#10 フレンチトーストおかわり

 壱は冷蔵庫を開け、フレンチトーストの材料を取り出し、調理台に置く。


「これが材料。シンプルだろ?」


「こ、これが、あ、あの、良い香りを、出すんです、ね」


 これはフレンチトーストであるが、カスタードクリームの材料でもある。この世界には無かった味なのだろう。


 ああそうだ、これらがあればプリンも作れるし、小麦があるのだからシュークリームも作れる。あ、だがシューを焼くものが無い。これは茂造に相談か。


 ともあれ今はフレンチトーストである。壱はボウルに卵を割った。


「これをほぐしてな。で、ミルクと砂糖を混ぜて、パンを浸すんだ」


「は、はい、解しま、す」


 マユリがフォークで丁寧に卵を解す横で、パンを切る。


「こ、こんな感じで、良い、でしょう、か」


 卵は白身も綺麗に切られていた。


「うん、大丈夫。じゃあこれにミルクと砂糖を入れて、と」


 ボウルにミルクと砂糖を加える。


「また混ぜる。砂糖のジャリジャリした感じが出来るだけ無くなるまで混ぜてな」


「は、はい」


 マユリがまた作業を始める。壱はまたパンを切る。今回はナイフで切らずに食べられる様に小さめにカット。


「あ、あの、私」


 マユリが嬉しそうに口を開く。


「甘いものが、す、好きで、だから、自分でつ、作ってみたいって、思っていて。だから、楽しい、です」


「そっか。なら良かった」


 壱が言うとマユリはふんわりを笑い、またボウルに向かった。


 可愛かわいいな。壱はふとそんな事を思う。良く見るとマユリは整った可愛らしい顔をしていた。普段下を見ている事が多いイメージだったし、壱が初めて挨拶をした時もかしこまっていたものだから気付かなかった。


 外見が中性的なメリアンとも、作り物とも言えるマーガレットとも違う、普通の、本物の女の子。


 ようやく「普通」にひたれた気がして、壱はほっと息を吐いた。ここに来てから驚かされる事ばかりだったから。


「あ、あの、ジャリジャリ、無くなったと、思う、んですけ、ど」


「ん。じゃあパンを浸して、時間短縮の為にフォークとかスプーンで押してな」


 マユリが言われるがままにパンを押す。その間に壱はフランパンをスタンバイ。バターを溶かして。


「焼いて行くっと」


 フライパンから漂う香りに、マユリは心地好さそうに眼を細めた。残りのパンを全部使い、フライパンは2枚。香りは先ほどより濃い筈である。


 そうして焼きあがったフレンチトーストを皿に盛り、蜂蜜をとろり。客のテーブルに大皿ひとつ、従業員様に大皿ひとつ。なかなか豪快だ。


「じゃあマユリさん、お客さんに出す分の皿、任せて良いか?」


「は、はい」


 それぞれ皿を手に、フロアに戻る。


「待ってました!」


「いやぁん、良い匂い!」


「やっと食えるー!」


 客や従業員から声が上がり、眼の前に置かれた皿に各々おのおのフォークを伸ばす。メリアンとマーガレットがすでにフォークと小皿を全員にサーブしていて、準備万端だったのだ。何と言う期待値か。


 我れ先にと口に運ぶ面々。そしてあちらこちらから喜びの声が上がった。


「うめー!」


「甘ーい!」


「おいしい!」


 そんなみんなの様子を見て、マユリがほっと息を漏らす。自分がメインで作ったからか、心配だった様だ。


 すでにパン1個分を平らげたボニーも、客に混じって皿に集っている。


「壱よ。これ、メニューに加えられるかの」


 茂造が口を動かしながら寄って来た。


「まぁ、うん、出来るかな。浸けておけば良いし」


「よしよし。パンが無駄にならんで済みそうじゃ」


 茂造もご満悦そうである。これなら無断で客にスイーツ、しかもメニュー外を出した事もおとがめは無さそうだ。


「あ、あの、イチ、さん」


 マユリが小皿を手に、壱に駆け寄って来た。


「フレンチトースト、本当に、ほ、本当に、美味しいです! お、お手伝いが、出来て、嬉しかった、です。ありがとう、ご、ございます」


 紅潮した頬をして、礼を言う。


「何言ってるんだよ。作ったのはマユリさんだろ? 俺は作り方を言っただけだから」


「で、でも、分量とか、を、調整したの、は、イチさん、ですか、ら」


「あれは俺の好みで目分量。今度マユリさんが好みの味に調整してみたりするといいから。マユリさん、甘いもの好きなんだよな」


「は、はい、大好き、です」


 マユリがひとみを輝かせて頷く。


「じゃあ今度いろいろ味見してみてよ。もちろん手伝ってくれたら助かるし。まずは俺らの世界のスイーツを何種類か試作してみたいんだ。実はその前に作りたいものがあるんだけど、それは甘く無いから」


