2日目・朝~推理と危機
31 裏帳簿
現地時間 AM9:20
ネバダ州 ラスベガス
オルコットホテル 12F スカイプール
朝と昼の境界線のような時間でも、太陽は照り、老若男女が屋外プールで舞い踊る。
そこに現れたエリスは、水着の類を身に着けておらず、ラフな服装のまま。
目的は水遊びではなく、視界の先のデッキチェアでココナッツドリンクを飲む男であった。
「よう、姉御。調子はどうだい?」
「上々…ってとこかしら?」
彼もまたラフな格好だ。ベストに半ズボン、スニーカーにキャップ、そして、こんがりとした綺麗な肌。
ザ・フレッシュ・プリンス・オブ・ベルエアーのウィル・スミスを彷彿とさせる好青年は、エリスの信頼する情報屋、ボブ・イーゼル。
西海岸一帯を牛耳っていた、元カラーギャングのリーダーで、ベガスだけでなく、アメリカ中あらゆる場所に顔が利く。
こちらに来てから、エリス達はボブの持つネットワークに助けられた。
ゲイリーやボン・ヴォリーニに関する情報も、その一つ。
彼のおかげで、調査が格段に進展し、バチカンの先を越したと言っても、過言ではない。
しかし、情報屋が依頼主を呼び出すのは稀。
「私を呼び出すってことは、何か、情報を持ってきてくれたってことかしら?」
「そりゃあもう、目ん玉がテキサスまで吹っ飛ぶぐらいのな」
ボブは上機嫌に、にやりと笑いながら、手にしていたタブレット端末を差し出した。
デッキチェアに座りながら、エリスがスワイプする画面には、数字や図が延々と並んでいる。
「これって…」
エリスは気づいた。このデータの正体に。
「フェニックス・インペリアルグループの、見積書と企画書、経理表…いや、全部ひっくるめて、裏帳簿って言った方がいいかな?
正真正銘のモノホンさ」
目を丸くして、エリスは叫んだ。
これだけは、さすがのノクターン探偵社も手に入れられなかったからだ。
「どうやって、そんなもん手に入れたのよ!」
「まっ、ベガスだからね。奇跡の一つでも起きるってもんだよ。
苦労は、そこそこしたけどね。
問題は……ここ。この部分なんだ」
彼が手早くスワイプさせた画面。
「トラムの設計見積書…トラムって?」
「同じ系列のホテルを結ぶ、自動運転の電車のことさ。
距離はそんなにないけど、だいたい朝から、翌日深夜まで走っていて、利用料金はタダ。
フェニックス・インペリアルグループも、トラムを一本持ってるんだ」
エリスが目を通す。
「オールドロマン・ホテルと、隣接するコスモ・レジャーを結ぶモノレール。
跨線式で3両1編成、ATOによる等間隔の全自動運転、総延長は約1キロ…か。
にしては、トラムの建設費用、やけにに高くない?
人件費や材料に、何か不都合があったわけでは無さそうだし、車両もシステムも既存品に見えるけど」
エリスの指摘に、彼は指をパチリ。
「話が早くていいね。
そうなんだ。知り合いに建築関係のやつがいて、見積書をそれとなく見せたんだ。すると、この総工費なら、総延長4キロ、車両5両分は賄えるって。
ただ、レールに使ってる鋼材の価格は高騰してないし、エリスが言った通り、車両とシステムは国内メーカのものを、そのまま使ってる」
「車庫への分岐とか待避線、保線用の列車を持ってるって事は?」
「いや。グーグルマップ見ても分かると思うけど、このトラムは線路一本。添付写真のクルマしか走ってないよ。
そこは、見積書通りさ」
確かに、添付されていた写真には、トラムの外装と内装がそれぞれあった。
シルバーの流線型で、座席とつり革だけの中身。
空港ターミナルを結ぶ、シャトルのそれと何ら変わりがない。
その上、別途の地図を見ても、線路が続いていたり、どこかで分岐している様子もない。
となれば、安易に考えつく可能性は1つ。
(まさか、見えない場所に秘密の鉄道が走ってるってこと?)
エリスは馬鹿げている、と初めは思ってた。
しかし、地図の縮尺と地形を見て、気づいたのだ。
オールドタイム・ホテルとフェニックス・インペリアルホテルは、直線距離で約3キロ。
総延長4キロに合致する。
もし、この区間に本当に線路が敷かれ、2両編成の列車が誰にも気づかれずに走行していたのなら…異常な総工費の辻褄は合うのだ。
「カネに関して言うのなら、おかしなところが、まだあるんだ。
4ページ先の、フェニックス・インペリアルホテルの経費を見てほしい」
ボブに言われるままに、画面をスワイプ。
トラムの総工費の異常に気付いたエリスは、すぐに感じ取った。
電気代と水道代が、約40万ドル― 日本円にして約4千万円也。
「光熱費と水道代…これ、年間よね?」
恐る恐る確認すると、彼は言った。
「そう思うだろ?
