23 秘密の部屋
カツン…カツン…
足音がコンクリートを踏み鳴らし反射する、おなじみの音。
イメージする事象は、どちらかと言えばマイナスの要素が大きいだろう。
ある意味、この場面でも正解だ。
白線もベンチも看板もない、無機質な剥き出しのプラットフォームへとたどり着いたゲイリーの横から、ヘッドライトを照らし地下鉄が現れた。
無人での自動運転。2両編成の木造風電車から降りてきたのは、あのグリル男、ジェンキンスだった。
「また、発作を起こしたんだって? それも、初見のレディの前で」
ホームからすぐの、自動扉をくぐり、近未来的な真っ白の廊下を進む。
「いつものことさ」
「いつも…ねえ」
にやつかせた皮肉を飲み込むように、ゲイリーは返した。
「君に、あの時の私の気持ちなど、わかるまい」
「わかるさ」
ジェンキンスは、ゲイリーと通路を歩きながら続けた。
「俺も地獄にいたからさ。
御上の大きなお世話でモガディシュに行き、そこでブラックホーク・ダウンを経験した。
仲間は全員、ゲリラにやられ、その死体すら何度も殺された。
信じられるもんかよ…百戦錬磨のスナイパーを、訓練なんてされてない、ただの民兵が一発で殺しちまうんだ。
俺は、命からがら逃げてきて、国に帰り、全てがボロボロの時に、あんたと出会った」
「そして私は、君にアレを渡した…そうだったな」
「それ以来、俺には恐怖がなくなった。誰かに殺されるかもっていう、死の恐怖がね。
なあ。あんたが俺にアレを渡したのは、あんたにも同じものが横たわっていたからだろ?」
ゲイリーは、彼の顔を見ることなく答えた。
さあな、と。
すかさず、話をすり替えた。
「ボン・ヴォリーニのほうはどうだ?」
ジェンキンスは、手を横にやれやれ、と。
「どうだ、って…目を付けたのは、お前さんの方だろ。
マフィアなら、今までの弁護士や実業家以上に、上質な餌になるって」
「確かに言った。だが、あの男は実験台である前に、投資先でもあるんだ。
奴が死ねば、イタリアはおろか西海岸の勢力図は、完璧な椅子取りゲームに成り下がる。
その混乱に乗じ、連中が隠し持っているアジトを奪えば、私たちは更に量産し、更にたくさんの餌に与えることができるのだよ」
2人は、バイオハザードのマークがついた鋼鉄の扉の前に着いた。
ゲイリーが、傍のタッチパネルに手のひらを付けると、赤外線がスキャン。
その重厚感に反して、扉が軽やかに上へと開かれていく――。
「この、ケサランパサランたちにね」
白衣の男たちが行き交う森。
それは深緑の液体で満たされた、硬質ガラスの培養ポッド。
十数本はあろうかという、その一つ一つが、高圧ガスタービンの維持装置で動かされており、離陸直前の戦闘機でもいるような、甲高い悲鳴が耳をつんざく。
しかし、ポッドの中には、アダルト作品よろしく全裸の美女が、体の至る所にケーブルを取り付けられて眠っている―― というわけではない。
この中にいるのは、無数の小さい綿毛。
栗ぐらいの大きさの浮遊するそれには、くりっとした目玉が2つ。瞬きもせずに、こちらを向いている。
ケサランパサラン―― 今回の事件の元凶。
そんな培養ポッドの根本、太いケーブルが集約する先には、水族館レベルの大きな水槽上のガラスケース。
その中で、こちらは林檎サイズから、スイカほどの巨大サイズまで、大きく膨れ上がったケサランパサランたちが、吸収と分離を繰り返していた。
最早、生物というより、それを構成する細胞の働きに近いだろう。
「ふん。相変わらず、可愛げのない奴らだ。
一応言っておくが、たいそう気に入っていたぜ。ボン・ヴォリーニの愛人は」
「女はどうでもいい。メインは?」
「半信半疑さ。一応、お前に言われた通り、生まれたてを2つ3つ持たせたさ」
ゲイリーは、培養ポッドの一つで足を止めて。
「そうか」
と、返すが、ジェンキンスも同じく、それを見上げながら、つづける。
「しかし、どういうカラクリなんだかね…お前さんの話じゃ、こいつらは、人間にラッキーを与える、日本の妖怪だそうじゃないか。
運なんて、そんな非現実的なものを、どうやって人間に与えられるんだか」
ゲイリーは言う。
「こいつらのタネをくれた、私の先生は、こう言ってた。
ケサランパサランが何故、人に幸運をもたらすのか。
それは、人間の器に似合った“運”を吸い取り、それを誰かに分け与える、常識を超えた思考体であるから…とね。
つまりこいつらは、自らの意志と本能で、運を操るのだよ」
「運…それは、死という意味か?」
「生も死も、全てだ。
時に出来事というのは、神に代わって運が、その未来を司る。
