#26 手打ちうどんを海老出汁の味噌汁で

 夜営業に向けての仕込みは続く。壱は昨日カリルに教えてもらったトマトソースを最初からひとりで作る。コンソメをすのもひとりでした。


 今日は海老と貝があるので、カリルは大忙しである。基本、生食の食材を扱うのにも、調理師免許が必要だとの事。姿まるまるの鶏をさばき、魚をおろし、海老の下処理をし、帆立貝ほたてがいを開く。


 他の貝類は壱が担当した。こちらは火を通すので、壱でも出来る。あさりとはまぐりだった。


 入荷されてすぐに塩水に浸し砂出しはさせているので、殻をり合わせながら丁寧に洗う。


 カリルに言われた通りに調理する。フライパンにオリーブオイルとにんにくを入れて、弱火に掛ける。ほのかに香ばしさが立ってきたら貝を入れて、さっと炒め、白ワインを入れる。


 軽くアルコールが飛んだらふたをして蒸す。


 数分後に蓋を取ると、コクと甘みのある香りの湯気が上がる。貝も全部綺麗に開いていた。


 火を止め、貝を全てバットに開けて冷ます。貝の出汁が染み出している蒸し汁は、網目の細かいザルで漉して、ボウルに入れておく。


 貝が手で触れる程度に冷めたら、身を貝殻から外し、蒸し汁に入れて行く。身を乾燥させない為である。


 これはカルパッチョに使う。帆立の貝柱と海老とともに、魚に合わせて盛る。


 海老と貝が入る日は、特に注文が多いのだと言う。やはり週に1度しか食べられないとなると、人気も上がるのだろう。


 ちなみに帆立貝の貝柱以外の食べられる部分は、バターソテーして夜のまかないになるのだそうだ。これは嬉しい。従業員の特権と言うやつだ。


 調理台をあらためて見ると、カリルが下処理した海老の頭やからがボウルにまとめられている。壱はそれを見て、ふと思い付いた。


「じいちゃん、海老の頭と殻、どうすんの?」


「捨てておるがの?」


 肉料理の仕込みをしている茂造が応える。


「じゃあ貰って良い? あ、中力粉も少し」


「おや、また何か思い付いたかの? 構わんぞい」


「ありがとう。カリル、海老の頭と殻、これで全部?」


 カリルはせっせと魚を卸している。


「そーだよ。何? 何か出来んの?」


「んー……多分大丈夫だと思うんだけど、まだお試しだからさ。巧く出来たら、またみんなにも食べて貰うよ」


「おう! 楽しみにしてんぜ!」


 また後でレシピを調べなければ。旨く出来れば良いのだが。






 さて翌朝。壱はまた1時間早く起きる。若干じゃっかん睡眠不足を心配したが、まだまだ若いからか元気だ。


 うん、ここは睡眠時間と手間を惜しんではいけない。


 壱は厨房に降りて冷蔵庫を開くと、昨日の海老の頭と殻が入ったボウル、そして味噌の木桶、棚から中力粉の袋を取り出し、2階のキッチンに戻る。


 まずはボウルに中力粉を入れ、作った加塩水かえんすいを入れながら練って行く。やがてまとまると、全身の力を入れて押して行く。


 本来なら踏んでコシを出したいところだが、この世界にはビニールやナイロンなどの袋が無いので難しい。流石さすがに素足では踏みたく無いので、肩と腕の力に頼る。


 滑らかに丸くなると、乾燥しない様に濡らした布を被せ、寝かせて置く。


 次に鍋を出し、中火に掛ける。充分に熱くなったところで、よく洗った海老の頭と殻を入れ、木べらで乾煎からいりする。


 次第に水分が飛び、げ目が付いて来て、香ばしい匂いがしてくる。すっかりと炒まったところで水をひたひたに入れる。


 少し火を強めてやると、すぐに沸く。灰汁あくは殆ど出ない。木べらで殻などを押し潰しながら煮込んで行く。頭からは味噌も出る。これは絶対に美味しくなる筈だ。既に炒めて火は通っているので、臭みも無い筈だ。


 日本酒があれば臭み消しにもっと良かったのだろうが、無いのだから仕方が無い。そう言えばこの村で作られるアルコールは全て醸造酒じょうぞうしゅだった。米が育てば日本酒も作れるのでは無いだろうか。


