2日目・深夜~教会&メイスン介入
82 アンナの苦悶
PM11:19
フェニックス・インペリアルホテル
オールドロマンホテルの炎と、街中を走る緊急車両が、カジノの灯を打ち消し、娯楽の街を赤く染めていた。
そのタワーの足元。
FBI車両に擬態したレンジローバーと、先ほどまでオールドロマンを偵察していた、アンナの部下たちの車が、ホテル入り口を完全に包囲している。
だが、ホテル内に人影は見えず、不気味なほどに静かだ。
そんな駐車場に停車したアストンマーチン ラピードSから、アンナが降りると、牡牛部隊の諜報員マハロと、現場指揮を執るマンガンが駆け寄ってきた。
「ナナカ…いえ、トパーズは?」
マハロが恐る恐る聞くと
「心配いらないわ。打撲と切り傷だけよ。
とりあえず、近くの総合病院に送ったけど、ネオメイスンの連中を丸焦げにしないと気が済まない、って散々暴れてたから。
あの様子じゃ、大好きなフレンチトーストでも口に突っ込めば、気分も元通りになるでしょうね」
と、ウィンクを飛ばし、気持ちを入れ替える。
ここからは、ナナカのパートナーではなく、牡牛のリーダーとして動かなくてはならない。
「で、状況は?」
アンナの問いに、マンガンが答える。
「現在、ホテル全フロアとエントランス、プール、従業員専用エリア、及び地下一階の通気管理施設を掌握。
問題の、量産工場への扉の破壊に着手しております。
敵との交戦が3回。
計17名を射殺しましたが、全員が、ゲイリーの手下。
我々に被害はありません」
「そうか……扉の破壊には、どれぐらいかかる?
ゲイリーの話では、強力な火器でも破壊不能と言っていたが」
「癪ですが、言葉の通りと言わざるを得ません」
マンガンが、弱弱しく首を振った。
「そこまで弱気になるほどに?」
「サブマシンガンや、50口径はおろか、M18による遠距離爆破も効果がないという有様です。
アハト・アハトか、エリコンFFでも欲しいくらいですよ」
すると、マハロが口を挟んだ
「無駄無駄。
自分の幸運を生んでくれる存在を守るための壁だから、堅固になるのは至極当然。
例え、エイブラムス戦車を持って行っても、結果は同じだろ」
現場にいた誰もが、マハロの言葉に頷いた。
が、アンナだけは違ってた。
「いや。そうとは思わない」
「その根拠は?」
「あの男の偏執狂ぶりは、一回会っただけでも、十二分に感じ取れたわ。
ケサランパサランがあれば自分は生きていられる。
自分が生き残るためには、どんな手段でも講じる。
そんな過激な執念と自信、奴にはみなぎってたからね」
「じゃあ、なぜ?」
「自信。そう、これは人間に、ある種の余裕と驕りを持たせる。
現に奴は、エリスを、元牡牛構成員と知っていながら、デートに誘った上で殺そうとした。
その気になれば、すぐさま、それも部下に指示を出して、事故として殺せるチャンスは、いくらでもあったのに」
マンガンが言う。
「それが、モルガナイトの言う、余裕なのですね?
危険人物と知った上で、すぐに殺さなかったということが」
「ええ、そうよ。
でも、その余裕がうぬぼれに変わるとき、人のココロ、そして行動には必ず隙が生まれるもの。
恐らく、このホテルのどこかにあるはずよ。
ゲイリーも気づいていない、いいえ、知っていて隠している、別の入り口がね」
「つまり、あの頑丈な扉以外にも、量産工場への入り口があるかもしれない、ってことですか?
