18 サロメ
「第二次大戦中、美術マニアでもあったアドルフ・ヒトラーは、どういう経緯かはしらないけど、ヨハネの首を置いた銀食器と、サロメを切り殺した剣を手に入れたのよ。
しかも、それを第三帝国の、圧倒的な力の象徴にしようと目論んだヒトラーは、この2つを溶かし、対となる銃とナイフを作るよう、当時親衛隊に所属していた黒魔術師に依頼した」
ところが…
前置きをして前髪をかき上げたアンナ。
「命を懸けて錬成したアトリビュートを見て、黒魔術師は恐怖を覚えた。
これは、誰かの手に渡ってはいけないものだ…と」
「それで、バチカンに?」
ナナカは聞いた。
「当時、ナチス政権内でも、親衛隊員が総統の暗殺を企てているという噂が、暗黙の中で漂っていた。
もしそうなれば、ヒトラー政権は崩壊。ナチスが占領する国々に、ソ連や連合国がなだれ込み、その過程で、誰かがサロメを奪いかねない。
魔術師は、内と外、2つの敵に注視しなければならなかったの。
それで目を付けたのが、黒シャツのおかげで、まだ出来立てほやほやだった
魔術師は、反ヒトラー派の中心であった国防軍情報諜報部を介して、牡牛のジョーイことヨーゼフ・ミュラーにサロメを託し、事の次第を知った教皇、ピウス12世は直ちにそれを、バチカンの奥深くに隠した。
だが、ヒトラーはバチカンの動きを見逃さなかった。
彼は、ユダヤ的思想を排除して作り上げた、独自のキリスト教― 帝国教会を介して、バチカンへの非難と、サロメの即時返却を訴えたが、ピウス12世はこれを却下。
最終的に、バチカン市国包囲を敢行。
更にヨーゼフ・ミュラーの逮捕、拷問を行うなど、あらゆる手段を講じてサロメの奪還を試みた。
しかし、奪還より早くナチスドイツの敗北と、ヒトラーの死が訪れた。
カトリック総本山への攻撃に、精神的な抵抗を示す、軍幹部の動きも大きかった。
かくしてサロメは、大きな戦乱を乗り越え、バチカンの奥深くで封印されることとなる――はずだった。
「だったら、どうしてエリスが、サロメを自分の中に封印したんですか?」
「そこよ」
「え?」
「エリスがバチカンから追放され、私たちに抹殺の命令が下されている理由の1つは、バチカンが極秘に封印していたアトリビュートを、自分の身体に刻んでしまった事にあるの。
それが、教皇直属の特殊部隊の人間なら、その罪は倍増」
「刻んだ、ってのは自分からですか? それとも、他に理由があって?」
すると、アンナの表情が曇った。
今まで饒舌だった言葉も、途端にストップ。
「アンナさん?」
呼びかけにも応じない。
戸惑っている。
唇を噛む仕草が、それを物語っていた。
開こうとする口を、どうにか抵抗させて抑えているかのように。
「どうしたんです?」
「…実は」
やはり、と開かれた、その抵抗。
刹那。それは別の言葉でふさがれた。
アストンマーチンに搭載されている、牡牛部隊の無線が悲鳴を上げた!
――マハロよりモルガナイト。オールド・ロマンホテル内で、対象ロスト!
アンナが無線を引っ張り、言い寄る。
「どういうこと? 相手はこないだのような奴じゃない。民間人のはずよ?
