80 マザー



 自信満々なゲイリーの笑み。

 その理由がようやくわかった。


 「!?」


 突然、足元が小刻みに揺れ出したかと思うや、彼の背後にあった壁がゆっくりと動き出したのだ。


 壁。

 そう、語弊は全くない。

 壁だ。


 エリス達の眼前に広がるコンクリートの壁。

 高さ10メートル以上はあろうかというそれが、シャッターのように上へと引き上げられていくのだ。


 その向こうには、まだ別の部屋があった。

 薄暗く、半分まで開いても何も見えない。


 いいや、見える。

 青白く光る何かが。



 「あやめっ!」


 相手は球体。モフモフ。


 「な…によ……」


 だが、シャッターが半分以上開いても、全身が全くうかがえない。


 「おいおい、冗談だろ!」

 


 ゴンドラに乗るゲイリーと比べても、その大きさは歴然。

 彼が豆粒のようにみえてしまう。

 更に呼吸をし、動いているではないか!


 そう、相手は巨大生物。


 壁が取り払われ、暗室が姿を見せた時、光の正体もまた、姿を見せる。

 動揺に瞳を揺らすエリスが、かの名前を口にしたとき、全員の驚嘆と恐怖は最高潮に達した!


 「ケサラン…パサラン…っ!」


 部屋を埋め尽くさんとする、白い綿毛の塊。

 足元をパイプや鉄骨で固められた、鳥かごのカナリヤと化しているそいつは、紛れもなく、ケサランパサラン。

 表皮が浮き沈みとうねりを繰り返すたび、ソレが生きていることを否が応でも感じる。

 カッと見開いた2つの眼と、その体内から這い出てくる無数の触手が、彼女たちを威圧してくる。

 百戦錬磨のエリスでさえ、そして、妖怪に関しては探偵社で一番感知しているあやめでさえ、この場から逃げ出したかった。


 壁と同じ高さだとするなら、全長は10メートル以上。

 今までで最大の個体だ。


 「どうだね。驚いたか?」


 興奮気味に口を開いたゲイリーは、歓喜に両手を広げた。


 「こんな……こんなの、ありえない」


 そう言ったのは、あやめだった。

 

 「過去、ケサランパサランがこれだけ巨大に成長した例は、どこにもない。

  奴らは、人間に幸運を与え消滅するだけの、単細胞生物だったはず……。

  まさか、コイツがオリジナル!?」

 「どういう意味、アヤ!?」

 「エリス、このケサランパサランはね、恐らく、この培養ポッドの中にいるちいさなケサランパサランの親なのよ。

  80年代終わりの日本から、陰陽師の末裔が強奪した個体の一つ。

  ゲイリーは、ロス暴動で死んだ彼の持っていた個体を受け継ぎ、それをずうっと錬成し続けた!」


 ゲイリーは叫んだ。


 「ご名答!」


 だが、あやめは彼とは違い、怒りの叫びに震った。


 「ふざけないでっ!

  それだけの大きさにするために、どれだけの人間を殺したの!

  どれだけの命を、運を、未来を吸い取ったっていうの!」


 彼は言う。


 「そんなものを、いちいち覚えていると思うかね?

  ミス・アネガサキ。

  君は、ショッピングの最中に踏みつけた雑草の数と種類を、いちいち覚えるほどの偏執狂なのかね? え?

  だとすれば、君に賛辞の拍手を与えよう。ひと匙の嘲笑も込めてな」



 あやめは押し黙った。

 これ以上のやり取りは無意味だと察したから。

 それに、感情を爆発させれば、この舞台では、こちら側が敗者となる。

 エリス達を引っ張りかねない……。


 ゲイリーは、意気揚々と聞いてないことまで話し始めた。



 「私は、この個体をマザーと呼んでいる。

  暴動後、ケサランパサランを半永久的に生み出し続ける方法を、科学的に模索した。

  幸いにも、私は大学で、専攻の経営学以外に、機械工学と生物科学もかじっていたからね。

  応用を利かせるのには苦労したが、必要な知識を得るのは、簡単だったよ。

  ラボの隠れ蓑にするため、そして出来上がったケサランパサランで人体実験を行うために、ホテルを建ててな。

  そして2年後、バイオ技術を応用した錬成術を、私は見事に生み出した!

  マザーを基に、この培養ポッドにいる子供たちを生み出したって訳なのさ!」

 


 あやめは驚いた。

 

 「なんてこと……日本、いえ、世界中の誰も成し得ていないはずのパンドラ。

  あの妖怪を、生物科学に基づいて量産していただなんて。

  一体、あなたは何者なの!?」


 ゲイリーは、ひょうひょう答えるだけ。


 「ただの社長だよ。

  人生経験に、魔術と言うスパイスが入ってる風味絶佳な経営者だ。

  こんなことが、まかりにもビギナーの私にできて、専門家たる日本人にできないなんて……所詮、カエルはカエル、ジャップはジャップ、ということか」


 彼の舌は疲労を知らないのか。

 まだまだ、話し続ける。


 「あとは、金と場所さえあれば、どうにでもなる。

  子供たちを担保に、幸運を生み出しつつ、資金を増やし、その金を培養と研究のためにつぎ込んだ」


 その集大成が、この工場だったのだ。


 「あとは、君たちが突き止めた通り。

  マザーを基に、培養ポッドに詰め込まれた数多のケサランパサランを量産し、それを運が良く取れそうな人間に与えていたのさ。

  母親がいるために、この子たちには、既存のケサランパサランにはない、帰巣本能が身に付いた。

  だから、ケサランパサランは持ち主の運を吸い取ると、必ずベガスに、このフェニックス・インペリアルへと帰ってくるのさ。世界中どこにいてもね」


 「その運を、マザーに与えていた……いえ、」とリオ


 「そうやって大きくなり続けた。

  この母なる宝石は、最早、師匠が、いや、いかなる魔術師も妖怪も成し得なかった偉業! 名器! 最高傑作!

