#58 ドロップクッキーを作ろう

 さぁ、ドロップクッキーを作ろう!


 メモと紅茶葉を片手にサユリとともに厨房に降りると、そこには茂造とマユリがいた。


「あれ、じいちゃん、マユリ、どうしたの?」


 訊くと、茂造もマユリも笑みを浮かべた。


「クッキーを作ると言っておったからの。作り方も知りたいしの、是非出来立てを食いたいとも思っての」


「わ、私も作り方を知りたいのと、そ、それと、あの、あ、あの、お手伝いを、出来たらと」


 ふんわりと笑う茂造と、壱に詰め寄る勢いのマユリ。


 何の不都合も無い。壱は頷く。


「うん、一緒に作ろう」


 すると茂造はにこやかなまま頷き、マユリは破顔する。


「じゃ、先にオーブンを予熱しておこう」


 壱自身はあまり使う機会の無いオーブン。使い方は教えて貰っていたので、難なくセットする。壱たちの世界のオーブンよりもずっとシンプルな作りだ。


「さ、材料を用意するよ」


 壱は冷蔵庫を開け、卵とバターを出す。棚からは小麦粉と砂糖を。


「菓子作りは軽量が生命らしいからね」


 普段はあまり使わないスケールを出し、メモを見ながら分量を計って行く。


「じゃあ、マユリにやってもらおうかな。まずはバターと砂糖をり合わせるよ。まだバターが固いから頑張ってね」


 バターと砂糖を入れたボウルをマユリの前に起き、泡立て器を手渡す。


「は、はい! が、頑張ります!」


 マユリは泡立て器を手に、バター相手に奮闘する。


 やがてバターも柔らかくなって、砂糖も綺麗に混ざって空気も入り、ふんわりとして来た。


「こ、こんな感じで、しょうか」


「うん、完璧。じゃあここに卵を入れるよ」


 壱が別のボウルで解してあった卵を少量ずつ入れ、マユリが混ぜて行く。混ぜ終えると、もったりとしたクリーム状のものが出来上がる。


「ここに振るった小麦粉を入れて、また混ぜる。少し力要ると思うから代わろうか?」


「い、いえ、あの、が、頑張ってみます」


 楽しそうに作業を進めているマユリが笑顔で応える。


「じゃあ粉入れるよ」


 振るっておいた小麦粉を一度に、粉が上がらない様にそっと入れる。マユリはまた丁寧に合わせて行く。


 やがて色斑いろむらの無い滑らかな生地が出来上がった。


「これで生地の出来上がり。これを半分ずつに分けて、まずはノーマルの方を焼いて行こう」


 別のボウルに生地の半分を移し、スプーンを出す。


「スプーンで鉄板に落として焼く作り方で、ドロップクッキーって言うんだよ。ええと、クッキングシートが無いから、鉄板に油を塗っておかなきゃだな」


 壱は布にオリーブオイルを染み込ませ、鉄板の内側の隅々すみずみまで塗った。


 これはサントがパンを焼く時にもしている事だ。生地にも油分が含まれているが、こうしておかないとくっついてしまうのだ。


「スプーンを2本使うよ。こうやって」


 1本のスプーンで生地をすくう。


「これをもう1本のスプーンで、鉄板に落とすんだ」


 言った通りにすると、鉄板にとろりと生地が落ちた。それはゆるやかに少し広がり、少しいびつな円形になる。


「間隔を開けながら落として言ってね。じいちゃんもやってみる?」


「挑戦してみようかの」


 茂造とマユリの分のスプーンを出して渡してやると、ふたりは早速取り掛かる。


 3人でやると早い。あっという間に鉄板は生地で埋まった。


「12、3分もあれば焼き上がるからね」


 予熱しておいたオーブンに入れ、タイマーをセットし直す。後は焼き上がりを待つだけだ。


 ノーマルの生地はまだ半分ほどある。紅茶味の分も含めたら、後3回は焼く事になるか。


 鉄板はもう1枚あるので、壱はそれにもオリーブオイルを塗る。


「じゃ、この鉄板は紅茶味の分を焼いて行こうか」


「こ、紅茶味のクッキーは、は、初めて、です」


「多分わしもじゃ。そんなハイカラな味もあるんじゃのう」


「美味しいよ。巧く出来たら良いけど」


 壱は紅茶葉を袋に入れる。それを袋ごと棒で叩いて行く。出来るだけ細かく細かく。


 終わって袋を開けると、紅茶のほのかな良い香り。分けておいた生地の半分に入れて混ぜて行く。


 これで生地が全て完成。もう1枚の鉄板にもオリーブオイルを塗り、紅茶味の生地を3人掛かりで落として行った。


 今オーブンに入っている分が焼き上がったらこれを入れて、その間に鉄板を少しでも冷まして、残りのノーマル生地を置く。


「よ、良い香りが、します」


 オーブンから甘い香りが漂っている。クッキーが巧く焼けている証拠でもある。


「本当だ。美味しく出来ると良いけどなぁ」


 壱が言うと、マユリがぐい、と壱に詰め寄る。


「ぜ、絶対、お、美味しく出来てると、思います! だ、だって、こんなに良い香りが、し、してるんですから!」


「ありがとう。マユリたちにも美味しいクッキー食べて欲しいからね」


 マユリのこの距離感にも大分慣れて来た。壱はややけ反りながらも笑みを浮かべる。