もし、そうだとして、一体どこに?」
その時、車列の奥から、構成員の1人が叫んだ。
「聖士ブラッドベリル。バチカンより、緊急回線がきています!」
「バチカン?」
彼女が2人と顔を合わせ、訝しくも声のした方へと走り寄る。
若い男が、レンジローバー車内に置かれた無線電話を引っ張っており、アンナはそれを受け取ると、開口一番。
「ブラッドベリル」
――私だ。
そのくぐもった声には、聞き覚えがあった。
「カルトロス枢機卿!?」
それは、パチュリーを、否、現教皇体制を裏から操る参謀。
カルトロス・ド・エウロパ枢機卿、その人。
アカシックレコード理論にバチカンで一番こだわり、この世の、あらゆる怪奇や奇跡の類を、地球上から根絶することだけを考える、絶滅主義者でもある。
――状況はどうだ?
彼の問いに、アンナは答える。
「現在、突入部隊がフェニックス・インペリアルホテルの70パーセントほどを掌握。
ケサランパサラン保管エリアと思しき、地下最下層階へと向かう扉を破壊しているところです」
――勝算はあるか?
「ネックは、強力な火器が通用しない扉ですが、どこかに別の……」
――質問の答えになってないじゃないか!
唐突に声を荒げるカルトロスに、アンナの肩がすくむ。
――そんな、いらん経過報告はどうでもいい。
馬鹿でも分かるように聞いてやる。
ケサランパサランを、ゲイリー・アープを、確実に殲滅できるのか。
一時間以内に、そこから退却できるのか。
イエスかノーで答えろ。
少しの沈黙の後、アンナはゆっくりと口を開く。
「……ノーです。
それだけの短時間で、現行のミッションは遂行できません」
――結構。それを聞きたかった。
そう言うと、カルトロスは続ける。
――現在、西海岸サンディエゴ沖に、偽装航空母艦2隻を向かわせている。
ハワイ島で隠密行動をとっていた、第五部隊東太平洋移動局の船だ。
「サンディエゴ沖?
今日、攻撃した中隊は、フロリダ湾で待機中ですが?」
瞬間、アンナは彼が何をしようとしているのかを悟った。
「別部隊で、空爆を行う気ですか?」
――そうだ。
標的は、フェニックス・インペリアルホテル。
及び、半径700メートル圏内にある民間施設。
「攻撃方法は?」
――3中隊からなる、回転翼機一個大隊による最大攻撃。
作戦開始時より、全火器の最大使用を容認。
現場指揮は、現在ラスベガス上空を飛行しているUH-72Vにしてもらう。
彼女は、即座に否定した。
「無謀です!
ケサランパサランの保管施設は、ホテルの地下ですよ!」
――分かっている。
教皇庁の電算によれば、あのホテルが根元から崩壊し、更に周辺の都市ガス供給システムと、地下送電管がダメージを受ければ、ホテル周辺の地盤に大規模なダメージを与えられることが可能だとの試算が出たんだ。
アンナは絶望した。
「……教会が、神の代理人より、数字を信じるのですか?」
――ブラッドベリル。
残念だが、これが現実だ。来るべき21世紀の天啓だ。
我々教会が望むのは、異教徒共が生み出した奇跡や怪奇の類を、神の名のもとに一掃し、この世に安泰をもたらすことなのだよ。
その安泰こそが、シグマ大司教が唱えた、アカシックレコード理論に繋がると信じてね。
既に、教皇以下、全大司教、枢機卿の承認は得ている。
アンナには、全てがはっきりしていた。
バチカンは、この事件をいち早く収束させたいんだ、と。
おそらく、ラスベガスで起きている事態を知り、長老連中がナイーブになっているのだろう。
ケサランパサランが、神の代理人を以てしても止められないことに。
そして、かつての司教聖士、エリス・コルネッタの介入が本格化していることに。
カルトロスは、そこに目を付け、自らの傀儡に成り下がった教皇の名のもと、権力を振りかざした。
牡牛による直接介入を止め、ヘリによる重点爆撃にプランを変更。
一気にカタをつけようという算段だ。
( 教会は、そんなこと望んじゃいない。あの男のエゴ、ただそれだけ!
