#30 生レバ刺しとユッケを堪能

★タイトルの通り、生レバ刺しとユッケが出てきますが、日本では許可が無いお店以外での生食は禁止されています。食べない様にしましょう。




 さて、夜営業の仕込みを始める。カリルとサントは銭湯からまだ戻って来ていないが、まずは壱と茂造で出来る部分から始める。


 壱はまずコンソメをし、次にはひたすらに野菜の皮をいて切って行く。茂造はポトフを仕掛け、その後は肉料理の下拵したごしらえである。野菜が終わった壱は、トマトミートソース用の肉を叩く。


「なぁ、じいちゃん」


「ん?」


 姿のままの鶏肉をさばく茂造に声を掛ける。


「この世界って、魚は生ばっかりで食べるのに、牛とかは生で食べないのか? サユリのお陰で食中毒も無いんだろ?」


 先日気になった事を聞いてみる。


「魚も火を通して食べる事もあるぞい。ただこの食堂ではそこまで追い付かないでのう。まぁ新鮮じゃからの、生のままの方が良いという声が多いんじゃ。牛肉じゃが、儂は食べておるぞ」


「そうなの!?」


 とりあえず壱がこの世界に来てから、そんな茂造は見た事が無い。


屠殺とさつした日限定でたまに食べておるんじゃ。レバだけじゃがの。この世界の人らは生で食べる習慣は無いのう。どうも生臭いと思うみたいでのう。じゃから、儂ひとりで食べておる」


