#79 夜の賄いで、鰹のタタキ完全版
食堂の夜営業が終わり、壱たちは賄いを作る。
「じゃ、俺、
威勢良く言うと、水槽から鰹を揚げて、苦しげにぴちぴちと跳ねるそれをまな板に押さえ付ける。
先日教えて貰った下ろし方、それをマスター出来たかと言うとまだ微妙ではあるが、覚えてはいる。出来れば今回は自力でやってみたい。
「うんうん、ではやってみると良いぞい。もし判らなかったら、カリルか
茂造の穏やかな台詞に、壱はあらためて気合を入れる。
「うん。ありがとう」
さて、茂造たちはそれぞれの作業に移り。
壱はまず、鰹を大人しくさせる為に、その脳天に包丁の背を振り下ろす。すると意識を失った鰹は活きの良いまま、ぐったりと意識を失う。
まずは
次に頭を落とす。そして腹を開き、内臓を取り、血を流し、
そしてどうにか、自力で5枚下ろしにする事が出来た。
腹身が2
不慣れではあるので、表面が少しがたついたりささくれ立ってはいる。だが上出来だと思う。
「出来た!」
壱は声を上げると、大きく息を吐いた。するとカリルが寄って来る。
「お、凄いじゃん! 巧いもんだな!」
「そうかな。表面ガタガタになっちゃったんだけど」
「いやいや、この前1回教えただけでこんだけ出来るんだったら上等だよ。凄いって。で、これがまた旨くなるって?」
「うん。その筈。みんなの口に合うと良いんだけどなぁ」
これまでのフライパン焼きとは癖が全く変わるので、不安ではある。だがあの香ばしさと旨さ、自信はある。
壱は先日ロビンに作って貰った2本の串を出し、鰹の腹身に刺す。持ち手の部分は重ねて片手で持てる様に。先に向かってVの字になる様にして、そこに鰹を刺すのだ。
1柵ずつ
そして水を張ったボウルを用意して、厨房で出来る準備は完了。串に刺した腹身もトレイに乗せて、壱はボウルとトレイを抱えて裏庭に出た。
台にふたつを置いたところで忘れ物に気付き、再び中へ。マッチを取る。
さて、では鰹の
まず、藁に火を付ける。貰った藁を耐火
そうなると、後は早い。藁が威勢良く燃え出し、煙が上がり出した。
今だ!
壱は串打ちした鰹の腹身を、素早く燃える藁の上に
皮の面から炙る。チリチリと皮が焦げる音がし、同時に
藁の燃えた香りも良く、初めて
その答えを確かに壱は知っている。だがそれでも、楽しみでならなかった。
焼くのは皮のみとレシピにもあったが、好みで身が出ている部分を炙る事もあるらしい。
今回は香ばしさで鰹を美味しく食べて欲しいので、全面を炙る事にする。
腹身なので、脂の控えめな鰹でも割合は多く、だが
これは旨いタタキが出来そうだ。
炙り終えると、串から抜きながら水のボウルに落とす。余分な火入りを抑える為だ。
さて、次の柵を炙る。トレイに乗せておいたふたつめの腹身を、先程と同じ様に串に刺し。
藁を足して再び炎を上げながら、炙って行く。
そして終わるとまた水のボウルへ。
2柵文のタタキを入れたので、水の温度も上がっているだろう。壱はボウルだけを手に急いで厨房へと戻ると、シンクに温くなってしまった水を捨て、新たに冷たい水を入れた。
「壱、どうしたんじゃ?」
厨房に入るや否や、焦る様に作業を始めた壱に、茂造がつられたのか慌てた様子で声を掛けた。
「炙った後はスピード勝負だからね! 余分に火が通らない様に、急いで冷やさないと。こういう時に氷が欲しいなって思うよ」
「おお、成る程の。しかし確かに氷はのう、この村には製氷機は無いからのう」
「街にはあるんだけどな。この村では氷使う事ってあんま無くて、買うってまでにはならねぇんだよな」
「そうじゃのう。水道水が普通に冷たいからのう」
カリルの言葉に、茂造も頷く。
確かにそうだ。この村の水道水は冷たい。壱たちの世界で言うところの、真冬とまでは言わないが、寒い時の水温だ。
そう思うと洗い物担当のサントは大変だと思う。あまり手を見る機会は無かったが、赤切れなどは大丈夫なのだろうか。
それとも、これもサユリの加護のお陰で問題無いのだろうか。赤切れも怪我の一種である。
壱の耳にカリルの不満が届いた事などは無いが。本人が無口だと言う所も要因なのかも知れないのだが。
壱はやや気にしつつも、まずは鰹のタタキだ。この水の冷たさなら、ボウルに入れたまま流水に少し
