#11 2日めの過ごし方

 さて翌朝。目覚まし時計のけたたましいベルの音で起こされ、上半身を起こそうとしたが、身体中の節々が痛みを訴え、頭が異様な怠さを現した。眼もまともに開かない。


 あ、これ、俺やばいかも。


 そう思いながら、そのままベッドに逆戻り。


 気温は低くは無いの筈なのに、身体をはしる寒気が止まらない。これはまずいのでは無いか。


 しかしここでこのままこうしていても、何も好転しない。壱は重い身体を引きずって、壱の腰のあたりで眠るサユリを起こさぬ様にベッドを降り、まずは部屋を出る。


 木造りの壁に手を付きながら、ふらふらと歩く。


「おお壱、おはよう。おや、何じゃ、顔が赤いの?」


 茂造が部屋から出て来た。着替えも済ませていて、朝の支度は終わった様だ。


「ああ、じいちゃんおはよう……ごめん、調子崩しちまったみたい……」


 壱が息も絶え絶えに言うと、茂造は慌てて駆け寄って来てくれた。てのひらを壱の額に当てる。


「おお、これは熱が出ている様じゃな。部屋に戻ってまずは寝る事じゃ。医者にせられたら良いんじゃが、この村にはまだ医者はおらんでのう。食堂を休む訳にはいかんから、儂は下に降りるが、様子は見に来るからの。まずはタオルを水に濡らして、デコに当てるんじゃったかのう」


 茂造が背中に腕を回してくれたので、動くのは大分楽になった。部屋に戻り、未だサユリが寝ているベッドにそっと入る。


 するとそのタイミングで、サユリがふいと頭を上げた。


「騒がしいカピな。どうしたカピ?」


 眠たそうに前足で顔をこすりながら聞く。


「壱が熱を出したみたいでの。今日の仕事は休ませるからの」


「ふむ、やはりダメージを食らっていたカピか」


 サユリは息を吐きながら言うと、壱の顔元に寄って来る。


「突然異世界に連れてこられたのだカピ、そうなるのも仕方が無い事カピ。今日はゆっくり寝て治すカピよ」


 要は知恵熱と言う事か。もう大人だと言うのに、何とも情けない。


「じいちゃん、サユリ、ごめんな……」


 壱は掠れた声で言うと、眼を閉じた。


「すぐに濡れタオルを持って来るからの。待っておれ」


 意識が遠のこうとしている中、茂造の声が耳に届く。頬にかすかにしっとりとした感触を感じながら、壱は眠りに落ちて行った。






 風呂などを済ませて寝支度を整え、与えられた自室のベッドの上で一息ついた壱がサユリから聞かされた話は、そう難しいものでは無かった。


「まず、我は魔法が使えるカピ。それは村の誰もが知っている事カピ。だが、その細かな内容は伝えていないカピ。例えば今日使った時間魔法の事は、村人の誰も知らないカピ」


「そうなのか? 便利な魔法だと思うけど」


「だからこそカピ。便利過ぎるものは駄目なのだカピ。特にこの村では駄目なのだカピ。なので、我がお前と茂造にしか見せていない魔法を、他の村人に、勿論食堂の従業員にも話したりするのはご法度カピ」


「そうか。解った」


 事情があるのだろう。それを細かく聞くのは、更に時間が要りそうだ。壱は出来るだけ早く寝たいと思っていたので、そこは突っ込まない事にする。


「話と言っても、要はそれが大事カピ。我は数年に1度異世界に渡る事が出来るが、基本はしがない魔法使い。それがスタンスカピ。頼むカピ、壱」


「解った」


 要は、自分から何も言わなければ良いのだ。聞かれても知らないと言えば良い。それをてっする事が出来れば良い筈だ。


「スマホの事はさっき言ったカピね」


「うん、机の引き出しに入れてる。念のために上に本も置いてある」


 壱が与えられた部屋には、大きなベッドにチェストとクローゼットと本棚、それと勉強机に椅子があった。全て木製だ。壱はスマートフォンを勉強机の引き出しに入れて、その上に本棚から抜いた薄い本を置いていた。


「それなら良いカピ。使える様にはしたカピが、この部屋からは持ち出さない様にして欲しいカピ」


「解ってる。この部屋だけで使って、必要な時は紙か何かにでも写す事にするよ。スイーツも味噌作りも、調べなきゃならない事がたくさんあるから」


「良いカピよ。巧くやって欲しいカピ。話はこれくらいカピ。村のルールなどもあるカピが、それは追々解って行けば良いカピ。何、そうややこしいものは無いカピ」


「うん。村の人と話したりしながら、覚えて行く事にするよ」


「それが良いカピ。そう広い村では無いカピ。自然と顔見知りになって行くカピよ。では、そろそろ寝るカピ。眠いだろうカピ」


「うん、さすがに疲れた」


 壱は大きな欠伸あくびをすると、ベッドに潜り込んだ。今着ているパジャマは街に出たマーガレットが選んで来たものだと言う事で、やや派手な赤だった。


 他にもチェストには、村の若者から分けて貰ったりしたと言う下着や服が幾つか入れられていた。茂造は「壱の好みもあるだろうし、また街に仕入れに行こうかの」と笑って言った。


