79 生きたい理由
ガコン!
リフトが止まり、全員の視界に、男の姿が否応なく入ってくる。
男もまた、眼下に広がる自分の畑に悦を覚えながら、そこに土足で入ってきたイノシシを見つめている。
天井からぶら下がった2体のミイラを挟み、ゲイリーとエリスは再び向かい合った。
カジノと違って、今のゲイリーには余裕がある。
口元が愉しそうに笑ってる。
エリスには、そう見えた。
「また会ったね。エリス」
「もう、会いたくなくなってきたけど」
「水臭いじゃないか。
こうして、また話すことができるんだ。
死からよみがえったロミオ、君にさ。
ジュリエットは、そのことに感謝しないとね」
左様で。
エリスは、ただ一言。
ドライな返答が聞こえたのか分からないが。
「さて…まず、この2人には目障りだから、出て行ってもらおう」
立て続けに響いた銃声。
スーツの裏から取り出したワルサーPPKで、2人の足を縛っていた縄を一発で打ち抜いたのだ。
無抵抗に落下する死体に、あやめは思わず走って逃げる。
ボコオオオン!
茶色い煙を吐きながら、イタリアンマフィアのナンバー2が、ただの灰と帰した瞬間。
盛者必衰。儚き刹那。
エリス以外は、手で口をふさぎ、目をしかめた。
「マフィア……いいえ、人間だれしもなりたくない、嫌な最期ね」
立ち上る2つの煙を見ながら、表情を変えずに呟くエリスとは対照的に、ゲイリーは嬉しさに眉を吊り上げ、銃を仕舞って言うのだ。
「これで視界がすっきりした。
さ、殺し損ねた君の可愛い顔が、よ~く見えるぞ」
「はいはい……しかし、見上げた根性だこと。
もてなす側のホストが、キャストを簡単に食うなんて。
それも、自分から呼んだ客でしょ?
ホテル支配人の風上にも置けない奴」
ゲイリーは言う。
「もう、必要なくなったからだ。
存在価値のない奴には、もう用はない。
私の可愛い子供たちのお腹を、少しでも満たしてくれれば、それで満足だ」
「ボン・ヴォリーニが、お前たちに何をしたって言うんだ!」
リオが聞くと
「ボン・ヴォリーニじゃない。お前たちとバチカンだ」
「なるほど…」と、エリスは続けて
「私たちが秘密通路の存在に気づき、オールドロマンを潰しちゃったから、ここを畳んで、ほとぼりが冷めるまで隠れる魂胆な訳だ。
ケサランパサランをばら撒いて、お命頂戴すると、綿毛を頼りに潜伏場所が知られかねないからねぇ。
ボン・ヴォリーニは西海岸中で、抗争事件を起こすつもりだったから、尚更。
だから、ケサランパサランに命を吸わせて殺した。違う?」
彼は言った。
「その通りさ。やはり、頭のいい女は素晴らしい。
ボン・ヴォリーニの愛人とは大違いだ」
「そこまでして、この綿毛たちを守りたいのは何故?
ロス暴動で死んだ、ジェイク・三沢が絡んでるの?」
足元で叫ぶあやめを見下ろしながら。
「ジェイク・三沢、懐かしい名だ。私にケサランパサランを教えてくれた師匠。
エリスには言ったが、私はあの暴動で、師匠を目の前で殺された。
君たちの想像にも及ばない、人間の醜いエゴをたくさん見てきたんだ。
そうだ、ミス・アヤメ。
ジェイクは死ぬ直前、私にケサランパサランと、生きることへの固執を教えてくれたんだ。
師匠の教えを、私はありがたく頂戴し、受け継いでいる。
だからこそ、私はケサランパサランを守らなきゃいけないのさ。
生にこだわるためには、あの綿毛が絶対に必要だからなぁ!」
刹那、エリスはゲイリーに、
「だったら、何のために生きたい?」
「んだと?」
「ゲイリー・アープ。
お前はそこまでして、何故生きたいんだ?
何のために生き続けたい?
自分の衝動のままにケサランパサランをばら撒き、あらゆる人間の命を吸い続けてきた今、お前は生を糧に何を望む」
エリスの叫びに、ゲイリーは笑った。
「何も望んじゃいないよ!
俺はただ生きたいのさ。生きて生きて、生き続けたいのさ。
そこに理由なんて必要ない!
ケサランパサランさえあれば、俺は不死身なのさ!
フハハハハハ!」
これが、彼の説破。
高らかに笑う声が反響する中で、抗うような一言が、矢になってエリスの口から放たれた。
「……やっぱりね」
「ん?」
「お前は、その妖怪を持つべきじゃない!」
「ハッ! 何を言うかと思えば…」
エリスは、直立不動。
「その答えが、全てを語ってる。
アンタには理由がないからよ。ゲイリー・アープ。
生きる理由がね」
「生き続けたいことは、理由じゃないのかね?」
「それは、ただの経過と結果に過ぎないわ」
ゲイリーは黙った。
「人間は、何かしらの理由があって生きているもの。
それが、誰かを幸せにしたいって崇高なものだろうが、今夜のTVショーを見たいって感じのインスタントだろうが、なんでもいい。
人は生きるために考え、欲し、その結果として生きることを欲する」
「私も考えているじゃないか」
エリスは静かに首を振る。
「アンタの思考は“生きたい”ってもんじゃないわ。
最初は、そうだったのかもしれない。
あの暴動を生き抜けば、当然ね。
でも、その欲求が、いつの間にか呪縛に変わってたのよ。
ドラッグやリキュールのような、ある種の依存症― そう、生存依存症とでもいいましょうか。
どっぷり浸かってしまったが最後、生きることを考えてないと、身も心もおかしくなってしまうようになった……」
「……」
「アンタは“生きたい”んじゃない!