幸運に生きることもあれば、死こそ幸運であることさえある。
運は不確定要素であり、抽象的であり、なおかつ、神羅万象。
ケサランパサランは、そいつを読み取り、ある時は与え、ある時は奪える。人間も魔術師も、未だに全てを解明できない存在。
その意味では神…いや、超越していうなれば、神をも超えた知的生命体!」
高揚するゲイリーは、ポッドのガラスに触れながら続ける。
「しかし、その神にも一つだけ分かっていることがある。
どういう訳か、おしろいを与えなければ生きることができない…という訳だ。
おしろいが切れれば、ケサランパサランは自らの命を維持するため、その持ち主の運を際限なく吸い取る。そして殺す。
…まあ、これは、私が何人もの人間に、ケサランパサランを与えて発見した、一つの理論、なんだけど」
ジェンキンスは聞く。
「要は人体実験だろ?」
「そうさ。ケサランパサランに帰巣本能を学習させ、その内部にあるものを、計測可能にする機械を作った。
増殖のためのポッドも、ケサランパサランの中身を抽出する水槽もな。
ホテルを建てるより、より多くのカネを使った…それこそ、このインペリアル・ホテルが20棟は建つほどのカネを…」
ゲイリーは更に話を続ける。
「ある日、2つのケサランパサランが同時に帰ってきた。その大きさは全くもって違っていた。
小さい方は20代のしがないトラックドライバーに与えたもの、もう一方の大きいケサランパサランは、50代の証券会社社長に与えたものだったんだ。
そう若さだけじゃない。ケサランパサランが吸い取る運の量は、持ち主の器、バックグラウンドの大きさに左右される事が、初めて分かったのさ。
これは、古今東西、どの魔術師も発見していない理論」
「……」
「だから思ったのさ。ケサランパサランが、器に似合った量の運を吸い取るなら、ごく平凡に生きている一般大衆より、地位や権威、名声のある人間から運を吸収すれば、誰かに与える運の質や量も、ソレよりでかいはずだってね。
そして、生き物である以上、人間がどこかでコントロールできるはずだ」
「で、コントロールはできるようになったけど、肝心のジュースを搾り取れずにいる、ってか」
小指で耳をほじりながらの、ジェンキンスの皮肉は、最早聞こえていない。
「この間のイギリス人も、その前の韓国系アメリカ人も、その前も、更にその前も、餌としては栄養不足だった。
いや…テロリストも、試しに撒いては見たが、莫大な運を持って帰っては来なかった。
身長、体重、性別、出身地…すべてが、高級な運を生み出す要素でないことは分かった」
しかし。
ゲイリーは、そう前置きをして続ける。
「しかし、4REAЯは異なった。抗争の真っただ中にいた、あのラッパーだけは。
彼のケサランパサランは誰の者よりも、大きかった。
それで思ったのさ。ならば、マフィアはどうだ…ってね。
強欲が深く、命知らずで、時に自分任せなアウトロウ。
連中の持っているものならば、この子たちだけじゃなく、私たちすらも満足させてくれるはずだ」
ケサランパサランを見つめながら。
「だから、ボン・ヴォリーニに?」
「この私の若々しい肉体も精神も寿命もな。
こいつらがいる限り、私の命は永遠だ。永遠に生き続けられる…」
その時、ポッドのガラスに、眼鏡をかけた一人の男が現れる。
この部屋の責任者で、元バイオロジー研究者の、ハワード・ゲイツ。
「状況はどうだ?」
「はい。現在までに156体が個体分裂により誕生。うち、72体が規格外です」
ゲイリーは、彼から手渡された資料に、速読で目を通しながら眉をひそめた。
「最近、増殖体の質が落ちてはいないか…しっかりと、管理しているのか?」
「無論です。しかし、僭越ながら申し上げますと、今の設備と規模では、限界があります。
増殖ポッドの数も、圧倒的に不足しておりますし、生命体が生存するには、不安定な環境になっております。
その上、これらを動かすガスタービン設備も、幾つかは悲鳴を上げ始めていると――」
ゲイリーは、ハワードのの訴えを一蹴した。
「それぐらい分かっている。そのうえで、更に努力しろと言っているんだ。
私の師は日本出身だ。日本人は己の根性と努力で、不可能を可能にできる民族と聞いた。
ケサランパサランを持つ彼らにできることを、我々がなぜできない!」
「根性と努力で不可能を可能にする。
それをし過ぎた結果、あの国の人たちは“カロウシ”という言葉を、万国共通にさせてしまったのではないですかな?」
反論を繰り返すハワードに、ゲイリーは資料を突き返し、指をさしながら言った。
眼光も鋭く、怒りも寸前に。
「…もういい!
