#14 まだ名も無い頃のサユリと、ある男の出会い

 このコンシャリド村の大半は前科者。


 サユリから放たれたその一言は、壱にかなりの衝撃を与えた。


 今まで会った村人は、みんな良い人たちばかりだった。浮気だのなんだのと問題を起こしたシェムスも、初対面は良いイメージだったし、ボニーにその一件が知られて制裁を受けていた時も、大人しくされるがままになっていた。


 そのボニーもフレンチトーストに素直に喜んでくれて、笑顔も綺麗で、良い印象しか無い。


 食堂のメンバーである面々も、嬉しそうに壱を歓迎してくれて、そして寝込んだ時には心配もしてくれた。食堂が忙しいのに濡れタオルを代えてもくれた。


 昨日食堂に食材を納品に来た野菜農家や酪農らくのう家の人たちも気の良い人たちで、銭湯せんとうの番台に座る店長もほがらかな笑顔を寄越してくれた。


 壱が昨日この村に来てから会った人々は、その全てが善人だとこの眼に映ったのに。


「ああ、誤解しないで欲しいカピ。この村にいるのは確かに大半が前科者カピが、その全員がその罪を償っているカピよ。やや迂闊うかつなところはあるカピが、みんな悪い者では無いカピ」


 それは壱にも解る。壱は昨日から今日に掛けて、村の人々の、特に食堂メンバーの優しさに触れて来た。それらは全て本物だった。そう思う。思いたい。


「そもそもこの村の成り立ちが、罪から出来ているのだカピ」


 サユリは眼を伏せると、静かに語り始めた。






 サユリは、野良カピバラとしてこの世に誕生した。


 母親カピバラの乳を喰み、すくすく育った。


 しかし並以上の魔法使いであったサユリは幼くして悟る。このままここにいては、このカピバラの里が荒らされる可能性があると。


 街は魔法使いを国のにない手として、そして労働力としてし上げていた。それは人間がメインではあったが、獣の身であるサユリの場合、その穏やかな気性ゆえに迎えられるか、もしくは獣として狩られるかは5分5分だった。


 なら、幼いサユリが取る道はひとつだった。


 里を離れる事。


 他のカピバラに被害を及ぼさない様に。それがその時のサユリが出来る、唯一の親孝行だった。


 これでもう里は安心だ。安堵し、そしてサユリは彷徨いながら、魔力を駆使し、まずは自らが生き延びる為に情報収取に勤しんだ。


 しかし気付けば、ある街に迷い込んでしまっていた。


 ああ、我とした事が何と迂闊うかつな。早く出なければ。そう思いながら路地をうろうろしていたら、数人の子どもに見つかった。


 サユリはもちろんすぐさまその場を離れようとする。しかし相手は子どもとは言え数人。あっという間に囲まれてしまった。


 その子どもたちは、おそらく何も考えてはいなかった。ただ自分たちより小さな獣がいる。だから興味本位で寄って来ただけなのだ。


 しかし子どもたちのやり方がまずかった。何故なら、まず腹をられたのだから。


 その子どもたちはただ、思うがままに振る舞っただけだった。だが今にして思う。まともにしつけもされていない、ろくでも無いクソガキだったのだと。


 方々から蹴られる痛みに、サユリは耐えるしか無かった。それこそ溢れ出る魔力を行使すれば、たった数人の子どもたちを弾き飛ばす、もしくはほふってしまう事など容易だった。だがそうしてしまえば「上」に知られてしまう。


 街は特に魔法使いの勢力圏内けんないだ。壱がこの街に迷い込んでしまったのは、この街に加護を与えているこの街1番の筈の魔法使いが、サユリより格下だからなのに他ならないが、そんな魔法使いでも徒党ととうを組んで来られては厄介だ。


 さてどうしようか。魔法残滓ざんし覚悟で子どもたちの心臓を潰してしまおうか。限界に近づいたサユリがそう思ったその時、あちらこちらが痛む体がふわりと浮き、同時に少し遠いところで鈍い音がした。


 サユリは、屈強な男の腕の中にいた。そして子どもたちのひとり、最初にサユリの腹を蹴ったリーダー格と思われる子どもが、壁に背を打ち付けて白目を剥いた。


「走るぞ。しっかり掴まってろ」


 男は言うと、その場を駆け出した。その足は早かった。サユリが口を開けぬ程に。あっという間に街を抜け、それから休憩を挟みながらも数時間走り続け、気付けば緑生い茂る林の中で息を点いていた。


