#77 診療所の完成と、味噌煮込みうどんの朝ご飯

 夜営業の仕込みが始まる前に、壱は裏庭に出た。


 昨日芽吹いたばかりの米の苗を見る。まだまだ短いが、青々と空に向かって懸命に伸びている。


 田植えが出来る様になるまでまだ掛かりそうだが、その時が楽しみである。




 夜営業が落ち着いた頃、マユリが壱たちを呼びに来る。


「あ、あの、の、ノルドさんが、こ、来られてます」


 壱とサユリ、茂造は厨房をカリルたちに任せてフロアに出る。


 ノルドは壱たちを見ると立ち上がり、深々と頭を下げた。


「お忙しいところ申し訳ありません。実は今日の改装で診療所が完成しましたので、そのご報告に。この度は本当にありがとうございました」


 ノルドは言うと、また大きく頭を下げた。


「おお、そりゃあ良かったのう。ああじゃがの、わしらは何もしておらんぞい。頭を上げておくれの」


「いえ、店長さんたちが私を受け入れてくださったので、こうしてこの村で診療所が開けます。ありがとうございます」


「本当に礼を言われる様な事は何もないぞい。まま、とりあえず座ろうかの」


 茂造は穏やかに言うと、ノルドの前に掛ける。サユリは速やかにテーブルの上に。壱とノルドは譲り合いながら、結局は壱が先に座る事になった。


「早速なのですが、村の方々の健康診断を始めようかと思います。日付や時間は皆さまにご希望をお伺いしようと思っているのですが、各所を回らせていただいても大丈夫でしょうか」


「それは構わんが、手間じゃないかのう、取りまとめも含めての。そうじゃのう……」


 茂造はあごに手を添えて、考える仕草。


「うむ、儂が各所ごとの時間割の様なものを作るからの。それを村人に埋めて貰うと良いかのう。それじゃとお前さんの手間も省けるじゃろ? 村人の手間ものう。確か前に言ったかのう、相談してくれと」


