30 不穏― 会議終了


 その事件の発端は、一本のホームビデオ映像からだった。


 1991年3月3日。

 スピード違反によって停車させられた車、そこから引きずり出された黒人男性が、複数の市警警察官に暴力を振るわれる瞬間が、偶然にも記録され、瞬く間にテレビによって拡散した。

 被害男性の名前から俗に、ロドニー・キング事件と呼ばれるこの一件は、公民権運動以来くすぶり続ける、黒人と白人の人種差別問題を改めて、浮き彫りにさせた。

 暴行を働いた警察官はすぐに逮捕、起訴。

 確固たる証拠もある。

 正義は被害者側にあると、誰もが考えていた。

 

 1992年4月29日。

 暴行を働いた全ての警察官に、無罪の評決が出された― アメリカの司法制度は評決の後に判決が出される。しかし、評決が覆ることがほとんどないため、これがそのまま判決となる― ことから、黒人コミュニティにおける不満が頂点に達する。


 加えて、それ以前に発生した、韓国人店主による黒人少女射殺事件と、それにより浮き彫りとなった、移民間の格差。国内に蔓延する景気低迷の嵐と、政変への不信。

 あらゆる事象が複雑に絡み合い、午後5時30分、遂に煮たぎっていた不満は、天井を突き破り爆発。


 ――ロサンゼルス暴動が発生した。

 

 暴動は当初、黒人住民の多く住む旧サウスセントラル地区中心部より勃発。通過する白人、アジア系の車両に対しての投石であった行動は次第にエスカレート。車両を停止させ、運転手を引きずり出し半殺し。

 道行く人も、無差別に殺しにかかる。

 加えて、商店の略奪、放火、抗議行動の末の破壊行為。


 暴動は一晩で、ダウンタウンやハリウッド、否、ロサンゼルス市全体に派生。

 各地で人種など関係なく、略奪と殺人が横行。それが正義と跋扈した。

 放火が市内各地で同時多発的に発生し、都市の空を黒煙が覆った。

 消防すら手が負えない上、警察も事態悪化を恐れ手が出せない異常事態。

 メガロポリスは一瞬で、マッドマックスさながらの無法地帯と化したのだ。


 ロサンゼルス市は非常事態宣言を発令。

 州軍の派遣と、司法省によるロドニー・キング事件再捜査の約束により事態の鎮静化を図った。

 暴動発生から6日後の5月4日。発令されていた、夜間外出禁止令の解除によって、ロサンゼルス暴動は、公式に終息。


 死者63名、負傷者2383名。

 放火による火災、3600件。

 逮捕者1万Ⅰ千人以上。

 被害総額約10億ドル。

 

 アメリカ史上破滅的な暴動と、呼ばれている。


 ◆


 「確かに、ジェイクは亡くなった、と?」


 六条は山本に問うた。


 「リトル・トウキョウにある、日米妖怪連合から直々に連絡があったんだよ。

  当時の幹部数名で海を渡り、直接確認したから間違いない。

  無論、私も、その一人だ。

  身寄りのなかった遺体は、ハワイの晴明神社が引き取ったが、問題はジェイクが起こした問題の処理だった。

  なんせ、件のケサランパサランは――」

 「見つからなかった…そうですね?」


 鋭い六条の視線を、山本は直に受けて、睨み返した。


 「左様。なにせ、逃亡してからの行方が、ようとして掴めなかった訳だからの。

  我々は当時、ケサランパサランはすぐに捕まるものと思い、現地に送り込んだ捕獲部隊による作戦と、ハワイ晴明神社との事後処理を並行で進めた。

  だが、半年経とうが、1年経とうが、一向にケサランパサランは見つからない。

  その間に、八咫鞍馬の事情は変化していく」

 「変化?」


 「地下鉄サリン事件と同日に起きた、妖怪細菌テロ未遂。

  この犯罪計画を掴んだことで、我々は内部からの敵に備えることを優先事項とせざるを得なくなった。

  妖怪細菌も、条約によって規制されてはいるが、ケサランパサラン以上にたちが悪い。

  幸いにも、既にハワイ晴明神社とは、賠償金と日本国内への出入り禁止の条件で、手打ちにして、こちらも不問とするようになっていたから、これ以上の詮索は無用だったのもある。

   94年6月の捜索隊を最後に、アメリカ国内でのケサランパサラン捕獲作戦は完全に終了、この事件は今日まで封印されていた…という訳だ」


 全てを話し終えて、六条の代わりに龍樹は言う。


 「つまり、今回の事件のケサランパサランは、このゲイリー・三沢が持ち出した個体、あるいはそれを、第三者が培養した量産体の可能性が高い、ということでよろしいですかな?」

 「当たらずとも遠からず、だろう。

  ゲイリーが弟子を持っていたという話は、向こうでは聞こえなかったが、ケサランパサランを扱える程度の者だ。師としての才能もあったはずだからね」

 「では、ハワイ晴明神社の動きは?」

 「それに関しては、須磨が動いてくれてると思うが」


 そう言われ、奥の席に着く、須磨の陰陽師が口を開いた。


 「はい。今のところ国内を含め、隠れ陰陽師たち危険分子の動向に、怪しいものはありません。

  2日前に来た、ハワイ島からの式神の便りでも、特に変わったところはあらず」


 だが、この話を畳みかけたのは、他でもない河抹だった!


