1日目・深夜~疑惑
22 フラッシュバック…ゲイリーへの疑惑
PM11:30
ネバダ州 ラスベガス
フェニックス・インペリアルホテル
1F ショッピングフロア
エリスとゲイリーはレストランを出て、談笑をしながら歩みを進める。
このホテルでは、宿泊エリアとチェックインフロアを、ショッピングモールがつないでいる造りとなっている。
ブランドショップから、コスメ、キッズ向けに至るまで、あらゆる店が軒を連ねるが、そこも、もう間もなく店じまい。
その中の一つ、日本のお土産や商品を扱うショップ。
エリスは何となくを装って入店した。
というのも、事前の調査で、この店に潮風屋のおしろい「KITEKI」が卸されていることを、日本側から独自に入手した注文伝票で把握していたからだ。
ケサランパサランと、それが関わる一連の犯罪につながる、重要なキー。
だが、笑顔の裏で彼女は焦りを感じていた。
(おかしい…潮風屋の他の商品はあるのに、KITEKIがない。
アヤが手に入れてくれた資料でも、ここに商品が卸され、代金が日本の会社に支払われていることは確か。
しかも、このホテルに商品が到着したのは、船便の遅れがなければ、昨日。
それに、アヤに情報をくれた、福岡の店の人間が嘘をついているとは思えない。現にシンガポールのリゾートではKITEKIが販売されているのは、ちゃんと確認済みだし、今回の事件に無関係と思しき人が、容疑者のために嘘をつくメリットなんて一つもない)
エリスは、おしろいの一つを取り上げるが、それはお土産用のおしろい。
韓国で死んだ男が買ったものと、同じものだった。
(福岡空港の商品…やはり……っ!)
エリスはカウンターの向こうにあるものに、目を向けた。
「切腹」という漢字があしらわれた扇子。その横に置かれていたのは、赤と黒のクリスタル容器。
間違いない!KITEKIだ!
「あれって…」とエリスが指をさして言うと。
「ああ。日本の高級化粧品メーカーが扱ってる商品でね、滅多に海外じゃあ扱ってくれないモノなんだ。
売ってるのはここと、シンガポールのリゾートクラブだけらしい」
「KITEKI…でしたっけ?」
エリスが聞くと、笑顔で指を鳴らす。
「そうさ。よく知ってたね」
意気揚々と話しかけるゲイリーに、刹那、エリスが揺さぶりをかけた!
「教えてもらったんです。ロンドンで会計士していた友人から。
つい先日、事故で亡くなってしまいましたけどね。
化粧をしないのに、なぜか、そういうのには詳しくて」
「そうだったのか…いや、気の毒な事を聞いてしまったね」
「いえ、お構いなく」
狼狽も動揺もなかった。
それどころか、口から瞳孔、声に至るまで変化がない。
軽く流して、次へと行く。
まさか、彼は事件と無関係?
それを知ってか知らずか、ゲイリーは店員に申し出て、KITEKIを1つ、エリスへと渡してくれた。
両手で受け取るエリスに、彼はささやいた。
「本当は、このお店の在庫を全部でもプレゼントしてあげたいが…ウチでも人気商品でね。これが最後の1個なんだ」
「そうなのですか?」
「もし、君がいいのなら、このKITEKI。次にお店に来た分をすべて、与えてあげたいんだが。
この優しく、温かい肌を、きらびやかに守るためにね」
猫なで声で誘ってくるが、まあ、吐き気を催す落とし文句だ。
Z級映画でも、もっとマシなセリフを使うだろう。
エリスは首を横に振った。
あくまでレディとして。
「大丈夫ですわ。私も、お試しで使ったぐらいしかありませんから。
肌に合わなかったら、大変ですわ」
「だったらせめて、今夜の思い出に、これだけは受け取ってくれ」
「そうさせていただきますね」
微笑しながら、心の中を隠すエリスだが、疑惑は大きく膨れるばかりだ。
不審の眉を寄せ、彼女はクリスタルの容器を見た。
(これが、最後の1個?
確か資料によると、潮風屋商品の発注単位は、海外便だと共通して36個、3ダースからの注文。船で送ってくるからってのが理由らしいけど。
もし、船便が遅れているのであるなら、ここに1個しかないのも説明がつく。
しかし、本当にそうなの? …これだけの大規模ホテルが、最低発単数で商品を回すなんて思えない)
■
店を出ると、大理石の上をハイヒールで鳴らし、エリスはゲイリーと回転扉をくぐった。
外の風が冷たく、2人を包み込む。
深夜ともなり、カジノもないこのホテルのパーキングには、動く影も車も全くないが、通りを遮る茂みの向こうは煌めきを放つ。
燃え滾る森林の如く。
「もう、こんな時間だ…宿泊先はどこだい?」
「えっ?」
ティファニーの腕時計を見ながら聞いてくるゲイリーに、エリスは目をぱちくりとさせ、驚きを見せる。
「こんな時間に、姫様が通りを歩けば、いけない狼に食べられてしまう。
それに砂漠の中とはいえ、夜は冷える。
私のリムジンで送ろう。最近新調したばかりの車だ。きっと気に入るはずさ」
「そんな…初めて会ったばかりなのに、これだけのもてなしだなんて…」
「遠慮することはない。ここはベガス。夢を見る場所なのさ」
エリスはやんわりと断ったが、その裏には焦燥感もあった。
(ホテルの場所を知られたら、こっちがまずい。
他の場所を隠れ蓑にして、ゲイリーが去った後に対処してもいいけど、フロントまで来られたら…どうにかしないと!)
