85 あやめ、怒りの刃

 

 あやめから漂う、ぎらついた殺気。

 親友であるエリスは、その正体― 彼女の導火線に火をつけた理由を知っていた。


 しかし、彼女の不安は別の場所にあった。


 発火点であるその男、ゲイリーは全くもって鈍感であったからだ。

 自分がなにをしたのか、知る由もない。


 「何をいきがってるのやら…

  アネガサキ アヤメと言ったな。

  確か、日本最後の半妖、雪女とのハーフだと」

 「だから、なに?」


 揺さぶりをかけたつもりだろうが、全く効果なし。

 それどころか、彼女の返しはぶっきらぼう。


 「私も、ある意味では半妖だ」

 「お前のような、生半可ものと一緒にするな」

 「その言葉は、僕の攻撃を受けてから、もう一度考えるといい。

  何度でも言うが、僕には力も運もある。

  死にかければ、陰陽師直伝の秘儀を使い、この工場のケサランパサランを吸収すればいい。

  ライフは無限大だ。

  分かるかい? このステージで僕は完全なるチート、無敵なんだ」


 エリスは仰天する。


 (気づいていないのか?

  アヤの瞳孔が、真っ赤になっていることを!?)


 そう。あやめの瞳孔、正確に言えばその周辺の光彩が真っ赤に染まっている。

 これは、雪女― ひいては、彼女が引き継ぐ妖怪の中で最上級の血、越後の雪女の特徴なのだ。

 人間には絶対に見られない変化。

 あやめの体内を、妖怪の血が逆流している!

 真紅のリングに気づかないわけがない!

 

 「能書きはいいよ、伝道師さん。

  実力のない演説なんて、嘘よりひどい詭弁」


 右手に提げた村雨が、カチャリと音を立てて、辻斬りの態勢に切り替わった。


 「さあ、この村雨で見てあげる。

  その運と力とやらが、まやかしなのか否か!」


 ゲイリーも、鉄筋を握りしめる拳が、笑みを浮かべる口角が、段々ときつくなっていく。

 

 「ぶっ潰してやる」


 最初に堰を切ったのは、ゲイリーだった!

 少年とは思えない俊足で、あやめの元へと走ってくる。

 何も防御のない構え。

 そこから、彼女は左へぐらっと重心を動かしたと思いきや、そのまま上空へと飛んだ。


 しかし!


 「無駄だぁ」


 ゲイリーもまた、思いきり踏み上げてジャンプ。

 あやめと同じ位置へ。

 至近距離で見合う2人。


 にやける男と、死人のような女。

 

 「その腹に、一発決めてやる!」

 「……」


 あやめは村雨を構えようとしない。

 

 「言ったはずだ! お前を、ガキの産めねぇ体にするってなぁ!」


 槍のように、突き上げられた鉄筋。

 次の瞬間。


 「な…にいっ!!」


 そこに、あやめの姿はなかった。

 鉄筋は確かに、彼女の腹を貫いた。

 子宮のあるところ、そこをピンポイントで。

 血も噴き出した。

 

 でも、その姿は何処にもいない。

 

 「まさか、残像っ!」

 

 「遅い。ようやく気付いたか」


 ゲイリーが声のする方を見た。

 右上。

 高層培養ポッドのてっぺんに、彼女は立っていた。

 落下しながら、刀を差し出すあやめ!

 

 「くっ!」


 刃先を薙ぎ払を鉄筋とぶつかり、甲高い金属音を響かせた。

 

 慌てて地上に降りた、ゲイリー。

 それでも、あやめにとっては――。


 「隙だらけ」

 「なっ!!」


 後ろを取られていた。

 

 ガチン!!


 固いものを裂く音がする頃、あやめはゲイリーから離れた場所で休んでいた、エリスの前に立っていた。

 僅か数秒、正確には2秒も経っていない。


 波打つ刃文。

 水滴と共にこびりついた血を、生き物のように、村雨は飲み込んだ。

 振り返り、睨みつけるゲイリーと対峙した直後。


 グチャっ!


