24 集合― コモ湖
PM11:45
ベラッジオホテル コモ湖前
ラスベガス屈指の観光名所の一つが、このベラッジオホテルである。
と言っても注目はホテルではなく、その前に広がる巨大な人工池だ。
イタリアに実在する湖、コモ湖の名前を有するここは、昼間は20分おき、夜は15分おきに5分程度の、優雅な噴水ショーを見ることができるスポット。
時に荘厳なオーケストラ、時にポップなジャズと、あらゆる音楽と共に奏でられる神羅万象の噴水パターンは、一度ならず何度見ても飽きないもの。
この噴水の前に停車したタクシーから、エリスが降りてきた。
通りを挟んだ向かい側にはパリスホテル。ミニチュアサイズで再現されたパリの名所が顔をのぞかせるが、何と言ってもシンボルタワーである、ミニ・エッフェル塔の大きさ、再現度は本家に引けを取らないほどの圧巻で、コモ湖噴水ショーを上から見学できる穴場としても知られている。
ホテルの背後には、ついさっきまでいた、インペリアルホテルのタワービルが、顔を覗かせていた。
あの最上階が、ゲイリーの自宅兼事務所。
噴水前の路肩には黒のマスタングと、オレンジのトヨタ カローラ。
並んで停車している。
カローラは、メイコが運転し、ボン・ヴォリーニの愛人を監視していた。
「もう、揃ってたのね」
エリスがタクシーを降りると、すぐ傍では泥酔者とシティポリスが、ちょっときつい怒鳴りあいを繰り広げていたが、周囲はおかまいなしと、ラフな格好で黄緑チョッキの男たちを受け流している。
どうやら、カジノで大敗した悔しさを酒で消したが故の過ちのようだったが…正直、エリスにとっても、どうでもいい話だった。
すぐさま、噴水の方へと小走り。
その巨大な不夜城は、湖面の中でも豪勢に揺らめき、ホテルビルの逆光が3人の姿をくらませていた。
「お疲れ様です」
最初に声をかけたのは、あやめだった。
一方で、リオは冗談半分に、こう話しかけた。
「んで、王子様との甘美な夜は、どうだったよ」
エリスは顔をしかめて、顔の前で否定を込めて手を振った。
「甘美? 冗談よしてよ。口説き方からコロンの匂いまで、なにを取っても最低」
「マジ?」
リオも、口元を釣り上げて同情。それでも――
「でも、相手はエリスにゾッコン、って感じに見えたぜ。昨日初めて出会ったのを見るとさ」
■
そう、話せば長くなるので手短に言うと…ゲイリーとの出会いも、ノクターン探偵社総監修という脚本で描かれた、演出。
事の始まりは、今から約24時間前。
ニュー・フォーコーナー付近にある、ゲイリーの経営する中規模カジノでの話だ。
店の定期巡回を終え、車で帰ろうとしたゲイリーは、偶然通りかかった女性と接触、そのはずみで、彼女が手にしていたアイスクリームを服にこぼしてしまったのだ。
慌てることなく。ゲイリーは謝罪し、服の汚れを取ると、そのまま自分のホテルへと連れていき、彼女が着ていたものより、ずうっと高級なドレスへと着替えさせたのだ。
「目見麗しい姫君と出会えた、この運命を祝福して」
ということで、そのドレスをプレゼントし、更に翌日にはディナーへ招待するおまけ付きで…。
説明しなくともわかるとは思うが、この女性がエリス・コルネッタで、物語冒頭でレストランにいたのは、こういう理由があったからなのだ。
無論、彼女もただ偶然に、ゲイリーとの接触事故を起こしたわけではない
ラスベガスでの調査で、ケサランパサランに関与して死んだ全員が、ゲイリーと、彼のホテルに出入りしていることが確認できたこと。彼の過去や行動が、資料等を振り返る、単純な調査でも一切不明ということから、本格的にゲイリーと、その周辺…言うなれば、彼が経営するフェニックス・インペリアルホテルへの本格的な調査を開始。
その中で、彼の事件への関与が濃厚になったことから、ゲイリーへの接触しての調査が敢行されたのだ。
しかも、このゲイリーという男、なかなかのプレイボーイで、ひと目惚れした女性は、カネや力を使ってでも口説き落とし、ワンナイト・ラブで、バイバイベイビーという、絵にかいたような遊び人。
ターゲットは外国から観光に来ている、若い女性ばかり。
なので、最も外国人観光客という雰囲気を醸し出せることができ、尚且つ、相手に自分を探りに来た人間であると感付かれないスキルを持つ…という2つの条件が、ゲイリーへの“おとり捜査”の原則となったのだ。
この条件を満たせる人こそ、かつてバチカンの諜報機関に所属し、2つの条件をそつなくこなすことが可能である、エリスが適任…ということになった。
かくして、甘ったるいラージサイズのアイスクリームを小道具とした、陳腐な恋愛舞台劇― もとい、おとり捜査が幕を開けた、という訳である。
■
「初めて出会った女性を、自分のホテルに連れ込むような輩だぜ?
