1日目・夜~秘密結社 ネオ・メイスン

19 地下組織ー デンバー国際空港

アンナとナナカが会話していた頃――


 現地時間 PM11:33 (ラスベガスより1時間早い時差)

 アメリカ コロラド州 

 デンバー国際空港



 白い山々が連なったような屋根が印象的なターミナル。

 商用の空港としてはアメリカ最大級の規模を誇るのが、ここ、デンバー国際空港だ。

 州都デンバー・シティから45キロと、かなり離れた場所に置かれた難点はあるものの、交差しない6本の滑走路と、航空会社や運航ルートごとに区分された3つのコンコースを有し、年間約65万便が発着する事実から見ても、その巨大さはわかると思う。


 だが、この空港には奇妙なものがいくつも置かれている。

 

 空港入り口の光る青い馬の像。

 空き地に佇むエジプト・アヌビス神の巨像。

 サイケデリックであるものの、製作者の意図が全く不明な4枚の壁画。

 利用客を見下ろす、ターミナル内のガーゴイル。


 そして、空港の壁に刻まれるのは、正体不明のスポンサー。

 新世界空港委員会とAUAG。


 この混沌から来る奇異と、完全意味不明の象徴。

 故に、幾つもの諸説はあるが、人々はほとんど同じようなことを口にする。


 デンバー国際空港は、何らかの組織の施設ないし本部基地なのではないか、と――。


 ■


 日付が変わる時間は迫るものの、最終便の出発までまだ余裕がある、23時半過ぎ。

 ジャンボジェットが、4番滑走路に着陸した。


 ボーイング747-400。

 白と茶色ツートンカラーが特徴たる、フランス・モカ航空の機体だ。

 だが、この旅客機は管制塔の指示に途中まで従っていたが、無線を切るや否や、ターミナルビルを素通り。

 離れた格納庫へと吸い込まれていった。


 旅客機が一体どこから来たのか。それは誘導した管制官すら知らない。

 無論、その機体が何処へ消えたのかも。

 

 格納庫のシャッターが閉まると、ゴウンと揺れを伴いながら、コンクリートの地面全体が地の底へ向けて動き出した。

 ジャンボジェットすら余裕で運べる地下エレベーター、それが秘密格納庫の正体だった。


 更に途中で、747の機体に向け四方から紫色の液体が噴霧される。

 その中をくぐり、吹きかけられた水で洗浄されると、あら不思議。

 モカ航空のラインもロゴも消えた。

 あるのは世界の、いかなる航空会社とも判別できない、不気味なタトゥーを施した真っ白な機体。

 尾翼には眼を中心とした逆三角形― 反転したプロビデンスの眼。

 機体には二階客席にまでかかるほど大きく、ライオンの絵が描かれており、その頭頂部には黄色いアカシアの花と枝で組まれた冠が載っている。


 ようやくエレベーターが止まった。

 そこには高層ビルや工場が林立する、巨大な地下空間が広がっているではないか。

 空港の地下と、説明されても信じられないだろう。

 空間の高さは軽く100メートルは超えてるだろうか。

 むき出しになった天井の鉄筋の間を、ガントリークレーンが走り、スーツに身を纏った人々が、乱れず律した様子で歩いていく様は、ロボット。


 トーイングトラクターにけん引され、ビルの間を縫う、片側7車線の道路を走り抜けた先には、これまた無駄に開けた空間。

 ステンドグラスで彩られた虹の塔を有する、ドーム建造物を中心に、古今東西の旅客機、輸送機がいくつも駐機している。

 A330、DC-10、トライスター、日本のYS‐11もいる。

 いずれも、747と同じトレードマークを刻んで。

 

 「すぐ帰ってこい、だなんて…相変わらず、人使いの荒い組織だこと」


 愚痴と共に開かれた扉を出て、タラップを降りてくるのは、漆黒のゴシックに身を包んだ少女。

 セミロングの金髪。整えられた前髪から睨む、赤い瞳の眼光は眠たそうで鋭い。


 階段の下で、頬を赤らめ無言で待ち構えるのは、もう一人の少女。

 砂浜の如く白い肌。

 琥珀色の瞳と濃い紫のショートヘアーは、相手とは対極的に、甘美なおしとやかさを醸し出す。


 地上へと降りてきた堕天使は、待ち受ける少女に、ゆっくりと右手を差し伸べた。

 「帰ったよ。レベッカ」

 相手は、白くしなやかな手でそれを受け止め、甲にチュっと、軽く音を立てたキスを交わすと、顔を上げた。

 「おかえりなさい。シュバルツ」


 2人の名は、シュバルツ・バートリーと、レベッカ・パゾリーニ。

 年齢も出身も全く不明な彼女らがいるのは、バチカンと同じく、アカシックレコードを狙う、ある組織の本拠地だった。


 ■


 合衆国建国連合― それは、石工の過激原理主義を尊ぶ秘密結社。

 俗に「ネオ・メイスン」と呼ばれている。

 その名の通り、かの有名な結社「フリーメイスン」から独立分離した組織だ。


 フリーメーソンと言えば、世界を影から操る強大な秘密結社のイメージがあるが、実際はそうではない。

 諸説はあるが、元々はイギリスの城造りに携わった、石工たちの同業組合がその始まりとされており、フリーメイスンの名は1378年、カンタベリー大司教より授かったものである。

 1717年、ロンドンに本部となるグランドロッジが作られると、それまでの労働組合的な雰囲気は一変、上流階級が所属する友愛団体という、思索的な近代組織へと変革を遂げ、現在の世に至るのであった。


