27 モーニングコーヒーは乱入者と共に

 さて、ホテルの朝食というのも、様式によって出される料理の種類は異なってくるものだが、パンとコーヒーのみを主体とする、コンチネンタル・ブレックファスト以外の様式では、シェフがその場で客の好みを聞き、新鮮な卵を割って、焼いてくれる場合が多い。

 

 その際の調理法は様々。

 一般的な目玉焼き、サニーサイドアップ。

 両面焼き、ターンオーバー。

 いわゆる炒り卵、スクランブル…などなど。


 客の要望で作ってくれるそれは、同時に、その人の性格や個性も出るとか出ないとか――。


 ■


 「でも、一体どこから来たんですかね? あのケサランパサラン」

 「おいおい。あの銃声でも寝息立ててたお前が言うか?

  仮にもヤマネコだろ? お前」

 「だって、疲れてたんだもん。今もめっさお腹空いてるし」


 あっけらかんと、両面焼きの卵をほおばりながら聴くメイコに、リオはあきれ顔で返すしかなかった。


 オルコットホテル20階のレストラン。

 ノクターン探偵社の4人は、ここで定刻通りのモーニングを味わっていた。

 イングリッシュ様式のビュッフェ故に、テーブルには、それぞれ個々に様々な料理が、彩りよく皿に並んでいたが、話す議題は共通。


 あの、ケサランパサランについてだ。


 「そう…最大の問題の一つは、それよ。

  ケサランパサランがどこから来たのか」

 「元から、あのシャワールームにいたのなら、先にシャワーを浴びた私が気づいてたはずなのよね」


 ナイフとフォークを使い、綺麗にサニーサイドアップを食べるあやめ。

 とろりと溶け出す黄身を、こんがり焼いたベーコンに絡ませる。


 それを横目に、コーヒーをすすりながら、エリスは話を進める。

 

 「そう。微かにおしろいが香るだけの瓶から、妖気を感じ取ったほどのあやめだ。ケサランパサランがいたのなら、その時に気づいていないとおかしい。

  となると、ケサランパサランが侵入したのは、私がシャワーを浴びている時、ということになる」

 「まさか、エリスさんがゲイリーと別れた時に一緒に…」


 メイコが言うが


 「それは絶対にないわ。

  さっきの繰り返しになるけど、もし、フェニックス・インペリアルホテルを出た際に、私についていたなら、その後全員と合流した時点で、あやめか、もしくはヤマネコ妖怪であるメイコが気づいていないとおかしい。

  同様の理由で、私たちが昨夜、オルコットホテルに帰ってから、今朝に至るまでに室内に侵入した可能性もゼロ」

 「つまり、エリスがシャワーを浴びている最中に入ってきた、か」


 なにもつけず、トーストをかじるリオ。

 エリスは続ける。


 「あの時、シャワーを頭からかぶっていた時、耳元に妙な気配を感じたわ。

  シャワールームの排水溝は、入り口に設置されている構造だったから、ケサランパサランが排水溝を経由して出てきたとは思えない。となると、これは私の直感に近いんだけど、ケサランパサランはシャワー、つまり水道を経由して侵入したことになるわ」

 「水道…って、どうやって、あの生き物がそんなところに」

 「分からない。故意に入ったという訳ではないでしょうけど。

  仮にゲイリー、もしくはゲイリーの息のかかった誰かが、ケサランパサランを上水道に垂れ流したのなら、話は変わってくるけど」


 あやめが聞く。


 「巨大化したのは、あのおしろいのせいかしら?」

 「私は、そう考えているわ。無論、それによる疑問も一緒」

 「おしろいを与えると分裂するはずのケサランパサランが、なぜ、巨大化したのか…よね?

  私も日本にいた頃、ケサランパサランに関してはいろいろと聞いてはいたけど、巨大化するなんて事例、私の知る限りではなかったわ。

  でも、私たちはケサランパサランに関して、そのすべてを知ってるかと言われたら、それは否。誰も知らない、未知の力を秘めている可能性がある」



 「そう。巨大化なんてあり得ないけど、それを否定することもできない。

  未知の力を持った存在か、もしくは…イリーガルな突然変異体。

  あのケサランパサラン、両目の大きさがいびつで、体液を流したり、触手を伸ばしたりしていた、いわゆる、奇形。

  遺伝増殖する生物が、ある一定の確率で変異体を生み出すことは、既に科学の分野では立証されているからね。無論、それが妖怪に当てはまるかどうかは、分からないけど。

  兎に角、そういった変異が、なんらかの形で、未知の生態に影響を及ぼしている…かもしれないわ」


 エリスの言葉を聞き終え、あやめは、席を立ちながら言った。

 