 男はサユリをその場に下ろしてくれた。


「街のガキどもが悪かったな。身体は痛まないか?」


 優しげな表情を向けられ、痛む頭をそっと撫でられ、サユリは迷う。身を呈してサユリを守ってくれたこの男、決して悪人では無いのだろう。しかしサユリの事情は別だ。


 この男が善人だとして、サユリが魔法使いだと知って、助けてくれた時の様な心持ちでいられるかどうか。


 少なくともサユリがここに至るまでに収集した情報の中では、魔法使いは民間人の中では決して良い扱いでは無かった。国にし抱えられても、それはそもそもが本人の望んだものでは無い事がほとんど。


 全体数が少ない事もあって、一般では奇異きいの目で見られる事が多かった。


 しかしサユリは信じたかった。こんなしがない獣を助けてくれたこの人間を。


 あの時壁に打ち付けられた子どもは、少なからず怪我をしている筈だ。とすれば、あのクソガキを養っている馬鹿親は、男を傷害罪などで訴える可能性が高い。


 男がそこまで考えていたかは判らない。しかし、助けてくれた。ただ耐えるしか無かった小さな生命を、かばってくれたのだ。


 サユリは意を決して、口を開いた。


「大丈夫カピ。痛いカピが、我慢出来るカピよ」


 喋ったサユリに、男は大いに眼を見開き、次には雄叫びを上げていた。


「うおー! 凄げー!! もしかしてお前、魔法が使えるカピバラか? 魔法が使えたら動物でも喋れるって聞いた。本当に? 本物!?」


 思いも掛けない反応に、サユリはびくりと跳ねる。


「そ、そうカピ。我は魔法が使えるカピバラだカピ」


「そっかそっかー! 凄げーな! 見た目とかは普通のカピバラだから判らなかった」


「感激しているところ申し訳無いカピが、我は国に見付かりたく無いのだカピ。さっき暴行を受けている時に我慢していたのも、そこで魔法を使ってあの街を加護する魔法使いに見付かりたく無かったからカピ。お前が来てくれなければ、あの子どもたちの心臓を潰してても、逃げていたカピ。けど、魔法感知されて駆け付けて来るであろう魔法使いや騎士団などとやり合いたく無かったカピ。我の魔力は膨大だから、下手をすると街を潰しかねないカピ。もしお前が国に我の事を言うと言うなら、すぐにでも我はお前を壊すカピ。生命の恩人に手を掛けるのは心苦しいカピが、我は自分の身を守らなければならないカピ」


「しねーって、そんな事」


 男はサユリの台詞を笑い飛ばす。しかしその笑いは、次には苦笑に変わる。


「俺が跳ね飛ばした子どもさ、あの街の有力者の息子なんだよ。だから甘やかされてあんな風に育ってんだけども、ガキが親に駆け込めば親はまた甘やかして、俺を探そうそすると思う。だからもうあの街には帰れないんだ」


「それは……申し訳無い事をしたカピ」


 サユリが言いすぎたかと項垂うなだれると、男は明るく笑ってサユリの背中を軽く叩いた。


「構わねーよ。街には家族とかもいないし未練も無いさ。それよりお前はこれからどうするんだ?」


「特に当ては無いカピ。また旅を続けるカピよ。寄る辺が無いのも寂しい気もするカピが。ま、適当にやるカピよ」


「それならさ、確かもう1日程行ったところに、海辺の開けたところがあるんだよ。そこで少しでも良いから一緒に暮らさないか?」


「暮らす? お前と我がカピ?」


「そう。やっぱりさ、落ち着けるところってあった方が楽じゃ無いかなって。もしまたお前が旅に出る事があっても、俺のところに帰ってくれば良いだろ?」


「それは……悪く無いカピね」


 サユリは少し考え、こたえた。何、この男が下手な事をしても、他所から人が来たとしても、サユリの魔法で対処出来る。自惚うぬぼれでは無く、少なくともこれまでの旅の間で、サユリ以上の魔法使いに出会った事は無かった。


 今日はうっかりあの街に迷い込んでしまったが、他の街に近付いた時には、そこに掛けられている加護の魔力を観察していた。どこも、サユリより格下だった。


 全ての街では無いが、確率的にサユリより格上の魔法使いはそういないだろう。


「じゃ、行くか。身体痛いか? かかえてやろうか?」


「心配無用カピ。治癒ちゆ魔法も使えるカピ」


「おお、やっぱり凄げーな! でも疲れたら言えよ? 抱えてやるから」


「その時は甘えるカピ」


「おう」


 そしてサユリと男は連れ立って、海辺に向かって歩き始めた。


 そこが、今のコンシャリド村の場所なのである。

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