9 小さな邂逅…パチュリー


カトリック、バチカン……それは、始祖に祈り異端を蔑む最小にして最強の象徴。


 神に仕える者たちが有する防衛力こそ、法王庁極秘諜報作戦機関。

 通称“パチュリー”である。


 歴史上、最も政治的であったとされる第260代教皇、ピウス12世が第二次世界大戦下での失敗と教訓、そして枢機卿時代に就任していた国務長官のスキルを応用して作り上げた、バチカンの誇るスパイ組織である。

 その任務は悪魔祓いから他国偵察、薬物分析、暗号制作まで多岐に渡り、部隊数は全部で18。

 しかし、それ以外の情報は、一般人にはほとんど降りてこない

 正に、21世紀を生きるナゾの組織、という訳だ。 


 このパチュリーというのは、教会でかつて使用されていた隠語で、ピウス12世の本名、エウジェニオ・パチュリーに由来する。

 ちょうど、米国CIAが“カンパニー”や“ラングレー”と呼ばれているのに等しいと、考えてくれればいい。


 だが、その力は他国政府が持つ諜報機関と同等、あるいは、それ以上の力を有している。

 なんせ、世界中のカトリック教会に、広大且つ最深のネットワークを構築しており、そこを拠点として諜報員を動かしているのだから。


 ■


 「エリスは、そこの構成員。仲間内の呼称では司教聖士…だったかな」

 「だから、さっき言ってた第二部隊の動きが分かったんですね?

  ん…でも、あやめ? 確かあの時、牡牛がどうのって」


 確かに、エリスは“牡牛は動いていない”と言っていた。

 パチュリーではなく、牡牛、と――。


 「そう。彼女がいたのは“牡牛部隊”と呼ばれるセクション。

  パチュリーの頂点に立つ、最凶の極秘部隊よ」



 ■


 牡牛とは、パチュリー第18部隊の別名。

 その正体は、“牡牛のジョーイ”こと、弁護士ヨーゼフ・ミュラーが、組織育成に直接関わった最重要部隊だ。


 彼は第二次世界大戦中、ナチス政権下にあったドイツで、その広大な情報網を一挙に握り、ヒトラー暗殺作戦実行のため、国防軍情報諜報部の反ヒトラー派と、バチカン、ヒトラー政権崩壊を傍観する英国を見事に統括し、仲介、暗躍した人物。


 牡牛部隊は、彼が授けた膨大な知識や技術を教科書に、全世界で起こるアンチ・キリスト事案に介入し、時には、自らと同じものを信仰する者たちをも殺すことをいとわない、一騎当千に世界を裏側から壊し操る歩兵たち。


 教皇暗殺未遂から、教会の奇跡まで、彼らが関与した“事件”は、まさにバチカンの近現代史そのものであった。



 その特性、特異性から、バチカン内部でも敬意を表す者より、忌み嫌う者が多い。

 かつて高名な枢機卿は、牡牛部隊を、こう言い表したと伝えられている。


 「神のために神に捨てられ、ユダ以上の大罪を背負い、死してもピエタとなることを赦されない、死と恐怖と正義を司る使徒。

  だが、彼らもまた、ルシファーにかどわかされた、725万分の1に過ぎない穢れた存在なのである」


 故に悪魔の数字「666」、つまり18を刻まれた史上最恐かつ最凶の十字軍。


 それが、牡牛部隊である。


 ■



 「その、小難しい名前してるトコロが、エリスさんを狙ってるんですか?」

 「生きて18部隊を抜けた者はいないそうよ。

  エリスもまた、私と同じように、ある事件でバチカンを追い出された。

  死して神に赦されるより、生きて地獄を味わう苦しみを背負わされたのよ」

 「生きる地獄…ね」


 ようやくフロントガラスから、リスボン空港の近代的なビルが見えてきた。

 幾台もの観光バスが、周りを圧迫する。


 「でも、こうやって、私たちが怪奇事件に首ツッコんでるの、向こうも知ってるはずですよね?」

 メイコが聞くと、あやめは「ええ」と答え、付け加えた。


 「彼女の関わった事件っていうのが、エリスがあまり話したがらないのもあって真偽は分からないけど、どうやらバチカンの存亡にかかわる出来事だったらしくて、もその時に刻み込んだってことよ。

  事実が公になる怖さと、刻まれた力の大きさ、それに今の内部派閥に不満のある人間が、エリスに協力しているのもあって、手が出せないってのが現実」



 「それでも、どこから襲われるか分からない」

 「長崎は、アジア地域の中でもカトリックの力が最も大きいエリアの1つだからね。

  あの陰陽師でさえ、簡単には手が出せなかった歴史がある。

  だったら、私が…そう思って、手を挙げたまでよ」


 車が出国ゲート前に停まり、ビンテージカーの扉をあけながら黒髪の少女は、こう捨て台詞を吐いて。


 「元巫女で元陰陽師、日本最後の半妖っていうトリプルフェイスの私。姉ヶ崎あやめがね」


 車内より日差しがあるのせいか、あやめの体感温度が、いつもより高い今日のリスボン。

 頭上を飛んでいく飛行機の影を、首を向けて追いながら、彼女はつぶやくのだった。


 「雪女の血には、酷な天気…かな」

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