 するとノルドは慌てた様な表情を浮かべる。


「確かにそう仰っていただきました。それは本当にとても助かりますけども、やはり店長さんにそんな手間をお掛けしてしまう訳には」


「いやいや、そんな手間でも無いからの。儂は各所の仕事内容なんかを把握しておるからの、比較的身体が空く時間帯も解っておる。その方が早くて良いじゃろ」


「そうするが良いカピ。どちらにしても、お前には各所に行って貰う事になるカピ。だからこれぐらいは甘えるカピよ」


 サユリにまでそう言われ、ノルドは散々迷った後、テーブルにぶつけそうな勢いで頭を下げた。


「では、甘えさせていただきます。どうぞよろしくお願いいたします」


「うんうん」


 茂造は満足げに頷き、サユリも鼻を鳴らした。


「明日の休憩時間に作るからの、夜営業の時でも取りに来ると良いぞい。で、壱よ、各所を回る時に、ノルドに付き添ってくれの」


「解った」


 壱が快諾かいだくして頷くと、ノルドはまた頭を下げた。


「本当にありがとうございます。どうぞよろしくお願いします。イチくんもお忙しいのに申し訳無い。よろしくお願いしますね」


「大丈夫ですよ。明後日の朝から回りましょうか。じいちゃん、それで良いかな。朝の苗の水遣りだけはやってから行きたいけど」


「そうじゃの。そうしてくれの。よろしく頼むぞい」


「本当にありがとうございます」


 ノルドはまた丁寧に頭を下げた。




 さて一夜が明け、壱は朝食を作る為にキッチンに立つ。


 もう作るものは決めてある。壱は鍋に水を貼って昆布を入れておき、材料を取りに、ボウルを手に厨房へ。


 冷蔵庫から卵と鶏肉、棚から玉ねぎと人参を出し、ボウルには中力粉を入れる。


 しかし1度では運べないので、まずは中力粉のボウルを、次に鶏肉などを上に上げた。


 では、調理開始である。


 まず、中力粉を少し別のボウルに分けておく。


 次に、元のボウルの中力粉に塩を少量加え、水を少しずつ入れながらねて行く。粉と水の割合が良い塩梅になると、力を込めて、手前から奥に押す様にして捏ねて行く。


 そうして時間を掛け、額に汗をじんわりと浮かべながら、手を動かして行く。


 やがて生地が纏まる。つるりと綺麗なかたまり。そうしたらまな板に打ち粉をし、出来た生地を置く。まずはてのひらで押して広げ、続けて綿棒を使う。


 出来る限り四角になるように、2ミリ程の厚さに伸ばして行く。出来たら折りたたみ、包丁で5ミリ程の幅に切って行く。


 これがまた気の使う作業で、不慣れな壱はやや息を詰めながら包丁を動かして行く。


 やがて全てを切り終えると、ふぅーと細く、勢い良く息を吐いた。


「……出来た」


 そう呟く様に言う。


 さて、次に大きめな鍋を出すと、水を入れて強火に掛ける。


 続けて出汁だしの準備。昆布の鍋を火に掛け、沸くまでの間に鰹節かつおぶしを削って行く。


 沸騰ふっとう直前になったら昆布を取り出して鰹節を入れ、火を止めて、鰹節が沈むのを待つ。


 その間に湯が沸いたので、さっき作った生地を切ったものを、解しながら入れて茹でる。


 ぐらぐらと沸く湯の中で踊る生地。吹きこぼれない様に火加減に注意しながら。


 次は出汁を別の鍋に静かに移し、火に掛ける。


 沸くまでの間に野菜と鶏肉を切る。玉ねぎは薄切りに、人参は葉をざく切りに、鶏肉は一口大に。今日は人参の本体は使わないので、後で厨房に戻しておこう。


 出汁が沸いたら、鶏肉を入れる。灰汁が出たら余分な油とともにレードルで取り除く。続けて玉ねぎを入れ、少し煮て行く。


 さて、少し時間が空いたので、洗い物などをして。


 終わったら、出汁の鍋に味噌を溶かす。米味噌と赤味噌のブレンドだ。


 その頃には、切った生地が茹で上がる。ザルに上げて流水にさらしながら、揉む様にして良く洗い、ぬめりをしっかりと取る。


 それを、味噌を溶かした鍋に入れ、煮て行く。


 その間に、また出た汚れ物を洗い。


 時計を見る。そろそろサユリたちが起きて来る時間だろうか。


 卵をボウルに割り入れ、それを静かに鍋に落として行く。それを3個分繰り返す。それぞれがくっつかない様に離して。


 また、汚れたものを手際良く洗う。


 後は仕上げである。レードルで味噌出汁をすくい、そっと卵に掛けて行く。そうしてじんわりと火を通すのだ。


「おはようのう」


「おはようカピ」


 サユリと茂造が起きて来た。良いタイミングである。


「おはよう。もうすぐ朝ご飯出来るからね」


「ありがとうのう。では支度して来るからのう」


 茂造が洗面所に向かうと、人参の葉を加える。


 卵に味噌出汁を掛けるのは途絶えずに。白身の部分はすっかりと白くなり、黄身の部分にも白い膜が張っていた。これは良い火通りでは無いだろうか。


 ボウル状の器と、サユリ用にパスタ用の器を出し、まずは中力粉で作った麺をトングで入れる。卵はもう少し火を通したいので、茂造が戻って来るのを待つ事にする。


「お待たせじゃの」


 戻って来た茂造が椅子に掛ける。サユリはとっくにテーブルの上に。


 レードルで味噌出汁、鶏肉、玉ねぎ、人参の葉を掬ってよそい、最後にふんわりと仕上がった卵。


 味噌煮込みうどんの完成である。


「お待たせ! 味噌煮込みうどんだよ」


 テーブルに速やかに運び、壱もテーブルに着いた。


「おお、美味しそうじゃの。いただきます」


「いただくカピ」


「はい。いただきます」


 まずは味噌出汁をすする。うん、昆布と鰹節からは勿論の事、鶏肉と玉ねぎからも良い出汁が出ている。ふくよかで味わい深い。


 続けてうどんをはしで掬う。つるりと口に運び、しっかりと噛む。うん、コシも悪く無い。コシが生命の讃岐うどんに比べればまだまだかも知れないが、上出来だ。


 続けざまに具材も食べる。味噌を纏っていてどれも美味しい。壱は表情を綻ばせる。


 さて、卵はどうだろうか。味噌出汁とうどんが半分程になった頃に、そっと割って見る。すると良い具合に半熟になっていて、黄身がとろりと流れ出て来た。


 その艶やかな黄身をうどんに絡めてつるり。ああ、何とまろやかで旨いのか。壱はつい眼を閉じてしまう。


 また凄いものを作ってしまった。自画自賛である。


 そしてサユリと茂造を見ると、ふたりともガツガツと器に集中していた。


「どうかな」


 壱がそっと訊くと、茂造は満足そうに息を吐いた。


「うまいのう。味噌の出汁も勿論じゃが、それを吸っておるうどんもうまいのう。凄いのう、壱はどんどん腕を上げておるのう」


「難しいのは作って無いんだよ。でも口に合って良かった」


 茂造の反応に壱は安心する。さて、サユリはどうか。


「サユリ、どう?」


 率直に訊くと、サユリは動きを止めぬまま。


「うむ、良いカピな。我も味噌を吸っている麺が良いカピ」


 そう言いながら、ひたすらに皿に向かっている。壱はまた安堵した。

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