32 ジェンキンスからの報告
―― あの女の正体が判明しました。やはり、私たちの敵だったようですね。
フェニックス・インペリアルホテル地下駐車場。
ゲイリーは歩きながら、ワイヤレスホンを耳に、タブレットをいじくっていた。
「何者なんだ?」
ジェンキンスからの情報は、恐ろしいほどに正確だ。
モニターに映し出されたのは、エリスの経歴。
――エリス・コルネッタ。リスボンに拠点を置く、ノクターン探偵社のボスです。
しかし、ゲイリーは懐疑的。
「探偵だと? そんな生易しい感じじゃなかったようだが?」
――流石ですね。いやはや、この情報を得るには苦労しましたよ。
最も、ミスター・ゲイリー。あなたの名前を、お借りしたのですがね。
モニターに映し出されたのは、もう一つの、エリスの経歴図。
そう…例の経歴だ。
――彼女はかつて、こう呼ばれていたのですよ。モルガナイトと。
「モルガナイト? それは、宝石の名前じゃないか」
――おっしゃる通り。しかし、この世に宝石の名前をコードネームにするところなんて、たった一つしかない。
“石をパンに、ワインを葡萄酒に”…奇跡でも救われない、最後の聖戦士。
「バチカンか」
――ええ。エリスはそこの元諜報員ですよ。
しかし、彼女は既にバチカンを離れ、この探偵社を立ち上げたようですがね。
お互いに絶縁状態です。
ゲイリーは質問をつづけた。
「すると、エリスが私に近づいた目的は…やはり、アレか」
――そうとしか、考えられないでしょうね。
「バチカンが、このエリスと関係ないとなると…ケサランパサランに関して知る誰かが、彼女に依頼を持ち込んだ、という訳か」
――そうなるでしょう。
彼女たちノクターン探偵事務所は、怪奇事件を専門に扱う、世界で唯一の探偵だそうですよ。この間の“シントラのヒッチハイカー” …いや、リスボン連続ひき逃げ殺人事件も、彼女の功績ということですからね。
わざわざ、ポルトガル警察が公式に依頼したわけですから、眉唾ではないでしょう。
途端に、ゲイリーは眉をひそめた。
「にわか…ではないということか。
しかし、誰が私のことを。
機密保持には最善を尽くしていた…と思っていたのだが」
――どうします?
指示を前に、思い溜息が、鉛のような地下空間に溶け込む。
「私のタイプだったんだがね。仕方ない」
その言葉で、受話器の向こうのジェンキンスが失笑。
――あなたは、どの女の子にも同じこと言って、バイバイしてたじゃないですか。
「今回は、ちょっと本気だったのさ。
あの綺麗な瞳と、さらっとした茶髪の仏蘭西人形を、私のものにしたかった。
それが、私の思うところさ」
彼の表情は、眉を上げ少々悲しそうではあった。
しかし、すぐに悲愴は消える。
「でも、ケサランパサランが目的かもしれないという以上、このまま黙っているわけにはいかない」
――切り捨てますか。
「ああ。昨日言ったように、あの毒物を飲ませてね。
オールドタイム・ホテルに現れた他の2人も、エリスの仲間だろう。
身元が分かり次第…いや、妙な動きを取り次第、始末しろ」
――手段はこちらで決めて、よろしいですか?
「君の好きなように任せる。煮るなり焼くなり、何なりとな。
ホイップクリームのような柔肌を、
ジェンキンスは鼻で笑った。
ブルル、と興奮した馬のように。
彼は、電話越しでも、十分に理解できた。
嬉しいのだ。自分の出した命令に、ガッツポーズをしている。
歪んだ嬉しさを見せる時の、彼の仕草だから。
ジェンキンスは端的に言って、サイコパス。
美人の昏睡強盗を捕まえた時も、彼は嬉々として、死んだ彼女の身体を、笑いながら切り刻んでいた程だ。
脈のない首筋に吸い付き、血まみれの乳房をぐしゃぐしゃに揉みながら――。
ゲイリーは、ソマリアでの経験が、彼をそうさせたのだろうと思ってはいるが、彼の関心は、ブラックホーク同様、そこで墜落しておしまい。
仕事と秘密さえ、ちゃんとしてくれれば、後はどうでもよかった。
――了解。
それと、今さっき、部下から連絡がありまして、白人の女の方が動きましたよ。
例のマスタングに乗って、グランドキャニオン方面に。
連中の定宿は、オルコットホテルのようですが…エリスがいるかどうかは、確認取れてません。
ゲイリーは歩きながら、地下駐車場の一角。
シャッターに閉ざされた壁へとたどり着いた。
彼の手に握られたスイッチに反応して、金切り声を上げる扉。
その向こうに、ゲイリーの愛車があった。
「どこに向かうか、追いかけろ。始末するタイミングは、そっちで任せる。
ただし、今夜9時にボン・ヴォリーニに、最初のケサランパサランを渡す。その時には必ず現れろ。遅刻は許さん」
――了解です。
壁面に埋め込まれたLEDライト。照らされるのは愛馬のエンブレム。
先鋭的なヘッドライトに、流れる官能的なボディ。
真っ赤な車体が、それを引き立てる。
フェラーリ カリフォルニア T。
ゲイリーのプライベートカーである。
ドアを開けることなく、カッコつけて運転席に滑り込むと、別のスイッチを押す。
シャッターが閉まり、同時に車が天井に向けてせりあがっていく。
頭上から光を、徐々に取り込みながら。
ガレージの上は、地上駐車場。
公用車専用スペース。
貸し切り用のものだろう、大型のハマーH3が駐車してある区画が、車もろども空へとせりあがり、その下からフェラーリが現れたではないか。
サングラスをいっちょまえにかけた、遊び人スタイルのゲイリーを乗せて。
エレベーターが完全停止すると、ハンドルを握り、ポケットに入れたiphoneから電話をかけるのであった。
「さあ、人生最後の思い出を飾ってあげようか…マイ・エンジェル」
そう、エリス・コルネッタに――。
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