その時だった!!
キーン…
「ううっ!」
ゲイリーの鼓膜を、突然に耳鳴りが襲う。
とてつもない大きさだ。
「ミスター・ゲイリー?」
「う…ぐうっ…!」
途端、ゲイリーの身体が膝を立てながら硬直した。動悸が早くなり、それが胸から脳を通して聞こえてくる。
呆然と、という表現では説明がつかない。
視線を一点に止めて。
視界が左右に揺れている。冷汗が止まらない。
明らかに体中が縛られているように、そして、それを振りほどこうと力を入れている。
(様子がおかしい。彼はいったい、何を見てるんだ!)
視線の先には、駐車場を照らすナトリウムランプの街灯、そのオレンジの光に浮かび上がるパームツリー。
丁度、揺れる葉をぼんやりと照らしている。
ゲイリーの中では、それが燃えていた。
30年前と同じように!
次々に、垂れる葉っぱへと、自然に火が灯され燃え広がっていく。
駐車場で音がした。
ひとりでにセダンやバス、ピックアップが転がり、腹を向けたそれから炎が上がっていく。
ガシャンとガラスの割れる音。ドアが、窓が、次々と零れ落ちる。
こん棒とヘルメットで武装した警官が、こっちを睨んでくる。
プラカードを掲げた男たちも。
何人も何人も。
頭上には燃え盛る星条旗が掲げられた!
殴られたように頭が痛くなる。
肩に激痛が走る。
このままじゃ、死んでしまう…死んでしまう!
一定の音を響かせていた不協和音は、段々と抑揚を上げ、巨大なシュプレヒコールとなり、彼の記憶をえぐり返し始めた。
どこかで、否、今、自分の周りで何人もが叫んでいた!
裁判所を燃やせ! ゲイツを燃やせ!
俺たちはただの市民だ! もう、うんざりなんだよ!
ロドニーとラターシャの報いだ! 全員殺せ!
フレーズが統一を求めると、声の同調はさらに大きさを増していく。
正義を我に!… 正義を我に!…正義を我に! …正義を我に!… 正義を我に!
答えるかのように、人々の意志の集合体と言わんばかりに、黒い影が彼の視界に、ゆっくりと人の姿を作り出していく。
段々と薄くなり、てっぺんから赤いものがゆっくりと、ラズベリーソースの如き甘い早さで、顔を駆け抜けると現れた。
血まみれで、目玉の抜けた、東洋人の顔が!
手をこちらに伸ばしながら、群衆の勢いを借りて、自分の名前を呼んでくる!
正義を我に!… 正義を我に!…正義を我に! …正義を我に!… 正義を我に!
ゲイリー…ゲイリー…ゲイリー…ゲイリー…ゲイリー…ゲイリー!
「ゆ、許してくれ、ジェイク! 俺は…俺は…俺は、死にたくないんだあぁ!」
恐怖の叫び。そして――
「ミスター・ゲイリーっ!!」
我に返った彼に、最初に飛び込んできたのは、黒い空と目を見開いたエリスの、美しい顔。
ゲイリーは、いつの間にか歩道に倒れこんでいたようだった。
それも、額に脂汗をかいて。
周囲を確認するが、パームツリーは燃えておらず、車も横転していない。
ホテルの外装も綺麗そのもので、無論、そこにはエリスと自分以外誰もいない。
あの男も――
「大丈夫ですか? しっかり」
「あ…ああ、済まない。ちょっとした立ち眩みさ」
介抱する彼女の手を、ゲイリーは片手を振りながら拒み、立ち上がった。
エリスも同じく。
目を細め、心配の眼差しを向けながら、彼女は柔らかく説得する。
「ミスター・ゲイリー、私のことは構わず。あなたの身体の方が心配ですわ」
頷いたゲイリーは、言葉を減らすことなく、スーツのネクタイを緩めながらしゃべり続けた。
「では、タクシーを呼ぶことにしよう。ホテルと契約してる車だ。安全は折り紙付きだよ」
「そうして頂ければ…」
エリスの声を聞いて、飛んできたホテルボーイ2人。
ゲイリーは彼らに介抱されながら、片方に「このご婦人にタクシーを」と、指示を飛ばしてホテルの中へと去っていった。
エリスは、それを確認すると、彼が硬直したパームツリーを再度見た。
何も変わったところはない。
(あの取り乱しようと、硬直。間違いなく、精神的な神経症から来る症例だわ。
簡単に言うなら、パニック。それも、生死にかかわるほどの。
でも、そのトリガーは何? 彼を縛るものと、この事件は関係あるの?)
それどころか、彼女の頭を更に混乱させる固有名詞を、どこに仕舞うかで迷っていたのだ。
(それに、ジェイク…ゲイリーと、どういう関係なのかしら。
許してくれ。彼はそう言っていた。
ゲイリーの経歴に関しては、全く分からないと言っても過言ではない。
その中に、ジェイクなる人物が関わってるとでも言うの?)
改めてやってきたボーイに「タクシーが来るまで、ロビーでお待ちください」と、促され、エリスは後ろめたくも、その場を後にするのだった。
(更なる調査が必要ね)
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