 「どちらにせよ。今回の敵は、妖怪の中でも未知なる生物。

  そいつを手懐けてるとなれば、相手もかなりの強者と思ってもらって構わない」

 「そのためにも、ゲイリーとホテル関係者、そしてボン・ヴォリーニの動向をしっかりと捉えなきゃ。

  お目当てのソレを逃したら、ノクターンの看板を掲げてる意味が無くなっちゃうもん」


 お互いにウィンクを飛ばして、その意思を確認したところで、あやめは料理の並ぶカウンターへと足を向けるのだった。

 ピークを過ぎたのか、並ぶ人はまばらの一角に、パンや温かい料理が置かれていた。

 傍では、シェフが慣れた手つきで、卵をフライパンのふちで割り、サニーサイドアップを焼いている。

 あやめは目移りさせ、バスケットに積まれたロールパンを3つとベーコン、それを皿にのせた。

 個包装になったバターを、指先でつまみ上げた時――。



 「映画で見たけど、日本人ってホテルのアメニティを、スーツケースいっぱいに詰め込んで帰るそうじゃないですか。

  そのバターも、ポケットに入れて、ベガス土産にでもする気ですか? 半妖さん?」



 背後でかけられた、聞き覚えのある声色。

 口調といい、あまり気分のいいものじゃない。

 幼い声に、あやめは溜息をついて振り返らずに、嫌みをやんわりと返した。


 「その歳でマーティン・スコセッシを嗜んでいるとはね。流石といえばいいのかしら?

  ナナカ・L・リンドグレーン。

  貴女にはカジノより、が合ってるみたいだけど」


 少女もまた、その嫌みを返した。


 「それって、バカにしてます?」

 「まさか。ほめたつもりよ……それより、どうして貴女が、ここに?」


 ナナカは答えた。


 「正確には、私です。

  パンとコーヒーだけのモーニングに飽きた。それだけですよ」


 振り返り、その少女の手元を見て、あやめは口元をゆるませる。

 フレンチトーストにオレンジジュース。


 すましていても、まだ17歳の純粋な女の子…か。

 そう、思いながら。


 テーブルに戻ると、隣り合う別の席に、アンナがおり、エリスと話をしていた。

 リオとメイコは、眉をひそめて警戒しているが、当の本人たちに即発の雰囲気はない。


 「――話は分かった。

  ケサランパサランに関して、要求なんてしないわ」

 「あら。てっきり“渡さなければ、力づく”ってやつかと思ったけど?」

 

 アンナは鼻で笑いながら


 「不発弾を素手で掴む趣味はないよ。長生き大事」

 「死に急ぎが、よく言うわ。

  それで、本題は何なの? そのために、朝一会議を妨害しに来たんでしょ?」

 「不愛想な言い方ね。昔のよしみで、あなたに情報をあげようってのに」

 「昔のよしみ…ねぇ…」

 

 昨夜のデジャヴか。

 今度は打って変わって、ナナカの眉が吊り上がった。

 愚痴も言わず、横から口を出さないのは、上司の前もったがあったからだろうか。


 そんなナナカをよそに、アンナはタブレットを取り出すと、画面に映像を再生した。

 ビデオテープ特有のさざ波のノイズを受けながら、向こう側でプラカードを持った人の波が、叫び声を上げながら通りを渡っていく。

 そのすべてが黒人。その雰囲気は、昨今のニュースで見かけるデモと比較すると異質。眼光も声色も、怒りというより殺意にも似ていた。


 「これは…」

 「ロサンゼルスのサウスセントラル地区で撮影された、ホームビデオ映像よ。

  日付は、1992年4月29日」 

 「おい、まさか!」


 リオの驚いた声に、アンナは頷いて言うのだった。


 「そう。あの評決が出て約30分後…つまり、ロサンゼルス暴動が起きる、正に直前の映像ってこと。

  問題は、このビデオが一瞬、ある人物を捉えていたということよ」


 そう言うと、アンナは問題の映像の部分で画面をタップ。

 一時停止された画の、右端にしっかりと映り込んでいた人物。それは――


 「パチュリー第11部隊、情報戦略セクションが、ネットに浮かぶ膨大な情報の中から取り出してくれたわ。

  今と顔も背格好も、そして若さも変わっていない。それが幸運でもあり、奴の仇となったわね」

 「まさか、ゲイリー・アープ!」


 エリスの言う通り。

 通りの路肩に停まるピックアップのシェビー。歩道から車に乗り込もうとする人物は、表情までしっかりとカメラに捉えられていたのだ。

 間違いない。否、間違いようがない。

 フェニックス・インペリアルグループの創始者であり、ケサランパサラン事件第一容疑者の男、ゲイリー・アープその人なのだから。


 「奴は今の事業を立ち上げる前に、ロスにいたのか」

 リオの言葉を借りて、エリスはボソリと呟いた。

 「なら、昨夜のパニックは、これが引き金…なの?」

 

