#50 鰹節を作ろう。その1

 使っていたテーブルとその周辺を掃除し、以前の職場に行くガイたちを見送った後、壱は厨房に入る。


「時間貰ってありがとう。俺も入るよ」


「ほいほい。話は聞けたかの?」


「うん。聞いた」


「うむ、なら良いかの」


 茂造は内容を察している様で、コンソメを見ながら頷いた。


「おーイチ、じゃあペペロンチーノの具材用意してくれよ!」


 カリルがミネストローネを作りながら言う。


「オッケー。具は何にしようか」


「任せる」


「バジルソースの具は何にするの?」


「まだ決めて無ぇんだ」


「んーじゃあ……」


 壱は野菜箱を見ながら考える。


「ベーコンときゃべつってどうかな」


「いいんじゃね? じゃあバジルはそーだなー、ブロッコリとたいで行こっかな」


「いいね! 美味しそう。カリフラワ茹でておく?」


「お、そりゃ助かる。よろしくな!」


 壱は鍋に水を入れて火に掛ける。カリフラワを小房に分けて、沸いた湯に塩を入れて、茹でて行く。


 その間にきゃべつをざく切り、ベーコンは短冊切りに。


 カリフラワが茹で上がったらザルに丘上げして、次はベーコンときゃべつを炒めて行く。


 そうして着々と、昼営業の仕込みが進んで行った。




 昼営業が終わる頃、裏口から厨房にひとりの男性が顔を出した。


「ういーっす」


「おや、スルト。どうしたのかの?」


かつお持って来たぜ!」


 そう言いながら、茂造にスルトと呼ばれた男性が、鰹をかかげて入って来た。


「食堂用じゃ無くて、個人的に欲しいって言ってただろ? だから早く欲しいかなって。食堂用の魚は後で来るからさ!」


「おやおや、それは有難いのう」


 鰹を1番心待ちにしていたのは壱である。客も少なくなり手が空いていたので、小走りで駆け寄る。


「ありがとうございます!」


「あ、あんたがイチ? よろしくな! オレはスルト。漁師だ」


「よろしくお願いします。壱です。鰹欲しかったのは俺で。早く持って来て貰えて嬉しいです」


 壱は嬉しさで笑みを浮かべ、頭を下げた。これだと今日の休憩時間に鰹節作りに取り掛かれるかも知れない。


「あんたかぁ、鰹欲しいって物好きは。臭みがあるからって、村人はあんま食わねぇのになぁ」


「俺たちの世界には、その臭みが気にならない食べ方があるんです」


「へぇっ!? そりゃあ楽しみだな!」


 スルトは満面の笑みを浮かべた。


「じゃ、これな! まだ生きてるからよ!」


「おっとと!」


 スルトからピチピチと跳ねる鰹を受け取り、壱は慌てて生けに走って放した。鰹はようやく息が出来る様になったと、優雅に泳ぎ始める。壱は小さく息を吐く。


「じゃあな! イチ、また今度ゆっくりな!」


 そんなタイミングがあるかどうかは判らないが、面白そうな人なので、また機会があればなと思う。


「なぁじいちゃん、あの鰹、俺さばきたい」


 壱がぽつりと言うと、茂造はやや眼を見開く。


「おや、壱、魚を捌いた事があるのかの?」


「無い。テレビとかで何回も見た事はあるんだけど。でもこれは最初から自分でやりたいなって。だからじいちゃん教えてよ。食堂で出すやつじゃ無いから、免許いらないだろ?」


「そうじゃな。壱は料理上手じゃから、魚を捌くのも出来そうじゃの。じゃあ早速やるかの?」


「いいの? まだ営業中なのに」


「もう客も殆どおらんからの。まかないが後になるがの。カリルよ、後は頼んで良いかの?」


「良いですよ。イチが免許取る日も近いな!」


 茂造が生け簀に寄り、さっき放したばかりの鰹を引き上げて来た。


「ではの、やるかの」


 茂造の笑顔に、壱はごくりと喉を鳴らした。


「そんな構える必要はないぞい」


 魚を捌くのに使っているシンクが別にある。生きていて血抜きをしていない魚を捌くには、大量の水が必要だ。まな板をシンクに置き、洗いながら捌いて行くのだ。


「まず、まだ元気に動いておるからの、気絶させるんじゃ。包丁の背で頭を叩いての」


 壱は鰹を、頭を右にしてまな板に置き、鰓の辺りを左手でしっかり抑えて、震える様に動く頭に包丁を軽く振り下ろした。


 すると鰹は見事にぐったりと動かなくなる。


「出来たの。では次に頭を落とすぞい。血が出るから気を付けての。胸びれの下に包丁を入れて、下に向かってしっかりと力を入れて落とすんじゃ。うむ、そうじゃそうじゃ」


 鰹の頭を左向きに置き換え、言われた通りに作業を進める。壱の手際を見て、茂造が頷く。見事に頭が落ち、血が流れ出て来た。


「うわ、結構出るんだ」


「生きておるからの。水道で血を洗い流しての。そのまま内臓を取るぞい。喉から腹に向かって斜めに包丁を入れての、腹を開いて行くぞい」


 その通りに包丁を動かして行く。切り落とした部分を引き抜くと、大まかな内臓が付いて出て来た。なかなかグロい。


 当然排水溝には流せないので、ボウルに入れて置く。細かい血合いなどは包丁の刃先で掻き出して行く。中も外も、血が出なくなるまで流水で綺麗に洗うと、次はまな板を上に上げて、3枚に卸して行く。


