#02 懐かしい味

 この食堂をいで欲しい。


 そう言われ、間抜けな声を上げてしまった壱だが、すぐに家業を思い出す。


「あの、じいちゃん、俺実家の味噌蔵継がなきゃなんだけど」


「あ」


 茂造は今思い出したと言う様に声を上げた。


 壱の実家は味噌蔵なのである。相葉味噌という蔵で、そこそこ歴史がある。親などは気にせず好きな事をやれと言ってくれたが、壱は跡を継ぐ事を決めた。


 これが親から「跡を継げ」と抑え付けられていたら多少は反発もしたか知れないが、それが無かったからか、壱はすんなりと継ぐ事を受け入れられた。


 両親がそれを狙っていたのなら、壱はまんまとめられた訳だが、壱にとってはどうでも良い事だった。


 幼い頃から飲んでいた味噌汁に使われていた相葉味噌の味が、壱は大好きだったのだ。


 普段に使われる麦味噌米味噌合わせ味噌、たまに使われる赤味噌、雑煮などに使われる白味噌、どれも美味しかった。


 現在は社会勉強の為に飲食店などでアルバイトをしつつ、味噌作りの修行中なのである。


「はっはっは、悪い悪い、すっかり忘れとったわい」


 相葉味噌は父方の家業なので、母方の祖父である茂造が忘れていても無理は無いが、あまりにも悪びれなく笑う茂造に、壱は溜め息を吐くしかなかった。


 帰らなければ。茂造には悪いが、壱はこの食堂では無く、相葉味噌を継がなければならないのだ。


「そんな訳で、俺はこの食堂を継げないよ。じいちゃんに会えたのは嬉しいけど、早く帰してくれないかな。つか、一緒に帰ろう?」


 壱がそう言うと、茂造とサユリが眼を見合わせた。


 そしてふたりがきっぱりと言う。


「無理カピ」


「無理じゃな」


「は?」


 壱はまた間抜けな声を上げる。


「帰れるなら、連れて来られた時点で儂だってとっくに帰っとる。出来んからここを先代から継ぐしか無かったんじゃ」


「ちょ、何してくれてんだ!」


 壱は慌てる。勝手に連れて来られて、しかも帰る事が出来ないなんて。


「跡継ぎならこの村の中から選んだらいいだろ。何でわざわざ俺らの世界から連れて来るんだよ」


「それはあれカピ。別の世界の風を入れたいからカピ。要は我の趣味カピ」


「あんたの趣味に付き合わせるな!」


 つい怒鳴ってしまう。しかし帰れないとなると、壱も茂造の様にこの食堂を継ぐしか無いのか。


「サユリは俺らの世界に来てたよな。俺を一緒に連れては行けないのか?」


「無理カピ。あの魔法はものすごく魔力を使うカピ。次あの魔法が使えるのは何年先になるか判らないカピ。今回は10年掛かったカピ。茂造のリタイアに間に合って良かったカピ」


「縁起でも無い事言うな。あーでもそれじゃ数年はここで待たなきゃならないって事か」


「いやいや壱よ、その頃にはすっかりこの世界に染まって、帰りたいとは思わなくなっとるから」


「そうカピ。今回我が向こうに赴く時、茂造に一緒に行くか聞いてみたら、いらないと言われたカピ。茂造の前の男もそうだったカピ。ここは良い村だカピ」


 壱がそうなるかどうかは、その時になってみないと判らないが、ともあれ次の代替わりまで壱はここで暮らさなければならないと言う事なのだ。ここは覚悟を決めるしか無いのだろう。


