1日目・夜~宝具、アトリビュート

17 アトリビュート


 PM10:35



 ラスベガスでの愛車 アストンマーチン ラピードS。

 無論、ワインレッドの車体が、アンナのトレードマークであるが。


 フェニックス・インペリアルホテルの駐車場に停まるそれに、アンナが乗り込んだ時、車内はゆったりとしたオーケストラに包まれていた。

 カーステレオから流れるそれに、アンナはナビに表記された曲名を見ず、言い放つ。

 賞賛的同意ではなく、皮肉を。


 「ショパンのノクターン、13番…今は嫌みに聞こえそう」

 「単なる趣味に口挟まないでください。なんでしたら、その自意識過剰、私のルーンで治しましょうか?」

 「随分と言うじゃない? ナナカ」

 

 ブレザーを纏った華奢な体系に、スカートから延びる細い脚は、アンナよりも色濃い幼さを見せる。

 後ろで丸く束ねられた金髪ポニーテール、右目を隠す前髪も同じように。



 彼女はアンナの相棒、ナナカ・L・リンドグレーン。

 17歳。イタリア・ミラノ出身。

 牡牛部隊に所属するエクソシストで、バチカンでは珍しい、ルーン魔術の使い手でもある。

 ――丁度いい。



 「ま、そんな与太話は後でするとして」


 彼女の腕前を、見せるとしよう。

 ナナカはルームミラーをのぞき込み、背後を見た。


 「右斜め後ろ。赤のBMW」


 アンナも見る。

 確かに、ナナカの言う通り、赤のセダンタイプのBMWが一台、停まってる。

 だが、周囲に駐車している車と、なにも変わったところがないように見えるのだが――。


 「…気持ち悪いわね」

 「クロってことでいいですか?」

 「ただし、軽いのでね」

 「承知しました」


 ナナカは車を降りると、そのままBMWの方を向き、ブレザーの懐から銀色に輝く、細い杖を取り出した。

 演奏者の指揮棒だ。

 先端をコンコンと、車の屋根に軽く当てると、体を少し斜めに、指揮棒を構えて唱える。


 「トレ・フォル ツァイト レンテッツア!」


 不思議な呪文と共に、指揮棒の先で描かれた小さな象形文字が、青い光と共に浮かび上がり消えた。

 平仮名の「く」、そしてアルファベットの「S」に似たそれは、間違いなくルーン文字。


 その瞬間、雲一つない夜空から一筋のいかづちが落ちると、BMWめがけて振り落とされた!


 ヴオアアアン――!


 雷撃に近いため、ふんわりと反響した音が一つ響いた後、そこにはさっきまでと変わらない風景。

 そして、雷が落とされたBMWのボンネットからは、奇妙なマークが浮かび上がってきた。

 中央に眼が描かれた、逆三角形。

 俗にいう「プロビデンスの眼」を逆さにしたものだ。

 

 完全にマークが出てくると、BMWはエンジンをかけ、ライトもつけずに大急ぎで駐車場を後にするのだった。


 「流石ね。

  音楽アルケスタルーン。音楽用語が持つ標識的意味を用いて、古代ルーン文字の力を操り唱える秘密の魔法。

  だけど、その歴史は新しく、メンデルスゾーンやハンス・リヒターも、このルーンの存在を知っていたとも言われている。

  あなたがバチカンに来るまで、アルケスタルーンは全滅していたと思ってたけど、まさか生き残っていたとはね」

 

 アンナの言葉を受けながら、ナナカは車の助手席に、再度座り込んだ。


 「お世辞、どうも。

  それから、この魔法は一子相伝。

  私が死ねば、アルケスタルーンは永遠に秘密となることを、お忘れなく」

 「はいはい。覚えとくわ。しっかりと」


軽く流されたことに、少々不服のナナカは横目で先輩を睨んだが、すぐに溜息をつきながら、この無意味な感情を流し去るのだった。


 「あの車、ネオ・メイスンのでしょうね。

  逆さまのプロビデンスの眼こそ、唯一無二のトレードマークですから。

  我々バチカンが、交差した二本のカギをシンボルとしているように」

 「だろうねぇ。

  気づかれたかな…って、敵のテリトリーにいて、こんなこと言うのも滑稽だけど」

 

 ナナカは言う。

 

 「ご心配なく、時限式のルーンを同時に仕掛けておきました。

  後5分もすれば、運転手の肉片が、ソドムまで吹き飛びますから」

 「おいおい…軽いので、って意味分かってる?」


 顔を引きつらせるアンナに、ナナカは。


 「疑わしきは罰せず。そういうことです。

  私が本気になれば、姑息な真似はせずに、奴をその場で塩の柱にしますよ」

 

 首を振るアンナに、ナナカが続ける。


 「若いねぇ…君は」

 「僭越ながら、ひと言、言わせていただきますけど、アンナさんのやり方は、少々甘いと思うんです。

  今さっきに至っても、パチュリー…いえ、バチカンが直々に切り捨てるよう言い伝えている相手を、接触するだけしておいて、なにもせずに帰ってくる。

  教皇陛下から、問答無用の許可だって出ているというのに……いえ、アンナさんだけではありません。牡牛の人たちは皆、交戦の機会があっても、あの人にだけは剣を向けようとしない。

