5 小さな邂逅…少女奇譚



 「要するに、事故調査ってことだろ?

  そんなもん、地元警察に頼めよ。私たちは怪奇屋さんだぜ?」


 マリサとエリスが戻った事務所内。 

 小さな空間で、手を開いて悪態をついてみせる女性。

 プラチナブロンドに淡い水色の瞳。大人びた顔立ちに、ラフな服装からはおおいに目立つ豊満な胸… っと、怒らないでレディ。



 彼女の名はリオ・フォガート。

 25歳。アメリカ・シアトル出身。

 こう見えて、史上最年少の元FBI特別捜査官。


 探偵社のなかで、最も年長の人物だ。




 「私も、最初はそう思ったわ。

  表向きはありふれた私立探偵。その裏では、人知のそれを超えた、不可解な事件のみに介入し調査する、世界で唯一無二の探偵事務所…いや、エージェント機関と言ってもいい。

  私たち、ノクターンの出番じゃないってね」


 エリスは部屋の窓を背にした、少し大きめのデスクに座りながら答える。

 最新鋭のデスクトップパソコンにインクと羽ペン、1つの受話器をダイヤルが対で挟むだけが置かれた、意外と質素な構えだ。

 リーダー席…というより、まんま責任者ポジション。

 

 ブラインドが閉じられた部屋で、小刻みな機械音を響かせながら、プロジェクターが一枚の写真を映し出す。

 元々が一体、どんな車種なのかすらわからないほど、原形をとどめていない金属の塊が、スクリーンの中にあった。

 ボンネットらしき破片についていた、羽根の生えたBの文字のエンブレムから、この車が英国の高級車 ベントレーであることは分かったのだが――。

 


 「じゃあ、どうして、依頼を引き受けたんだ?」

 「まあ、その質問は、話を最後まで聞いてからでも遅くはないよ。リオ」


 エリスはスクリーンに映し出された写真を見ながら、そのまま椅子に座って続ける。



 「今から十日前、ロンドン郊外で起きた自動車事故の写真よ。

  見通しのいい直線道路で、車が突如、コントロールを失い横転。

  運転していたのは、免許証からカウル・マクナガル・フォーンと判明。

  シティに事務所を構える敏腕の会計士だったそうよ。

  横転したベントレー コンチネンタルも、彼の所有」

 

 「事故の原因は、何ですか?」

 傍らのデスクで、砂糖多めのカフェオレをすすっていた、アジア系の少女が問う。


 カップを持つしなやかな右手、椅子から立ち上がったのは幼さの残る黒髪ショートの女の子。

 その凛とした姿、大きな黒い瞳から、外国の方々が見聞を臨む「YAMATONADESIKO」がチラリズムの如く、隠れ出ている。



 姉ヶ崎あねがさきあやめ。20歳。日本の京都出身。

 皆からは「アヤ」と呼ばれている。


 

 「事故を調査したスコットランドヤードによれば、スピードの出しすぎで起こした、単なる交通事故。

  第三者による破壊工作も考えて、ブレーキオイルやハンドル、道路へのトラップに至るまで、あらゆる捜査が行われたけど、その痕跡は無し。

  家族の証言では、車に乗る際はタイヤの圧から、エンジンオイルの残量に至るまで、念入りに確認する几帳面さだったそうだからね」


 マリサの答えに、今度はリオが


 「何らかの違法薬物による錯乱、もしくは精神的疾患による自傷、自死行為の可能性は?」


 「それは大いにあったさ。

  なんせ、死亡したカウルは、直線まで大学以来の友人のバースデーパーティーに招かれていたんだからね。

  参加していた、彼の友人によると、カウルはパーティーが終わりに近づいたとき、突然、無言で家を飛び出し、自分の車に乗り込むと、そのまま家とも事務所とも違う方向へと、走り去ったそうだ。

  それまでは、何ともなくワインを飲んで、仲間と談笑していたにも関わらず。

  まるで、何かに憑りつかれたかのように、凄まじい形相と脂汗をかいて。

  事故はその後に起きた」


 「となると…」


 「だがな、これに関してもヤードは調べたさ。

  パーティー参加者と、その家の中もね。結果として違法な薬物も、幻覚作用を引き起こすハーブ類もなかったし、彼自身も所有していなかった。

  そして、カウル自身の病歴を見ても、精神的な障害および疾患は認められなかった。持病すら無いときた。

  確かに、死の直前の行動は、薬物の影響や精神病理的なものを疑ってもおかしくない事柄だが、それを確固とするものも全くないのが事実だ。

  大声で叫びだしたり、誰かに愛やら幸せやらを吐露したりという、幻覚剤特有の症状もなければ、前触れもなく涙を流したり、沈んだりといったうつ症状もなかった。

  となると、この線も消えるわけで、端的に言えば、これは怪奇事件ではない」


 「じゃあ…」

 「でも、たった1つの情報を除けばね」

 