 だが人々は、フリーメーソンを友愛団体とはみなさなかった。

 それどころ、怪しげな秘密結社とみなされ、あらゆる噂が流れたのだ。

 秘密結社と疑われた大きな理由。

 それは、メンバー加入や、組織内での昇格といった、フリーメーソンの主たる儀式と、それに用いられている“伝説”の存在である。


 俗に「ヒラムの伝説」と呼ばれるもので、18世紀に確率された、フリーメーソンの最たる起源とされる出来事だ。



 古代イスラエル、バビロン王の神殿を建立した建築士、ヒラム・アビフから神殿建築の秘儀を盗み出そうとした3人の弟子が、誤って彼を殺してしまう。

 弟子たちは、殺人を隠ぺいするためヒラムの遺体を埋め、そこに目印としてアカシアの枝を刺した。

 後に、ヒラムが殺されたことを知ったソロモン王は、9人の親方衆に命じ彼の遺体を捜索させる。

 捜索開始から14日目。ヒラムの遺体は、アカシアの枝が目印となり発見されるのだが、その遺体には腐食の様子が全くなく、彼を「獅子の握手」と呼ばれる特別な方法で起き上がらせると、なんと、ヒラムは生き返ったというのだ。


 

 一見して、イエス・キリストを彷彿とさせる復活物語こそ、「ヒラムの伝説」であり、これが近代におけるフリーメイソンの活動や方針に大きな影響を与えているという。

 故に、フリーメーソンは友愛組織という一方、リインカーネーション、つまり死からの再生を尊び、それを信仰させる、ある種の宗教団体的側面も併せ持っているとも言える。


 合衆国建国連合は、この「ヒラムの伝説」とリインカーネーションを信仰し、尊んだ上で、自分たちの都合のいいように改変しているのだ。

 その目的は、平和と友愛の名のもとに、全ての人類を殺し、自分たちの握手で再生した人類だけで、新しい合衆国ユートピアを築こうというもの。

 P2ロッジ同様、本家より破門されても、各国のテロ組織に惜しみない援助をするほど、彼らの力は日々、強大化を続けている。

 それは人間にとっても、魔術師や妖怪にとっても、脅威でしかない――。


 ■


 「パリはどうだった? シュバルツ」

 彼女のスーツケースを転がしながら、レベッカは聞いた。

 何重にも駐機された旅客機に見下ろされながら、小さな2人は歩いている。


 「いつ行っても最悪よ。あの街は。

  石畳は吸い殻だらけで、地下鉄はクサいし、カフェのボーイは不親切。

  おまけに、今回のターゲットの血の不味さときたら、カスクート食べてるほうがマシってレベル。

  とっとと、セーヌ川に捨てたわ」


 顔をしかめながら言い放つシュバルツに、レベッカはあっさりと。


 「そっかぁ…でも、仕方ないよ。

  血と死の魔力に魅入られ、享楽と美貌のため、幾人もの処女メイドを殺し続けた伯爵夫人、エリザベート・バートリーの子孫、シュバルツ。

  その喉を癒せるのは、年代物のワインより深くかぐわしい、至極の一滴だけだから」


 すると、シュバルツは足を止め、レベッカの顔を見るや、そっと彼女の頬に右手を添え、唇を近づけた。


 「あっ…」


 レベッカの頬が赤らむ。


 「レベッカ・パゾリーニ。

  誰もが知る稀代の殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーと、それを師と崇めたデュッセルドルフの怪物、ペーター・キュルテン。

  シリアルキラーの血がふんだんに、しかもで流れてる貴女の血なら、私のこの乾き続ける全てを、満たし酔わせてくれるかもしれない。

  格別なモルトウィスキーより、強く刺激的に」


 フフッ、と微笑むレベッカは、途端に現実を引き連れてくる。

 表情から甘美さが消えたからだ。


 「でも、シュバルツ――」

 「ええ。私のキスを受ければ、例え貴女でも無事では済まない。

  それが、アトリビュートの呪いだから」

 「呪い」

 「アトリビュートと、シリアルキラーの血。

  私たちの組織は、この2つがリインカーネーションを果たす、最大の武器だと信じてやまない。

  私たちに殺される人々は、神以上の祝福を受けた、とても幸せな人々だと」


 シュバルツの手は、髪を、頬を、おでこを、レベッカの全てを優しく撫でる。

 まるで、家に置いてきた飼い猫を、久しぶりに愛でるかの如く、ゆっくりと、名残惜しく。


 「でも私は、貴女に手を出せないし、出したくない。

  たとえ、組織への背徳だとみなされても、貴女だけは絶対…」


 それでも――

 レベッカはシュバルツの差し出された手を、ギュッと握った。

 温もりを求める子猫のように。


 「それでも、いいよ。

  私の大好きなシュバルツ。

  愛する人のココロも、満たせるのなら、私、地獄に落ちてもいい」

 「レベッカ…」

 「一緒に落ちましょう。生まれ変わるときは、一緒に」

 「私の大好きなレベッカ…」

 「シュバルツ…んっ…」


 ガタン。

 

 動いた弾みで、スーツケースが転がっても、その音は聞こえない。


 互いの鼓動が早くなり、唇の距離が近くなり、そして頭の中がカラッポに――




 なった、刹那!




 「ぎゃあああああああああああああああああああああああっ!!」


 全ての状況をひっくり返し、かき乱す悲鳴。

 失敗したテーブルクロス引きのような、混乱と雰囲気に白けながらも、2人は声のする方を見た。


 近い。

 奥に駐機されているコメットの辺りだろう。

 同時に、シュバルツは舌打ちして言い放つのだった。


 「え……まさかっ!」

 「また師弟を殺したな。マーガレット」

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