「じゃあサユリさん、お休み」


「お休みカピ」


 そして眼をつぶると、壱の意識はあっと言う間に沈んで言った。


 なので、サユリの「あ、言い忘れてしまったカピ。まぁ明日で良いカピか」と言う台詞は聞こえなかった。






 穏やかな目覚めだった。壱がゆっくりと上半身を起こすと、額に乗せられていた濡れタオルが布団の上に落ちた。手にするとぬるかった。


 ああ、そうか。熱を出して寝込んでいたのだったか。自分のてのひらを額に当ててみる。熱の有無は良く判らなかったが、気分は悪く無い。それどころかすっきりしている。


 今は何時なのだろうか。ベッド脇の小さな台の上に置いてある目覚まし時計を見ると、アナログ盤の針は8時過ぎを示していた。


 ベッドから降り、窓のカーテンを開けると、外はどっぷりと暗かった。夜だ。寝込んだ当日なのか、翌日になったのか、それとも更に日が過ぎているのか。


 スマートフォンはWi-Fi接続こそ生き返ったが、時計は死んでいるので当てにならない。


 それでも気になってしまって、机の引き出しからスマートフォンを取り出す。やはり時計は進んでおらず、壱がこの世界に来た時間で止まっていた。


 すると、画面に並ぶアプリのうち、いくつかのSNSのアイコンに受信を知らせるマークが付いていた。


 そうか。Wi-Fiが生きていると言う事は、電話やメールは出来なくても、SNSなどは使用出来ると言う事だ。


 ああ、これでは家族に、父に、母に、柚絵に、連絡が出来てしまう。


 受信件数はかなりの数になっていた。アイコンをタップしてしまえば、寄越よこされた内容を読んでしまえば、里心が付いてしまうかも知れない。


 既読を付ければ、向こうに壱の生存の可能性が知らされる。


 しかし、壱自身は少なくとも後数年は家族の元に帰れないのである。


 どうしたら良い。壱の頭は軽く混乱する。タップしてしまいたい気持ちもある。だがそうする事が今のベストなのか、それとも逆なのか、判断出来ない。


 呆然とスマートフォンの画面を見つめていたその時。


 部屋のドアがノックされた。


 壱は我に返ると、慌ててスマートフォンをスリープさせ、引き出しに放り込んで閉じた。


「は、はい」


「あ、イチさん、起きられ、たんですね」


 ドアが開かれると、そこに立っていたのは、濡れタオルを持ったマユリだった。壱を見て安堵した様な笑顔を浮かべる。


「おでこの、タオルを、取り替えに、き、来たんですが、あ、あの、体調は、どうですか?」


「うん、もうすっきり。多分熱も下がったと思う。マユリさんがタオルを取り替えてくれていたのか? ありがとう」


「い、いえ、あの、その時に、手が空いた人が、交代交代で、やりました」


「そっか。後でみんなにお礼言わなきゃな」


「は、はい。治って、良かった、です」


 またマユリが笑みを浮かべ、壱も思わず笑顔を返す。ほのぼのとした雰囲気が漂った。


「あ、あの、お腹、空いてませんか? 何か、食べられます、か?」


「あ、あー、腹減ったかな」


 言われたからか、空腹を意識する。


「俺、何時間寝てた? と言うか、熱出たの今朝だよな?」


「そ、そうです」


 じゃあ昨日の晩のまかないから何も食べていないと言う事か。ちなみにポトフを頂いた。そこそこに遅い時間だったからか、あまり濃いものを食べる気がしなかったからである。


 思えば、その時から身体は不調を訴えていた事になる。味噌蔵の仕事の後に、夕方から飲食店でアルバイトをしていた壱は、その後に夜食を摂るのが常だったのだ。ラーメンやカレーなどの濃いものもペロッと食べていた。


 あらためて食の重要さをじみじみとめたところで。


「じゃ、じゃあ、何か、作ってもらって、来ますね」


「いや、俺が自分で作るよ。まだ食堂忙しい時間帯だろ?」


「そ、それは、そうですけども、けどあの」


「もう元気だから大丈夫。マユリさん先に降りてて。俺も着替えたら行くから」


「は、はい、じゃ、じゃあ、後で」


 マユリが出て行こうとした時、壱は咄嗟とっさに呼び止めた。


「あ、マユリさん」


「は、はい?」


「持って来てくれた濡れタオル、置いて行ってくれて良いかな。身体拭きたくて」


「あ、はい。どうぞ」


 マユリが濡れタオルを手渡してくれる。代わりにベッドに落ちてしまっていた、ぬるくなった濡れタオルをさり気なく回収して、部屋から出て行った。


「さて、と」


 壱は気合を入れる様に小さく息を吐くと、まずは身体を拭こうと、パジャマを脱いだ。

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