#70 ノルドの相談と、マユリの実は。

 完成した赤味噌は、熟成ストップと残量確保の魔法をサユリに掛けてもらい、米味噌の横に置く。


 ここに白味噌が加わると完璧なのだが、それはまた今度。味噌作りは所用時間を抜きにしても、手間が掛かるものなのである。


 それに、あまり頻繁ひんぱんに、個人的に大豆を貰うのも良く無い気がする。本来は枝豆の種として保存されているものなのだから。


 さて、そろそろ夜営業の仕込みが始まる。




 夜営業が始まり、忙しい時間帯が過ぎ、注文も落ち着いて来た頃、メリアンが厨房に顔を出した。


「店長、イチー、ノルドさんが相談があるんだって!」


 壱と茂造は驚いて眼を見開き、顔を見合わせる。ノルドがこの村に来て、まだたったの3日目。もう何か問題が起きたとでも言うのか?


「カリルよ、サントよ、済まんが少し任せるぞい」


「はーい」


 カリルの元気な返事とサントの頷きに、壱と茂造は早足でフロアに出る。


 ノルドは厨房に近い窓際の4人席に掛けていた。サユリは既にテーブルの上に。


「店長さん、イチくん、こんばんは。お忙しいのにお時間を取らせてしまって申し訳ありません」


 壱たちの懸念けねん余所よそに、立ち上がったノルドは笑顔である。おや、これは不穏ふおんなものでは無いのか?


「ま、全員掛けるカピよ。話を聞くカピ」


 何かを察していそうなサユリに言われ、茂造、壱、ノルドの順に座る。壱のノルドの座り順番にまた一悶着あった訳だが、サユリの一声で解決した。


「どうしたんじゃ。何かあったのかの?」


「実はですね、診療所の改装と医療器具の作製が、ロビンさんたちのお陰でとてもスムーズなんです。昨日から始めていただいて、今日も取り掛かって頂いて。で、ですね、近々開業出来ると思うのですが、この村、病気や怪我が本当に少ないと聞きました」


「そうじゃの。これまで医者がいなかった事もあって、サユリさんに頑張って貰っているからの」


 表向きはね。壱がちらりとサユリを見ると、眼を閉じ素知らぬ顔。


「で、それがどれ程サユリさんの負担になっているのか、診療所を開業する事で変わるのかどうか、それは私には判らないのですが、いざと言う時の為に、まずは村の方々全員の方の健康診断が出来たら、と思いまして」


「あ、あー」


 壱が成る程と言う意味を込めて、声を上げた。納得である。ノルドは医者だ。これから患者でなるであろう村人の健康状態は知っておきたいと思うのは当たり前なのかも知れない。


「成る程の。それは良い事じゃの」


 茂造もうんうんと頷く。


「そうすれば、村の皆さんとのコミュニケーションも取る事が出来ますし。これは患者さんと医者の信頼関係にも繋がり、とても大切な事です。これは私が以前にいた街の病院での話なのですが、医者と話をするだけでもご安心されたり、気分が落ち込んでいる時には気分転換になったり、ご年配の方などは、お元気なのに話だけをされに来たりと。そういう事もあったのですよ。お身体も勿論ですが、心の健康も大切です。サユリさんのお陰で病気や怪我が軽度で済むと言うのでしたら、そういう方面にも気を配って行けたらと思っています」


 淡々と、しかし穏やかに、顔を輝かせて話すノルド。医者としての矜持きょうじがあるのだと強く感じる。そして勿論人柄の良さも。


「それは素晴らしい事じゃと、儂は思うぞい。壱とサユリさんはどうじゃ?」


「俺も良いと思う。俺、この世界に来た次の日知恵熱出しちゃって。そういう時、サユリがいるから大丈夫だって聞かされていても、お医者さんがいるともっと安心すると言うか。そういう存在って大きいと思う」


「我も賛成カピ。ノルド、お前が来る事で我の加護が左右されるかは、状況を見てみるしか判断出来ないカピ。けど、心のケアまでは我の範疇外はんちゅうがいカピ。前科者を多少は穏やかにさせているカピか、ストレスなどはまた別の話カピ。年寄りも数人いて、まだみんな現役で労働しているカピが、ゆっくりと話を聞いてくれる家族以外の存在は重要だカピ。医者なのだから、守秘義務も理解しているカピな?」