設備に関しては、今、何とかしているところだ。それまで、既存の状態でベストを尽くせ。以上だ」
「…分かりました。で、規格外の個体は、どうします?」
「いつものように、だ。言われなくともわかるだろうが!」
不承不承と頭を下げたハワード。最後に、こう吐き捨てた。
「ミスター・ハワード。文学はどれほど嗜んでおりますかな」
「一般的な名作には、一通り目を通しているつもりだが」
「では、ドリアン・グレイの末路も、無論ご存じで」
横目をギロリ…。
「なにがいいたい?」
「いえ…ただの戯言ですよ。結末を知る人間の、ね」
カツ、カツ…と、革靴を響かせ去る彼を見送ることなく、ゲイリーはスマートフォンを操作し、そこに映し出された写真ごと、ジェンキンスに手渡した。
「この女の素性を、調べてほしい」
「ほう…綺麗な女だ。名前は?」
「エリス・コルネッタ。本名か偽名かは分からん。
本人は、パリでデザイナーをしていると言っていたが、ディナーを共にして…いや、その前にニューフォーコーナーの路上で出会った時から、微かに感じていたよ。
この女…もしかしたら、こちら側の人間だ、ってね」
そう。スマートフォンに映っているのは、隠し撮りされたエリスの姿。
あのレストラン。ゲイリーが席を外していた、正にその時だった。
「こちら側、か」
「ああ」
「かも、しれないぜ。ゲイリー社長」
ジェンキンスの返しに、彼は自身のスマートフォンと、新しい写真を受け取りながら答えた。
「オールド・ロマンホテルの、監視カメラ17番の映像をトリミングしたもんだ。
俺が、ボン・ヴォリーニを秘密の通路に案内した直後さ」
「まさか、右上のルーレット台にいる男たちのことを言いたいのか?
奴らは、数日前から私たちを監視している、バチカンのネズミだろう」
舌を打ちながら、ジェンキンスは首を横に振った。
「左下。ルーレット台のところ。
白人とアジア人の女の子さ。バチカンの奴らとおんなじ雰囲気をまとってやがったが、この背広連中を見た途端、姿を隠すようにホテルから消えやがった」
無論、この2人が誰を指すか、説明する必要もあるまい。
ボン・ヴォリーニを監視していた、あやめとリオ。
「バチカンのスパイじゃないとしたら、誰なんだ」
「名前は分からないが、ホテル入り口の監視カメラで、2人がコンバーチブル・タイプの、フォード ムスタングGTを乗り回していることだけは分かった。
色は黒。ナンバーも、レンタカーのそれだ」
もう一枚の写真。そこに路上駐車するムスタングが、しっかりと。
「この女たちも、ケサランパサランのことを嗅ぎまわってると?」
「だろうね。俺の勘じゃ」
新たに現れた3人の女性。
何者なのかは分からないが、味方でない方が強い、と、ゲイリーは感じていた。
「分かった。素性調査はジェンキンス、君に任せる。
どんな人脈を使ってもいい。可及的速やかに、3人の身元を特定しろ。
何者か分かったら、すぐ私に知らせてくれ。敵だろうが見方だろうが、分かり次第、あの女をデートに誘う」
「デート?
たいそうな、ロマンチストで…もし敵だったら、どうする気だよ」
すると、ゲイリーは背広のポケットから真っ白なカプセルを1つ、爪でつまみ上げて見せた。
白い歯をギラリと浮かばせて。
「この世に解毒剤が存在しない猛毒だ。
化学式をいじくっててな、時間をかけてゆっくりと、飲んだ奴を殺していく」
「そんなもの、どうやって?」
「ここの科学者が偶然に、ケサランパサランの成分から抽出したのさ。
致死率は100パーセント。動物実験では、サル20頭が3分以内に全滅したそうだ。
こいつを、あの女に投与する。
私に土足で、ケサランパサランを目的に近づく奴は、なにが理由であれ、容赦なく、そして私の目の前で無残に死んでもらう」
ジェンキンスのグリルが、ギラリと輝いた。
「ほう…久々に、バイオレンスな君が見れるとはね。ゾクゾクしてくるよ」
「後の2人もぬかりなく調べろ。ただし、その先はお前に任せる」
「了解」
その言葉を聞いて、ゲイリーは再度、ポッドの中を浮かぶケサランパサラン達を見た。
まん丸く無垢な目とは真逆に、ぎらつく欲望のよどみを光彩にまといながら、ゲイリーは黄色く笑うのだった。
「誰が来ようと、こいつらには触らせやしない。
こいつは私のものだ。先生から授かり、先生から奪った。だから私のものだ。
私は生き続ける…どんな汚い手段を使っても、私は生き続けてやるんだ!
キッヒヒヒヒヒヒ…キッヒヒヒヒヒヒッ――」
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