#65 ノルドの境遇、そしてこれから

「私はとある街から参りました。そこにいる時は、医者として病院に勤めておりました」


 この世界の人たちは、街や村にいる限り、魔法の加護のお陰で、滅多に怪我や病気をしない。


 しかしその程度は、魔法使いの力量に寄って異なる。


 このコンシャリド村は、サユリの加護で怪我人や病人はほぼ出ない。


 村人には「しがない魔法使い」を装っているので、加護の大半をそこに割いている、と言う事にしている。この村には人相手の医者がいないからだ。


 実際にはサユリの魔力だと余裕なのだが。


 しかし、魔力の強くない魔法使いもいる。そういう街では医者が多く必要になるのだ。


 ノルドがいたのもそんな街だった。そういう街は医療が発達する。なので、悪いばかりでは無いと言える。


 さて、ノルドは患者をる日々を送っていた。


 その病院では、同じ内科の同僚がいた。男性で、年齢もほぼ変わらない。なのでふたりは友人の様な付き合いをしていた。


 休憩時間に話をしたり、昼食をともにしたり、就業後には酒をみ交わしたり。


 そうして友好的な関わりを保っていた。


 ある日、ノルドたちが勤める病院で騒ぎが起きた。患者の妻と名乗る女性が乗り込んで来たのだ。


「風邪だって診断されたから、処方しょほうされた薬を飲んで寝ていたのに、急におかしくなって死んでしまったわ! どういう事なのよ!」


 受付でわめき散らす女性を相手に、事務員が根気強く宥めながら話を聞くと、担当医はノルドの同僚だった。


 丁度そのタイミングで、外の食堂で昼食を終え、病院に戻って来たばかりのノルドと同僚がその場を差し掛かった。


 女性は同僚を見るやいなや、胸ぐらをつかまんばかりに詰め寄った。同僚はり、表情を強張こわばらせる。


「あんたのせいよ! あんたの出した薬を飲んで寝ていたのに、夫は死んだ! どういう事よ! 診断を間違えたんじゃ無いの!? 風邪じゃ無かったんじゃ無いの!?」


「い、いや……」


 同僚はすっかりと狼狽ろうばいしてしまっている。


 この街の魔法使いの魔力は確かに強く無く、だからこうして医者が必要になっている。だが、それでとどまっている筈だった。


 具合が悪くなると病院に行くのだが、その大概たいがいがどれも軽いもので、内科の場合は風邪、外科の場合は肩凝りや腰痛、捻挫ねんざや打ち身などの症状だった。


 その全ては魔法使いや薬剤師が調合した薬で快方に向かう。


 少なくともノルドが医者になってからは、重篤じゅうとく患者を見た事は無かった。軽症、軽傷の人数は多かったものの、治らなかった患者、ましてや亡くなった患者はひとりもいなかったのだ。


 ノルドはまだ若く、医者になってから10年にも満たない。それでもひとりも亡くなっていないと言うのは、壱たちの世界では奇跡だ。


 この世界では、魔法のお陰でその感覚が麻痺しているのだろう。何があっても死ぬ訳が無い。もしそう至る事があっても、万が一の確率なのだから、自分は大丈夫だ、と。


 患者が何故なぜ亡くなったのかは判らない。同僚が「また風邪だろう」と大して診察しなかったのか、それとも処方した薬と患者との相性が悪かったのか。


 薬は薬草から作られるから、アレルギーの可能性だってある。調べる術は魔法以外無いのだが。


 間近に迫る憤怒ふんぬの形相の女性を前に、同僚は唇をわななかせ、眼を泳がせる。釣り上がる女性の眼を正面から見る事も出来ず、痙攣けいれんの様に震える頭、そして眸がノルドと交差した。