 相葉味噌は、壱と負けず劣らず味噌が好きな妹が何とかしてくれるだろう。そう願おう。


「解った。とりあえず継ぐよ」


「おお、そうかそうか!」


「良かったカピ」


 壱の台詞に、茂造とサユリから歓声が上がった。


「でも俺料理とかほとんど出来ないからな。家でも簡単な炒め物とかカレーとか、それぐらいしか作った事が無いから」


「それは大丈夫じゃよ。レストランじゃ無く食堂じゃからな。そんなった料理なんてものは出しとらんよ」


「この世界は調味料も限られているカピ。だから出来る料理も多く無いんだカピ。我、おぬしらの世界に行って、調味料の多さに驚いたカピ」


「何があるんだ?」


「まぁとりあえず座ったらどうじゃ」


 茂造に言われて、ようやく壱は立ちっぱなしだという事に気付いた。手近な椅子に腰掛ける。肩に掛けたままのボディバッグも外し、テーブルに置いた。


「まず、ハーブじゃな。この村で作っているから、様々な種類があるぞ。あとは胡椒。他のスパイスはカレーが作れるやつを作ってもらっておる」


「ハーブ……焼いた肉に香りを付けるくらいしか思い付かないんだけど」


「まさにその使い方がメインじゃな。サラダも出来るぞ。オリーブオイルでな。あと、ここは海が近いでな、塩も作っておる。主食は麦じゃな。米は無いんじゃ」


 他に様々な食料を説明されたが、それはおいおい記して行く事にするとして。


「じゃあ、日本食は食べられないんだ」


「そうじゃな」


 茂造がげた調味料の中に、味噌や醤油しょうゆなど、日本食に欠かせない調味料は含まれていなかった。特に味噌が味わえないのは壱にとって痛かった。


「なぁじいちゃん、味噌とか作れそうな豆類って何か無いかな」


「豆、そうじゃな、味噌は何の豆から作られるんじゃ?」


「大豆」


「大豆か。大豆、は無いのう。ひよこ豆、レンズ豆、枝豆……」


「それだ!」


「な、何じゃ?」


 茂造が言い終わる前に壱が声を上げたものだから、茂造は驚いて眼を見開いた。


「それだよ枝豆! 枝豆がもっと育ったら大豆になるだろ」


「そうなのか? 先代がここに来た時、枝豆の種を買って帰る時だったとかでのう、ポケットに入っていたんじゃと。せっかくじゃからと植えたものが、今でも継がれとる。種は枝豆を収穫してからもっと待って茶色くなってから出来ているんじゃが、そうか、枝豆の種と大豆は同じものなのじゃな」


「厳密には枝豆用の種と大豆用の種は違うんだけどな、まぁそう思ってくれて良いよ。そっか、じゃあ味噌も醤油も、豆腐なんかも作れるな。よっしゃ、テンション上がって来た!」


 壱が嬉しそうに拳を握ると、茂造もうんうんと頷いた。


「豆腐は嬉しいのう。この村は年中暖かくてな。枝豆は毎月種をいて、毎月収穫しておる。もちろん種もな。とりあえず、種を少し譲ってもらって、味噌なり豆腐なりを試作してみるかの?」


「味噌からな。それは譲らない」


 壱が言うと、茂造はほっほっほっと笑いを上げる。


「好きなものから作るとええ。上手く行ったら大豆の栽培量を増やしてもらったりも出来るじゃろうし、味噌なんかを使った料理をこの食堂でも出せるかも知れん」


「じゃ、まずは麦麹むぎこうじを作らなきゃな。本当は米麹こめこうじも欲しいとこだけど、米そのものが無いんだから仕方が無いか」


「壱よ、それなのだカピ」


 サユリは言うと、右の前足を上げると何やらくるくると空中に何かを描く。するとそこに黒い円状のものが浮かび上がった。


 サユリはその黒い円状に上げたままの前足を突っ込み、小さな布の巾着袋を引きずり出した。それを壱に突き出す。


「開けてみるカピ」


 壱が言われた通りに袋を開け、その中身を少してのひらに出してみる。茶色くて細長い、種子しゅしの様なものだった。どこかで見た事のある様な気がするが……


「何だっけ、これ」


「お米の種だカピ。農協とやらからちょこっと失敬してきたカピ」


 種もみか。確かテレビで見た事がある。いや、それよりも。


「何しれっと泥棒してんだ!」


 壱が突っ込むが、サユリはどこ吹く風。


「夜中にちょいちょいとカピ。少しぐらいならバレないカピよ。ほんの100粒ほどカピ」


「そりゃそうかも知れないけどさ」


「茂造がたまに溜め息吐きながら言っていたカピ。「米が食いたいのう」と。だから土産カピ」


「おおサユリさん、ありがとうなぁ!」


 茂造がサユリをまるで女神かの様に見つめる。


 しかし100粒で食べられる分はどれだけ収穫出来るのか。そしてこの村の気候に合うのか。田んぼも整備しなければ。


「育て方は我が覚えて来たから安心するカピ。米は夏から秋に掛けて育てるものだから、気候も問題無いと思うカピよ。最終的には育てるのも希望者をつのるカピ。村民は好奇心旺盛おうせいなのが多いから、大丈夫カピ」


「それは助かるし良いんだけどさ、100粒だと実ってもそんな多くは無いだろ」


「それも大丈夫カピ。種の段階で我の魔法で増やすカピ」


「そんな事出来るの!?」


「出来るカピ。我は魔法で大概たいがいの事が出来るカピよ」


 サユリが胸を張る様に、フンと鼻息を吐く。それなら食べる分も充分確保出来そうだ。


「白米楽しみじゃなぁ。こっちに来てから食べられなかったからのぅ」


 真っ白でふっくら。ほかほかと湯気の上がるご飯を思い出しているのか、茂造は眼を細める。


「なら、我の時間魔法で、とりあえずこの100粒を育ててみるカピか?」


 サユリの台詞に、壱と茂造は顔を見合わせて首を傾げた。

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