あまり水に入れたままで、身が水っぽくなってしまうと台無しなので、適当な所で取り上げ、布で表面の水分を優しく押さえる様に拭う。
後は切るだけである。
その頃には、茂造たちの手で他の賄いはほぼ出来ていた。
壱は鰹をまな板に乗せ、包丁で丁寧に切って行く。火が通った部分がどうしても崩れやすいので、そっと包丁を入れて。
そうして出来上がった鰹のタタキを、玉ねぎとにんにくのスライスとともに皿に盛った。
「イチー、どうだ? こっちは出来たぜ?」
「こっちも出来たよ!」
カリルの声に、壱は元気に応える。
既に賄いが出揃ったテーブルに、壱は完成したばかりの鰹のタタキをサーブした。
「お、これがバージョンアップした鰹のタタキだな!?」
カリルが眼を輝かせる。
「え、何それ! ボク聞いてないんだけど!」
メリアンが
「言ってねぇからな」
「カリル酷ーい!」
カリルのぶっきら棒な台詞に、メリアンが声を荒げる。
「まぁまぁメリア〜ン、まずはいただきましょうよぅ〜。楽しみよねぇ〜」
マーガレットがメリアンを
「むー」
メリアンは膨れっ面を崩そうとせず、それでも鰹のタタキにフォークを突き立てた。
「いただきます!」
怒鳴る様に良い、タタキに
その途端、元々くりっと大きな眼が、更に見開かれる。眉間に寄っていた
「凄っごい! 何これ
中にものが入っているからか左手で口を押さえ、興奮しながら嬉しそうに叫ぶ様に、ただただ凄いを連発する。
そんなメリアンの様子を見て、「じゃあ私も」「俺も」と次々にタタキに手が伸びた。
各々口に入れる。そして一様に眼を見開き、「旨っ!」「美味しい!」と声を上げた。
「ちょ、イチ、これ何でどうしてこんなになるんだよ! え、前に食ったタタキも旨かったけど、何だよこれ凄ぇな! 香ばしい、と言うか、香り? 味が香りっつうか、ええと、どう言ったら良いのか判んねぇけど!」
カリルも興奮して
「本当ねぇ〜。やっぱり香ばしさが際立つって言うのかしらぁ〜? 良い香りが鰹の臭みをすっかり消しちゃってるじゃ無ぁい〜。玉ねぎとかと頂くと
マーガレットはうっとりと眼を閉じる。口角も緩やかに上がり、とても満足そうだ。
「ほ、本当に、お、美味しい、ですねっ! や、やっぱり、か、香りが凄いん、で、です、ねね! あ、あの、あの、あの、美味しい! です!」
マユリも興奮しているのか、
だが見開いた眼を輝かせ、頬を紅潮させながらタタキを頬張るその表情から、感動すらしているだろう様子が解る。
壱はサユリに視線を移す。サユリにも2切れ程をサーブしていた。
サユリは夢中になってタタキをガッついている様に、壱には見えた。
「サユリはどうかな」
ストレートに聞いて見ると、サユリは幾度と頷きながら言った。
「これは旨いものカピ。壱、褒めてやるカピ」
おお、普段なかなか「旨い」と言わないサユリから、そのワードを引き出せるとは。これは相当気に入ってくれたと言う事だ。
全員の反応に、壱は大きく胸を撫で下ろした。
自信はあった。だが不安が無かった訳では無い。フライパンで作ったタタキでも、みんなは美味しいと言って食べてくれた。だから大丈夫だろうと思っていても、藁の癖が受け入れられるかどうかが不明だったのだ。
これは大成功である。
おっと、壱も早く食べなければ、無くなってしまう。
茂造を見ると、眼を細めてとても嬉しそうだ。
「じいちゃんも藁焼きは久しぶりじゃ無い?」
「いや、実は初めてなんじゃ。儂が元の世界にいた頃は、高知の料理屋なんかもそれほど多く無くてのう。あっても、藁焼きは食べられんかったからのう。こんなに旨いもんじゃったんじゃのう。凄いのう、旨いのう」
だったら尚更食べて貰えて良かった。壱は嬉しくなり、笑みを浮かべる。
さて、壱も一切れ。
おお、香ばしさ、香りは勿論の事、火入れも丁度良い。表面と、身はほんの数ミリしか通っていない。さくさくとして、それでいてしっとりした食感もしっかりとある。
プロが炙った程では無いのかも知れない。だがこれは上等では無いだろうか。
何より、みんなが喜んで、気に入ってくれた。凄い事だ。
これなら安心して結婚パーティにも出せるだろう。壱はまた安堵した。
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