牡牛部隊の質が、そこまで落ちたって言いたいの?」
――しかし、カジノとレストランエリアを超えたところまでは、背後から確認しています。
客室へのエレベーターフロア。ここへ向かう一本道で、総支配人のジェンキンスと、客人の3名が消えたんです。
すると、ナナカが言う。
「トパーズよりマハロ。そこに関係者用出入口は?」
――ありません。
「エレベーターに乗って、上の階に行った可能性は?」
――真っ先に考えて、確認に行きました。
6台あるエレベーター全てが、9階より上で稼働していました。
姿が消えた場所から、エレベーターホールまでは3メートルもありません。すぐに乗り込んで上の階に行くなんて、無理です。
ナナカは舌打ちしながら、無線を戻すとアンナに言った。
「また、妖力か何かですかね?」
「いや。事前の調べでは、総支配人のジェンキンスに、幻想的、あるいは魔術的な経歴は見受けられなかったわ。
気になるとするなら、ジェンキンスの前職かしら?」
「支配人になる前は何を?」
アンナが答える。
「情報班の調べによると、彼は元アメリカ陸軍のレンジャーだったそうよ。
1993年7月に、ソマリアへPKOとして派遣され、そこでモガディシオ市街戦に参加してる。
しかも、今の彼の部下にも、この時の生存者が2人いるそうよ」
「ブラック・ホーク・ダウン、ですか」
それは、19名の死者を出し、後に映画化もされた戦闘。
ソマリアは1980年代から内戦が続いており、アメリカは国連と共に、平和維持活動の名目で1992年に、多国籍軍の一員として、ソマリアに入った。
だが、1993年10月3日。
米国は、内戦の要因となっていた民兵の将軍と副官を捕獲し、更なる平和の構築を名目に、首都モガディシオで、独自の極秘作戦を展開したのだ。
結果は、知っての通り。
戦闘ヘリと最新鋭の銃火器で武装した、世界の警察が、RPGとトラックの簡素な民兵ゲリラに叩きのめされた。
軍と共に戦地入りしていたメディアが映したのは、焼き尽くされたヘリや車両。そして裸にされ、市民に引きずり回される米兵の死体。
全世界のお茶の間に届けられた。
正に米軍の汚点となった出来事である。
「この敗北を受けて米国は、ソマリアでのPKO活動を打ち切り。94年までに完全撤退したわ。
ジェンキンスも、そのまま本国へ帰還したわけだけど、直後にPTSDと思われる精神不和に襲われ、レンジャー部隊に戻ることはなかったそうよ。
1995年2月に除隊。以降は行方不明となっていたんだけど――」
「今は、フェニックス・インペリアルの総支配人」
「いつ、彼のホテルグループに再就職したのかは分からないけど、96年10月のライフ誌のグラビアに、彼の姿が初めて出てくるそうだから」
「軍を辞めて一年以内、ということになりますね」
次いでナナカは、質問する対象を変えた。
「ジェンキンスが案内していた客人、ってのはどうなんですか?」
「ボン・ヴォリーニもね。
彼に関しては、シチリアン・マフィアっておまけ付きだけど」
彼女は目を見開いて驚く。
「知ってたんですか?」
「ノクターンは既に嗅ぎつけていたわ。ケサランパサランを配る、次の標的は彼だって」
「聞き出したんですね?」
「今さっき」
少女は窓の外に目を向け、独り言をつぶやく。
そこに映った、自分の顔を見ながら。
「仲間内の反乱、もしくは、敵対するマフィアの仕業? …いや、だとすれば神隠しのような所業の説明がつかない。
フェニックスグループのホテルが、ケサランパサラン事件の根源であることは、ノクターンだけじゃない、私たちでも気づいている事実。
なら、ジェンキンスはどこに? 彼は本当に、普通の人間?
それとも、ホテルになにか――」
混乱する2人に、無線は追加の情報を加えた。
――既にホテルを出ましたが、ノクターンの連中も、彼らを尾行していたようです。
どうします、モルガナイト。
その特定単語に反応したナナカを、アンナはゆっくりと手を肩において諭した。
「今は戦う時じゃない。相手は今、私たちの前にいない」
「しかし――!」
「分かる。あなたの気持ちは。
二兎を追う者は一兎をも得ず。ノクターンもいなくなって、元々の標的も消えたんじゃあ、これ以上足掻いても無駄なだけよ。
今夜は引き上げて、態勢を見直しましょう」
間髪入れず、彼女は無線を持ち上げた。
「モルガナイトより総員。ジェンキンス、ロストに伴い、本日の追尾は最少人数を残し終了する。
各自撤退し、拠点とするキャラバンまで戻れ。以上」
もう、車内に会話する材料は飛んでない。
アンナはアストンマーチンのスマートキーを入れ、エンジンを入れると、そのまま駐車場を出――
「きゃっ!」
「うわっ!」
突然、前に飛び出したバイク。
夜でもわかる、派手な黄色の1911 パニガーレにまたがるライダーは、こちらをフルフェイス越しに睨むや、そのままホテルの方に向けて走り去っていった。
「嫌みなバイク…」
「パガーニとは、いい趣味してるわね。色は気にくわないけど。
まっ、また事故にならないうちに、帰りましょうってことよ」
「今ので、改心しました。みんな、疲れてる。
ええ。シャワーでも浴びて、寝ましょう」
改めてシフトレバーを操作して、発進。
インペリアルホテルの建物を背中に置いて、駐車場を出ていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます