20 凶器の嬢マーガレット
足があらぬ方向を向いている。
という、文学的表現がある。
今の状況を言い表すならば、そうであるし、そうではないともいえる。
男の両足は血に染まったアスファルトに横たわっていた。
つま先から付け根までを、鋭利にもがれ、T字の形で打ち捨てられている。
絞り出される血の流れは止まらない。
持ち主は今、すぐ傍で涙を流す若い男。
両足だった場所から血を吐き出し、震えながらその男が見上げた先には、1人の女性。
シュバルツ達より若干年上に見える彼女は、整えられたロングヘアーを揺らし、軽蔑の眼差しで睨み付け続ける。
「言いましたわよね? わたくし、バカと能無しが嫌いだと」
「サー・マーガレット・ボーデン!」
正面に現れた2人、シュバルツとレベッカの姿を見ても、その表情は変わらない。
マーガレット・アンドリュー・ボーデン。
シュバルツたちと同じバディの仲間で、組織上層部の一人である。
展開している惨劇に、眉を引きつらせ、シュバルツは叫んだ。
「一体、何をしている! 答えろ!」
「何をしているか、ですって?」
その女、マーガレットは高らかに笑った。
「見て分からない? 儀式よ。組織の足を引っ張り、しくじった者を、アカシアの枝に眠らせるための
フフッ…こいつはね、尾行がバチカンの犬にバレて、おめおめ帰ってきたのよ。時限式のルーンを、ウチの車に刻み込まれて。
堕ちたものよね。これで、ネオ・メイスンの名前を名乗れるだなんて」
ハイヒールの先で、男の頭を小突きながら話し続ける。
それが快感とでも言わんばかりに、踏みつけながら。
シュバルツは声を張り上げて反論する。
この後に起こる状況は分かりきっていたが、それでも。
「もう十分でしょ。彼は私たちのような、完璧な構成員じゃない!
まだ入って2か月の師弟で、元々は単なる極右政党の党員だ。そんな彼に――」
「恩赦を与えろ、と言いたいのかしら? …戯言を並べるな、シュバルツ!」
マーガレットの怒号が、旅客機の森を反射しながら広がっていった。
全てを黙らせるために。
「たかが、1人のミスが、意志を共にする者たちの首を絞め、走り続けるものすべてを壊す。
その罪の重さは新米だろうが、熟練だろうが関係ない。
人種や正義が平等であるように、罪もまた平等に訪れるべきよ。
罪の救済など、単なる罪への冒涜に過ぎない!
罪を犯し、罰せられない世界など、在りはしない!
…だから、私はもぎ取ったのよ。こいつの両足をね」
それでも、シュバルツの口撃は止まらない。
「その考えを振りかざして、一体、今まで何人の師弟を殺した!
今年に入って6人だ! 6人だぞ、マーガレット!
入っては殺し、殺しては入れていく。」
「人の死など、この世界では、単なる連接点に過ぎない。
その先に待つ、リインカーネイションのために。
貴女も、十分に理解してるはずではなくて?」
「くっ!」
「それに、殺しては人員を補充する…同じことを、あなたの先祖もしていたのではなくて?