  どうしてです? 何故、バチカンを裏切ったエリスという人を、切り殺さないんですか?」


 溜息が車内にこぼれ、アンナはオーディオの電源を切りながら、こう問うた。


 「ナナカ。あなた、“アトリビュート”について、どこまで知ってる?」

 「え?その話が、どう――」

 「何故、牡牛が、バチカンからの言葉を無視して、エリスを殺さないのか。

  その理由がね、アトリビュートにあるからよ。

  さあ、説明して頂戴よ。私の中にもある、このアトリビュートって代物を」


 ナナカは釈然としない、と言わんばかりのむすっとした表情のまま、説明を始めた。


 「端的に言えば、ある種の宝具ほうぐ…ですよね」



 アトリビュート…それは有史以来、人類と共に生まれ、歩み続ける武器。

 特殊な能力を宿した、魔法の宝具である。


 英雄が奮った武器、猟奇殺人犯の凶器、伝説・創作上の神器、持ち主の命を守った護符、生まれた時から呪いを宿した道具――。


 そういったものの中には、それを使い勝利や破滅を味わった者や、それによって命を落とした者たちの残留思念が強すぎるあまり、怨念や呪いという域を超え、人智を超える異能力を持ち物に宿してしまう場合があった。

 対人のみならず、魔物や魔術師といった幻想的なる世界の者たちをも打ち倒す程の力――。


 しかし人間の中には、その力を自分のものにすべく、宝具を手にするものが現れた。

 ある者は名誉のため。

 ある者は快楽のため。

 ある者は愛のため。

 宝具を上回る能力、技量、精神力などが要求されたことは言うまでもない。

 数々の犠牲を払い、多くの能力をそれに上書きさせながら―― 宝具は世界中でいくつも生みだされ、壊され、広まっていった。


 ■ 


 「中には、この宝具こそが、アカシックレコード理論のカギではないかと考える者もいるって話だけど」

 「いるさ。ごまんと」


 アンナの相槌に、ナナカは彼女の方を向く。


 「それは言い過ぎじゃないですか?」

 「現に、バチカンの保守派には、アトリビュートを“十戒”と同じく、聖なる神から授かりし物と考えている集団もいるから、そうとも言い切れないよ。

  ……まあ、話が脱線したけど、続けて?」

 

 何度目の溜息か。

 ナナカは、話を続ける。


 「アトリビュートの中には、これを自らの身体に取り込んで、特別な〈刻印〉を使って封印し、自身の異能力として昇華させる方法が一般的ですよね。

  この方法を生み出したのは、かの黒魔術師、アレイスター・クロウリー。

  まあ、アトリビュートを使えるのは、ごく一部の人間にしかできない暴挙ですけどね。

  アンナさんや、ノクターン探偵社の連中も然り。

  つまりは、アトリビュートを単なる武器ではなく、異能力として、自らの一部に変換、それを武器として闘っていると言っても過言ではない」


 アンナは「充分」と言いながら、狭い車内で伸びをする。


 「まあ、生まれながらの魔力を持っている、私たち魔術師とは無縁の世界ですし、そもそもアトリビュートと魔術は、まったくの別物として扱うのが常識です。

  ……で、それがエリスと、どう関係するんです?」

 「彼女が持ってるアトリビュート、それが問題ありすぎの代物だからよ」


 アンナは続ける。


 「エリスが持っているアトリビュートの名前は、“サロメ”。

  その根源は、剣と銀の器で、刻まれたエピソードは、貴女も知ってる新約聖書の一幕」



  兄を追放し、その妻を奪った王ヘロデを糾弾し投獄された、洗礼者ヨハネ。

  彼に偏執的な恋心を持った、王妃の連れ子サロメは、王の誕生日で優雅な舞を踊り、その褒美として王に、ヨハネの首を要求する。

  断れない王は、その場でヨハネを処刑し、その首を銀の皿に載せて、サロメに差し出した。

  しかし、恍惚な笑みを浮かべ、死人の首に口づけをするサロメに恐怖と怒りを覚えた王は、咄嗟にサロメの殺害を命じ、彼女もまた殺されてしまう。



 「まあ、一般的に知られているのは、こんな話ですけど、そのほとんどが後年、オスカー・ワイルドが手を加えた戯曲の内容で、実際の記述は違ってくるんですけどね。

  ただ……」


 ナナカの説明を受け継ぎ、アンナは頷いた。


 「このアトリビュートが示してしまったのよ。

  その話が、まったくの嘘と否定できないことを」

 「正直、私も、このアトリビュートに関しては、バチカンのコンピューターで軽く目にした程度で、詳しくは知りませんけど」

 「意外と、勉強熱心なのね」

 「ただの、暇つぶしです。勉強なんて大っ嫌い…それはいいとして」


 アンナは言う。


 「バチカンは長年、このサロメの存在を懐疑的にとらえていたのよ。

  宝具のバックグラウンドは、戯曲のそれと相違なかったから。

  サロメの逸話は、母親である王妃の差し金により、娘であるサロメがヨハネの首を手にして、それを母に手渡した…というのが正しい内容だったからね。

  しかし、この宝具は突然として、この世に姿を現した。

  20世紀、あの忌々しい鉤十字が支配したヨーロッパに」


 ナチス。

 少女は、そう呟いた。

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