その欲望が、ケサランパサランのせいで肥えに肥え、遂には“生きなきゃいけない”って強迫観念に変わったのよ。
そこには、生きる理由なんて何もない。
ただ漠然に、生きなきゃいけないから生きるという、矛盾に似た本末転倒があるだけ」
ゲイリーは手を振って、言い返す。
「なぜ、そう言える!
あれだけの経験を、人が殺され、己が私欲のために貪る世界を歩いたこともない人間が、何故そんな詭弁を、のうのうと語れるんだ!」
「なぜ?
アンタ、自分のデートを振り返ったことがある?
認めたくないけど、確かにアンタは魅力的よ。
ルックスもハンサムで、ハスキーボイス。
おまけに身に着けてるスーツも、車も、エスコートも完璧だった」
エリスは、右手を手すりにかけ、身を乗り出すように言い続ける!
「でもね、そのどれを取り上げても、温もりがないのよ。
食事をしても、買い物をしても、ドライブをしても。
言葉にも、仕草にも、人間としての温もりがない。
ハリウッド映画を垂れ流すイヤホンが、耳に引っ付いている気分だったわ。
そう、理由づけされた生存本能が無ければ、人間は死んでいるも同然、ただ自分で自分を操るだけの、哀れなマリオネットなのよ!」
エリスは演説を止めない。
「それにね、ゲイリー。
アンタも言った通り、私はバチカンのスパイで、神の使いのゴミ処理係。
異端者の絶滅を信じて、躊躇しながらも人を殺し続けてきた。
戦場に行き、敵陣に乗り込み、同い年の子供たちですら、命令に逆らえず殺したこともある。
ロス暴動以上の地獄を、私は子供ながら走り抜けてきた。
人のエゴや、命の尊さは、アンタ以上に知ってるつもりよ!」
「……」
「アンタ、言ったよね?
人を殺したところで、その人物以上に長く生きれる完全な保障など、どこにもない。殺すだけなら、獣にもできる…って。
生きるためだけに殺してるならゲイリー、アンタこそ、ただの獣よ。
師匠も、草葉の陰から、さぞ悲しく笑ってるでしょうね」
途端、ゲイリーは怒りに任せて叫んだ!
「ならば、エリス・コルネッタ。
貴様は何のために生きている! 何のために生きたい?
そこまで偉そうな説教をするなら、答えろ!」
「愚問ね…」
エリスは嘲笑い、言い放つ。
「私は知りたいから生きてるのよ。
この世の全てのナゾを、奇跡を、不思議を!
全ての本質…アカシックレコードを知るまで、私は死にたくないし、絶対に死ねないの」
その瞳は、燃えていた。
真紅の
口から吐き出される言葉に、躊躇も嘘もない。
「だから、私は生きたい。
だから、生き続ける。
私についてきてくれる、ノクターン探偵社をつくって、私と一緒に笑ってくれる仲間たちのためにもね!」
「分からん…そんな意味不明なもののために生きるとは…。
バチカンの人間と言うのは、そんなつまらない人間だったのか。
え? バチカンのエリートスパイ、ブラッドベリルさんよぉ!」
刹那。
エリスの眼が一気に冷えた。
ブラッドベリル。
その禁忌を聞いた途端。
「人間が生きる理由なんて千差万別。誰かに理解してもらおうなんて、これっぽっちも思ってないわ。
生きたい理由が、すぐに出てこなかった、アンタよりマシでしょ?
言っとくけど、私は、もうバチカンの人間じゃない。
ノクターン探偵社社長、エリス・コルネッタよ」
それに、と、エリスは付け加えながら、アトリビュートを発動。
右手にマウザー銃を出現させた。
「私を、その名で呼んでいいのは、かつて私を愛してくれた者だけ。
よそ者が、汚い唾と一緒に吐き飛ばしていいものじゃない」
「ほう、なら、どうする?」
「ヴィランにでもなった気?
でも、お気の毒様。
私たちはヒーローでも、法の代理人でもない。
正義やら平和やらのために、誰かを裁く気もない」
指をかけてもないのに、銃が勝手に動いて弾丸を装填した。
見えない透明の、そして一撃必殺の。
「お前を倒して、この狂った怪奇事件を終わらせる。私と仕事のために」
しかし、彼からは自信がみなぎる。
彼女を嘲笑するほどに。
「いいねえ…実にいい……」
「それに、あなたは私に毒を盛り、蹴り上げ、ゴミのように捨てた。
女をぞんざいに扱った罪は、かなり重いわよ?」
「ふふん?」
「それもこれも、全部ひっくるめて、決算といきましょうか。
ゲイリー・アープ。
この弾丸で、お前をベテシメシの葬列に加えてやる!」
これまた、バカにした軽い拍手。
「素晴らしいブロードウェイだ。
いやはや、たいしたものだよ」
直後、右手の指をパチンと鳴らしたゲイリー。
座り切った眼と、どすの効いた声が、前座の終わりを刻みつけるのだった!
「葬式行列に入るのはお前らだ、ノクターン。ここで全員殺してやる」
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