93 Me against THE WORLD ―メガ・ケサラン


 地震が収まった。

 建物や車の横揺れも、ピタリとやんだ。

 今まで、街頭や樹木にしがみついていた人たちが、恐る恐る、その手を放し、通りに立ちつくす。


 「終わった…のか?」


 アンナも呆気にとられるほど、周辺は物静かだ。

 誰も、ひと言も発しようとしない。

 全ては夢だったのか、と。

 だが――


 「うわあああ!」

 「助けてくれぇ!」


 コモ湖前を走る道路が、一気に陥没!

 逃げ遅れた人が、悲鳴を上げながら、パームツリーや車と一緒に土砂に埋まっていく。

 クレーターと化す、ベガスのメインストリート。

 激しい土煙が、ビルより高く舞い上がると、今度はコモ湖に異変が。 

 零時を過ぎると沈黙するはずの噴水、それが動き出して、水しぶきを上げ始めたのだ。


 「噴水が出てる!?」

 

 驚くあやめだったが、エリスがすぐに、それが間違った思い込みだと指摘する!


 「いや、噴水なんかじゃない!」


 噴水というより、水柱という表現が合ってるかもしれない。

 空へと昇っていく大量の水。

 それは、コモ湖そのものが、上へとせり上がっている光景だったのだ。

 柵を超え、通りにあふれる波。

 その下から、地震源が対に姿を現した!


 「あれは…っ!」


 暗闇に光る、真っ赤な二つの眼。

 そこから伸びる、白くふわふわした触手。

 何十本と現れたそれは、コモ湖を押し上げ、遂にコンクリートの塊となった池を、放り投げた!


 「ベラッジオホテルが!」


 直撃を受けたベラッジオホテルは、ひとたまりもない。

 両腕を広げた宮殿風のビルは、コンクリートのプールを受け止めながら、中央部から真っ二つに折れて崩れ落ちる。

 煌々と灯っていたライトアップが一瞬でブラックアウト。

 炎と煙を上げて、足元の湖畔風のレストラン群を押しつぶしながら、見慣れた風景から姿を消した。


 全ての煙霞が止んだ時、この異変の正体が、ようやくフォーコーナーを包むホテル群によって照らし出される!

 パリスホテルのランドマーク、エッフェル塔の高さからして、相手は推定50メートルはある巨体。

 全身を包む綿毛は、モフモフというキュートな感覚より、グロテスクな印象を与える。

 コモ湖の大穴から突き出した触手を天に伸ばし、真っ赤な目と、重低音の咆哮を砂漠の街に刻み込んだ、奴の正体は――


 「あれが、工場にいたケサランパサランだって言うのか……」


 声を失うリオに、あやめは言った。


 「そうよ。

  ゲイリーが30年に渡って吸ってきたケサランパサラン、そして、餌とするために殺した、数えきれない犠牲者の命と運を、全て搾り取った、成れの果ての姿。

  それに多分、ホテル内に隠していた、大量のおしろいも、さっきの崩壊のショックであふれ出して、この親玉が吸い込んだ。

  どこに備蓄していたのかは分からなかったけど、エリスちゃんが見つけた、あのホテルの裏帳簿からして、ケサランパサランを無限に増やし続けられるだけのストックはあったはず。

  結果、この2つの要素が体内に流れ込み、自分の妖力をコントロールできなくなって、こんな姿になったのよ。

  でも……こんなの、想像以上…」

 「同感ね、アヤ」


 エリスもまた、巨大化したケサランパサランを見上げて。

 

 「未だ人類も妖怪も見たことのない姿。

  しいて名付けるのなら、そう、メガ・ケサラン」

 「メガ・ケサラン?」

 「どれだけの力かは知らないけど、奴が人類に対して、有害であることは間違いないわ」


 すると、背後でアンナが叫んだ。


 「エリス! そのメガ・ケサランが、触手を伸ばしてる!」

 「なにっ!」

 「偵察機の報告だ!

  地下のガス管の妖気レベルが、北から南へと上昇している!

  恐らく、触手の一部を、ガス管の中に通してるわ」

 「どういうつもりなのよ!」


 アンナは車の無線で、その報告を聞き取る。

 

 「妖気が急上昇? ……場所は? ……MGMグラント!?」


 咄嗟に、エリスが走り出した。

 道路の上を、中央分離帯を飛び越えて、向かい側のシーザース・パレス・ホテルに。

 古代ローマをテーマとした、三棟の高級タワーホテルだ。

 あやめ、リオ、メイコも後を追う。

 4人はホテルに入るや否や、一番近い棟のエレベーターに飛び乗り、最上階へ。

 

 フォーコーナーから外が見渡せる、ロイヤルスイートの部屋に飛び込んだ。

 宿泊客のいない、整った部屋からは、ラスベガスの街並みと、国際空港の滑走路がひろがる。


 今はメガ・ケサランと、潰れたベラッジオホテルの残骸が見渡せるのみ。

 道路を埋め尽くす赤いランプの塊は、警察や消防の車だろう。

 問題のMGMグラントホテルは、メガ・ケサランのいる場所から2ブロック先。

 広告塔のネオンサインも含め、派手な緑色に輝いている。


 「エリス…嫌な感じがピリピリ来てる」

 「私もです」


 あやめとメイコは、顔をしかめてメガ・ケサランを見下ろしていた。

 何かが起ころうとしている。

 だが、相手は赤い目玉をぎろっと動かし、触手をふらふらさせているだけ。


 「なんにも動いていないように見えるけど、2ブロック先で妖気が出てるって、どういうこと?」


 リオの疑問ごもっとも。

 iPhoneを出したエリスは、そのままアンナに電話を繋いだ。


 「妖気はどうなってる?」

 ――待って……妖気が30倍に増加…。

   触手をホテルの中に突っ込んでる!?