驚くなよ、姉御。たったひと月さ。ひと月の電気代なんだ。
普通のホテルなら1年でも、こんなには使わねえ。
フーバーダムから、タコ足配線でも伸ばしてるってジョークすら、イエス様も信じそうな数字だぜ」
「馬鹿馬鹿しいけど、思いたくなるわね。でも…」
手振りでオーバーに訴える彼に、エリスは言いかけてやめた。
でも…私は、これだけの電気と水道を使う施設を、牡牛にいた頃、見たことある。
そう、言おうとして。
何故なら、その施設とは欧州某国にあった、ある科学研究所だったから。
「そこだけじゃねぇ。
このホテル、5年前にコンサートホールと大会議場の改装工事って名目で、工事予算を計上しているんだけど、壁紙どころか椅子の一つも変わってないのさ」
「ウソの工事を申告したってこと?」
「と、思うだろ?
ところがどっこい。工事は行われたのさ。
工事計画書が途中で変更になっていてね、改装ではなくて、新設になってるんだ。
カネもそのぶん、盛りに盛ってる」
エリスは聞き返した。
昨夜、あのホテルに行ったが、変わったところは何もなかったからだ。
「新設?」
「ああ。この見積書を提供してくれた奴が、この仕事に関わったんだけどな。
そいつによると、改装工事が始まる直前、ホテルの地下4階に、同規模の施設を作って、そこをVIP専用にする計画に変わったんだそうだ。
ボスは渋ったが、その分の予算も数時間後には口座の中。すぐにとりかかったってさ。
ただ、この工事も問題ありでね。
安全面の問題なのか、この工事も頓挫。空間をぶち抜いて設備を作ったはいいけど、そのまま手付かずで封印されているって。
でも、ちゃんと違約金とペイは支払われたから、何にも思わなかったって、そいつは言ってたな」
エリスは聞く。
「工事が中断したのは、ホテル側の要請ってこと?」
「違約金は振り込まれたってことは、そうなんだろうぜ?」
更に。
「工事が変更になったのと同時に、別の予算も計上されている…。
大掛かりな電気設備に、オペラ座以上の舞台装置費用、そして水族館並みの水道設備費…なにかおかしいわね」
目を通すと、出るわ出るわ、といった具合だが、逆にエリスの目が段々と険しくなっていく。
「いや、それだけじゃない。
ホテルには不釣り合いな化学薬品も、大量に購入している。
大型車両に…プール補修の名目で水槽? …これって、一体」
「だろ? …って言っても、オレには何が何だか、さっぱり」
彼には意味不明でも、エリスには思うものがあった。
(じゃあ、やっぱり、このホテルにケサランパサランを保存している?
いいや、保存なんて甘い言葉じゃない。
異常な程の光熱費と、巨大な地下空間。
これは、もう…ケサランパサラン量産工場。そう言っても過言じゃないスケール!)
そして、もう1つ。
彼女は、ケサランパサランに関する、ある数字に気づいた。
フェニックス・インペリアルホテルで購入する物品の注文書。ホテル内のショップやレストランの注文も一緒に行っている。
昨夜立ち寄った、あの日本土産店の注文書があったのだ。
(KITEKIの注文個数… 一回で80ダース!?
在庫分だとしても、多すぎない?
確か、潮風屋商品の発注単位は、海外便は共通して36個、3ダースからの注文。
そして、それだけの注文個数にもかかわらず、店の商品は欠品していた…。
ここは日本の電気街じゃない、ベガスだ。異国に来てまで、日本の商品をまとめ買いする輩がいるとは考えにくい。
となると…やはり、注文分のほとんどは、この秘密工場に)
「エリス!」
推測する脳を、こちらへと引き戻す声。
彼女の名を呼ぶのは、あやめ。
駆けながら、こちらへと来た。
「ケサランパサラン絡みの事件が、また起きたわ」
「場所は?」
「ラスベガス・ミュールスピードウェイ」
前に置かれた固有名詞に、エリスが聞き返した。
「ベガス!?」
「ええ。ここから車で1時間半の場所にあるレース場。
リオちゃんの旧友から連絡が来て、今さっき現場に向かったわ。
必要最低限の調査道具は、あのマスタングに乗っけてたから問題ないと思うけど」
目をタブレットに戻したエリスだったが、あやめの「それと…」という、追加報告に、再び目線を上げた。
彼女もまた、スマートフォンを差し出した。
「私のところにも、日本から。
八咫鞍馬しか掴んでない、極秘情報が来たわ」
「と、言うと?」
「ひと言でいえば元凶。このアメリカに、ケサランパサランを持ち込んだ犯人の正体」
それは、六条から送られてきた、ジェイク・三沢の情報である――。
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