#72 藁焼き場作りと、マルタの相談

 壱は食堂に戻ると、中には入らず、耐火煉瓦れんがとサユリを乗せた手押し車を押したまま裏庭に回る。


 時間的に、これから作業出来るだろうか。今日で終わらなくても良いが、出来れば一気にやってしまいたい。


 先日の田んぼ作りで煉瓦積みはそれなりに慣れたつもりだし、少しは手際良く出来ると思うのだが。


 ああもう、こうして考えているより、実行した方が早い。壱はスコップを出すと、耐火煉瓦を積む位置に溝を掘り始める。耐火煉瓦片手に長さを測りながら。


 掘り終わると、トレイを出し、耐火モルタルを捏ねる。そして早速耐火煉瓦に塗り、積み始める。


 集中し、黙々と作業をする。サユリは手押し車から降りて、地面でくつろいで壱の作業をのんびりと眺めていた。


「壱、煉瓦積み巧くなったカピな」


「本当? 田んぼ作りの時にそれなりに慣れたつもりでいたけど、そう言って貰えると嬉しいよ」


 壱は笑みを浮かべながら、せっせと手を動かす。


 夜の仕込みが始まるまでに終わるだろうか。




 そのまま、時折一息吐きながら耐火煉瓦を積み続け、終わった時には「はー!」と大きく息を吐いた。


 30センチ程四方の耐火煉瓦で出来た枠。高さも30センチ程。ここに藁を入れ火を付けて、かつおなどを炙ってタタキを作るのだ。


 合うサイズの網があれば、バーベキューなども出来そうだ。この村ではまだ網を見た事が無いので、無いと思うのだが。


 とりあえずは鰹のタタキだ。漁師に鰹をお願いしよう。鰹だけでは無く、まぐろや鮭の炙りも美味しい。香ばしいマリネが出来るだろう。


「出来たカピか」


「うん。これでタタキが作れるよ」


「楽しみだカピ」


「本当? サユリがそう言ってくれると、他の村の人にも受け入れて貰える自信が出るよ」


「少なくとも、先日のタタキは食堂のメンバーには受け入れられていたカピよ」


 さて汗を掻いてしまったので、着替えなければ。手も綺麗に洗って、夜営業の仕込みに備えよう。


 そう思って厨房へ繋がるドアを開けると、既に仕込み作業が始まっていた。壱は驚き、そして焦る。


「え? え!? うわ、ごめん! 遅刻だ!」


 壱が慌てて言うと、茂造がほっほっほっと笑う。


「構わんぞい。いやの、壱を探して裏庭を覗いたら、熱心に煉瓦を積んでおったからの。見た所残る煉瓦も少なかったからの、仕上げて貰おうと思っての。あれじゃろう? 前に言っていた、鰹のタタキを作る場所じゃろ?」


「あ、うん、そう。じいちゃんありがとう。カリルもサントもありがとう。ごめんね」


「良いって良いって。この前作ってくれたやつより旨い鰹が食べられるんだろ? 楽しみだな!」


「うん、本当にありがとう。じゃ、俺着替えて来るから」


 壱は素早く階段へと向かう。


「慌てんでも良いからの」


「ありがとう」


 壱は出来る限り静かに、しかし急いで2階に上がった。




 夜営業の回転が落ち着いた頃、茂造とサユリ、そして壱に客が訪れた。


 マーガレットに呼ばれ、カリルとサントに厨房を任せてフロアに出ると、宴会をしている小規模な集団から離れた席に、神妙しんみょう面持おももちでうつむいた男性が掛けていた。


「マルタ、どうしたのかの?」


 昨日、壱に枝豆の種、大豆をくれた、畑の枝豆担当のマルタだった。


「店長、サユリさん、イチ、済まんです」


 マルタは座ったまま頭を下げた。その前に壱と茂造が座り、サユリはテーブルの上に。


「どうしたんじゃ。いつもの威勢が無いのう」


 茂造が穏やかな調子で聞くと、マルタはふぅ、と溜め息を吐く。


「実は、嫁の様子がおかしくて」


「ほう?」


 マルタの話に寄ると、それは、医者であるノルドがこの村に来て、新居の改装が始まった日、一昨日の事である。


 マルタの妻はフジノと言い、陶製工房に勤めている。そのフジノが一昨日から今日まで3日の間、毎日30分程仕事を抜けて、ノルドの所に通っていると言うのだ。


 そう聞くと、ノルドは医者なのだから、フジノには何か体調などに不安があったのでは無いかと考えるのだが、マルタは浮気などを疑ってしまった様だ。


「いやいやいやマルタさん、ノルドさんがこの村に来て、まだたったの3、4日ですよ? それにノルドさんの人柄的にもフジノさんの人柄的にも、有り得ないと俺は思いますよ」