 彼の右二の腕に、大きな一文字の傷がぱっくりと姿を見せる。

 骨まで達しているそれは、血を流すことなく、ゲイリーと同じ、笑ったように赤い口を見せていた。

 

 霞切り。

 あやめは、地上に着地してすぐ、ゲイリーの横を走り抜けながら、村雨で右腕を切り裂いたのだ!


 「バカな! この程度の傷――」


 彼に動揺はない。

 無論、あやめにも。


 「天法てんぽう!」


 ゲイリーが、あの呪文を唱える。

 霞切りされた腕の傷を、また陰陽術で閉じようとした時だった!


 ゴキッ!


 「へ?」


 今まで聞いたことのない鈍い音と、気の抜けた声。


 バキバキバキ!


 それを彼方に置いて、ゲイリーの右腕は今、傷口が一瞬で大きく割れ、骨ごと引きちぎられたのだ!


 吹き出す血と、差し込む激痛に、ゲイリーの恐怖は臨界点を超える!


 「うあああああああああ!

  う、腕があああああああああ!

  俺の右腕がああああああああああ!」


 宙に舞うゲイリーの幼い右腕。

 それが、あやめの足元に落ちると、彼女はただ無言で肉片を見て、足で軽く脇へと捨てやるのだった。


 「貴様、何しやがった…っ!」


 苦悶するゲイリーに、あやめは冷たく言い放った。


 「何も。 ただ切った。 それだけ」


 至極単純な返答。


 「さあ、陰陽師の技を受け継いだんでしょ?

  早く元通りにして頂戴な」

 「ふざけるな!

  こんな状態から、右腕を元に戻す術なんて――」


 切断面を押さえながら激怒するゲイリーを、あやめは見下ろして、即答した。


 「あるわよ。

  それも、アンタの言う初歩的な技が。

  勉強したんでしょ? エリートさん」

 「そんな技……」

 「教わったことない、とか言わないでよ。

  ここは学校でも道場でもない。

  戦いに、勉強したことないなんて言い訳は通用しない。

  ない知識は、その人の死によって補完されるだけ」


 怒り狂うゲイリーは、生きている左腕で、鉄筋を思いきりぶん投げた。

 あやめの胸へと向かう鋭利な刃。

 彼女はただ、刀を握らない左手を差し出し、呪文を唱える!


 「松風まつかぜ


 途端、鉄筋が氷結、文字通りの粉砕を決める。

 煙となって、目の前から消えた。


 「陰陽師の術を得たりし者、これくらいできなくて、どうするのです?」


 動揺の色を隠せないゲイリー。

 だが、最後の抵抗。

 怒りに任せて、あやめに問う! 


 「そうか、雪女の血……か!

  どうしてだ…なぜ、この私に、ここまでの仕打ちをする!」

 「知りたい?」


 冷気が、彼女の周囲、ゲイリーだけでなくエリスも包み始めた。


 「私の導火線に火をつけたからよ」

 「訳の分からないことを…っ!」


 あやめは言う。


 「お前、私を子供が産めない体にするって言ったわよね?」

 「だから、なんだ」

 「私にはね、子宮がないのよ」


 そう、それこそ、エリスが肝を冷やした理由。

 まだ二十歳の幼き少女が背負った、大きすぎる十字架。


 「十代の頃、私はある陰陽師に、私怨でめった刺しにされたのよ。

  凶器に使われたのは、刺した者を必ず殺す、死の呪いを纏った最悪なアトリビュート。

  例外なく、私も死線を彷徨った。

  その呪いから助かるために、私は子宮を摘出したのよ」


 彼女は、悲しい表情で、自分のお腹をさする。

 

 「私は、生理も月経も、始まって間もない歳で、子供が産めない体になった。

  意識を取り戻した私は、なにも分からないまま、ぽっかりと空いた虚無を抱いて泣いたわ。

  属していた妖怪の同族組織は、そのことを聞いて、即座に私を切り捨てた。

  子供の産めない女に、妖怪はおろか人間としての価値はない。

  そう言ってね」


 ぎゅっと閉じる瞳。


 「今まで、私の見方だって抱きしめてくれた人も。

  子どもの頃から、支えてくれた妖怪も。

  そして、私の許婚いいなずけ……フィアンセさえも。

  女性としての価値がないアヤメは、枯れ草より下等の無価値だと」

 