キスどころか、エマニエル夫人顔負けのナニがあっても、不思議じゃないだろうに」
確かに一理ある。
あやめもメイコも否定しない。
が、エリスは鼻で微笑。
「やったらやったで、相手の身体を作り変えるまでよ。
一族の将来を、遺伝子工学に託す程度の身体にね」
「それ、“程度”のレベル超えてるって…」
冗談はさておき
「それで、エリスちゃん。何か収穫はあったの?」
「ゲイリーに関してはあまり…というか、ほとんど無いわね。
あのホテルで、KITEKIを取り扱っているのが確認できたぐらいかしら」
落胆する3人に、エリスは「ただ…」と、前置きを付けて、つづけた。
「あのレストランで、アンナと会ったわ。バチカンもゲイリーを追ってるって」
「でしょうね。
私とリオちゃんも、牡牛の人間と思しき奴を、オールドタイム・ホテルで見かけたわ」
と、あやめは言う。
「ゲイリーが経営するホテルの1つね。そこに、ボン・ヴォリーニが?」
「ええ。総支配人のジェンキンスと、なにやら親密に話してた。
けど、ちょっとポカやっちゃてね。見失っちゃったってオチなんだけど…」
あっけらかんと、あやめは右手を開きながら。
しかし、エリスも、そこは想定済み。
「大丈夫よ、アヤ。
これで、ボンがゲイリー達と親密な関係になっていることは分かったから。
ジェンキンスもまた、一連の事件の関係者って訳だ」
「現に、FBIの聴取を最初に受けたのも、彼さ。報告書にも、そう書いてある。
ただ、このオールドタイム・ホテルに集まったのは、私たちにバチカン、それにボン・ヴォリーニ…だけじゃなかったみたいさ」
リオの説明に、エリスは眉を上げた。
「どういう意味?」
「牡牛の連中を見て、尻尾を巻いた直後、どういう訳かホテル前で、メイコに出会ったって訳」
そして、話はメイコに振られた。
「まさか、愛人も?」
「はい」
エリスの問いかけに、彼女はつづけた。
「10時半ちょっと過ぎ…ですかね? ダウンタウンを散策していた彼女に、電話がかかってきたんですよ。
なーに話してるかは、全然分からなかったんですけど、暫くしたらカジノ巡りを止めて、通りに停めてあった車に。
で、そのままオールドタイム・ホテルに来て、って感じです。
ただ、不思議なんですけど、あの愛人。乗ってきた車を、隣にあるトランプ・ホテルの駐車場に置いて、徒歩でオールドタイム・ホテルに行ったんですよ」
「隣のホテルの駐車場?」
すると、あやめが言う。
「私たちも確認したわ。トランプ・ホテルの駐車場。
愛人が借りてる、黄色のポルシェ ボクスターがいたわ。ナンバーも間違いない。
必要かどうかは分からないけど、オールドタイム・ホテルの駐車場には、十二分に空きがあったから、その辺に停めて…って感じではなさそうね」
「車を隠す必要があった…つまり、愛人がホテルにいることを、誰かから隠さなきゃいけなかったってことね」
リオが言う。
「まあ、真っ先に考えられるのバチカンか…でも、ここはアメリカ。ネオ・メイスンのテリトリーだからな」
「そう。リオの言う事も一理ある。
今日、ゲイリーと話して感じたわ。
彼もバカじゃない。恐らくは、ケサランパサランの事が誰かに知られてしまうリスクを承知で、この綱渡りを続けているって…いや、もう、バチカンを含めて、知られているという前提で動いている」
