小さな邂逅…ノクターン探偵社への依頼
4 小さな邂逅…リスボン
一か月前
リスボン―― ユーラシア大陸最西端に位置する国、ポルトガルの首都にして最大の港湾・観光都市。
イベリア半島から大西洋にそそぐ大河、一見すると海にでも見間違えるほどの幅を持つテーション川河口に広がるこの街は、古くから商都として栄え、大航海時代にはエンリケやマゼラン、マルコ・ポーロを始めとする航海士や冒険家、商人が彼の地から海を渡って、水平線の向こう側へと進出していった。
日本にも、様々な技術や文化が伝来したが、特に火縄銃が現在の鹿児島県種子島に伝来した話は、例え歴史に興味がなくとも当たり前の知識として、義務教育で習得したはずだ。
そんなリスボンは、河口港湾部を取り巻くように街が作られ、明るく色とりどりの壁や小さな可愛いバルコニーの住居、各年代の様式の荘厳な建造物がひしめいている。
いと風光明媚な光景は、旅先の売店にこれ見よがしに積み重ねられ回転する絵葉書の中に迷い込んだかのような極彩色で、美しいの一言に尽きる。
石畳を赤や黄色のレトロな路面電車が駆け抜け、坂の多い居住区では地元の人たちの世間話や笑い声が聞こえてくる。
この街の一角、中心部南側のテーショ川を臨む、小高い場所にある建物を見てみよう。
――どこを見ればいいか迷ってるようだね。そう…観光名所、ジェロニモス修道院のある場所の、少し北側…そうそう、そのあたり。
リスボン市街でなら、どこでも見る外観の住居だ。変わったところなんてない。
オレンジ色のレンガ屋根と、薄汚れた白壁の4階建て。屋根の上には、文字通りの小さな屋上が置かれて、洗濯物が心地よい風に揺れている。
三叉路の分岐点に建っていて、通りの横― 建物からは陰になる場所に、この建物の入口へつながる、鉄製の階段が伸びている。と言うのも、1階はガレージになっていて人が入れないためだ。
これまた別の通りに面した小さな窓からは、小さなバルコニーが突き出て植木鉢に飾られた観葉植物が花を咲かせて、どうにか暗い外観に色を添えていた。
…と、ここまで軽く説明はしてきたが、最初に言ったように別段、この建物がどうこうと言う訳ではない。
どこかのアニメのように、地下に潜るとか、風船くくり付けると飛ぶとか、変形してカイジュウにロケットパンチをかますと言ったものではない……あ、最後のはナシで。
とまあ、雑談をしている間にガレージの扉が開き、1台の青い車が飛び出した。
丸みを帯びた小さなボディと、四ツ目が印象的なビンテージ・スポーツクーペ。
アルピーヌ A110は川沿いの道路を疾走する。
好天と相まって、その様は素晴らしく絵になった。
車はドライブウェイから市街へ。
細く、街路樹と石屋根の建物が並ぶ。
ようやく速度を落とし、路肩のパーキングスペースに停まった時、その車内から出てきたのはエリス・コルネッタその人。
ジーンズとシャツのラフな格好で、近くのカフェの扉を叩くと――。
いた。
自分が指定している席に。
エリスはゆっくりと歩み寄ると、その人物に声をかけた。
「アポイントって言葉、ご存知ですかね?」
ピタリ、と、声をかけらた者の手が止まり、そっとカプチーノの入ったカップを下ろした。
エメラルドのように透き通ったグリーンの瞳。短い銀髪が似合う女性。
エリスより、少し年上と見た。
「マリサ・アドミラル…ICPO、国際刑事警察機構の課長ともあろうお方が」
「ふん、今日は吠えるじゃないか。ケルベロスでも、もう少しおとなしいと思うがね?」
彼女の名はマリサ・アドミラル。ロシア連邦出身。
ICPO Z管理課の課長だ。
正式名称を国際刑事警察機構。
ICPOは、映画やアニメで描かれるそれのように、捜査や逮捕といった警察活動は行っていない。
この組織は、結論から言えば各国の警察や司法機関の橋渡し役を担うのが、役割である。
指名手配犯や盗難美術品等の情報を集約し、各国に伝達する国際手配と、国境をまたいで暗躍する犯罪者や事件の情報をデータベース化することが、彼らの本来の姿だ。
マリサが所属している Z管理課は、機構のファイル管理委員会に所属するセクション。
ICPOの仕事でも特に表に出ないもので、世界各国から寄せられる不可解な、もしくは、それが理由で未解決となった捜査事案を集約し、データベース化、必要とあれば各国の司法機関に公開することを任務とするセクション ――と、言われている。
「で、今回は何の用ですか?」
席に着くなり、不愛想。
「私がここに来るとしたら、その用事は一つさ。
そろそろ、私立探偵の真似事に飽きてきたころかと思った次第だよ」
「真似事とは、失礼。これでも私たちの飯のタネでしてね」
「それでも、今の自分には満足できていない。
いや、自分だけじゃない。自分を取り巻く全部が、だ。
なんせ、お前にとって探偵なんざ、隠れ蓑でしかないんだろ?
元牡牛の、敏腕エージェントさん」
エリスは、すっ、と右手をテーブルに差し出した。
直後うっすらと手の甲に浮かび上がる影。
タトゥーとも違う、強いて表現するならイコン。
形を成そうとするそれは、エスペランドや各種創作作品内のもの、否、人類が創造してきた、いかなる言語とも相違しない、独特の文字。
「最初に言ったはずですよ。敵と認識した者は、例え身内でも容赦なく消し去ると」
「ほう…こんなところで、アトリビュートか。
どうする。大勢が見ているぞ?」
「このカフェもろども、周りの人間も皆殺しよ。
そうやって、生きてきた。
パチュリーを…舐めないほうがいいですよ。ミス・アナスタシア」
「ハッタリが」
その言葉に、エリスの瞳が濁った!
直後の言葉は、破滅への始まりか。
「汝、井戸の底にある声を求めよ。恐れ――」
「それ以上呪文を唱えれば、腹に一発ぶちかます」
マリサも無防備ではなかった。
左手はテーブルの下。スーツの袖からデリンジャーが、エリスの腹部に照準を定めている。
声か、口か。
「こっちも、言葉を返すぞ。
私も、元はロシア正教会のエクソシストだ。主が違えど、匂いは同じだ。
なめるなよ、
お互いの混濁した瞳が、飲み干されかけたエスプレッソの小さな器の中で揺らいでいる。
ON AND UNDER。
沈黙が皿の重なり合うフロアの音と混ざった時、全てを察したのか、2人は同時に手を引っ込める。
「フン…まあ、いいわ。こんなところで命を散らすなんて、馬鹿馬鹿しくてしょうがない。
で、本題に移っていただけるかしら?」
エスプレッソの最後の一口を飲み干して、マリサはスーツの内ポケットから取り出したのは、一本のフラッシュメモリー。
「新しい事件だ。ノクターン探偵社……いや、エリス・コルネッタ」
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