「それは勿論。患者さんのプライバシーは守ります。その為にロビンさんには、鍵付きの金庫の様なものの作製もお願いしているところです。念の為にですが」


 ノルドは言い、力強く頷いた。


「なら問題無いの。よろしく頼むぞい。健康診断の順番、日にちや時間は、出来たらまた相談してくれると助かるぞい。仕事内容に寄っては、時間が限られる場合もあるからの」


「はい! その時には、どうぞよろしくお願い致します」


 言うと、ノルドは深く頭を下げた。




 夜の賄いの時間。


 ドリンクは基本水であるが、従業員料金を払えばアルコールも飲めるのである。


 酒豪しゅごうのメリアンと酒好きのマーガレットとカリルは、エールやワインを程々に傾ける。サントも赤ワインを少々。


 壱と茂造、サユリは飲まない。茂造は判らないが、壱は銭湯上がりの寝る前に少し嗜むのが好みである。


 もう後は寝るだけ。その状態の酒はとても美味しいものである。


 そしてマユリも飲まない。上品に水のカップを口にする。


 料理が半分ほど減った辺りで、マーガレットが口にした。


「そう言えば、マユリ最近お酒飲まないわねぇ〜。どうしたのぉ〜?」


 その台詞に、マユリの表情が強張こわばる。するとメリアンも「あ」と口を開く。


「そうだよねー。だってマユリって凄っごいお酒強いもんね! ボクより強いもんね!」


「あー、まぁ確かに幾ら飲んでも酔わないよな」


 カリルも同意する。


 するとマユリは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。どうしたのだろうか。


「ねぇイチくぅん、お酒に強い女性ってどう思うぅ〜?」


 マーガレットに訊かれ、壱は思ったままを口にする。


「別に何とも。強いのは羨ましいなって思うよ。え、あ、え? この世界にももしかしてあるの? 弱い女性が可愛いとか、強い女性は可愛く無いとか」


 壱が元の世界で聞く事があった価値観だ。


 しかしアルコールの強い弱いは、男女の差では無く、個体の差だ。強い女性もいるし、弱い男性もいる。それが壱にとっての当たり前で、何の不思議も無かった。


「この村では聞いた事が無いわぁ〜。でもワタシが前にいた街ではあったと思ってぇ〜。言われたわぁ〜、お酒に強い女は可愛く無いなんて失礼な事ぉ〜」


 マーガレットが自らの発言の不快感に顔を顰める。


「へぇ、この世界でもそんなのあるんだ。でもこの村では無いらしいし、俺も全く思わないからさ。好きな人は、人に迷惑を掛けない程度で飲んだら良いじゃん。だってこの村でエールもワインも作ってるんだから。旨いんだからさ」


 壱が言うと、それまで俯いていたマユリが顔を上げる。眼を見開いて口を固く結び、何かを決意したかの様な表情。


 マユリは素早く立ち上がり、宣言する様に言う。


「あ、あの、あの、わ、私、エール、いただきます!」


 そしてカウンタに向かった。


 壱はマユリの突然の行動に驚いて、呆然とする。


「な、何事?」


 呆けて言うと、エールのカップを片手に戻って来たマユリが、恥ずかしそうに言う。


「あ、あの、お酒が、つ、強い女性は、か、可愛く無いって、あの、聞いた事が、あって。だから、あの、最近控えていて。でも、あの、イチさんがそう思っていないのだったら、あの、の、飲みたいな、って」


 そんな事を気にしていたのか。


「俺は思って無いよ。美味しいものは飲んだら良いじゃん。マユリは酒が好きなの?」


「は、はい、す、好きです」


 またマユリは恥ずかしそうに眼を伏せる。


「俺も好きだよ。特別強く無いから賄いの時に飲まないだけで。寝る前に飲む事があるよ。お酒美味しいよね」


「は、はい、お、美味しいです!」


 壱の台詞に、マユリは嬉しそうに笑みを浮かべる。


 席に着くと、エールのカップを傾け、景気良く喉に流し込む。


「……はー!」


 マユリは大きく息を吐いた。その顔は大いに満足そうだ。


「お、おいしいです!」


「うん。良かったね」


 マユリの嬉しそうな表情に、壱も微笑ましくなり、笑みを浮かべた。

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