チェイテ城の酒池肉林。トランシルバニア公国の最高貴族であった、エリザベート・バートリー、その人がねぇ」
至極、その通り。
返す言葉がない。
ここで、その信仰を、事実を否定すれば、次に転がる死体は自分…。
例え激昂から生じた失言であると弁明しても、完璧主義者のお嬢様には、なにも聞こえやしない。
「もういい。どうせこいつは、なぁんにも役に立たない」
「す…すみません…ゆるして…」
ふり絞りながら、両手を這わせ近寄る男。
涙の懇願にも、マーガレットは冷血を貫き通す。
「どうかしました? 壊れたハーモニカみたいな声をだして」
「もう一回…チャンスを…」
「チャンスは一回。誰にでも平等。
あんたは、それを成し遂げられなかった、人間のクズ。ただ、それだけのことですわ。
でも…ええ、よろしいでしょう。チャンスを与えてあげましょうか。
あなたが再び、蘇ることができればね」
それは、イコール ――。
「やめてくれ…やめてくれぇ!」
男はマーガレットの足にしがみつくが、それを文字通りの一蹴。
更に、鋭利なハイヒールの先で左手を踏みつけると、そこを起点とし、今度は手の平もろども5本の指が四散した。
「ぐおおおおおおっ!」
くぐもった断末魔でも、彼女の表情は変わらない。
そして、小さく息を吸い込んだ口から、ゆっくりと呪文が唱えられる。
――シントラで、エリスが唱えたのと同じ種類の呪文が。
「葬儀を終えたら、青いドレスで舞い踊ろう」
「お…お願いだ…それだけは…」
男も察した。自分の命が、もう間もなく終わることを。
「吊るしたネズミとワルツを鳴らし」
すると、マーガレットは男の襟首を右手ひとつで持ち上げ始めたではないか。
華奢な腕からは、想像だにできない力で。
既に、動かせるものが右手のみの彼に、抵抗するすべなどなく、全ては受け入れるがまま。
そうなると、ココロは本心を生きるために吐き出す。
「やめてくれ…やめてくれええええっ! お、俺は死にたくない! 死にたくねぇえええっ!」
しかし、その言葉にひそめる眉をよりきしませ、マーガレットは、男の身体を空中高く放り投げた!
「その疼きに、万感の喝采を与えよう!」
「うわあああああああああっ!」
頭上に舞い上がった胴体。
全てがスローモーションに動く。
重力加速度に休暇を与えて。
断末魔を吐き、頭部を下にして落下を始めたそれを見ることなく、マーガレットは文字が浮かび、光る右手を胸に持ってきた。
それは、エリスのものと同じ、アトリビュートが発動する時の現象。
だが、マーガレットは少し違う。
手のひらと同時に、彼女の身体全体も光に包まれ、次の瞬間にはさっきまで着ていた服は消え、コバルトブルーの喪服に身を包まれていたのである。
刹那! 彼女は高らかに言い放つ!
「我が名はマーガレット・ボーデン。マザーグースを受け継ぐ者なりっ!」
胸の前で真一文字に切られた右手。
伸ばされた手の中には、血まみれの長い斧。小さな刃先には血がビッシリ、錆の上から塗りたくられていた。
その血こそ――
ザシュッ ――!
両手を上げながら落ちてくる男。
彼の首が、両腕もろども見えないギロチンで切り落とされた。
何が起きたか分からず、眼を見開いたままの頭と腕が、跳ね返されたテニスボールのように、再度空中を舞う中、そこから間髪入れず、四肢をもがれた胴体が、真っ二つ、更に3つ、4つ、5つと目でも追いつかない速度で分断され、そして――
ザアアアアアアッ!
肉片から降り注ぐ血の雨が、周りの地面を、飛行機を、マーガレットをも染め上げていく。
コバルトブルーが、藍色に、
ボトリ、ボトリ、と落下する、さっきまで生きた人間だったもの。
歪んだ表情の生首が、主翼の上でバウンドするのを確認すると、彼女は血まみれの髪をかき上げて、立ち尽くす2人を呼んだ。
「シュバルツ、レベッカ、こっちに来なさいな。
“継承者”なら分かるでしょ。この気持ちよさ。快感。
貴女の先祖だって、こうしてメイドの血で沐浴してたんだから」
「ギルティー・アックス…ボーデン家の者のみが受け継ぐ、伝承タイプの宝具。
かつて両親を殺し、完全犯罪を成しえた娘、リジー・ボーデンの使った凶器の斧…。
マーガレット、これは立派な逸脱行為だ!」
シュバルツの声も睨みも、受け付けない蔑んだ口元の笑い。
しかし、次の瞬間、背後から連続して飛んできた、三発の銃弾。
彼女は、それを一振りの斧で、それもブラインドネスで切り落とすと、振り返り犯人を視認した。
30代ほどの背の高い男が、そこにいた。
堀の深い顔。狩り上げた金髪に生える、青の瞳。
その両手に前床を下ろしたマシンピストル、ベレッタ 93Rを構えて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます