#49 リオンの家庭の事情

 朝食が終わり、壱はまずサユリとともに川に向かう。米の種籾たねもみのチェックである。


 着くと、リオン以外が全員来ていた。


「おはようございます」


「おはようカピ」


「おはようございます」


「おはようっす!」


「おはようございますー」


「リオンがまだなんすよ。珍しいっすよね。時間にはいつも正確なのに」


「ねー。何かあったのかなー。お家の事?」


「あー、あー確かそうか、あれがあったっすね」


 ナイルの台詞に、ジェンが頷く。


「そうですね。リオンが来たら聞いて見る事にしましょうか」


 壱の知らない、だが村では周知の事情がある様だ。だが詮索は良く無いだろう。


 壱が黙っていると、ガイが気付き苦笑する。


「村人全員が知っている事なので、黙っている必要は無いと思うんですが、イチくんは店長さんから聞かれた方が良いかも知れませんね。イチくんも知っておいた方が良いと思うので」


「うん、解りました」


 何か深刻な理由があるのだろうか。壱は眼を伏せる。


 その時、リオンが走ってやって来た。


「す、すいません、はぁ、遅くなって、はぁ」


 息を切らしながら謝るリオン。物凄く久しぶりにリオンの声を聞いた気がする。


「大丈夫ですよ。俺たち聞いた方が良いですか?」


「いや。いつもと変わらないから」


 リオンは神妙な顔で首を振った。


「けど、イチさんには聞いておいて貰わないと。うちの事情なんですが、村人みんなが知ってる事なので」


「あ、はい。解りました」


 どうやら茂造より前に、本人から聞く事になりそうだ。


「では、まずは種の様子ですね。大丈夫です。流されてはいません」


 見ると、石に繋がれた種籾の袋は昨日と同じ場所で、川の流れに揺られていた。石も動いていない様だ。


 壱は袋を引き上げて、中を見て見る。水に浸し始めて3日目。変化はまだ無いだろうが。


 準備が終わると、種籾が水分をたっぷり含んで、白い芽が顔を出す。そうなれば土に埋められるのだが。


 てのひらに乗せて見る。やはりまだ変化は無かった。しかしもみの中ではきっと変わり始めている筈だ。壱は種籾を袋に戻し、また川に入れた。流水にさらされて、ゆらりと揺れる。


「じゃあ、リオンの話を聞きましょう。イチくん、時間大丈夫ですか?」


「はい。大丈夫だと思います。じいちゃん、店長に言って来ますね。あ、食堂のフロア借りましょうか?」


「それは助かりますが、開店準備とかあるんじゃ無いですか?」


「端のテーブルを使って、その後自分たちで掃除をすれば。じゃあ行きましょうか」


 壱たちは連なって食堂に向かう。到着すると、裏口から顔を覗かす。既に仕込みは始まっていた。


「カリル、サント、おはよう」


「おはよう!」


 サントは小さく頷く。


「じいちゃんあのさ、リオンの家で何かあったらしくて。話聞かせてくれるって言ってくれてるから、昼の仕込み少し抜けて良いかな」


「おお、そうか。解ったぞい」


「で、フロアの端のテーブル借りて良い? 後で自分たちで掃除するから」


「構わんぞい」


「ありがとう」


 忙しい時に、こうもすんなりお許しが貰えるとは、やはりリオンの事は深刻なのだろうか。


 壱たちは表に回り、食堂のドアを開ける。フロアではマユリたちが掃除中だった。


「おはよう。ごめん、端のテーブル借りるね。使った後の掃除は俺らでするから」


「あ、イチ、おはよー!」


「あらぁ、おはよう。どうしたの米農家さんたちがぞろぞろとぉ」


「お、おはよう、ございます。お、お掃除は、お、お気になさらないで、ください。わ、私たちで、やりますから」


「あ、あの」


 リオンが手を上げて1歩前に出る。


「うちでちょっと、あって」


「あらぁ」


 マーガレットが指を頬に添えた。


「ゆっくりして行って頂戴ねぇ。お掃除とかは、本当に気にする必要は無いのよぉ〜」


「ありがとう。でも掃除はやっぱり俺たちでやるから」


 そこまで世話になる訳には行かない。仕事の邪魔をしてしまうのだから。壱たちは奥の端の席に掛けた。サユリはテーブルの上に。


「イチさん、うちの状況をお話します」


 リオンが口を開いた。


 リオンには、妹がひとりいるのだと言う。


 その妹が幼い頃から特に手癖が悪く、両親もリオンも手を焼いていたのだと言う。


 しょっちゅう衛兵の世話にもなっていて、両親の苦労はそれは大変なものだった。


 その時、付き合っていた仲間が悪かったのか、単に妹が悪かったのか、薬物の過剰摂取で完全に我を無くした妹は、酔っ払いの様な足取りで家に戻って来たかと思うと、念の為にと防犯用に玄関脇に立ててあった斧で、家にいた両親を惨殺ざんさつしたのだ。