 「決まりだな。

  いまんとこ、ケサランパサランについて動いているのが、あの姉ヶ崎だけ。昔の問題を起こした神社も、なーんもしてないんだったら、わざわざ俺たちが波を立てる理由なんざないじゃないか。え?

  こんなヤバいことが、外に漏れ出たら、それこそ大変だ…とはさっき言ったが、こいつが確信的になったぜ。

  山本、いい話をあんがとよ。

  おい、みんな! ケサランパサランの始末は、姉ヶ崎にやらせておこうぜ。どうせ、とうの昔にくたばった女なんだから、さ」


 「河抹!」

 六条は怒鳴った。


 「目くじらたてんなよ。六条…誰かが死んだんでもあるめぇし」

 「ええ、そうよ。

  少なくとも2人、人間がケサランパサランのせいで死んでる! 彼らは妖怪でも同業者でもない。生きてる間に、妖怪と関わることのない一般市民よ。

  それでも、死者にカウントしないっていうの? それは、残酷以外の何物でもない!

  妖怪世界と、人間世界の共存。

   同業組合として我々の誇りを、ドブに捨てるのと同じよ!」

 「なら、どうする気だ?」

 「無論、選抜部隊を編成し、ラスベガスに行き、ケサランパサランを殲滅するまでですよ。

  火消しに夢中でお忘れかもしれないですけど、ケサランパサラン、そして姉ヶ崎達がいるということは、あなた方が調べたくてたまらない、アカシックレコード理論、根源の到達者になれる、絶好のチャンスですよ?」


 だが、それも無意味だった。

 六条は考えてた。

 餌を吊るせば、誰かがのってくると。

 しかし、誰も彼女と目を合わせない。


 「山本五郎左衛門殿。ご決断を願います!

  どのみち、このままでは火の粉は飛び散ります。

  食うか…食われるか!」


 立膝をつき、六条は首を垂れた。

 全てを総大将、山本に託して。

 そう、全てを知っていた彼なら――。


 「八咫鞍馬としての方針を申す。

  我々の不利益とならない現状が、継続して走り続けており、且つアカシックレコードが現れるか定かでないため、八咫鞍馬は海外で現在進行形で発生する事案に、何ら介入しないこととする」


 拍手が上がった。

 皆が、それを支持した。

 六条と龍樹を除いて。


 「山本殿!」

 「まあ、聞け六条。

  ただし、この方針には条件がある。今後のノクターン探偵社、バチカンの動向によって、我々に影響が及びかねない状況が起きた場合には、すぐさま選抜隊を編成し、ケサランパサラン事案に介入。対象を殲滅するものとする。

  なお、この対象に姉ヶ崎あやめも含まれるものとする。以上!」


 夜も更に更けた丑三つ時。

 山本の声で、臨時無鄰菴会議はお開きとなった。

 妖怪方も人間方も、それぞれが座布団から腰を上げ、入ってきた玄関へと、ぞろぞろ歩いていく。

 六条はしばらく放心状態だったが、背後から叩かれた肩の感触に、意識が戻った。


 「おい。ちょっとツラ貸せや」


 河抹だった。


 ■


 「ううっ…」

 「おい。あんま調子のんなや。

  テメエも姉ヶ崎みたく、消すぞ?」


 洋館二階。

 実際の無鄰菴会議が開かれたフロアの踊り場で、河抹は六条の顔をいきなり殴り、その胸ぐらをつかみ上げていた。


 「口先だけの綺麗事並べやがって…テメエも知ってんだろ?

  八咫鞍馬が、この日本を捨てたがってることを。

  そんために、アカシックレコード理論とやらにたどり着き、そいつで世界中の妖怪どもを、束ねなきゃあいけねえこともよ?

  だったら、必然的に、外に喧嘩売らないよう、黙ってみてるって話にまとまることぐらい、テメエだって分かんだろ」

 「何を今更…」

 「分かってんなら、黙ってろや。

  テメエだって、姉ヶ崎同様に消される運命だったんだぜ?