「腹身から行くぞい。中骨に刃先を当てる様な感覚で、背骨に向かって開いて行くんじゃ。そうじゃそうじゃ、巧いぞい」


 そうして、包丁が背骨に到達した。


「ふ〜」


 息を詰めて熱中していたので、壱は大きく息を吐いた。


「どうかな。やっぱりじいちゃんやカリルみたいに綺麗には出来ないなぁ」


 言いながら、開いた腹身をめくる。初めてなので、所々変に包丁が入ってささくれてしまっている所もあるが、微々たるもの。茂造は満足そうに頷いた。


「いやいや、巧く出来ておるぞい。やっぱり器用なのかのう」


「そうかな」


 茂造が褒めてくれるものだから、壱は照れてしまう。


「さ、次は背身じゃぞ」


「うん」


 まずは背びれを切り落とし、次に背中から包丁を入れて行く。腹からと同様、中骨に当てる様に。少し慣れて来たか。背骨に当たるまで、腹身の時よりスムーズに感じた。


 捲って見ると、腹身よりも綺麗に出来ている気がする。


「うむうむ。では骨を外すぞい。頭の方から包丁を入れての、背骨に沿って当てる様に包丁を動かしての。うむうむ」


 ここまで来るとスムーズだった。見事、まずは2枚卸しが出来上がる。


「やった!」


 壱が歓喜の声を上げると、片付けに入っていたカリルが見に来てくれる。


「お、イチ、巧いじゃん。綺麗に出来てんじゃん」


「じゃろ? 壱はやっぱり器用なんじゃな」


「だったら嬉しいんだけど」


 壱はまた照れて、はにかんだ笑顔を浮かべた。


「もう半身も同じ様にして、3枚にするぞい」


 鰹の身をひっくり返し、包丁を入れて骨を外して行く。そして見事な3枚卸しが出来上がる。腹身に着いたままの腹骨もすき取ってやる。


「最後に皮をぐぞい。このままじゃと大きいからの、背身と半身を切り分けるんじゃ。5枚卸しになるの。皮の剥ぎ方は、皮を下にしての、少し包丁を入れたら、皮を引っ張りながらの。そうじゃそうじゃ」


 言われた通りに5枚卸しにして、続けて皮を剥いで行く。すると良くスーパーなどでも見る、鰹のさくが出来上がった。


「出来たー」


 壱は大きく息を吐きながら声を上げた。なかなかの達成感を感じる。


「で、この鰹はどうすんだ?」


 カリルが訊いて来る。


「背中の身は鰹節って出汁だしの素にして、腹身はまたタタキにしようかな。あ、今日の夜の賄いで少し作ってみようか。にんにくもあるし」


「オレら鰹ってあんま食わねーぜ。あ、この前の、何だっけ、ツナ? あれは旨かったけどな」


「知ってる。みんなが苦手な生臭さが少しましになる調理法がまだあってさ。少しだけ作るから、味見してみてよ」


「そっか。じゃあ楽しみにしてるぜ!」


 カリルは言うと、また片付けに戻って行った。


 腹身はトレイに乗せて冷蔵庫へ。背身は鰹節にするので、まずは残った小骨を取る。


 骨抜き用のピンセットを使って、指の腹で確認しながら1本1本丁寧に抜いて行く。


 終わると、ささくれてしまった部分の身を薄く削ぎ切って形を整え、別のトレイに乗せて、これも冷蔵庫に。


「後で鰹節の作り方調べなきゃ。あ、俺も片付けやる。カリル、サント、ありがとう」


「おー」


 カリルが返事をし、サントは頷く。


 壱はまず使った包丁とまな板を洗い始めた。




 さて、休憩時間である。鰹節の作り方を調べた壱は、厨房の冷蔵庫から鰹の背身を出すと、2階のキッチンへ。


 まずは鰹を茹でるのだが、鍋底に付かない様に網に置く様だ。ここには網が無いので、金属のマドラーを格子になる様に底に置く。


 そこにそっと水を入れて火に掛け、沸いて来たら鰹の背身を静かに入れる。


 沸く寸前の状態を保ち、1時間茹でる、のだが。


「サユリ、この鍋に時間魔法1時間、お願いしても良いかな」


「良いカピよ」


 テーブルの上のサユリは鼻を鳴らすと、右前足をくるりと回す。


「終わったカピ」


「ありがとう」


 熱いので素手では触れない。フライ返しを2本使って引き上げる。そのまま茹で上がった鰹を水のボウルへ。


 すぐに温くなるので、水を入れ替えながら、冷まして行く。


 傷も殆ど無く、綺麗に出来た。


 これでまずは鰹節の手前、なまり節の出来上がりである。

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