 友人との約束で外出していたリオンだけが助かった。


 妹は直ぐに衛兵に捕縛された。返り血で全身血塗ちまみれになり、血がべったり付着した斧を手に、気味悪く笑いながら徘徊していた所を、近所の人に通報されたのだ。


 妹は衛兵の間では有名人だったので、親に知らせる為にひとりが直ぐに家に駆け付け、両親の惨殺体を発見。事の次第を把握した。


 その時、妹はたったの10歳だった。


 起こした事件は残忍だったが、まだ幼かったと言う事と、周囲の人間が相当に悪かった事も大きく、刑に服す期間は10年だった。


 両親を失ったリオンは、その街の福祉や周りの大人に助けられながら、10年を過ごした。


 そして、妹が帰って来た。


 服役中に薬の中毒症状は抜けた。妹は顔を落としながら、しかし照れ臭そうにはにかみながら帰って来た。しかし直ぐに真剣な表情を浮かべ、リオンを真っ直ぐに見、これからは真面目に働くからと、そう言った。


 10年という年月に、事件そのものはかなり風化した。だが妹が薬物過剰摂取の上に両親を殺害したと言う事実は、やはり周りから忘れられる事は無かった。


 周りの妹への怖れ、警戒。それは無理からぬ事。


 リオンですら、妹への接し方を決め兼ねていた所がある。妹であると同時に、両親の仇でもあるのだ。


 ふたりの間でどの様な遣り取りがあったのか、多くは語らなかったが。


 段々とその街に居づらくなる妹を見て、リオンは妹を連れて街を出る決心をする。ふたりを知らない街か村に移り住んで、いちからやり直す。


 そうしてなけなしの貯金を掴み、街を出て、他の土地を目指して歩き続け、辿り着いたのが、このコンシャリド村だったのだ。


 そうしてリオンは牧場に、妹は製糸工房に勤める事になり、サユリの加護もあって、平和に暮らしていた。


 だが1ヶ月も経たない時、妹は起き抜けに頭を抱えて、狂った様な叫び声を上げる。


 リオンが懸命に声を掛け、辛抱強くなだめ、ようやく落ち着く妹。泣き腫らしたまま眠りにつき、翌日の朝まで起きて来なかった。


 そんな発作と言えるものが、約月に1度の単位で訪れるのだ。


 それは恐らく、薬物の後遺症。薬物そのものは身体からは抜けている筈なのだが、過剰摂取の負担か、犯した罪の重さからか、両親を惨殺した意識からか、こうした症状が起こるのだ。


 普段は大人しく、仕事にも普通に行き、懸命に働く。だが発作の様なそれが起こると、手が付けられなくなってしまうのだ。


 重い。リオンが抱えるこれはあまりにも深刻だ。話を聞いたものの、壱に何が出来ると言うのか。言える事など何も無い。


 半ば呆然としていると、ジェンが口を開いた。


「大変っすよね。でも待つしか無いっすかね」


 その台詞にリオンは頷く。


「多分、時間しか解決してくれないんだと思う。まだ妹も若いから、待つしか無いんだと思う」


 壱の世界だと、カウンセリングなどに通うのが良いのだろう。この村にはいないのだろうか。


 しかし普通の医者もいないと聞いていたから、カウンセラーもいないと考えて良いと思う。


「イチさんすいません、こんな重い話。ただいつ発作が出るか判らないので、話しておいた方が良いかと思いました」


 リオンが言い、頭を下げた。


「う、うん、あの」


 何と言ったら良いか判らず、壱は言葉を探す。


「大変だろうけど、あの、俺とかが出来る事があったら、言ってね」


 漸くそれだけを絞り出す。


「ありがとうございます」


 リオンはまた頭を下げた。


 多分、壱に出来る事など無いだろう。仕事の融通だとか、そんな事ぐらいだと思う。


 後はただ、リオンたち兄妹が少しでも心穏やかに過ごせる事を、願うばかりである。

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