  幽霊は妖怪より害がないってのと、姉ヶ崎にはない、子宮を持ってる、女としての価値があるってだけで、こうして今でも、生きてられるんだ。

  なのに、俺たちに感謝の一つもありゃしねえ。

  無鄰菴会議じゃあ、いつも意見して、ふんぞり返ってる。

  正直目障りなんだよ。タンツボの分際でよぉ!!」


 河抹の言葉に、六条はキレる寸前。


 「私はね河抹、お前のそういうところが嫌いなのよ。

  常に女を見下し、手を上げる最低な奴。

  何事も保身に回り、内弁慶で世界を回そうとする弱者」

 「なにっ!」

 「一番嫌いなのは好天と、自分に意見する女。

  だから、殺そうとしたのよね。あやめちゃんを!」 


 生臭い額に、しわが走る。


 「まだ根に持ってるのかよ。アトリビュートの話を」

 「村雨が生み出された都古大学は高の原、南京都の管轄。その地区統括部長は今も昔も河抹、お前だ。

  その異変を御上に報告せず、玄の指示だって嘘ついて、あやめちゃんに捜査させたの、私は知ってるんだよ。お前と玄、仲良しだからね。

  おかげであやめちゃんは、死にかけた。彼女が、あれだけの妖力を持っていなかったら、今頃五体満足では生きてないわ」

 「黙れよ…」


 無論、黙らない。


 「あやめちゃんが子宮を失くした事件だって、そう。

  お前は刺客が来ていることを知りながら、黙殺した。なんの準備もしていない、まだ中学生の彼女を殺すために!

  幸いに一命はとりとめた。けど、女の子として一番大事なものを失くし…そのために、あの子は、好きな人を別れさせられた」

 「黙れ!」


 「そして、今も、あやめちゃんを誰よりも目の敵にして、皆を巻き込んでつぶそうと先陣を切ってる。

  彼女がアトリビュートを手に入れたら、すぐさま横取りして、殺そうって…聞いたわよ、この間。

  あの子が、八咫鞍馬に危害を加えたことが、今までにあった?

  なのに、あなたと玄は、佐渡銀狐さどぎんこと山本殿に意見してあやめちゃんを切った」

 「あのご老体も言ってただろ。半妖は半霊と違い、災いを起こしやすい体質。

  その上、巫女としての質も備わってる。いずれ八咫鞍馬に牙を向く可能性があるってよぉ」

 「それでも、あなたのあやめちゃん嫌いは、異常よ。

  どうして? あの子が半妖だからなの? それとも女だから?

  いいえ…ひょっとして、過去の報ふ――うっ!」

 

 襟首をつかんでいた手が、そのまま首を絞め始めた――


 「それ以上言ってみろ。お前の生意気も、俺の過去にしてやる!」

 

 ――時!


 「河抹、なにやってる!」


 階段を駆け上がってきた龍樹に、彼は手の力をゆるめ、六条を床に落とした。

 むせる彼女を介抱し、龍樹は言った。


 「アンタ、いい加減にしろよ」

 「フンッ。坊主が気取りやがって」


 会談を降りていく河抹に、六条は言うのだった。


 「河抹。お前が佐渡銀孤から、どんな見返りを貰ってるかは知らない。

  だけど、これだけは忠告してあげる。

  自分を過信するな。そして、頭は低くして生きろ。

  後悔は、先に立たないわよ」


 そんな言葉、知ってか知らずか。

 六条は礼の言葉をかけながら、龍樹に支えられて立ち上がり、会談を降りていくのだった。


 「君が戻ってくるのが遅くてね、心配で戻ってきたんだ」

 「あら、優しい人」

 「一体、何を話してたんだ? あの阿呆と」

 「昔懐かしい、ヤキを入れる、ってやつ。妖怪なんだから歳を考えなさいって話よ」

 「違いない」


 クスクスと吹き出す笑い声。

 門まで出てくると、龍樹は手の平にのせたUSBカードを、六条に差し出した。

 

 「これは?」 

 「浄蔵に言って、渡してもらったジェイク・三沢の情報だよ。

  河抹が玄とつながっているように、私も浄蔵とは旧知の中だ。ちょいと無理な願いでも、大抵は聞いてくれる」

 「でも、大丈夫なの? こんなの渡して」

 

 龍樹は笑った。


 「君のことだ。ジェイクの情報を、あやめ君に教えるつもりだったろう」

 「!?」

 「確かに、野放しにしたケサランパサランのせいで人が死んでいる。これは私たちの責任だ。

  そして今、事件には関わらないという選択をしたのも、これすなわち、私たちの責任。

  どちらに転んでも、責任を負うんだ。その重さに似合った取り方を、私たちはしなければならない」

 

 その言葉に、六条は頷いた。

 彼女の手に、メモリーを握らせると、龍樹は自分の車に乗り込む。


 「頼んだぞ。六条君」


 通りへ向けて走り去るスバル 1000のテールライトを見送ると、六条もまた指をパチン。

 ポルシェ姿のアトリビュート、「ジオンデ・ランツォ」を出現させ、運転席へと華麗に飛び込むのだった。

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