カルトロスは、一刻も早く、この異端的な怪奇を地球上から抹消したんだ。
自分がアカシックレコード理論を解いて、教会の頂点に立つため、教皇の座に就くために。
それが、理論を見出すためか、破壊するためかは分からないけど。
そして、エリスを殺すためにも…… )
それでも、カルトロスの目論見を潰す手立ては、まだあった。
最後の抑止力。
「ですが、枢機卿。
レギオンの攻撃許可命令は、怪奇事件の現場で陣頭指揮を行う、ランク3以上の司教聖士に委ねられています。
これは、教皇庁諜報作戦特務法第176条に記載されていて、例え教皇でも、出撃中の武装部隊に、攻撃のゴーサインは出せないことになっていますよ」
――それくらい、知っている。
だから、教えてほしいんだ。
「はい?」
カルトロスは、言った。
――ヘリ部隊に攻撃命令を出す、解除コードをね。
アンナの背筋に冷たいものが走った。
彼は、牡牛のリーダーが命令を発布したという、既成事実が欲しかったのだ!
このままカルトロス枢機卿が、バチカンからヘリ大隊相手に命令を出せば、完全なる法律違反。
内部規約違反を裁く、特務公会議にかけられる。破門すらあり得るのだ。
だが、もしアンナが自分の口からパスコードを伝え、カルトロス枢機卿が、その命令をバチカンを経由して、大隊に伝達した……という構図になれば、緊急事態下における非常回避特例措置と言うことになり、カルトロス枢機卿の行動は不問となる。
現に、街の一部が怪物によって破壊されており、牡牛部隊と敵の交戦も認められている。
この措置を講じるには、何らおかしくはない状態が出来上がっているのだ。
「……知ってるでしょうに。
機密上、任務ごとに変わるコードを、私に伝えるのは枢機卿、あなたの役目なんですから」
――そうだ。
だが、君なら分かるだろう。
私が、そうできない理由を。
「……」
――ここで、私にコードを教えなければ、危険を感知していながら、神の代理人たちを冒涜し、危険に晒したとして、君を公会議にかけなければならなくなる。
そう、それも事実。
アンナには逃げる選択肢がなかった。
――エリスのように、“栗拾い”はしたくあるまい。
猫なで声が、もどかしい気持ちを逆なでしてくる。
この男に、反抗する手立てがないのが、悔しくてたまらない。
アンナも所詮、駒の一つだということが、もどかしくてたまらない。
――さあ、教えたまえ。レギオンへの攻撃命令解除のコードは?
逆らえない…。
アンナはぎゅっと目をつぶり、眉間を震わせながら従うしかなかった。
「ウィン……スペクター……」
――聞こえないぞ。もっと、はっきり言わないか!
「解除コードは、ウィンスペクターっ!」
――了解。認識した。
これより、航行中の空母に、牡牛部隊隊長代理として指示を出す。
攻撃開始まで、1時間程度はかかるだろう。
それまでに、そこから全員を撤退させておくんだ。いいね?
「……」
――ブラッドベリル!
「……了解しました」
――よろしい。これからも、教皇以下、牡牛の活躍には期待している。
絶対に、神を裏切るなよ。
では。神の御加護を。
受話器から、男の声が聞こえると、アンナは体を震わせながら目を開けた。
「これだから……これだから…っ!」
怒り心頭に、受話器をシートに叩きつけた時だ。
ドーンと、大きな爆発音が、彼女の耳に届き、意識を現実へと引き戻した。
「なにっ!?」
「ホテル裏手より炎を確認!」
マハロが走りながら駆け寄ってくる。
「場所は?」
「第三地下駐車場。
この建物の、真裏になります。
偵察班によると、現在、ゲイリーの手下と思しき黒服数名と交戦中だと」
舌打ちをせずにはいられなかった。
「しまった。そこが別の入り口か…突破は?」
「駐車場入り口は、横転したトラックとブルドーザーで閉じられ、その上、この二台に火が放たれているとのことです。
黒服を殲滅しても、突破には時間がかかります!」
「チクショウっ!!」
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