「どうして、そう思うんだ?」
エリスは少し間をおいて、こう言った。
「…勘よ。私の悪い勘って、嫌なぐらい当たるから」
「勘、ねぇ」
「ただ放り投げたわけじゃないわよ。牡牛にいた頃の経験則が導く、野生の勘だから。
それに…」
言葉を濁したエリスに、リオは聞いた。
「それに、何?」
「ゲイリーは過去に、とんでもない事件に遭遇している気がするのよ。それも、ココロに傷を負うほど」
そう言うと、つい15分ほど前に起きた、あのフラッシュバックの話をした。
しかし、エリスはゲイリーの突然の行動のトリガーが、なんであるかは分かっていない。が ――。
「確かなの? それが、ココロのトラウマだって」
あやめが聞くと、エリスは頷いた。
「私がエクソシストの資格を持っているのは、知ってるでしょ?
現代カトリックの見解では、悪魔憑きとされる現象の大体9割は、精神的疾患なのね。
だから、エクソシストには、それが心理的なのか、本当の悪魔的事案なのかを見極めるために、精神科医レベルの知識が必須になるの」
「つまり、エリスさんも」とメイコ
「そう。だから分かるの。ゲイリーの過去には、生死にかかわる何らかの事件が横たわっているって。
でもね、それが今回の事件とどう結びつくのか、それとも無関係なのかは分からない」
頭を掻きながら、リオは言う。
「うーん、どうも分からなくなってきたな。
ゲイリーがこれまでの被害者と接触している。バチカンも目をつけている。限りなく彼がクロなのはわかった。
でも、その犯行動機も分からないし、第一、ケサランパサランをどこに隠しているのかすら分からない。
ベガスに来てから、もう2週間ぐらいだ。ここまで収穫が少ないと、焦ってくるよ」
「焦りは禁物よ。特にこういう状況では、最初に冷静さを欠いた奴から落ちていくものよ。
リオ。あなたの筋では、情報とかは?」
エリスの問いに、彼女は言った。
「今でも連絡を取ってるFBIの連中に、それとなく聞いてるが、今のところは…」
「そう」
噴水の周りが騒がしくなってきた。
エリスが時計を見る。
もう間もなく、午前零時。今日最後の噴水ショーが行われる頃だ。
「今日はホテルに戻りましょうか。ここでくすぶってても仕方ない」
「そうですね」
「違いないや」
メイコとリオが同意を口にして、噴水を離れたと同時に、コモ湖に音楽が流れた。
デューク・エリントンの「A列車で行こう」
トランペットの軽快な音に合わせ、噴水が波打つように、そのしぶきを上げた時だった。
「!?」
あやめが、噴水の方を振り向いた。
身体の、いや、本能が動いた。
人ならざる者の気配、つまり、妖気を。
しかし、周りを見渡しても、そこに妖怪や魔術師の姿もなければ、何の異変も起きていない。
ライトアップされた噴水と音楽、その向こうで光るホテルに向け、カメラやスマートフォンを向ける観光客しか、そこにはいなかった。
「どうした、アヤ?」
リオの言葉に、彼女は恨めしく「いいえ」と答えると、自分の中に錯覚だと言い聞かせ、光と水が織りなす、一時の芸術を、後ろ髪を引かれる思いで後にするのだった。
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