 フジノはとても大人しい女性なのである。淑やかで品もあり、声も小さめで、活発なマルタとは正反対なのである。


 徹底的な男女平等とも言えるこの村に於いて、仕事や家事育児の比率はともかく、共に行動していても、所謂いわゆる「妻は夫の3歩後ろで」みたいな態度の女性なのだ。


 いつでもマルタが快活に喋り、それにフジノがそっと相槌あいづちを打つ。この夫妻は、それで夫婦仲をたもっている様に見えた。


 そして、互いの表情を見れば、想い合っている事は見て取れた。


 なのに、そのフジノが浮気の疑惑を掛けられるとは。


 だから壱は焦りながらも努めて穏やかに言ったのだが、マルタは首を振る。


「いや、でも、そのノルドの家に入る嫁の、フジノの様子がとても楽しそうでって話があって。フジノがノルドさんの家に入るのは何人かの村人が見ていて、結構な人がそう言っていて。俺がこの事を知ったのも、その現場を見た人が教えてくれたからで。で、陶製工房に行ってみたら、この3日間仕事中に30分程抜けるって言うんで」


 この決して広くは無い村。真昼間まっぴるまに誰にも見られずに外出するのはほぼ不可能だ。そしてフジノは勤め先である陶製工房にも口止めしている訳では無いらしい。


 壱はそれを指摘し、はっきりと言い切る。


「だから、浮気は無いと思います。だって現にこんなすぐにマルタさんが気付いてるんですから」


「そ、そうなのかな。でもそんな毎日男に会いに行くってさぁ」


 マルタは狼狽える。口では浮気の疑いだと言っていたが、マルタの中ではほぼ確定になっていた様だ。だが今はそれが揺らいでいる様だ。


「まずは、フジノ本人に訊いてみん事にはのう。儂も浮気は無いと思っておるが、ノルドの所に通っておるのは気になるじゃろうからのう」


 マルタはまた顔を伏せて息を吐いた。


「実は今日の昼、ノルドに聞いてみたんですよ。フジノは何の為に行ってるんだって。そしたら守秘義務で答えられないって言われました。俺は家族なのに」


 成る程。まずノルドは医者としての役割はきちんとこなしている様だ。診療所の開業はまだだが。


 と言う事は、やはりフジノは患者としてノルドの元に通っていると言う事だ。益々浮気の疑惑は薄まった。


 となると、問題は本当の理由である。しかしそれは本人に聞かなければどうしようも無い。


 内容に寄ってはノルドの様な医者、もしくは同性の方が話す相手に良い場合がある。夫であるマルタは男性なので、言い難い事もあるのかも知れない。


 更に壱や茂造、サユリなどはフジノにとっては他人であり異性である。そもそもサユリと茂造が食堂で駆け込み寺の様な事をやっているとは言え、村人全員が全員、サユリたちを頼る訳では無い。


「マルタよ、お前さんはフジノ自身に聞いたのかの?」


 茂造が訊くと、マルタは顔を青くして首を振った。


「こ、怖くて訊けないですよ! 内緒にされてもショックですし、もし本当に浮気とか離婚とか、そんな事になったら……!」


「大丈夫じゃと思うんじゃがのう」


 茂造が首を捻る。壱も同意見である。サユリも大人しくしていると言う事は、考えは同じなのだろう。


 そんなサユリは呆れた様に溜め息を吐くと、口を開いた。


「では、我がフジノに聞いてみるカピよ。明日の昼休憩の時にでも勤め先に訪ねてみるカピ。ま、期待はしないで欲しいカピ」


 フジノが話してくれるかどうかの保証は無いのである。


「ほ、本当か!」


 しかし興奮したマルタが前のめりになり、サユリに詰め寄る。だがサユリはまるで動じない。


「サユリさん相手なら、フジノも話してくれるかも知れねぇ! よろしく頼む!」


 そう叫ぶ様に言って、大きく、机に打つける程に激しく頭を下げた。サユリはまた息を吐く。


「先程も言ったカピが、あまり期待はしないで欲しいカピよ。我も無理に聞き出す様な事は出来ないカピ。だが、我は断言するカピよ。マルタ、お前が懸念している様な事は無いカピ。だから安心するカピ」


「うんうん。儂もそう思うぞい」


「俺も」


 壱たちが言うと、マルタはやや表情を和らげ、小さく息を吐いた。


「お、おう……、店長たちがそう言ってくれるんなら、うん、大丈夫だよな、絶対!」


 己に言い聞かせる様に、強い口調でマルタは言った。


 さて、真実は如何いかに。

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