 オーブンに近付くと、更に香りは強くなる。バターと砂糖の香りだ。


 オーブンからするジジジジジと言う音は、タイマーが進んでいるもの。切れるとカチッという音がする。アナログなのである。


 庫内にランプなどは無いので、中の様子は判らない。タイマーが切れるのを待つしか無い。しかし後少しだ。


 そうしている内にカチッと言う音がする。


「や、焼きあがりました?」


「出してみようか」


 オーブンをドアを開け、ミトンを付けた手で鉄板を引っ張り出す。庫内の温度が下がらない様に、直ぐに次の鉄板を入れてドアを閉め、タイマーを仕掛けてスイッチを入れた。


 さて、焼き上がったばかりのクッキーはどうだろうか。鉄板も少しでも早く冷ましたいので、水で濡らした布の上に置く。


 だがそれはあっという間に温くなってしまうので、すすぎ直してまた鉄板の下に。


「さてと、まずはちゃんと焼けてるかどうかだけど」


 壱はターナーで、まだ湯気を上げるクッキーを鉄板から外し、大きな皿に重ならない様に置いて行く。


「食べてみても良いかの?」


 茂造が嬉しそうに訊いて来るが、壱は首を振る。


「ちょっと待って。念の為に生焼けになっちゃって無いか見ないとね」


 壱はまだ熱いクッキーを手にし、半分に割ってみる。中からもふわりと湯気が上がる。見ると、きちんと中まで焼けていた。


「うん、大丈夫みたい。一応半分に割ってみてね」


 言うと、茂造とマユリもクッキーを手にする。先程まで厨房の端の椅子で寛いでいたサユリもこちらに来ていたので、壱が先程割った半分を前に置いてやる。


「じゃあ、頂くとしようかの。生焼けは無いぞい」


「こ、こちらも、大丈夫です。い、頂きます」


「我も頂くとするカピ」


「はい、どうぞ」


 全員ほぼ同時にクッキーを口に運ぶ。かじり、じっくりと味わう様に咀嚼そしゃくする。そしてサユリは満足そうに眼を細め、茂造は嬉しそうに目尻を下げ、マユリは眼を見開いて輝かせた。


「うむ、なかなかカピ」


「甘くて旨いのう。良く出来ておるのう」


「お、美味しい、です! 凄いです!」


 それぞれに反応してくれる。


 さてレシピを持ち込んだ壱はと言うと、その出来栄えに満足していた。レシピそのものはインターネットに上がっていた完成されたもの。だが作り手の腕やオーブンの調子で出来えは幾らでも変わるのだ。


 今回生地を作るのはマユリがメインになったが、チェックをしたのは壱。感覚が間違えて無かった事に安堵する。


 サクサクしていながら、しっとりもしている。バターの香ばしさと砂糖の甘みが融合し、壱の知る既製品に劣らぬ美味しさである。


 2枚目を手にしようとしたその時だった。


「あー! 食べてる!」


「あらあらぁ」


 厨房とフロアを繋ぐドアから声が上がる。驚いて振り返ると、メリアンとマーガレットだった。


「イチがクッキー焼くって言うから待ってたんだよ! フロアの掃除しながら! 店長が食べたかったらフロアの大掃除しろって言うから頑張ったのに!」


 メリアンは頬を膨らませて怒りを表す。


「あらぁ、アナタは相変わらずちょこちょこさぼっていたじゃ無ぁい?」


「ボクにしては頑張ったの!」


「いやいや、頑張ったのはオレとサントとマーガレットじゃん」


 ふたりの後に、カリルとサントも姿を現した。カリルの笑いながらの台詞に、サントも大いに頷いている。


「もーぅ、煩いなぁ」


 メリアンはますます膨れっ面に。しかし鼻をひくつかせると、すぐに機嫌は治る。


「それよりっ! クッキー出来たんだね! ボクも食べたい!」


「ワタシもぉ〜」


「オレも食いたい!」


「……俺も」


 それぞれ主張しながら壱たちの元へ。皿には数枚のクッキーが残っている。


「ほいほい。食べて良いぞい。旨いぞい」


 茂造が言うと、4人は同時に手を伸ばした。口にして、「美味しい!」「うめー!」と嬉しそうに声を上げた。


「今、紅茶味の焼いてるからね」


「あらぁ、ワタシお紅茶好きだから楽しみだわぁ」


 マーガレットがうっとりと頬をゆるませた。


 さて、鉄板が大分冷めて来たので、残りのノーマル生地をマユリとふたりで落として行く。そうしている内にオーブンのタイマーが切れたので、紅茶味のクッキーを取り出し、ノーマル生地を乗せた鉄板を入れた。


「さ、紅茶味だよ」


 ターナーで皿に移し、みんなの元へ。まだ熱くて湯気が上がっているのに、みんなの手は躊躇ためらい無く伸びた。


「やだぁ、紅茶味も凄く美味しいじゃ無ぁい。お紅茶の良い香りがしっかり生かされてるのねぇ」


 マーガレットが嬉しそうに眼を細めた。


 壱も熱いまま口にする。紅茶の深くこうばしい香りがしっかりとある。まだ熱いからか、鼻にまで豊かに上がって来る。


 その出来栄えに満足し、眼を閉じた。

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