「では!」


 マユリが壱にぐいと顔を寄せる。


「お手伝い、させて、ください。 私は、甘いもの、が、好きですが、イチさんが、作りたいもの、なら、お手伝い、が、したいで、す。よ、良かったら、なので、すが」


「……うん、ありがとう」


 マユリはどうやら、人との距離感を図るのが上手く無い様だ。しかも可愛いから、トラブルを招く事もありそうだ。心配ではあるが、今のところ、それはそれとして。


 客や従業員がフレンチトーストに舌鼓したづつみを打っているのを見ると、壱も嬉しくなる。


 作り始めはレシピを調べたりもしていたが、次第に目分量になっていたフレンチトースト。柚絵も美味しいと食べてくれたそれ。


 それが受け入れられる喜びがとても大きく、やはり壱は食に関わる職に就くのに向いているのかも知れないと感じた。


 実家の相葉味噌でも、手ずから味噌を買ってくれた客に「美味しかったよ」と言ってもらえたら、本当に嬉しいものだった。それと同じなのだろう。


 嬉しくて、つい頬をほころばしてみんなの様子を眺めてしまう。するとフレンチトーストを頬張りながら、メリアンとマーガレットが壱に声を掛けた。


「イチも食べなよ。おいしーよ!」


「そうよぅ。勿体なぁい」


 うん、俺が作ったんだけどな。そう思っていると、マユリがフォークを持って来てくれた。


「イチさん、ど、どうぞ」


「ありがとう」


 フォークを受け取り、食堂メンバーが囲んでいる大皿に盛られているフレンチトーストに突き刺した。


 大口を開けて、含む。じっくりと咀嚼そしゃく。うん、我ながら旨く出来た。


「うむ、壱、これはなかなか良いものカピな。また作るが良いカピ」


 サユリもテーブルに上がって、小皿に盛られたフレンチトーストにかじり付いていた。


「じいちゃんがメニュー化したらどうかって。そうで無くてもいつでも作れるから、また作るよ」


「おい店長の孫! これはメニューに入れるべきもんだぜ」


「そうだ! 俺もまた食べたい!」


 客のテーブルからもそんな声が飛ぶ。壱は嬉しくなって口角を上げた。ちなみにシェムスはまだ床の上で伸びている。


「ほっほっほ、メニュー化するから安心するが良いぞ。そうじゃな、甘いもんじゃから、昼のメニューが良いかの」


「よっしゃ! 俺毎日でも食いたい!」


「俺だって!」


 茂造の台詞に客たちが沸く。しかしこんな簡単に作ったフレンチトーストにこんな喜びを見せるとは、この世界のスイーツ事情はどうなっているのだろうか。


「この世界は、と言うかこの村には、あまり甘い菓子が無いカピよ。なのでこのフレンチトーストやらがここまで歓迎されるカピ。壱、他にも菓子は作れるカピ?」


 口元にフレンチトーストの欠片を付けたサユリが、満足げな表情で壱の足元に擦り寄って来た。壱は視線の高さを合わせる為にその場にしゃがむ。


「同じ材料で作れるものもあるよ。うん、いろいろ調べてみようか。その前に俺は味噌が作りたいんだけど。味噌汁飲みたい」


 昆布とカツオで取った甘やかなお出汁に、芳しい味噌を溶かす。それだけで良い。わかめや豆腐、青ネギなどの具は大変魅力的であるが、もう純の味噌汁だけでも良い。


 すると、サユリが声を潜める。壱だけに聞こえるほどの、息だけで言葉を紡ぐ。


「それは勿論作ると良いカピ。まずは我の時間魔法を使っての試作カピね。しかし壱、スマホなるもの、村人、と言うか、我と茂造以外に知られてはならんカピよ」


「え、何で……あ、そうか」


かんが良くて助かるカピ。説明が面倒だと言うのもあるカピが、街の人間には絶対に知られたく無いカピ」


 サユリがそう言いながら険しい表情をする。未だ壱には判らない厄介事があるのだろう。


 壱にも多少の予想は付く。下手にこの世界に知られては良い技術では無いのだ。


「解った。スマホは持ち歩かずに、部屋に置いておく事にするよ。俺、部屋とか貰えるんだよな?」


「勿論カピ。この上が住居スペースになっているカピ。壱がいつ来ても良い様に、茂造が整えている筈カピ」


「そっか。やっぱり個室は欲しいから助かる」


「他にも伝えきれなかった事はあるカピ。なので、今夜我は壱の部屋に泊まるカピ。ああ、大丈夫カピ。きちんと睡眠時間は確保してやるカピ」


「……そうして貰えると助かるよ」


 緊張もあってかあまり意識していなかったが、この世界に飛ばされて、壱は相当に疲れているはずだ。心身ともに。


 なので、出来るなら今夜はゆっくりと眠りたかった。しかしなかなかそれは許されない様である。


「大丈夫カピ。壱が体調を崩したりする事を我は良しとしないカピ」


「頼むよ」


「ふむ」


 サユリは鼻を鳴らすと、またフレンチトーストをねだりに、椅子伝いにテーブルに上がった。

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