#32 バジルソースの作り方と改善案

 朝食に使った鍋や食器などを洗っている時、茂造が、あ、と口を開いた。


「壱に村を案内した時に、時間が無くての、村の中だけにしたんじゃが、外の漁師小屋と養蜂場ようほうじょうとオリーブ畑を案内出来んかったんじゃ。そこには米農家募集のチラシを配れておらんでのう。儂もうっかり忘れておったのう」


 と言う事は、合計13件。チラシの枚数を伝える時に茂造が言っていた枚数は正しかったのだ。紙漉かみすき工房のトーマスも恐らく失念していたのだろう。


「じゃから儂はまずチラシを書いて持って行くからの。面接は明日じゃからの、ちと急ぐでの。昼の仕込み、最初は任す事になるが」


「大丈夫。カリルとサントがいるし、俺も慣れて来たし。安心してよ」


「そうじゃの。ではよろしく頼むぞい。サユリさん、済まんがまた文面を教えてくれるかの」


「判ったカピ」


 時間になったので壱は擂り粉木すりこぎを手に厨房に降りる。茂造は余っていた、実際は余っていなかった訳だが、昨日貰った3枚の紙を出し、チラシを作り始めた。


 カリルとサントが既に出勤して来ていた。割烹着かっぽうぎ三角巾さんかくきんも装着済みである。


「イチおはよう! 店長は?」


 壱は事情を説明する。


「そっか。じゃあとっとと仕込み始めようぜ。イチはバジルソース作り頼んで良いか?」


「うん。あ、朝ご飯作るのに食堂の擂り粉木借りてた」


「あ、上には無いんだ。これからも使うんだったら、1本くらい持ってっても良いと思うんだけどなぁ」


「そうなの? 後でじいちゃんに聞いてみよ。さて、バジルソース作りっと」


 フレッシュバジルを始め、昼営業に使うハーブや野菜類は既に入荷されている。壱たちが仕込みを始める前に、農家が早くから畑に入り、熟しているものを収穫し、表の入り口前に置いておいてくれる。毎営業新鮮なものを調理しているのだ。


 じゃがいもなど一部の野菜は、貯蔵すると澱粉でんぷんが糖に変わり旨味が増すと聞いた事があるが、恐らく貯蔵庫が無いのだろう。温度管理も必要だろうから、今の村では難しいのかも知れない。


 バジルソースの作り方を教わってから、これは壱の仕事になっている。茂造はコンソメを作り、カリルはミネストローネ、サントはパスタとパンを捏ねる。今は茂造がいないので、カリルがコンソメを仕掛けている。


 壱は軸からバジルの葉だけを摘み、大きなザルに入れて行く。終わると流水で洗い、布で丁寧ていねいに水分を拭き取って行く。


 適量ずつまな板に乗せ、まずはざく切りに。次に叩く様に細かくして行く。それを陶器製のボウルに入れ、擂り粉木で押し潰して行く。


 この作業、壱たちの世界ではフードプロセッサーやミキサーなどを使って行う。しかしこの村には無いので、こうして包丁や擂り粉木で地道に細かくしているのだ。


 しかし壱には、この作業が少しは楽になる心当たりがあった。り鉢である。茂造に相談し、陶器工房で作ってもらう事は出来ないだろうか。


 今日の休憩時間は煉瓦れんがの形成をすると思うので、隙を見て茂造に聞いてみる事にしよう。


 今はまず、手持ちの器具でやるしか無い。ボウルの中で良い塩梅あんばいにソース状になったバジルを、大きなボウルに移す。


 壱はまたまな板の前に戻り、バジルを置いて、ざく切りにして。


 この作業を繰り返す。なかなか根気の要る作業である。しかしを上げている場合では無い。


 そもそもこういう作業があまり苦手では無い。何せ壱は味噌蔵を継ごうとしていた人間である。あれもまた、本来なら細かい手の込んだ作業なのである。


 だが知恵で簡略化出来るならした方が良いと思う。なので擂り鉢なのである。


 さて、ようやく全てのバジルをソース状に出来た。今度はにんにくを微塵切みじんぎりにして行く。それをバジルのボウルに。そこに更にオリーブオイルを加えて混ぜて行く。


 そうしてバジルソースが出来上がる。基本的に昼営業に使う素材は殆ど火を通して置いておくが、バジルは熱に弱いので、注文が入ってから火に掛けるのだ。


 まな板と包丁を洗って、壱は木製のトレイに入れられた、入荷された野菜たちを見る。


「ねぇカリル、バジルとペペロンチーノの具は何にする?」


「そうだなー」


 ミネストローネを作り終え、ペペロンチーノの下拵したごしらえをしていたカリルが、手を洗って布で拭きながら寄って来る。


 昼営業分に入荷される野菜は、日によって違う。だからパスタの具材が日替わりなのだ。夜営業はメニューも素材も固定されているので、農家がじゅくされ方などを見ながら昼の野菜を決めるのだ。