「え、いいなぁ! 日本では牛の生食禁止になったんだよ。だから生レバもユッケも年単位で食べて無い。いいなぁ!」


「そうなのかの? それは何かあったのかの?」


「食中毒で死人が出て、禁止になったんだ。今は許可を貰った店が出せるだけ。じゃあこの村では安心して食べられるんだ」


「そうじゃの。うむ、確か今日明日あたり屠殺する筈じゃ。今回は食べようと思って生レバも仕入れるが、壱も食べるかの?」


「食べる食べる! 食べたい!」


 壱が勢い込んで言うと、茂造は楽しそうに笑う。


「よしよし。じゃあ夜のまかないで食べるかの。村人は食べんのでな、独り占め出来るぞい」


「肉も食べたい! ユッケ食べたい!」


「おお? 作れるのかの? 何度かこちらにある調味料やハーブなんかを入れてみたが難しくての、食べられるが、ユッケにはならん。無理だと思っておったのじゃが」


「味噌がある。それと卵とかで出来ると思う。同じにはならないと思うけど、美味しく食べられると思う」


「そうかそうか、楽しみじゃ」


 その時にさっぱりとした表情のカリルとサントが戻って来て、早速仕込みに加わった。




 さて、壱待望の生レバは、今日入荷された。と言う事は、一緒に入荷された、と言うかメインの赤肉も新鮮だと言う事だ。両方今夜の賄いで食べられるのだ。


 壱は客に出す料理を作りながら、楽しみでならなかった。口の中で溢れるよだれを必死で飲み込む。


 いつもより手際良く調理出来ている様な気がする。モチベーションと言うのは大事だな、としみじみ感じる。


 それと同時に、自分はこんなに生肉が好きだったっけか、と思う。数年食べていないから、余計なのだろう。ほぼ日常的に食べられる様になれば、これも治まるだろう。




 ようやく夜営業が終わり、賄いの準備である。残りのパスタを茹でて2種類のソースと和え、肉を焼く。今夜はポトフが品切れてしまった。


 壱は生レバとユッケの準備である。


 まずは玉ねぎをスライスしておく。


 次にユッケのタレを作る。大きめのボウルに味噌を入れ、砂糖とり下ろしたにんにくも加えて練る。そこにオリーブオイルと卵白を少しずつ入れて伸ばして行く。


 本来なら醤油や煮切った味醂みりんや酒、ごま油などで伸ばしたいところだが、この世界には無いのだから、代用するしか無い。


 残った卵白は勿論捨てない。和えている途中のトマトミートパスタに入れた。


「味がまろやかになるかもな!」


 カリルがそんな事を言ってくれながら、フライパンを揺する。


 次に、牛の生肉を太めの千切りにし、タレのボウルに入れて行く。大きなスプーンを使ってしっかりと和える。


 それをサラダボウルに盛り、中央に卵黄を乗せ、玉ねぎのスライスを添えて出来上がり。


 次に生レバを切って行く。食べ応えがある様に厚めに。血のかたまりがあったら取り除いて行く。


 続けて血抜きをする。シンクにボウルとザルを重ねて置いて水を張り、生のレバを入れて、水はゆるく出したまま。流水にして、出た臭みの元などを流して行く。


 新鮮なので1分もすれば大丈夫。ザルを上げて水を切り、布で拭き取り、皿に並べて玉ねぎを添えて、完成である。


 こちらは多めの塩をオリーブオイルで伸ばしたタレを付けていただく。


 2品を並べ、壱は満足そうに口角を上げた。数年振りの生肉、楽しみだ。


「おー、牛の生レバか。店長がたまに食べてるけど、俺らには旨さが解らねーんだよなー。あ、1品増えてる。これは赤肉か?」


 カリルがのぞき込んで来る。


「そういう味覚だって聞いた。俺らの世界では、結構食べるし人気なんだよ。俺らの国では数年前から基本生食禁止になったから、俺も本当に久々でさ」


「へぇ。じゃあ良かったな!」


「うん」


 出来上がった賄いの数々をフロアに運ぶ為に、マユリたちフロア係が厨房に来た。その時、マユリが調理台の生肉料理に眼を止める。


「あ、こ、これ、たまに店長さんが、食べている、牛の生のレバと、あの、もうひとつは、何ですか?」


「ユッケって言って、生の赤肉を使った料理。これは牛だけど、馬でも出来るよ」


「う、馬も、生で、食べるんですか?」


 壱の応えに、マユリは眼を軽く見開く。


「俺たちの国では食べるよ。国によって食文化は様々だけど、俺たちの国では好きな人多いんじゃ無いかな」


「そ、そうなんです、ね。す、凄いです」


 生肉を食べる習慣の無い者からしたらそう見えるのだろうか。不思議な感覚である。


「よし、じゃあとっとと運んじゃおう。お腹空いたなぁ」


「は、はい、私も、です」


 ふたりはそれぞれ料理を持ち上げた。


 フロアのテーブルに従業員全員が着き、早速食べ始める。


 壱は勿論生肉料理から。どちらから食べようか。少し悩んだ末、生レバから。フォークなので滑ってしまって食べにくいが、どうにか突き刺してオリーブオイル塩を付ける。


 待ち望んだ生レバ刺しを口に運ぶ。うん、ねっとりとして濃厚な味。臭みも無く、甘い。新鮮だからか爽やかさも感じる。


 ぷりぷりとした食感も懐かしい。加熱レバも好きで食べていたが、余程巧く調理しないとぱさついてしまうそれと違って、とろりとしている。


 元の世界では塩とごま油で食べていたが、オリーブオイルも悪く無い。生レバそのものの旨味が強調されている様な気がする。


「じいちゃん、旨い!」


「そうかそうか。良かったのう」


 咀嚼そしゃくしながら、すっかりと頬が緩んでしまっているに違いない。味噌を作った時も勿論嬉しくて堪らなかったが、何せ生肉は数年振りなのだ。


 さて、次はユッケである。卵の黄身を割り、玉ねぎのスライスともに良く混ぜ合わせて行く。


 こちらもフォークで食べるが、生レバよりはすくい易かった。早速口に入れる。


 我ながら味付け素晴らしい! 醤油代わりの味噌だったが、牛肉のコクが深まっているのでは無いだろうか。それを卵の黄身がまろやかにさせている。


 赤身の旨味と甘味もしっかりと伝わって来る。食べ応えも抜群。生だからこその弾力と滑らかさ。


「じいちゃん、どうかな。ちゃんとユッケになってるかな」


 壱自身は満足したが、だからこそ茂造の反応が気になる。


「うんうん、旨いのう。もう10年も食べておらんでの、正直味は忘れてしまっておるんじゃが、このタレはとても牛肉に合っていて良いのう」


「あー良かった。ユッケのタレとか作るの初めてだったから、やっぱり不安だったんだ」


 壱は茂造の言葉に安堵した。


「生の肉に生の卵……凄げーな異世界」


 カリルがやや頬を強張こわばらせ、生レバ刺しとユッケを堪能たんのうしている壱と茂造を見る。それは他の従業員も同じだった。


「あ、ごめん、気持ち悪いか?」


「違うよー、ただ吃驚びっくりしてるだけ! ボクたちお肉も卵も生で食べないもん」


「ああ」


 メリアンの台詞に壱は頷く。新鮮な生の肉が生臭いと言うのだったら、卵は尚更だろう。


「少ぉし興味が無い訳じゃないけどぉ、やっぱりちょっと勇気が要るわねぇ」


 マーガレットもそう言って、つやっぽく唇を尖らせた。


 日本で生卵が食べられる理由は、卵農家がからを綺麗に洗っているからである。


 この村では普段洗っていないと言うので、サユリの加護があるにしても少し抵抗があったので、使う前に洗っていた。


 牛の生肉の食中毒の主な原因はO−157であるが、こればかりはサユリの加護に頼るしか無い。


 ちなみに壱はこれまでこれが原因の食中毒になった事は無い。ついでに言うと生牡蠣でも無い。幸いである。


「無理して食べる事無いと思うよ。でもローストビーフならどうかなあ。あれは生っぽいけど、ちゃんと火は通ってるから。あ、駄目かな、こっちはステーキもウェルダンだもんなぁ」


「う、ウェルダン、です、か?」


 マユリが首を傾げる。


「あ、俺らの世界ではステーキにも焼き方があってさ」


 壱はレア、ミディアムレア、ミディアム、ウェルダンの違いを説明する。ウェルダンは中までしっかりと火を通す焼き方だ。壱の好みはミディアムレアである。


「あ、あの、生肉は、あの無理かもですが、あの、ミディアムとか、す、少し食べてみたい、です」


「はいはい! オレも食ってみたい!」


 マユリが言うと、カリルも調理人の好奇心からか、元気良く手を上げた。


「ふむ、それなら我も少し食べてみたいカピ」


 サユリの味覚もこの世界のものなので、生肉は食べていないのだ。


「うん、じゃあ明日の夜の賄いに、ステーキ肉があったら作ってみようか」


 壱が言うと、マユリとカリルが破顔はがんした。


「あ、ありがとう、ございます」


「楽しみだなー!」


 サントも興味深げに壱を見つめるので、小さく頷き返すと、嬉しそうに少し口角を上げた。


 明日の夜の賄いは決まったな。その前に明日の朝食だ。増やしてもらえる事になった米は是非とも食べたい。


 壱は生肉最後の一口、ユッケを口に放り込んだ。

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