 涙のように、村雨の刃先から水が滴る。


 「ええ。死のうとも考えたわ。

  辛いのに、苦しいのに、助けがない。

  泣きながら暗闇を走っても、出口が見つからない迷宮」

 「ならば、何故生きている?」

 「そう……それこそ、運。幸運」

 「運だと?」


 「そう。幸運。

  私はエリスに、リオに、そしてメイコに出会って、助けられた。

  自分が無価値じゃないってわかったから。

  女性は、女性らしくなくても、生きてていい。

  そう教えてくれたから」

 

 ゆっくりと開かれた瞳は、光を取り戻していた。

 先ほどより強く、凛として。


 「だから、私は自分の中に一つの決まりを作ってる」

 「決まり?」

 「そう、決まり」


 「私に、女であることを意識させ強いる奴、女性を見下し嘲る奴は、例え同族であろうと、ぶち殺すことにしている。

  今までで感じたことのない、最大限の苦痛を与えてね。

  ゲイリー・アープ。お前は、私の中の一線を越えた。

  あのまま、能書きを垂れずに向かっていれば、苦しまずに死なせてやったものを……」


 「し、知るか、そんなこと!」

 「言ったはずだ!

  戦いに、知らなかったは通用しないと!」

 「ほざけ。

  まがい物の幸運を信じる、妖怪崩れのたわけがっ!」

 「運ってのはね、それを大切にかみしめる人の上にしか降りてこないのよ。

  確かにアンタは、ロサンゼルスの暴動で死にかけて、運の大切さを学んだのかもしれない。

  でも、それと、人から運を奪い続けることは、全くの別物よ」


 すると、エリスが言った。


 「結局、あなたは三流だったわね。

  紳士としても、経営者としても、そして、魔術師としても」

 「黙れ!」

 「あなたは、ただ怖かっただけなのよ。

  幸運が、この先、自分の上に降ってこないかもしれないことに。

  結局のところ、ただの子供なのよ。

  神様の影に怯えて、屋根裏部屋で震える幼子。

  こんな奴の前に、アトリビュート理論は降りてきそうにない……」


 そして正に、ゲイリーは震えていた。

 歩み寄ったあやめ、彼女が差し出す村雨のぎらつきに。


 「い、いやだ…死にたくない」


 あやめは見下ろして言う。


 「そういうことよ。

  ほら、ケサランパサランもやってこない。

  もし、運があるなら、今頃切断した腕は、再生してるでしょ?」

 「お、お前の――」

 「私の術は、天法を使った時に反発を起こし、肉体を破壊するもの。

  ケサランパサランを寄せ付けない力なんて、最初から入ってないわ」


 絶望に、彼の眼は大きく見開き固まった。

 今まで信頼していた綿毛に、裏切られたことを知って。


 「どうやら、運を使い果たしたようね。

  その器が、生きている間に享受できる幸運を全て」

 「そ…んな……」


 村雨の刃が、ゲイリーの喉元に差し込まれる。

 血がゆっくりと、刃文の上を走る。


 有言実行。

 あやめは、培養ポッドにもたれかかり、逃げ場のないゲイリーに最後の言葉を投げかけた。


 「勉強になったわね。ゲイリー・アープ。

  今日の復習は……あの世でやりなさい!」


 斬首。

 まもなく、彼の血が飛び散り、幸運がすべて終わる――。


 「まだ、特別授業があるわよ。ノクターン」


 背後から飛んでくる気配。

 反転し、村雨で弾いたソレを見て、エリスとあやめは戦慄した!

 

 地面に突き刺さったダガーナイフ。

 おどろおどろしい気配が、周りの空気すら歪ませ切り裂いていたからだ。


 「この、ナイフ!」

 「まさか!」


 以外にも、その言葉に最大限の憎しみを以て、答えたのはリオだった。


 「眼で追わなくても、臭いで分かる!

  血と狂気を纏った野獣の臭い!

  そうだろ?」


 彼女が、ガーディアンを向けた先。

 高層培養ポッドの上に、そのゴシック少女はナイフを手に、舌なめずりしてリオを見ていた。


 「シュバルツ・バートリー。

  私の……フィアンセを殺した女ぁああああああっ!!」

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