  唯一無二の彼女は、私と共に生き続ける。

  私が生きている限り、私の傍にいる限り!」


  エリスはようやく、口を開く。

 押し黙っていた、その唇で。


 「どんなに高説ぶっても、所詮、アンタのしたことは、ただの人殺しよ」

 「……」

 「そして、背後にそびえるのは、そんなアンタの見栄と欲望の塊。

  私には到底、名器には見えないわ。

  言うなれば七つの大罪……そう、傲慢と強欲の醜い彫刻。

  芸術の風上にも置けない、ただの産業廃棄物。

  それ以外の、何物でもないわ」

 「……」

 「ゲイリー・アープ。

  私は、これ如きの脅しで、自分の考え方を変えるほどに貧弱な人間じゃないわ。

  それに――」


 彼女はマウザーを握る手を緩めない。

 下ろしていた銃を、再度、彼に向けた。


 「さっきより、ワクワクしてるのよ。

  日本人も成し得なかった、肥大で科学的なケサランパサラン。

  こいつを倒せば、アカシックレコード理論に、誰よりも先に近づけるかもしれないんだから。

  妖怪と科学の融合。まさしくオカルティック。

  さあ、死んで頂戴! そして、私に、生き甲斐と新世界を見せて頂戴!」


 輝きに燃える瞳は、銃口と相まって、鋭いスコープとなり、今、ゲイリーの身体を貫いている。

 後は、その引き金を、自らの気力と共に押し込むだけ。


 だが!


 「なるほど、その目…その輝き……いい色だ。

  とてもとても、いい色じゃないか。

  それが、人間の、お前の生きる理由というやつか。

  ……だったら、その色を貰おうじゃないか!」


 そう言って、背広の懐から取り出したのは――


 「生きる理由が私にないなら、お前の理由を奪えばいい!

  お前を、私の中に取り込んでやる!」

 「ケサランパサラン!?」

 

 試験管一杯に詰め込まれた、小さなケサランパサラン。

 さしずめ、早朝の満員電車状態だ。

 身動きが取れず、コルク栓を取ろうと必死にもがいている。


 「ただのケサランパサランじゃない。

  ゲイリー・アープに憑りつかせて、その運を食らわせた個体なのさ」

 「なにっ!?」

 

驚くエリスをよそに、ゲイリーは今、コルクの栓を引き抜いた!


 「さあ、見せてやる! 私の、ケサランパサランの、真の力を!」 


空中へと放たれた綿毛たち。

ふわふわと、自由の身になった喜びを、舞いながら仲間たちと分かち合ってるように見えた。

しかし、マザーの目線の前まで浮かび上がると、彼らは動くことを止め、一直線に並んだ。

何かコンタクトを取るように、キーキー甲高く、鳴き声を発した直後!

彼らの身体が、淡い緑色に輝き始め、一斉にゲイリーの身体へ吸い寄せられるように憑りつき始めたではないか!


 「う…ううう…」


 ゲイリーがうめき声と共に崩れ、ゴンドラの中に消えると、その光は一層強く、より深い緑色へと変わっていく!


 「な、なんだ…何が起きてるんだ!?

  メイコ、これは、どういうことなんだ!」

 リオが興奮して聞くも、彼女も呆然とするしかない。


 「おびただしい妖気よ。こんなの…感じたことがない!」

 

 エリスとあやめも、同じだ。

 目を細め、手で光を遮りながら、何が起きてるかを必死に理解しようとしていた。

 しかし、半妖たるあやめには、かなり堪えるオーラ。

 妖気から来るダメージが、じわじわと体を包み、寒さにも似た感触を、肉体に突き刺してくるのだった。


 「アヤ、大丈夫?」

 

 階下のあやめ、足元が一瞬ふらついたのを、エリスは見逃していなかった。

 エリスにも、ピリピリとしたものが、肌を伝っている。

 雪女の血が流れる彼女なら、その感受性は人間より大きい。

 バチカン時代の経験、そして、長年の付き合いから、そのことを素早く感知していたのだ。


 「なんとか。

  でも、この妖気は、今までに感じたことがない類のものよ。

  何が起きてるのか、全くわからない」

 「アイツは、死んだと思う?」

 「いいえ。

  微かにだけど、妖気に人間の鼓動、心臓の音が混ざってるから、奴は生きてる。

  十中八九ね。

  でも……」


 エリスは聞く。


 「どうしたの?」

 「ゲイリーの鼓動がどんどん早く……いいえ、になってるの!」

 「新鮮!?」


 言葉の意味が、理解できなかった。

 それを感じていたあやめ自身も、表現の仕方が見つかっていないのだから。

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