 その時、彼女は何かに気づいた。


 「待って。歩道側から車に乗り込んでいるってことは――」

 「この時、運転者がいたってことになるわね。

  その人物は、ゲイリーが起業する以前の忘却された過去の経歴― 家族や友人の影すらなかったゲイリーが接触した、唯一の人間になる。

  それが誰なのかが分かればいいけど」

 「この映像では、運転席までは見えないよねぇ…」


 しかし、エリスには一つだけ見当はついていた。

 昨夜、ゲイリーがパニックを起こしたときに言った名前。

 

 ジェイク。


 (このシェビーを運転していた人物がジェイクという名前で、そいつが92年のロス暴動で、ゲイリーのココロに深い傷を作ることになった、何らかの事件を引き起こしたとしたら…。

 パニックの具合からして、その事件は、彼の生死にかかわるほどの、とても大きな傷――。

 そして、これは確証ではないけど、その傷こそ、ゲイリーがケサランパサランを生み出し、それをいろんな人に配って死に至らしめる事件を起こした、根底の衝動であるはず!)


 「一応、11部隊には映像クリーニングと、更なる情報のハッキングを注文したけど、基本的な情報すら、手に入れるのに苦労した相手。

  さて、どんだけかかるか…」


 タブレットを仕舞いこむと、冷めたアメリカンを一口。

 そして、欲を出した。


 「まあ、それより気になるのが、日本側の動きね。

  ケサランパサランは日本の妖怪。

  向こうがネオ・メイスン同様に、何らかのアクションを起こす可能性だってあるんだから」

 「要するに、それをアヤから聞き出すために、はるばる朝食へとしゃれこんできた、って訳ね。

  さっきの映像は、その対価」

 「分かってるじゃない。エリス」

 「あくどい奴め」


 しかし、アンナの期待をあやめはドライに打ち消した。


 「残念ですけど、それは取り越し苦労で終わると思いますよ」

 「え?」

 「今回の事件に日本、いえ、現在もなお妖怪勢力としては、強大な影響力を持つ同業組織、八咫鞍馬は動かない」

 「ヤタクラマと言えば、アヤの古巣だな…しかし、どうして?」


 リオの問いに対する答えは、妖怪という常識を以て考えると、あまりにも近代的で政治的過ぎた。

 介入しない理由。それは――


 「それはね、リオ。ケサランパサランは外国にいてはいけない妖怪だから。

  正確には、こう言うべきかしら。

  国際条約により日本国外への持ち出し、及び使用の禁止された唯一の妖怪だから」

 「条約?」


 「平城京へいじょうきょう条約…第二次大戦直後、妖怪と魔術師による、史上初のサミットで定められた、国際条約よ。

  そのサミットで首脳部を統括し、反対派に内容を批准させた急先鋒こそ――」

 「日本のヤタクラマ、ということか」


 あやめは頷いた。

 

 「この事件に介入すれば、八咫鞍馬はケサランパサランに関する一連の被害に関して、日本側に非があることを認めることになる。

  そうなれば、妖怪や魔術師の世界における、国際社会の立場は完全に失墜するわ。

  人間に何人もの犠牲者が出ている現状なら尚更にね。

  連中はそれを何としてでも防ぎたいはず……ええ、私のアトリビュートをレイズしてもいい。八咫鞍馬は、今回の事件を知らぬ存ぜぬで貫くわ」


 「フンっ、大層な自信家ですことね。

  ミス・アヤメ。どうして、そこまで言えるのですか?

  貴女も、元は、そこにいた身でしょ?

  私たちが走り回ってそうするように、彼らもアクションを起こすのが、普通じゃない?」


 ナナカがツンと尖った言い方をすると、あやめの手に力が入った。


 「普通? …貴女の普通が、どこでも通用すると思わないでっ!」


 ガンっ!

 力いっぱいに突き刺したフォーク。ロールパンがひしゃげるほどに。

 そして、吐き捨てた。


 「そこにいた身だからよ…だから分かるの!

  連中は自分に不利なものは、何でもたやすく切り捨てる。そして消し去る!

  私を…私の全てを…生きていた証さえ、最初から無かったことにする!

  それが普通…それが常識って連中しかいないのよ! あの八咫鞍馬ってところはね!」

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