、リオンはどうやってくれるの?」


「あの、暴れる私を強く抱き締めてくれて、背中を優しく叩いてくれて、大丈夫だからって何度も言ってくれます」


「ああ、だったら本当に大丈夫だと思うんだけどな。家でリオンと話をしたりする? あ、リオンは無口だから、あまり無いかな」


「兄さんは、その日にあった事なんかを話してくれます。兄さんは無口ですけど、ずっと黙っている訳じゃ無いんですよ。面白い事だって言ってくれるんです。でも私は、小さく笑う事しか出来なくて」


「マリルさんに笑って欲しいんだよ、リオンも。だから話をするんだ。今度、思いっきり笑ってみたら良いよ。そしたらきっと喜んでくれるよ」


「そ、そうでしょうか」


「そうだよ。忘れない事も、反省する事も大切だと思う。でも、前を見る事も大事なんよ。幸せになっちゃいけないなんて、それは多分周りも幸せにならない。1番身近にいるリオンも幸せにはなれないよ」


「そう、ですよね」


 お、これは良い傾向だろうか。ここを間違ってはいけない。


「この村の人たちの殆どは、みんな何かしらの罪を背負ってるって聞いた。でもみんな明るいだろ? 多分解ってるんだよ。反省は必要だけども、それだけじゃ駄目だって。だからまずはさ、リオンの面白い話に、素直に笑ってみる所から始めてみたらどうかな」


 壱は言うと、笑顔を浮かべる。するとマリルの顔にも小さく笑みが浮かんだ。


「巧く出来るかまだ自信はありませんが、頑張ってみようと思います。そうですよね。兄さんを不幸にはしたく無いですから。まずはそこから、努力してみます」


「うん。それで良いと思う」


 良かった。壱の広いとは言えない視野からの見解ではあったが、少しは前向きになってくれた様だ。


 これがリオンの為にもなってくれたら良いのだが。そこは少し不安だ。


 さて、すっかりと長居をしてしまった。壱は懐中時計で時間を確かめる。これはもう服を選んでいる時間は無いだろう。また出直すとしよう。


「じゃ、俺は帰るね。長話に付き合わせちゃってごめんね」


「いいえ、こちらこそありがとうございました。何だか気が晴れた感じがします」


 マリルは言い、また笑顔を寄越してくれた。


 食堂に戻る道すがら、壱はサユリに訊いてみる。


「俺、間違って無かったかな。リオンとマリルさん、おかしな事になったら怖いな」


「大丈夫カピ。マリルはいつでも下を向いていたカピ。これで少しはましになるのでは無いカピか。いつも明るい元罪人の村人の元気を分けてやりたいぐらいだカピ」


「ああ、それはそうかも」


 壱は苦笑する。しかしサユリにそう言って貰えて、少し安心する。


 食堂に到着し、夜営業の仕込みが始まった時、パンを捏ねるリオンに訊いてみた。


「ねぇリオン、妹さんに笑って欲しいと思う?」


 するとリオンは何かを察したのか、躊躇い無く頷いた。


「勿論だ。確かに犯した罪は大きい。けど、あいつは気に病み過ぎだ。昔は悪かったけど、真面目でもあったから、きっとそれが仇になっているんだ。もう、大丈夫なのにな」


「そっか。なら良かった」


 壱が安堵して言うと、リオンは笑みを浮かべて言った。


「ありがとう」


「え、いや、俺は何も」


 壱は慌てて首を振り、仕込みの手を進めた。




 夜営業の客足が落ち着いた頃、マユリが戸惑う様に壱を呼びに来た。


「あ、あの、お、お客さまです。イ、イチさんを呼んで欲しいって。あ、あの、マリルさんって言って、あの」


「ああ、リオンの妹さんね。何だろう。じいちゃん、手が空いたらちょっと行って来て良い?」


「構わんぞい」


「ありがとう」


 壱はクリームソースのパスタを完成させると皿に盛り、マユリに渡す。


「これ、よろしくね」


「あ、はい、あ、あの」


「ん?」


「あ、い、いえ」


 壱が返すが、マユリは口籠ってしまう。どうしたんだろうと思いながらも壱はフロアへと向かう。マユリもパスタの皿を手に付いて来た。


「マリルさんお待たせ。どうしたの?」


「あ、あの、イチさん、昼間はありがとうございました」


 マリルは微笑んで言うと、頭を下げる。


「いや、こちらこそ時間取らせちゃって」


「それで、あの、これ、お礼です」


 そう言って差し出される、やや大きめの紙の袋。


「え、俺に?」


「はい。是非受け取ってください」


「でも俺、お礼される様な事なんて何も」


「いえ。お話して貰って、私、少しですが変われる様な気がします。それは私にとっては凄く大きくて。なので、お礼がしたくて。少しでも気に入ってくださると良いんですけど」


 そう言ってマリルははにかんだ。そこまで言われて固辞する程、壱は頑なでは無い。マリルの手から紙袋を受け取った。


「じゃあ受け取らせて貰うよ。ありがとう、マリルさん」


「あ、あの、良ければマリルって呼んでください」


「うん、解った」


 壱が頷くと、マリルは嬉しそうに笑みを浮かべた。


 マリルは既に食事を済ませていた様で、壱と話し終えると会計をして食堂を出て行った。


 壱が厨房に戻ろうとすると、マユリと眼が合う。まるで絶望でもしたかの様な、呆然とした表情。


「マユリ、どうしたの? 何かあった?」


 訊いてみると、マユリは表情を動かさぬまま応えた。


「い、いいえ、何でも、ありません」


 まるでロボットの様な棒読みで、しかし壱は首を傾げたまま厨房に入った。

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