 カリルが数種類の野菜を見て、壱に聞いて来る。


「壱は、バジルソースに何入れたい?」


「俺が決めて良いの? じゃあ、鶏とブロッコリってどうかな」


「いいね! じゃあペペロンチーノはカリフラワと鯛かサーモンで行こうかな」


 どちらも昨日の昼に入荷されてさばかれた分が、冷蔵庫にあった筈だ。


「あ、それ旨そう」


「じゃあイチはブロッコリとカリフラワの塩茹で頼んで良いか? オレ、鶏と鯛やるからさ」


「うん」


 トレイからブロッコリとカリフラワを出し、包丁で小房に分けて行く。その前に鍋に水を入れ、コンロに掛けておく。


 湯が沸いたので塩を入れて、ブロッコリとカリフラワを入れる。数分後にザルに丘上げする。


 カリルを見ると、鶏肉と鯛を切り終えて、サーモンを切っている途中だった。


「カリル、鶏肉焼くな。味付けは塩胡椒だよな」


「おー助かる。頼むな!」


 1口大よりも小さめにカットされた鶏肉に塩と胡椒で下味を付けて、フライパンで焼いて行く。後でまた火を通すし、上げた時から余熱でも火が入って行くので、神経質に火を通さなくても大丈夫である。


 鶏肉を焼いていたら、隣にカリルが立ち、鯛を焼いて行く。


 夜メニューのカルパッチョのイメージで、この村では魚は生で食べるのが当たり前だと思いがちであったが、昨日茂造も言っていた。火を通す事もあると。


 昼営業では確かに火を通している。メインでは無くパスタの具材なせいか、あまり印象に残っていなかった。


 魚料理と言えば、塩焼きや煮魚、ムニエルや包み焼きなどが壱のイメージだった。そのどれもがこの村では作られないのである。


 勿体無いな、と思いつつ、新鮮な内は生で食べるのが村人の希望らしいし、昼営業にそんな魚料理を作る余裕は無い。それで巧く回っているのだ。


「おお、お前たち、待たせたの。済まんの」


「あ、じいちゃんお帰り」


 茂造が帰って来た。


「店長お帰りっす! コンソメ仕掛けてあるんで、続きはよろしくっす!」


 サントは小さく頭を下げる。


「ありがとうの。すっかり行った先々で話し込んでしまっての、帰りが遅くなってしまったのう。しかしお前たちがちゃんとやってくれるからの。壱も来て人手も足りておるから、安心出来たぞい」


「じゃんじゃん任せてくださいよ! 店長は村長だってやってるんすから、もっと食堂の仕事量減らしても良いと思うんですけどねー」


 そうだ。茂造は表向き、この村の村長だった。実際考えているのはサユリだろうが、茂造も全てを把握はあくしている筈だ。で無ければ立ち行かない。


「ほっほっほっ、それは助かるのう。じゃが儂はまだまだ働けるぞい。ではコンソメを見るかの」


 言いながら茂造は割烹着と三角巾を付けて、ブイヨンの鍋に向かった。




 怒涛どとうの昼営業が落ち着き、やっと交代で昼食である。壱はバジルソースのパスタを食べる事にする。


 まずは生パスタを湯が沸いた大鍋に入れて。


 次にフライパンを火に掛け、オリーブオイルを薄く引き、既に火が通っている鶏肉を入れる。


 温まったところにバジルソースと塩茹でしておいたブロッコリを入れる。中弱火で更に温めて、茹で上がったパスタを入れて和え、皿に盛る。


 食欲を唆る、鮮やかな緑。温かい内にいただく。


 食べたのは初めてでは無い。だがほぼ毎回具材が違うので、そこから滲み出る旨味のお陰で毎回微かに味が違う。今日は鶏肉の旨味である。


 新鮮なバジルで作ったソースは爽やかである。オリーブオイルもマメに入荷するので新鮮で、にんにくがコクを生み出す。そこに鶏肉の油が更なるコクを加えるのである。


 打って間も無いパスタももちもちしていて美味しい。


 しかし、壱は思った。壱たちの世界では、バジルソースには松の実を使っていた。それがよりコクと香ばしさを出しているのである。


 松の実が難しくとも、他のナッツで代用出来ないものか。


 この村ではまだどのナッツも育てていない。だが村人の好物であるとも聞いていたので、育てる事が出来たら一石二鳥では無いだろうか。


 育てたいが、人手の問題で難しいとサユリは言っていた。だが育て方次第に寄っては、例えばこの食堂の裏庭で育てる事が出来るのでは無いだろうか。


 そうなると村人の口に入る量を育てるのは難しいかも知れないが、せめてバジルソースに使う分だけでも。


 料理の味が上がれば、村人も喜んでくれるかも知れない。


 松の実そのものを食べた事のある壱には、心当たりのナッツがあった。擂り鉢の事も含めて、相談してみる事にしよう。

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