83 闇と光、それは同等で矛盾せず…
同時刻
ケサランパサラン量産工場より2階上層
第三地下駐車場
工場の陰になり、エリス達にはまだ発見されていないエリアが、実は1つだけあった。
駐車場とは名ばかりの極秘施設で、ケサランパサランに必要な全ての備品が、ここから搬入されるのだ。
広大な空間の中に、場違いな貯水タンクが2つ並び、そこから伸びるパイプが上水道に繋がっている。
この中には、製造工程で遺伝子科学上生まれてしまう突然変異体、平たく言えば形の崩れた奇形種が保存されている。
既にエリス達が暴いたように、不完全なケサランパサランは、上水道を使用して破棄されていたのだ。
今ここでは、科学者たちが総出で、証拠隠滅にあたっていた。
地上から、アンナ達パチュリーが、頑丈な鉄扉を、次々に破壊しながら進んでいる報告がもたらされたからだ。
量産工場が制圧されるのも時間の問題。
FBIは、なんとかかわせた場所だが、まさかバチカンが連邦警察以上の力を持っているとは。
白衣に身を包んだ男たちが、タンクの横で積み上げた書類の山に、次々と火を放っている。
くべられる真っ白な薪に、炎は弱まることを知らない。
傍では、非常用の斧を手にした数名が、パソコン本体やハードディスクに、鋭利な刃先を振り下ろしていた。
バキバキと、プラスチックと金属の変形する音が、むなしく響く。
「燃やせ! 燃やしつくせぇ!
バチカンが来る前に、ケサランパサランの存在を、全部抹殺するんだ!
急げぇ!」
秘密工場のリーダー、ハワードが丸眼鏡を光らせながら叫び散らす中、白衣を着た他の科学者や、ツナギの作業員たちが懸命に証拠隠しに躍起だ。
誰も、背後から近づく気配に、気づきもしない……。
「霧のとばりに迷いし蝶よ」
「珠玉をまといて舞い踊れ」
柔らかい2人の声に、駐車場は徐々に漆黒へと包まれていく。
それは、紅蓮の炎すら彼方へと追いやるほどに、暗く深い闇。
科学者たちは、盲目の世界に狼狽する。
眼が見えない。
周りの音、声しか聞こえない。
否、見えているのだ。
失明なんてしていない。
闇の深さが大きすぎて、光すら逃がさないほどに、目の前が暗黒に包まれている!
その場でとどまることしかできない、白衣の男たち。
「遺すことすら許されぬ悲鳴」
「銀翼の流星、尾を引く茜」
刹那。
暗闇の中に悲鳴。
男たちの非力な断末魔が、クワイアを奏でて。
しかし、何が起きているのか、誰も理解できていない。
「檻を知らぬ無垢な姿で」
「今宵の私たちを癒したまえ……」
怯えるハワードに向って、声は段々と近づいてくる。
悲鳴はおろか、人間の声が聞こえない。
膝が震えて動けない恐怖。
暗闇の中から、手を繋いで現れたのは――。
「乙女を切り裂く初夜の愛撫-ドメスティック・フェスタ」
ゴシック少女と紫髪の少女。
シュバルツとレベッカ。
ネオ・メイスンもまた、ホテルに乗り込んだのだ!
二人は見合い、結んだ手を解くと、前へと一歩。
「どう、今の気分は?」
シュバルツの右手に差し出された、ハワードの首は恐怖に固まっていた。
動けない。
「ああ、そうか」
無理はない。
しなやかな右手から滴り落ちるは、まだ温かい血液。
肉と骨の感触が手の平に伝わる。
「もう、話せないか」
シュバルツの手には、絶命したハワードの首だけが座っていた。
身体は何処に行ったのか。
アスファルトに、生首を放ると、レベッカの方をむき、はにかんだ。
「誰もいなくなったね」
「そうだね。シュバルツ」
パチン。
レベッカが指を鳴らすと、地下駐車場を支配していた闇が、ダクトで吸われるかのように、一気に引いた。
漆黒の中から、再び紅蓮の炎が復活。
その赤が、より一層輝いているのは、血で浸されたアスファルトに、それが反射しているからかもしれない。
科学者たちの姿はない。
あるのは、何重にも切り刻まれ、人間とも…いや、肉なのか、物質なのか瞬時には認識できない何かになってしまった、元人間の残骸。
屋根からも、血の雨がしたたり落ちる。
脳や目玉。形を維持した臓器が、あちらこちらに散らばっていた。
ここに、生きてる者は2人。彼女たちしかいない。
しかも、返り血を一滴も浴びていないのだ。
「ドメスティック・フェスタ。
刹那の殺戮を可能にするのは、バートリーとジャックの時代を超えた力。
アトリビュートの秘められたパワー。
私とレベッカの合わせ技から、逃げ切れる人間なんて誰もいない」
シュバルツは頷く。
「そうね……私たち二人、愛のワルツ。
そういう意味では、マーガレットを置いてきて正解だったわね。
彼女、私たちの合わせ技見ると、いつもカッカするから」
「仕方ないよ。
彼女のアトリビュートは、皮肉にも血に支配されているんだ。