 その途端、同僚は叫んだのだ。


「俺じゃ無い! 診断をしたのはノルドだ! 俺は悪く無い! 悪いのはノルドだ!」


 そんな嘘は、診察時に患者に付き添っていただろう女性は勿論信じないし、カルテを見たらノルドが欠片も関わっていない事も解る筈だ。


 だがノルドは、友人だと信じていた同僚が自分に押し付けた事に、大いに失望した。


 有事の際には守ってくれる、そこまでの期待はしていなかった。だが、なすり付けられるとは。


 女性は一瞬ほうけるが、やがて表情を歪め、叫んだ。


「何言ってるのよ! あの先生とは会った事も話した事も無いわよ! なのに何であの先生が関係あるのよ!」


 その時は事務員や看護師が駆け付け、どうにかその場を収めた。事実関係を明らかにし、報告するからと。


 女性は興奮しながらもその場はしてくれた。


 しかしその翌朝。


 新聞の一面を飾ったのは、「ノルドが医療ミスを犯した」と言う記事だった。


 昨日の悶着もんちゃくの場面に新聞記者がいて、女性の「ノルドを知らない」と言う台詞を聞く前に、会社に持ち帰ったのでは無いだろうかと予想される。


 眼を潰されてはいたし、白黒でロングショットだったが、昨日の現場の写真も掲載されていた。


 ノルドと同僚はヘアスタイルも似ていた。眼を隠された状態で遠目から見れば、区別など殆ど付かない。


 新聞社が裏付け無しに記事にした事に付いては、その余りの杜撰ずさんさに呆れるしか無い。


 しかし、問題はそこでは無い。


 病院側は、誰が医療ミスをしようがどうでも良い。病院そのものがそういう事態を起こしたかどうかだ。


 そして実際に出したかどうかもどうでも良い。病院に悪評が付く、それが重要なのだ。


 なので病院は、その騒ぎを沈静化させる事に尽力じんりょくした。ノルドへの濡れ衣は放ったらかしにして。


 病院が「医療ミスは無かった」と声を大きくしたところで、実際に患者がひとり亡くなっている。


 患者の妻と言う女性も、新聞のインタビューに熱く応えていた。夫を失った未亡人と言う立場は、読む者の同情を大いに誘う。


 当然記者も面白おもしろ可笑おかしく記事にする。


 そして誤報の謝罪も訂正もしない。


 こうしたモラルの低さも、この街の魔法使いの魔力の弱さに比例していた。


 そうなると、病院は責任を取らざるを得無くなる。


 まず、病院は表立ってしまったノルドを解雇かいこした。責任を取らせると言う形だ。そうして少しでも落ち着かせようとした。


 解雇は表向きで、実際は会社都合退職。退職金は通常の金額にかなりの色を付けて支払われた。


 納得出来る事では無かったが、このままこの病院に勤めても、誰のえきにもならない事はノルドにも解っていたので、受け入れるしか無かった。


 だが、加熱した街人は鎮静ちんせいの気配を見せなかった。あおり続けているのは新聞だった。


 しかし何のミスも無く退職に追い込まれたノルドにとって、そんな事はどうでも良かった。


 食べるものを買いに外に出ると、罵声ばせいを浴びせられる。そんな数日を過ごしたノルドは、親の代から暮らしていた街そのものにも失望した。


 その両親は既に他界していたし、ひとりっ子で天涯孤独の身だったので、誰にも迷惑を掛ける事が無かったのだけが救いだった。


 その時、思い出したのだ。どこかに、前科者が身を寄せ合い暮らす村があると聞いた事を。


 自分は無実だ。医療ミスなど犯してはいない。だが今の自分の気持ちを解ってくれるのは、そういう人たちなのでは無いか。信じてくれるのでは無いか。


 無職になり、街の人々にうとまれるだけの存在になってしまったノルドは、ありったけのお金と必要最小限のものだけを手に、旅に出た。


 その噂の村が東西南北どの方向にあるのか判らぬまま、出会った人に話を聞きながら、しかし大した手掛かりも得られないまま。


 だが求めたノルドは、無事にコンシャリド村に辿り着いたのである。




「……そうカピか」


 サユリはノルドの話を聞き終え、溜め息を吐きながら言う。


「ノルド、お前の境遇は解ったカピ。大変だったのだカピな。で、お前はどうしたいのだカピ? この村に来たいと思った目的は何カピ?」


「目的、ですか。ああ……」


 ノルドはうめく様に言うと、困った様に顔を伏せた。


「とにかく村に行きたいと、着けばどうにかなると、そればかりを考えていました。私はこの村で何が出来るでしょうか」


「この村で暮らすのじゃったら、医者として働いたら良いぞい。この村はの、老若男女全員が働いておる。学校に行っておる子どもも、親の手伝いをしておるんじゃ。家族や夫婦、全員が力を合わせて助け合いながら生活をしておる。家事だけの女性、仕事だけの男性、勉強と遊びだけの子どもはおらんのじゃ。まずは村のこの決まりに従えないのであれば、受け入れる事は出来んのじゃ」


「それは大丈夫です。独身のひとり暮らしでしたから、一通りの事は自分で出来ます」


「将来結婚する事になっても、変わらんぞい。家事は嫁さんと協力するんじゃぞ」


「はい、大丈夫です」


 ノルドは真剣な顔で、大きく頷いた。その表情からは強い意志を感じた。


「ならノルドよ、我たちはお前を歓迎するカピ。人間の医者が来るのは実際に助かるカピ。この村には獣医しかいなかったカピからな」


「ノルドさん、これからよろしくお願いします」


 壱が笑顔で言うと、ノルドも笑みを浮かべた。


「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。この村での生活、楽しみです」


「村の人はみんな良い人ですから。前科をお持ちの方がいますけど、本当に良い人ばっかりで」


「そうなんですか。お会い出来るのが楽しみです」


 壱とノルドが話に花を咲かせていると、茂造が頃合で「まぁまぁ」と口を挟む。


「では、ノルドが暮らす家を決めんとのう。その1部を病院と言うか診療所に改装出来たら良いの。壱、済まんがわしは昼営業分の仕込みを抜けるから、よろしくの。サユリさんはどうするかの?」


「我は残るカピ」


 サユリは考える風も無く即答する。


「うんうん。では儂らは行って来るでの。壱よ、済まんついでに洗い物も頼んで良いかのう」


「うん、良いよ」


 壱が朝食を作る様になってから、洗い物は茂造がしてくれていた。


「出来るなら今日中に家を決めて、ノルドが暮らせる様にしたいからのう。では行って来るからの。後はよろしくの」


「うん、行ってらっしゃい」


「行って来るカピ」


「行って来ます。あの、朝食ごちそうさまでした。とても美味しかったです」


 ノルドの皿は綺麗に空になっていた。


「いえいえ」


 そうして壱とサユリは、茂造とノルドを見送った。

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