3 少女の囁き
エリスと背中合わせの彼女は、グラスに注がれたロゼワインを、ゆっくりとくゆらせた。
ニガイチゴのように黒みを帯びた赤髪、それをポニーテールにした彼女のプロポーション。
それは、旧世代観点な書き方で行けば、露に性欲をそそる“うなじ”から、紺のボレロに隠された鎖骨、そしてエリスより豊満な乳房に至るまで、全てが同年齢の彼女より大人びている。
純白のドレスも、また然り。
シャープな顔立も。
前述の通り、彼女はアンナ・ニーデンベルグ。
24歳、フランス アヴィニョン出身。
フランス人の母と、ドイツ人の父を持つハーフである。
そして、バチカン市国の関係者――と、今はそれだけ言っておこう。
「仕事よ。恐らくは、貴女と狙いも、目的も一緒」
「ということは、この事件が、アカシック・レコード理論を解くカギになると、バチカンは考えているってことで、いいかしら?」
エリスが問うも、彼女はただ、はぐらかす。
ナイフの上で弄ぶ、プロシュートと同じように。
「そう簡単に口を割ると思う?」
「ええ。私になら、ね」
ナイフを持つ手が止まった。
「違う?」
アンナは溜息。
折りたたんだ前菜のプロシュートを置いて
「叶わないわね。
…ええ、そうよ。教会は、この一件…いえ、一連の事件に目を付けてる、と言ったほうが正解かしら。
そもそも、アカシックレコード理論の、完全否定に躍起になってる教皇庁からすれば、世界中で起きる、怪奇事件全てに足を突っ込むのは、至極必然なんじゃない?」
「この間の事件は、スコットランドで起きた。
スパイと言えども、カトリック教徒が簡単に動ける土地じゃない。バチカンの人間なら猶更。
どうやって調べたんだ?」
「私たちが調べたのは、その前。韓国で起きた事故までよ」
エリスは、理解したとばかりに大きく息を吐いた。
「なるほどね。
まあ、あの国も独自のキリスト教文化を持ってはいるけど…卒なくこなしたってことかぁ。
今回の大号令は、誰が出した?」
「ご存知の、カルトロス枢機卿」
「やっぱり、あの爺様」
「彼しかいないでしょ?
前教皇が追い出されて以来、彼が実質、教会の支配者になってるんだし、教会も信仰のために、完成された理論と根源が欲しいのは、今更言うまでもない。
何より……彼も教会も、貴女が触れてしまった、例の文章を一番恐れているんだから」
私への抹殺指令…か。
そう言って、珈琲を口に含んだエリスに、アンナは聞く。
「さあて、こっちの情報は明かしたわ」
「そんなもん、ほんのちょっびっとじゃないかっ」
「何と言われようが、本質的には変わらない。さあ、対価を支払って頂戴な」
確かに、相手は自分の手の内を明かした。
こちらも少しでも渡さないと、フェアとは言えない。
かつての“盟友”として。
エリスは、ナプキンの端で口を軽くぬぐってから、続けた。
「仕方ない。互いに貸し借りなしってのが、昔からの約束だったからね。
こっちの話は、一か月前に遡るわ。
――長くなるけど、付き合ってもらうわよ。このエスプレッソが冷めるまで」
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