 食用の米と日本酒用の米は違うものだと聞いた記憶もあるので、また夜にでも調べてみよう。ああ、調べたい事がまた出来た。


 そろそろ良いだろうか。スプーンですくって味見をしてみる。かなり濃い海老の出汁だしが出ていた。これは凄い。臭みも無い。旨い。


 これに味噌を溶けばどれだけ旨味が増すと言うのか。期待値鰻登うなぎのぼり。


 海老の出汁をザルです。ザルに残った頭や殻を木べらで押し付け、更に旨味を絞り出して行く。


 鍋の中には濃厚な海老の出汁が出来上がっていた。壱は鼻を鳴らし、次の作業に取り掛かる。


 まずは、やや大きめの鍋に湯を沸かして。


 休ませた小麦の種に打ち粉をして、綿棒で伸ばして行く。慣れない手付きだが、できる限り均等に。


 どうにか伸ばせると、折り畳んで行く。そして厚みと同じ幅に、丁寧にゆっくりと切って行く。


 包丁にはある程度慣れているし、物を切るのもそれなりに出来る。だがきちんと厳密に、と思うとかなり慎重になった。


 まるで息を詰める様に包丁を動かし、切り終わった頃には大きく息を吐いた。


「大変なんだな、この作業」


 壱は呟くと、切り終わった種をほぐし、打ち粉をまぶしておく。


 その頃には鍋に湯が沸いている。壱は時計を見て、小さく頷くと、そこに麺状になった種を入れて、茹でて行く。


 吹きこぼれない様に火加減を調整し、時折混ぜながら茹でて行く。その間に海老出汁の最後の仕上げだ。


 海老出汁の量が少し少なかったので、その分水を足し、火に掛ける。弱火にし、煮詰まらない様に温めて行く。


 そこに味噌を溶く。折角せっかくの海老の味と風味を壊したく無いので、少量から味を見ながら足して行く。


 味が整い、壱が満足気に眼を閉じた頃、小麦の麺も良い感じに茹で上がる。


 手打ちうどんである。サントがパスタを捏ねていた時に卵液を使っていたので、デュラムセモリナなどパスタ用の小麦では無く、普通の小麦なのだと予想した。粉の色も白かったし。


 なので、うどんが作れるのでは無いかと思ったのである。


 茹で上がったうどん予定の麺をザルに上げ、流水で揉み洗いして行く。滑りを取ると同時に絞めて行く。冷たい地下水なので氷は使わない。と言うかこの世界には冷凍庫が無いので、氷は無いのだが。


 そして、壱の目論見もくろみ通り、そのタイミングで茂造が起きて来た。


「おお壱、おはよう。また早く起きておったのかの?」


「おはよう。うん、昨日の海老の殻を使った朝ご飯をな。支度して、サユリ起こして来てくれよ」


「うんうん。また楽しみじゃ。サユリさんは壱の部屋じゃな?」


「うん」


 サユリは壱がこの世界に来てから、毎晩壱の部屋で寝ている。壱も気にならないし、サユリも気持ち良さそうに寝ているので問題は無い。


 茂造が支度をしている間にうどんを仕上げる。念の為に、麺の状態で味を見る。味付けしていないそれを適当に千切ちぎって口に入れる。うん、紛れもなくうどんだ。小麦の風味があり、仄かな塩味。大丈夫だと思ってはいたものの、壱は安堵あんどする。


 洗ったうどんをザルでしっかり水切りし、ボウル状の器に盛る。サユリの分は食べやすい様に細かく切って、サラダボウルに。賄いでもサユリの分のパスタは短く切られていたので、それにならったのだ。そこに海老出汁の味噌汁を掛ける。


 海老出汁の可能性に至った時に、これは是非とも試さねばと思った。だが具に困った。玉ねぎやじゃがいも、人参も考えたが、うどんを作れないかと思ったのだ。


 精米済みの米も残り少ない。節約したかった。うどんなら主食になるので、一石二鳥だ。


 茂造とサユリが、ダイニングに姿を現した。サユリは澄まし顔だが、茂造はその頬が緩んでいる。


「待たせたの。今日も作ってくれてありがとうの。楽しみじゃのう」


「ふむ、また壱たちの世界のご飯カピか。興味深いカピ」


「うん。じいちゃんには懐かしい味じゃないかと思う。サユリはどうかな。口に合うと良いんだけど」


 ダイニングの席に掛けた茂造と、テーブルに上がったサユリの前に、海老出汁の味噌うどんを置く。惜しむらくは箸では無くフォークで食べるというところである。ああ、今度あのドワーフたちに頼んでみようか。


 壱も自分の分を用意して、ダイニングに着く。いただきますと手を合わせ、まずは出汁を飲もうと器に口を付け傾ける。


 途中で味は見ていた。その時に美味しいと確信していた。だが口いっぱい含むと、その旨味が押し寄せて来た。


 海老そのものの甘み、炒めた事により出た香ばしさ、海老味噌のコク、それらを調和する味噌。


 壱は器をテーブルに置くと、拳を作る。つい声を上げてしまいそうになるが、どうにか耐える。


「……じいちゃん、我ながら、俺、とんでも無いものを作っちゃったかも」


 昨日の鯛団子の味噌汁も大変美味しかった。それと遜色の無い出来栄えだと、壱は自画自賛する。


 余す所無く漉し出した海老の出汁の、程良い甘みとコクが旨みを生み、味噌がそれを助けている。


 器から口を離した壱が満足気な息を吐くと、サユリと茂造も頬を緩ませていた。


「これは旨いのう。海老の出汁が濃く出ておる。生で食べるのとは違う香ばしさも旨いのう」


「ふむ。成る程、海老の殻はこうした旨味を生むカピか」


 サユリと茂造の反応に満足しながら、今度はうどんを持ち上げる。これも大丈夫な筈だが。


 つるりと口に含む。うん、喉越しも悪く無い。味もちゃんとうどんである。海老と味噌の出汁が絡んで、ますます美味しい。


 茂造もうどんを啜りながら、口角を上げた。


「またこんなうどんを食べられるなんてのう。嬉しいのう」


 サユリも黙々とサラダボウルに顔を突っ込んでいる。と言う事は、お気に召してくれたと言う事なのだと思う。


 手間は掛かるが、また作ろうと思う。勿論自分もまた食べたいのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る