 マリサは、懐からスマートフォンを取り出し、エリスのデスクに置いた。

 持ち主が言う。 


 「事故の3日後、被害者の息子がヤードに持ち込んだ音声だ。事故直後、被害者と息子が交わした、最後の会話が録音されている。

  そこに、こんな言葉が残っていたんだ。聞いてくれ」


 そういって彼女は、自身のiphoneを置き、拡声モードに。

 電話でのやり取りを途中から録音したもので、最初はノイズがひどいものの、段々と音声が聞こえるようになってきた。

 事故現場でも、被害者カウルの傍から、セルフォンが発見され、メモリーから横転直後に弾みで、通話状態になったということが判明している。

 全体時間は約10分。録音は通話が始まって3分ごろから始めたと、息子は警察で証言している。

 問題の個所は、通話時間から総合して7分を過ぎた頃だ。



 ――父さん!無事なら返事をしてくれ!父さん!

 ――…ン……パラ…

 ――父さん! 父さん! 聞こえないよ! もう一度言って!

 ――ケサラン…パサラン…

 ――ケサランパサラン? どういう意味なんだ!……父さん? 父さん!



 「っ!…そんな!」


 ケサランパサラン。 

 その言葉に反応したのは、リオだけではなかった。


 「それって…!」


 あやめも、また然り。

 日本出身の彼女なら、反応しても不思議ではなかろう。


 「そうよ。ケサランパサラン、まさにそれよ」

 「でも、どうして今わの際に、あの妖怪の名前を…」

 「その答えは、マリサが持ってきている」


 マリサが袋に入ったそれを、3人の前でかざして見せた。

 試験管ほどの大きさをした、ガラス製の瓶。

 蓋には通気のための仕組みが施されており、単なる容器でないことを示唆している。

 

 「事故現場で発見されたものだ。ヤードの刑事から拝借してきた。

  見つかったのは、助手席の傍。近くに口の開いたポーチが転がってたそうで、そこから落ちたみたいだ。

  警察が家族に見せても、この瓶だけ、職場の人間や、直前までいたパーティーの参加者はおろか、家族の誰も見覚えがなかったっていう話」

 

 手渡されて、リオは、あらゆる角度から、文字通り嘗め回すように瓶を見てみるが、首をかしげるにとどまる。


 「なんなんだろう…こんな形状のモノなんて、初めて見たぜ。

  麻薬の運び屋なんかが、こういった、奇妙な入れ物をこさえてるってのは、現役の時にも見たことがあるけど、ジャンキーがぶら下げてるソレとは、何かが違う。

  とにかく、奇妙の一言しか出てこないさね」


 そういって、手渡された瓶を手に、あやめの表情が曇った。


 「確かに、そうですね。でも、ケサランパサランが入っていたとなれば、この風通しの良さの説明はつきます。

  それに、微かに香るおしろいの匂いと……何より、妖気が嫌でも漂ってくる」


 「妖気?」


 リオが聞くと、あやめは言った。


 「人間には、あまりピンと来ないぐらい、微弱なものですね。

  おそらく、リオさんの“奇妙”ってのも、そこからかと…。

  おしろいの香りが、きついくらいに漂ってきますから、この瓶の中に1、2個ってことはなさそうですけど」

 「そいつは、の力、ってことか」

 「…皮肉にも」

 「成程。

  ケサランパサランには、私も少しは知識はあるつもりさ。

  FBIも重要事案として、この妖怪が関わった大事件をマークしてるし、その資料も見せてもらったことがある」


 しかし…

 そう、前置きをしてリオは、瓶をエリスに投げ戻した。


 「そうなると、更に分からなくなったな。

  この事故の裏にケサランパサランがいるとして、それが一体、どう繋がってくるんだ?

  このカウルって奴、私たちの側の人間なら、使い魔のようなもの、持っていてもおかしくないが…マリサの話を聞く限りじゃあ、そうでもないようだし。

  うーん、全然分からん」


 「と、その前に、もう一度見直しておきましょうか。

  ケサランパサランという、ユニークな名前のモンスターについて。

  共通の情報は、みんなで勉強しても損はない。そうでしょ?」


 廊下から近づく足音を拾い、エリスはただ、微笑するだけだった。

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