 「えっ!?」

 ――都市ガスが、建物内を逆流中……エリス、そこから離れて!!

 

 片耳を塞ぎ、アンナの声をしっかりと聴きとろうとしていた――


 次の瞬間!!


 ドーン!


 「うわああああっ!」


 エリス達は悲鳴を上げて、その場に崩れた。

 高層階の硬質ガラスを、鈍い音と共にガタガタと鳴らす程の衝撃。


 MGMグラントの階段状の十字ビルが、閃光の後、大爆発!

 巨大な火の玉に呑まれながら、巨大なホテルが一瞬で爆散したのだ!

 隕石と化した、巨大なコンクリート片が、MGMの広告塔を、シンボルだったライオン像を押しつぶし、周囲に建つホテルまでも破壊していく。 


 各々のホテルには、まだ利用客がいた。

 一瞬で命を奪われた。

 通りにいた人々もまた、衝撃で吹き飛ばされていた。

 

 再び、激しい爆発音。

 今度は、ホテル・エクスカリバーが。

 メルヘンチックでカラフルな、お城のリゾートホテルが火の玉を吹き出しながら、崩れ去っていく。

 折れた塔で、足下を走行するトラムの車体を押しつぶして。


 ルクソール、トロピカーナ、フーターズ。

 各ホテルが、間髪入れず次々に爆発し、崩れ去っていく。


 ベッドにしがみつきながら、窓の外を見たエリスは、その変貌に言葉を失った。

 そこにあるのは、砂漠に輝く宝石ではない。

 完全なる紛争地帯。

 ニユーフォーコーナーを中心に、燃え盛り、焼け落ちたビル群が鎮座する様。

 ラッカーで汚すかのように広がっていく、真っ赤に猛る炎を前に、ケサランパサランは笑っているように、彼女には見えた。


 メガ・ケサランは、まるでゲイリーの奪った利息の補完とでも言わんばかりに、ラスベガスを破壊し、無関係な人々を殺し始めたのだ!


 遅れて立ち上がった3人も、今見ている光景を信じられずにいる。


 「まさか、ケサランパサランにこんな力があったなんて……」

 「メガ・ケサランのやつ、ベガスの街を片っ端から壊す気だ!」


 狼狽するあやめとメイコ。

 しかし、奴にほど近い、このホテルもどうなるか分からない!

 

 「ここを離れよう!」

 「リオの言う通りよ、エリス!」


 刹那、エリスは夜空の彼方に、星とは違う、明るすぎる発行体が近づいているのを見つけた。

 バチカンの回転翼機部隊だ。


 「でしょうね。レギオンが近づいているし」

 「と言うことは…」

 「そうよ、アヤ。

  あの化け物を倒せるチャンスは、悔しくもバチカンだけになったのよ。

  セオリー通りなら、太平洋部隊のアパッチが駆り出されてる。

  聖水によって清められた30ミリ機関砲と、法義式済み対戦車ミサイルを装備した、バチカンの誇る対モンスター用兵器」


 あやめが言う。


 「奴の弱点が、頭頂部のつむじであることは、アンナも知ってるはずよ。

  昨日、私と一緒に貨物駅で奴を倒してるからね」


 その言葉に、エリスは頷く。


 「ここはいったん、バチカンに任せて、ここを離れましょう。

  本当は、この特等席で成り行きを見守りたいけどね」

 「それって、アカシックレコード理論を確かめるためか?」とリオ


 彼女は、すぐに返答をしなかった。

 ただ、リオ達を背に、燃え盛るラスベガスの街を見下ろして。

 窓に映るのは、バケモノの姿であり、エリスの悲しそうな顔。


 「ゲイリーが負けた時は、もう希望は潰えたと思った。

  ケサランパサランを飼う男が、奇々怪々のピース成り得るって考えていたから。

  けど、今は違う。

  巨大化した毛玉は、今、あらゆる運を吸い取り、幸運ではなく死の運命を、この街に拡散させている。

  生から死へ。

  だったら、無限の可能性を秘めた、この妖怪を倒した先に、理論のヒントがあるはず。

  古今東西の、あらゆる奇々怪々の根源を解き明かせる、いわばパンドラの箱。

  誰も手にしたことのない鍵で、これをこじ開ければ、見えるはずなのよ。

  私の両親は、何故死ななきゃいけなかったのか。

  私は何故、バチカンの禁忌を体に刻み込まれたのか。

  バチカンは何故、私を屈辱を以て、捨てたのか。

  そして……」


 窓ガラスにもたれかかる右手。

 か弱い拳を震わせ、少女は揺れる瞳でケサランパサランを見る。

 

 「そして……Me against THE WORLD。

  宝探しの果てに見たいのは、そういうことなのかもしれない。

  この世界は結局、私たちにとって、敵か味方か。

  人類を破滅させるほどの力で、その答えを見たいのよ。

  狂信者サロメを持つ女、この、エリス・コルネッタがね」


 咆哮に、心を締め付けられながら。

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