私たちが大好きな、血にね。
それに、陥没に巻き込まれて今は意識不明。治療ポッドに突っ込んできたけど、目が覚める頃には全て終わってるさ」
クスクスと笑いあう2人。
この状況が、楽しいのか。
シュバルツは、ハンカチで血を拭った右手を、レベッカに差し出しながら言った。
「さて、先を進もう。レベッカ」
エスコートに答えて、レベッカもまた左手を差し出す。
「ええ、シュバルツ。
行きましょう。
ケサランパサランを見つけるために。
私たちの理想郷を完成させるために……」
2人は再度並び、そして手を握り合いながらデートを再開する。
惨劇の美術品に背を向けて。
ただ前に、量産工場へ向けて――。
■
PM11:30
アメリカ西海岸 サンディエゴ沖
暗い海を、ただひたすら陸へと突き進む船団があった。
それが戦艦の類なら、誰しもが不審がらないだろう…否、人類にとっておよそ武力的なものが、表面上は平和である空間を侵そうと行進しているのなら、これ以上に不審なことはあるまい。
だが、安心してほしい。
この船団は、表面的に平和であるから。
水面を切り裂くは三隻。
小型貨物船が先陣を切り、その後ろを2隻の自動車運搬船が追随する。
窓もなく、無駄な煙突やアンテナもない純白と青の立方体。
まさに、箱舟のようだ。
突如、貨物船の船内にブザーが響き渡る。
「こちらアン、作戦水域に到着! エンジン停止!」
無線の言葉に、後方の運搬船も反応。
船の速度が、まだ港にたどり着いていないにもかかわらず、減速を開始したではないか。
「ツヴァイよりアン、エンジン停止」
「出力、最大減速、
「トライよりアン、全エンジン停止を確認」
船が波間に身を任せ、沈黙すると、船内で慌ただしく乗組員が動き始めた。
しかし、全員が白い迷彩服で、首から十字架をぶら下げている。
「アンより全空母へ、教会より伝令。
ブラッドベリルからの代理承認の条件付き。
出撃開始命令、ウィンスペクターを受理。
2330を以て、作戦を開始。
第一陣、大隊機長機及び、第一中隊は3分後に離陸を開始、ラスベガス該当地区へと飛翔せよ。
全ての使徒に、神の御加護を」
そう、この船はただの貨物船ではない。
「第一中隊、出撃準備よし! カタパルト作動!」
今度はツヴァイと呼ばれる自動車運搬船から、けたたましいサイレン音が鳴り響いた。
と思うと、船の上部、そこの天井が割れ、4つの穴が開かれた。
船内からせりあがってきたのは、自動車ではない。
船と同じく純白に塗装された、世界最強の戦闘ヘリコプター。
AH-64D アパッチ・ロングボウ。
機体には、交差した二本の鍵。
もう、お分かりだろう。
ただの運搬船ではないことを。
カリグラ級自動車運搬船型偽装艦載空母。
バチカンが所有する海軍力、その一つなのだ。
屋根に並んだアパッチが、一斉に息を噴き戻す!
「カタパルト、オールクリア!」
「米軍管制ハッキング。周辺空域クリア!」
「1、2、3 、4、各機発進準備よし!」
「ローター起動!」
フイイインと、高出力ヘリコプター特有の、ジェットエンジン音と共に、メインプロペラが瞬く間に高速回転を始めた。
と、同時に、前の貨物船でも動きが。
積載していたコンテナ群の一部が割れ、中型ヘリ、ブラックホークが姿を現した。
こちらも白い塗装に、交差した鍵のマーク。
大隊長機だ。
シーザー級貨物船型偽装巡洋艦。
あの船もまた、バチカンの海軍力の象徴だ。
ローターを回し、上空へと舞い上がったブラックホーク。
少し遅れて、4機のアパッチもテイクオフ。
会場でホバリングし合う機体は、お互いを見合いながら、ミッションへの意気込みを共有しているようだ。
ブラックホークより、偽装空母へ最後の通告!
――ナイトウォークよりマザー。第一中隊回転翼機の展開を完了。
出撃準備の最終段階に入りました。
「マザー、了解。
レギオン第一中隊へ伝令。
父と子と、聖霊の聖名において、これより任務を開始せよ。
標的はネバダ州ラスベガス、地図区画1-3上にあるホテルタワー。
武器使用に際しては無制限解除もいとわない」
――ナイトウォーク、ラジャー。
「第二中隊は10分後に発信する。
神の加護があらんことを」
純白の騎士は、やかましいジェットエンジンを全開にし、陸へとむけて一心不乱に飛び立った。
サンディエゴの灯が、眩しく光る彼方へ。
しかし、敵はそのはるか向こう。
闇夜に紛れる気が全くない、神を背負う空挺部隊もまた、まっすぐ欲望の街へと向けて羽ばたいていく――。
その指令が、正しいものであると疑わずに。
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